キリスト者として今を生きる

風は冷たいけれど春の訪れを感じます。。。

純情きらり

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イメージ 1   NHKの朝ドラ「純情きらり」の視聴率が好調。

   昨日の朝日新聞はその人気のヒミツを分析していました。

   まず、「恋多き」ヒロインと関わる男性たちの魅力。「女の人とちゃんと向き合うやさしい人ばかり。」同感。

   この脚本はきっと女性が書いたのだろうなと思います。桜子の初恋の人で婚約寸前まで行く齋藤先生、笛子の夫で、達彦の出征中に桜子の気持ちが傾いてしまう画家の冬吾、桜子と結婚することになる味噌屋の若旦那達彦…。





男性は女性の求める「やさしさ」がどんなものかよくわかっていないフシがあります。女性のわがままを聞いてくれたり、言うなりだったり、そんなものが「やさしさ」ではありません。齋藤先生も冬吾も達彦も自分をきちんと持っていて、きちんと自分の意見を言います。自分の矛盾に満ちた内面をみつめ、それを抱えて生きる勇気を持っています。時にきちんとヒロインとぶつかります。そしてきちんと聞いてくれます。こういう「やさしい」男性は『冬ソナ』のミニョンさん(チュンサン)以来です。


人気の秘密2.新聞が言うに「久々に戦時中が舞台だったこと」「意のままにならない人生を送らざるを得なかった人々の物語が、何不自由なく生きられる現在の視聴者に、非日常の劇的な気分を感じさせている」

…これはどうなんでしょう。視聴者はそんなふうにこの『きらり』を観ていたのでしょうか。

私には少なくとも、桜子が音楽学校をめざしてピアノを弾いていたとき、ひたひたと重苦しくなっていく世の中が、今と重なって感じられました。今はたしかに「何不自由なく生きられ」ているかもしれないけれど、まさに「自由を手放そうとしている時代」のように思えるのです。

ファシズムに向かう社会の特徴は何でしょうか。

まず、自分の姿も他人の姿も正しく認識することができず、ゆがんで見えるということです。

戦前戦中の日本人にとっては、「鬼畜米英」でした。そして大日本帝国は、欧米列強の植民地であるアジア諸国を解放しようとする救世主でした。「大東亜共栄圏」建設を掲げ、日本はまず傀儡の満州国を建てました。これが侵略として国連(国際連盟)に非難されると、日本は国連を「勇ましく」脱退してしまいます。イメージ 2

当時の外相であった松岡洋右は、国際的非難にさらされる日本を十字架につけられるキリストにたとえる演説をしています。この時の朝日新聞が祖母の遺品の中から出てきたのですが、「勇ましく」だったか「毅然として」だったか、松岡が国連の席を立ったことにそんな見出しをつけていました。
こうして日本は世界の孤児になっていきます。

満州国建設が満州の中国人に本当はどうとらえられていたのかは、のちに満州開拓民が敗戦後の引き揚げの中で身を持って知ることになります。山崎豊子の原作のTV化『大地の子』にも描かれています。



今の日本はというと、首相の靖国参拝を中韓だけでなく、アジア各国、オーストラリア、アメリカ等々世界のあらゆる国々が批判しているのに、聞く耳を持ちません。

日本以外のどこの国も共有しない歴史観を「正しい歴史」と標榜し、他者の声に耳を傾けないことを「毅然とした態度」と自画自賛します。靖国参拝や歴史教科書に現れているそういう歴史認識に中韓が抗議の声を上げると、「ナショナリズムが強いから」「反日的だから」とレッテルを貼ります。


自己と他者に対してこんな硬直した見方をしてしまったら、対決以外の道はなくなります。そして他者が「情動に突き動かされる、えたいの知れない存在」として映り、不安と恐怖が醸成されます。


朝日新聞9月13日の夕刊で栗田禎子さんは、アメリカもまた中東をそのようにとらえており、パレスチナ問題やアメリカのイスラエル政策の本質を見ず、アメリカ自身の加害者性を自覚せずして、中東を「狂信的」「奇妙な社会」ととらえることが、事態を解決から遠ざけていることを指摘しています。


『純情きらり』を見ながら、私はそんなことを考えていました。

今は戦後ではなく戦前ではないのか。

栗田さんは言います。上の歴史認識・他者認識のゆがみは「戦争に向かいつつある社会に必然的に生じる思想・言論状況なのでしょう。」


ファシズムに向かう社会の特徴のふたつめ。

「きらり」の人気の秘密に触れ、新聞は「何不自由なく生きられる現在」と言っていますが、その自由を私たちは手放そうとしているのではないでしょうか。

自由を手放す理由は、漠然とした不安感です。少年犯罪をはじめ、動機のよくわからない犯罪が多発し、また「えたいの知れない他者」となった外国はいつ攻撃を仕掛けてくるかわからないものと映ります。
個人を守って安心感を与えてくれるはずの家族や地域などの共同体、社員を丸抱えしていた終身雇用は崩壊し、個人は裸のまま世界にさらされています。その不安は、他者を理解し他者と連帯して生きる社会を再構築しようという方向に向かうかわりに、「強い国家」によって守ってもらいたいという方向へ向かっています。共同体を飛び越えて個人が直接に国家と結びつく社会。

アメリカはテロ対策のために国家が市民のEメールや電話さえ盗聴し、監視カメラがいたるところに設置される監視社会になっています。

日本では共謀罪が次の国会の会期中にも創設されようとしています。

ファシズムはかつてこんな不安感の中から進行していきました。笛子や冬吾さえ脅かした治安維持法は、はじめは共産主義取り締まりのために導入されました。共産主義という恐怖、失業による社会不安は、ヨーロッパで「強い国家」ナチスを待望させ、ユダヤ人虐殺を黙認する結果となりました。共謀罪は一見すると、私たち普通の市民を取り締まりの対象としたものではないように思えますが、治安維持法も当初はそんなふうだったのです。(共謀罪についてはこちらで概要を知ることができます)
http://kyobo.syuriken.jp/



戦争は終わり、桜子は達彦や周囲の人々との信頼の中で戦後を歩き出しました。

60年が経ち、今がたしかに「戦後」であり「戦前」ではないことを祈ります。

「戦前」とはすまいという決意と具体的な行動を伴った祈りをもって-----。

イメージ 1

戦地から帰還した達彦は、人が変わってしまったよう。達彦の心を開こうと桜子が二人の思い出のジャズを弾くと、達彦はピアノの蓋をバタンと閉め、言います。
「やめてくれ、そういう音楽は聴きたくないんだ。明るくて騒がしくて、耳障りなその音が嫌なんだ。」「自分たちが何をしたかも忘れて、何をされたかも忘れて、なんでそんな浮かれてられるんだ。こんな世の中をつくるために俺たちは戦ってきたのか。何人も人を殺して、死なせたくない仲間を何人も死なせてきたのか。半年前まであった地獄をみんな綺麗さっぱり忘れとるじゃないか。君もそうだ。なんで笑っていられるのか。ジャズなんて弾いていられるのか。」
激戦地で本隊に見捨てられ、前線で孤立した部隊の塹壕の中で、重傷を負って動けない仲間を残して退却したことを、達彦は忘れられないでいたのです。


録画の「きらり」を一緒に見ていた夫がこのシーンでポツリと言いました。「政治家もこのくらい繊細だったらなあ。」
夫よ、アンタはたまにスルドイことを言う。


達彦のこの問いに対してどう答えたらいいのでしょうか。桜子はまっすぐな思いで答えようとします。「生きてるからだよ。生きてる人間は絶望なんかしとられん。達彦さんといっしょに幸せになりたいからだよ。」一緒に生きていきたい、という桜子のまっすぐな思いが達彦の苦悩を抱えていくだろうということはわかります。人を救うのはやはり人だから。けれどこの「答え」自体はやはり達彦への答えになっていないのだと思います。夫が「政治家は繊細じゃない」と言ったことの意味。繊細じゃない政治家は、苦しむ人間の問いにたいして、もっともらしい答えをお手軽に与えます。「君たちが戦ってくれたおかげで、今の平和があるんだ。」そうして靖国神社に「英霊」をうやうやしく祀ることで、死者の魂を慰めた気になっている。私はこういうお手軽な「答え」が嫌いです。憎んでいる、とさえ言ってもいいかもしれません。だからキリスト教も含め、ある種の宗教が嫌いです。語りえぬものについては口を閉ざせ。重い問いについて、同じだけの重みを持った言葉で答えられないのであれば、答えるかわりに自分もその問いを抱えて黙って生きよ。「なぜなのですか。なぜ彼らは酷い死を死なねばならなかったのですか。なぜ私は人を殺さねばならなかったのですか。」…「日本の自衛のために」などという答えをもっともらしく簡単に与えて慰藉し、今また同じ目的のために「戦争のできる国」を作り上げようとしている政治家を、私は(夫が言ったように)繊細さのかけらも持ち合わせていない、鈍感で厚顔な人間たちだと思います。


達彦の心につかえた鉛を吐き出させたい桜子は、達彦が見捨てたという戦友の姉に会いに行こうと達彦を誘います。遺品を渡しながら達彦が「申し訳ありませんでした。どうかおゆるし下さい」と言うと、戦友の姉である人が言います。「ゆるしません。ゆるしてしまったら弟が浮かばれないからです。この戦争を私はゆるさないことに決めたんです。この戦争がよいこと、正しいことだ、戦うべき価値があるんだと弟を奮い立たせて戦場へ送り込んだ人たちのことも、それを止めなかった自分も。ですから、あなたのこともゆるしません。」


A級戦犯でさえゆるしてしまう日本人は、この朝ドラの台詞にどう感じたでしょうか。ゆるすということは美しいことのように思われています。達彦はゆるしてあげてもいいように思います。A級戦犯だってやむなき事情の人もいたんだろうし、ゆるしてあげてもいいように思います。けれど、そうして戦争そのものも、いつのまにかゆるしてしまっているのではないでしょうか。人をゆるし、戦争そのものさえゆるしてしまった日本人には、ゆるしてくれない中国人や韓国人が不寛容であり、いつまでも敵対的であるように感じられます。


「ゆるします、けれど忘れません」…この言葉を語った人の思いを受けとめて生きていたら、達彦たちの答えられない問いを私たちも黙って抱えて生きていたら、今の日本の隣国との関係も、日本の踏み出そうとしている方向も、全くちがったものになっていたような気がしてなりません。



(※上の画像は季節はずれだけど白梅。「寒さをしのぶ痛みを分け合うことによって始めに友になり、雪の中でいち早く春を告げます」… 達彦の心の重荷を分け合っていこうとする桜子)
戦争が終わりました。桜子は国民学校の代用教員となり、教室でジャズを弾きます。ヤスジさんは「戦争中、紙芝居で子供たちに軍国主義を押し付けた」ということで戦争協力者のレッテルを貼られ、「どこでもつまはじきに遭っちゃってオマンマ食いあげなんだ」と言います。激戦地で戦死したと思われていた達彦さんが帰還します。すさまじい「現実」の転換、「価値」の転換…。

イメージ 1 母から墨塗り教科書のことを聞いたことがあります。教科書の軍国主義的な記述に墨を塗って消して使ったという話。「お国のために死ね」と教えていたのに、「今まで教えていたことはすべて間違っていました、これからは平和と民主主義を大切にしなくてはいけません」と言われて、人々は納得したのでしょうか。戦中と戦後の間に横たわる川を、人々はどうやって渡ったのでしょうか。






キリスト教会も難なく橋を渡っていきました。キリスト教会の多くは、国家の戦争に協力し、抵抗する韓国や台湾のクリスチャンに「日本による解放戦争」に協力するよう訴えて回りました。お祈りで「武運長久」を祈り、戦争が終わった時も、「私たちの祈りが足りないから敗けたのです」と言いました。
戦後はキリスト教ブームで、アメリカから大勢の宣教師が来て、心のよりどころをなくした多くの人々が教会を訪れました。教会は信者獲得と勢力拡大に忙しく、戦争中戦争協力をした多くの教会指導者が、今度はGHQのバックアップを得て、華々しく布教活動にのりだしていきました。(そういう教会指導者は、今なおキリスト教会の重鎮です。)


日本人はどうやって橋を渡ったのでしょうか。
   キリスト教会はどうやって橋を渡ったのでしょうか。

     今までのことは全て間違っていた、
     いやいやながら協力していたのだ、
     本当は反対だったのだ、と言って?


橋を渡らなかった人たち。
東南アジアに出征した元日本兵の数人は、戦争が終わっても日本に帰国しませんでした。日本は戦争中、「大東亜共栄圏」を唱えてアジア諸国を欧米列強の植民地支配から解放するのだ、この戦争はそのための大義の戦いなのだ、と言っていました。1945年8月15日に日本は終戦を迎え、兵士は帰国して行きましたが、マレーシアはなおイギリスの植民地でした。しかし2人の兵士、田中さんと橋本さんは日本に帰らず、マラヤ共産党の日本人ゲリラ戦士になりました。
「戦争中マラヤ(現マレーシア)を踏みにじった日本が、戦争に負けて、マラヤ人のために何もせずそのまま英国にマラヤを渡し、自分たちが帰国することがおかしいと思った」
「日本はマラヤの独立のために何もしなかった。日本の軍にできなかったことをしようと思った。私たちは共産党員でも何でもなかったが、当時マラヤの独立のことを考えているのはマラヤ共産党だけだった。私たちは主義はともかく、独立のため加わった。」(田中さんと橋本さんが77歳と71歳で帰国したときのインタビュー記事 朝日新聞1990年1月11日)http://www.nanzan-u.ac.jp/GAIKOKUGO/Asia/malaysia/8.htm


田中さんと橋本さんにもっと他に事情があったのかどうかは知りませんが、私はこの記事を読んで感動しました。


「共産主義は悪魔だ」
「大東亜共栄圏はウソだった」
「戦後民主主義は欺瞞だ」エトセトラ…。

「よい思想」と「悪い思想」、「ほんとうの思想」と「ウソの思想」があるのでしょうか。
思想を「ほんとうの思想」や「ウソの思想」にしていくのは、その思想の担い手なのではないでしょうか。
「大東亜共栄圏」の思想を現実に生きようとしたら共産党ゲリラになったってすごい。キリスト教を現実に生きたら何になるのだろうか。

「大東亜共栄圏建設」と「お国のため」という看板を「平和と民主主義」に取り替えて、今また「戦後民主主義は虚偽だった」という。
戦後は「戦争中はだまされていた」といい、今は「憲法は占領軍に押しつけられたのだ」という。いつになったら日本人は思想を「生きる」ことを始めるのでしょうか。
「純情きらり」は今、笛ねえちゃんや冬吾さん、杏ねえちゃんたちが東京大空襲で死にそうな目に遭い、(杏ねえちゃんを残して)マロニエ荘の仲間と岡崎へ引き揚げてきたところです。磯おばさんの息子和之が秋には徴用に取られてしまうからと言って、おばさんに「僕の本当のお母さんでしょう」と迫ります。東京大空襲は1945年3月だから、あと5ヶ月で戦争は終わるわけです。それまでみんな無事で生き延びられるのでしょうか。達彦さんは「激戦地」で戦死してしまったのでしょうか。


イメージ 1 ウチの母は子供のとき東京大空襲を経験しました。笛ねえちゃんたちのように直接危険な目には遭わなかったようだけれど、「焼け野原の東京」の話や戦時中ひもじかった話をよくしてくれました。父は横須賀で生まれ育ったのですが、母はよく父に「横須賀で軍や進駐軍の横流しのおこぼれに預かっていたアナタに、戦争がどんなものかなんてわかるわけない」と決めつけていました。父は戦後、「ギブ・ミー・チョコレート!」と進駐軍のジープの後ろを追いかけていたらしい。そういえば岡崎の山長と東京のマロニエ荘の食糧事情も同じ時代とは思えない。


どこで読んだのか忘れてしまいましたが、「東京大空襲。この日初めて『戦争』が始まったのだ」という当時の人の日記を紹介した本を読んだことがあります(佐高だったか辺見庸だったか…)。日本は15年戦争をたたかっていたけれど、本土に住む日本人にとっては遠い、見えないところで起こっている戦争だった。東京大空襲で直接空襲を体験し、街の破壊を目の当たりにして、「初めて戦争を体験した」と言うのです。そういえば(そういえば、が多い。。。)桜子が東京音楽学校をめざしてピアノを弾き、マルセイユでコーヒーを飲んでいた頃、日本軍は南京大虐殺を行なっていたのです。南京大虐殺の事実は戦後何年も経ってから初めて一般の日本人の耳に入ったそうです。それも戦後の復興に忙しくてあまり関心を示さなかったらしい。祖母は日本軍の勝利の報が伝わるたびに街頭へ出て日の丸を振った人ですが、「戦争」が始まると聞いて、まず顔に塗るクリームを買い占めました。(おしゃれだったんです、私とちがい。。。)祖母の言う「戦争」は15年戦争のことではなくて、日米開戦です。「戦争体験」と一口に言うけれど、父と母と祖母でもその体験はちがうし、直接戦地に赴いた兵隊たちと銃後の日本人の体験もちがうのでしょう。夫の父(私の会ったことのない舅)は、ビルマ(現ミャンマー)に出征しました。ビルマでの戦争体験を、舅は妻や息子(私の夫)にひとことも語らなかったそうです。「きらり」の達彦さんがどんな経験をしたのか、ドラマの中では遠景にしりぞいていて、詳細に語られません。


どうして語らないのか。どうして舅は戦地ビルマでの経験をひと言も家族に語らなかったのか。想像するしかないのですが、あまりに壮絶すぎる経験は他者に語れないのかもしれない。奥崎謙三の『ゆきゆきて神軍』というドキュメンタリー映画は、この語られぬ経験を語らせようとする奥崎の実録でした。ジャングルの中の進軍で食糧も尽き、「白ブタ黒ブタ」と呼んで現地人の肉や仲間の兵士の人肉を食べたという話など、信じられない「語れない経験」を奥崎は突きつめて白状させていきます。この映画を若い人たち数人と一緒に数年前見たのですが、若い人たちの感想は一様に、奥崎に対する反感でした。今はそっと静かに生きていたい老人を問い詰めて語りたくない過去を聞きだそうとする奥崎の暴力、にたいする反感のようでした。奥崎にたいする私の感想はさて措いて、この体験を語らないでいるというのも至極もっともでしょう。自分が復員してきたことだけを単純に喜ぶ妻子の前で、これからは希望をもって生活を立て直していこうとしている家族の前で、語れる体験ではないでしょう。あまりに凄惨な経験は他者に語れない。これほどの経験とは比べ物になりませんが、私も中学時代、学校でイジメられていることを両親には話せませんでした。母と妹がのんきにテレビを見、父がのんきにステテコ姿で湯上りのビールを上機嫌に飲んでいるのを見ると、別世界のような気がして、学校でのいじめのことなんか話すタイミングなんてなかったのです。だからそうして封印されていった戦争体験はあまたあるのだろうな、と想像します。そして今、「南京大虐殺」を始め、日本軍が「外地」で行なってきたことを初めて中国や韓国の人々の口から聞くと、戸惑うし、作り事のような気がするし、どう受け止めたらいいのかわからないのではないかと思います。


ドラマにならないしね。「男たちの大和」の特攻隊どまりでしょう、ドラマになるのは。
達彦さんは無事でしょうか。朝ドラのことだから、戦死したと思わせておいて、ひょっこり帰って桜子を驚かすのではないかとひそかに思っているのですが。今日は終戦の日。達彦さんが桜子に宛てた「最期の」手紙。「君が音楽を忘れずにいるかぎり、僕は君の中にいる」…いかにもドラマというかんじのセリフだけれど、姑は夫の中に生きています。去年の今頃はブログどころではありませんでした。去年の夏、姑は逝きました。「老衰」というのは、こういうことなのか、飲み物を飲み込むことも、息をすることも、排泄することも、私たちが「自然の生理」と思っていることが自然にはできなくなること。人工呼吸器を口にあてがうことも嫌がって、「もう死にたい」と言っていたけれど、夫は生きていてほしかった。姑は今も夫の夢に現れるそうです。夫の胸にはポカリと穴が開いてしまったようで…。色々な事情があって、お墓をどうするか、頭を抱えたけれど、なんとかお墓を決めて、お骨を納めました。でも姑はお墓に眠っているのではなくて、夫の中に住んでいるのです。達彦さんがピアノを弾いたり作曲したりする桜子の中にいる、というのもそういうことなのかもしれない。(達彦さんはきっと帰ってくると思うけれど。)

イメージ 1今日は終戦の日。死者たちはどこにいるのでしょう。靖国神社に?靖国神社に参拝したい人はすればいいけれど、でも死者たちにはそれぞれの「特別な場所」があるような気がします。『わすれられないおくりもの』という絵本。亡くなったアナグマさんが友達とのそれぞれの出会いと関わりの中、その思い出の中に、生きているというお話。



終戦の日に寄せて、竹内浩三『骨のうたう』という詩を捧げます。終戦から61年経ちましたが、私たちの心の中に、死者たちを住まわせる場所がありますように。

骨のうたう          竹内浩三  
                           

戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった

ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまう
その心や

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