キリスト者として今を生きる

風は冷たいけれど春の訪れを感じます。。。

純情きらり

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ヤエさんは、出征していった守田さんの子どもを身ごもり、生活のために、嫌っていた戦争の絵本を描くことを引き受ける。描きあげて、編集者の薫子にいざ絵本を渡し、お金を受け取った瞬間、ヤエさんは後悔の念に襲われて、やっぱり絵本を返してほしいと頼む。すると薫子は言う。
「ヤエさん、もしもあなたがこの仕事を断ったとしても、他の誰かがおんなじような絵を描いて、ウチの会社はこの本を出すわ。今は皆が一致団結して、始まってしまったこの戦争を勝ち抜くこと、それに賭けていくこと。今の日本で戦争にかかわらずに生きていくなんて、誰一人として許されとらんの。」
同じような言い訳をして、私は今の仕事を続けている。薫子がヤエさんに言ったことを私は自分自身につぶやき、英語を子どもや学生、会社員に教えている。

英語を子どもに習わせることは流行だけど、私はあんまり効果があるとは思っていない。英語が好きでやってくる子はそれでも得るものはあると思うけれど、あんまり興味がないんだったら無理やり習わせるものでもないと思う。ネイティブと週に1時間や2時間一緒に遊ばせたところで、生活の大半は日本語なのだから、帰国子女が生活の中で英語を身につけていくようなわけにはいかない。「アメリカ人の子どもは文法を習わずに英語をしゃべれるようになるのだから、文法は必要でない」…NOVAの宣伝チラシに書いてあったが、とんでもない暴論だ。文法を習わずに、英語を操れるようになるには、一定量の英語に日々さらされ、その中から文法を自ら発見していくプロセスがあってのことだ。この「一定量」は、いくらお金を払って英会話学校に毎日通わせたところで達せられる量ではない。スペルも文法も知らずに英語を丸暗記していくことの非効率。児童英語教育は効率が悪い。

今担当しているのは小学校5、6年生の英検コース。ネイティブの会話クラスと並行して文法を学ぶと、比較的効率はよい。おまけに英語が好きで楽しみながら勉強している子たちなので、吸収もよい。好きなら習ったらいい。それ以上でもそれ以下でもない。家計に負担をかけて、母親がパートに出て家を留守にしてまで習わせるほどのものではない。私がなにより良心のとがめを感じるのは、子どもたちが自由に遊ぶ時間を奪っているということだ。まあせっかく通ってくれているのだから、その時間を楽しく過ごさせてあげようとは思う。しかしそれはどうしたってオーガナイズされた活動なのだ。子どもは疲れている。学校から帰って、サッカーの少年チームの練習をし、そのあと英会話を習い、塾にも行く。ピアノを習っている子、バレエを習っている子、水泳を習っている子もいる。活動の全てが大人によってお膳立てされ、プログラミングされている。

子ども時代の貴重な経験というのは、そういうオーガナイズされた活動ではないだろう。私の子ども時代は、夕闇で石けりの石がよく見えなくなるまで夢中になって遊んだ。家の近くで遊んでいたから、「ごはんよ〜」という声で母親が呼ぶまで遊んでいた。勉強には興味がなかったけど、親は何も言わなかった。塾にも行かず、ピアノは習いたいと言って習い始めたが、根気が続かなくて数年でやめた。続けろとは言われなかった。今思うのは、今中年になって自分の中にある「生きる意欲」は、あの子ども時代に夢中になって遊んだ経験から育ったのだということである。高校生になってからは勉強が面白くて夢中になって勉強したが、夢中になって缶けりをした子ども時代がなかったら、そうならなかったかもしれない。高校でも非常勤で教えているけれど、毎回勉強してこない生徒に、「あなたにいっしょうけんめい勉強した後の爽快感を教えてあげたいわ」と言ったら、彼女は「小学校4年生の時に経験した」と言った。燃え尽き症候群。彼女にたいして、それ以上何が言えるだろう。

オーガナイズされた遊びが「魂」にとってあまりよくないものだということは、ミヒャエル=エンデの『モモ』に書かれている。オーガナイズされた活動で子どもたちを囲い込むのは、「灰色の男たち」だ。灰色の男たちはモモに言う。「もっとためになる遊びをしたまえ。」
灰色の男たちの持ってくる高価なオモチャは子どもたちの創造性を奪い、オーガナイズされた活動は、生きる意欲を枯渇させていく。石蹴りや缶けりやかくれんぼに、お金は必要なかった。けれどワクワクして、疲れを知らず遊んだ。無表情な顔をしてコンピューター・ゲームに没頭している甥を見ながら、あんまり今の時代に子育てしたくないなあと思った。(そんなこともあって子どもはいない。できなかったのだが、不妊治療までして作ろうとも思わなかった。)

私の勤める英会話学校のネイティブ講師は皆、ハイ(ハイ・テンション)だ。控え室に戻ってくるとぐったりしている。(「楽しいレッスン」を演出したために。)ネイティブや日本人講師である私に、たとえ子どもに対する善意と愛があったとしても、私たちは一義的にはお金のために仕事をしており、子どもたちは「お客さん」である。スイミング・スクールでもピアノ教室でも。子ども時代の活動のほとんどが「お客さん」として扱われる活動であるということは健全なことだろうか。

『モモ』の中の灰色の男たちとは誰だろう。利潤を追求する資本主義社会の中での企業とその歯車である一人ひとりの社員だと思う。「日本人が英語が話せないのは、学校英語ばかり習うからですよ。英会話スクールでネイティブと触れ合えば、ナマの英語が身について、話せるようになります」「子どもの時から英語に触れさせたら、バイリンガルになります」----本当は英会話スクールのもうけのため。

塾もウソ。塾や予備校に通って成績が伸びたというのは短期的にはあるかもしれない。けれど塾は本当に考える力を奪い、学力を低下させる。私は塾でもパートをした。時給4千円は捨てがたい。塾では、詳細なプリントが配られ、文法的に注意すべきところが全て下線を引かれ、あるいは穴埋め問題になってなっている。それをやっておけば、重要ポイントはおさえることができ、テストでもよい点が取れるのだ。
しかし学力とは、問題を発見する力である。まっさらなテキストに向き合い、そこから問題を発見する力、それが学力なのだ。何がポイントかを教えてもらい、、解き方を教えてもらうばかりの学生は、別のテキストを読解する力を養うことができないだろう。塾でも学校でも、私は教師として「わかりやすく楽しく教えるスキル」を磨けば磨くほど、生徒の学力=考える力を奪うことになる気がしてならない。

こんなことを考えながら、パートとしては結構な時給のために、仕事を続けている。
「もしもあなたがこの仕事を断ったとしても、他の誰かがおんなじような授業をして、ウチのスクールは生徒を集めるわ。今は皆が一致団結して、始まってしまったこの資本主義戦争を勝ち抜くこと、それに賭けていくこと。今の日本で戦争にかかわらずに生きていくなんて、誰一人として許されとらんの。」

(※この記事は白圭さん、NANAMIさんのコメントに応えて書きました。
白圭さんの、「政治体制も違う後代の人が、戦時中の人々を批判することは簡単ですが、北朝鮮のような戦前の日本の雰囲気の中で、自分が生きてみたらどうだろうかと考える感覚も大事なのではないでしょうか。」というコメント、NANAMIさんの「自分の中の弱みを見つめること」についてのコメント、白圭さん、こんなことを考えながら朝ドラを見ています。NANAMIさん、これが私の「弱み」の一つです。)
やっぱり朝ドラの限界なのだろうか。朝ドラの、というよりNHKの、というより日本のテレビドラマの限界なのだろうか。「まさかこんな時代が来るとは思ってもみませんでした」という西園寺先生の言葉には、この戦争をゆるした日本の大衆の責任が全く感じられない。まさか土砂災害で家をなくすとは思っていなかった、というのと同じような響きのこの言葉。「戦争を引き起こした」とは言わないまでも、「戦争をゆるした」ということは言えるだろう。そして戦争に反対したほんの一握りの人々に「非国民」と石を投げたのも彼らだし、「国家総動員体制」を下から支えたのはまぎれもなく彼らだったのだから。
「そのうちいつか戦争も終わるだろう」という冬吾の言葉も、ひっかかりを感じずにはいられない。戦争を始めたのは人間だし、戦争を終わらせるのも人間だ。A級戦犯の戦争責任が、昭和天皇の発言メモ以来話題になっているけれど、A級戦犯だけではなくて日本の大衆にだって戦争責任はあったはずだ。昭和天皇も被害者、大衆も被害者、そんな反省でいいのか。こんなにこだわるのは、今もまた「戦争のできる国」へ向かって日本がヒタヒタと歩いていると思うからです。そしてそれを支えているのは、政治なんかにまったく関心のない普通のやさしい日本人です。


下は、伊丹万作の「戦争責任者の問題から」です。再掲いたします。
伊丹万作(伊丹十三のお父さん)が終戦一年後に書いたもの。原文全文は、佐高信・魚住昭両氏による対談集『だまされることの責任』(高文研)に収録されています。原文の著作権はもう切れているということなので、抜粋して掲載します。


だまされることの責任 ---伊丹万作「戦争責任者の問題」から---




  さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。
 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。




 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
 
 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。




                         (『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月所収)
冬吾さんが赤ちゃんの亨君を描いた絵、もちろんドラマのためにどこかの画家さんが描いたものなのだろうけれど、ドラマの伝えたいことは伝わりました。肉体労働の最中に工場の天井を見上げる冬吾さん、暗い工場に天井から差し込む光…。戦争という暗い時代、貧困に途方にくれながら、一筋の光を見ながら絵を描き続ける冬吾さん。水色の光の中に抱かれたような亨君の絵は、そんな冬吾さんの祈るような思いなのでしょうね。

秋山さんはサックスを売ってしまいました。秋山さんから音楽を取ったら何も残らないのに。この時代、絵や音楽はまったくお金にならず、見てくれる人も聴いてくれる人もいないから、サックスなんて残しておいたって無駄なんだ、という秋山さんの気持ちはよくわかります。

この時代、絵や音楽を続けるのも大変だったと思うけれど、この戦争に反対した人はもっと大変だった。人と人が殺しあうことに反対するためには、命を懸けなくてはならず、誰からも感謝されず、「非国民」と呼ばれて石を投げられました。ほんのほんの一握りの、戦争に反対した人々。彼らはどうして思いを守り貫くことができたのだろう。

それはとっても知りたいことだけれど、私なりに一つの答えのようなものがあります。それは私自身の自暴自棄から、ある日ふと気づいたことでした。イラク戦争が起きたころ、私はこの戦争を止めなくてはいけないと思っていました。手作りで反戦のカードのようなものを作り、道行く人に渡したりしました。そのうち虚脱感に襲われ、「何をやったって世の中変わらないんだ」というあきらめのようなものに支配されていきました。反戦のカードを作って渡したりしたって多くの人は無関心だし、イラク戦争を止めることはできないし、私の時間だけが取られて損だ。そんなことをしている間にもっとパートの仕事を増やしてお金を稼いだり、英語の勉強をしたり、家をきれいにした方がよっぽど確実だ、そんなふうに思えました。友達がイラク反戦のデモに誘ってくれても断り、集会やデモのファックスを送ってくれる団体には、「もう送らないでくれ」とメールしました。

そんなふうにして、どれだけ時間が経ったでしょう。特に何かの出来事があったわけではないのだけれど、ある日ふと気づいたのです。私が今それでも生きることに一筋の希望を持っていられるのは、尊い生き方をした人々がいたからだ、と。ナチスの支配下にあって抵抗した人々---シモーヌ・ヴェーユ、ボンヘッファー、日本の戦争に反対して投獄された人々----無教会キリスト教の人々、詩人の伊藤信吉。そして十字架にかかっても剣を取らなかったイエス・キリスト。彼らはその時代にあっては、迫害され、押しつぶされ、負け、殺された人もいましたが、彼らがそのように思いを守り、生きたということは、私に勇気と励ましを与えてくれているのです。人間というものはけっしてどうしようもない生物なのではない、そのように気高く生きることもできるのだ、ということを彼らはその生きざまを通して教えてくれているのです。そのことに気づいたとき、私はたとえここで「勝つ」ことができなかったとしても、すべきことをすることは、無駄ではない、と思うことができるようになりました。いいかげんに読み流していた内村鑑三の『後世への最大遺物』を読み直しました。私たちがこの世を去るとき、この世に何を遺していけるだろう、金か、事業か。私たちが後世に遺していける最大の贈り物は、勇ましく高尚な人生である、と内村は語ります。「勇ましく」というのは武器を取り、主張することではありません。弱く貧しく名もなきな人々の中の勇ましさ。この本もまた、後世に生きる私への、自暴自棄になっていた私への、尊い贈り物でした。


見えている希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。(ローマの信徒への手紙  8:24‐25)

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今日のきらり。ヤスジさん、磯おばさんと鮎川青年、冬吾と笛ねえちゃん---それぞれのやるせない思いが胸を打ちました。実の母であることを隠して鮎川青年を励ます磯おばさん、お母さんであることを告げずに、もう二度と会わないつもりなのでしょう。冬吾さんと笛ねえちゃん。赤ちゃんの亨君が目が見えないことを知ったときのふたりの顔。そして一時は戦争画を描いて華々しく世に出るつもりだったヤスさん。

特高が目を光らせている中、展覧会を無事開催するために、冬吾はヤスジさんに「戦争画を描いてくれ」と頼みます。ヤスジさんは「イヤだ」と言います。「オレは戦地で髪の毛を振り乱して走っている女を見たんだ」-----戦争の現実を見てしまったヤスジさんは、政府のプロパガンダである「戦意を昂揚させる戦争画」を描けなくなってしまったのでしょう。冬吾さんはヤスジさんに言います。「お前の見たままを描けばいい。」

ヤスジさんは、展覧会はどうなるのか、ヤスジさんが見たままを描いた戦争の絵が官憲に受け入れられるわけはないと思っていましたが、今日のきらりでは案の定、ヤスジさんの絵は問題視され、展覧会は中止させられてしまいました。現実は常に、プロパガンダを流布させようとする側にとっては都合の悪いものですからね。けれど一方で、ヤスジさんが「見たままを描いた」戦争の絵はきっと、これまでヤスさんが描いた絵より、人の心に訴える絵だったのだろうと思いました。人の心を打つ絵や歌や詩・文は、作り手のウソのない心、やみがたい思いから発するものだと思うから。

芸術家は「国民が一丸となってお国のために働いている時に自分勝手でけしからん」と思われています。「愛国心」が法律に盛り込まれようとしている今日、戦後の「個人の自由」の強調が社会の乱れを招いたと言われるのとよく似ています。プロパガンダ=全体主義と、個人の自由と、普遍性の3者の関係について考えます。プロパガンダと全体主義は、権力と脅しを使って、人々を形式的にまとめ上げようとしますが、心を伴わない空疎なものです。個の自由は、めいめいがてんでバラバラに個性を主張して、人々のつながりや絆を解体するように思われます。普遍性とは----世に迎合することなく(時の権力やお金におもねらず)、自分の内なるやみがたい思いを描いた絵や歌や詩・文は、立場や時代を超えて、人の心の琴線に触れ、ゆさぶるにちがいないと思います。(磯おばさんの息子への思い、冬吾と笛子の思いも、抑えがたい思いであり、その私的な思いは、同時に誰もが共感する普遍的な思いでもあります。)私たちの心の奥底にあるそういうものを呼び起こされ、耕されていくことこそ、他の心と、他者と、つながっていくことではないかと思います。

「リリー・マルレーン」という歌を知っていますか。第二次世界大戦で、敵、味方を越えて戦地の兵士に愛された歌です。マレーネ・ディートリッヒが歌ってヒットしましたが、その前にアンデルセンという名もない歌手が歌った歌だったそうです。反戦歌でもなんでもなく、忘れられない酒場の女を歌っただけの歌ですが、初めて聞いたとき、ハっとさせられました。祈りのようなものさえ感じました。(次のアドレスをクリックすると、歌が流れます。)http://via.z1.bbzone.net/lilimarlen.htm

「愛国心」を押付ける教育基本法反対!と言いたいのですが、この現代の世の中の流れに本当に抗していくためには、別のスローガンを叫ぶことではなく、私たちひとりひとりが、自分自身のほんとうの思いとその表現を取り戻していくことなのだろうなと思います。「愛国心」について、シモーヌ・ヴェーユは、踏みにじられた祖国に対する思いこそが純粋な愛である、ということを語っています。やみがたい思い、圧迫されても捨てがたい思いこそが、真実の思いであり、人を感動させる思いなのかもしれません。パヴロ・カザルスが奏でたチェロ、「鳥の歌」も又---。一方で、評価や処罰を振りかざし、「愛国心を持たねばならない」と煽る今日の日本の行き方はどこか間違っているのではないでしょうか。
達彦に赤紙が来ました! みんな「おめでとうございます」と言います。桜子の気持ち、カネの気持ちはけっして「おめでたい」ではなく、「君死にたまうことなかれ」だったにちがいないのですが。カネは達彦と桜子の結婚を自分の方から有森家に願い出ます。「好きな娘と一緒になったら命が惜しくなるだろう」と。「必ず生きて帰るから」と桜子に言った達彦は、入営の挨拶で「お国のために死力を尽くし、勝たずば生きて帰らん覚悟であります」と「立派なこと」を言います。ホンネを口にすることは「めめしい」ことで、タテマエを貫くことが「立派な」あり方とされた時代です。みんな「万歳!万歳!」と日の丸の旗を振って達彦を見送ります。一体どんな気持ちで? 

ヤスジさんと冬吾さんのことを考えます。中国に渡り、戦地を描くことを冬吾さんは拒否します。ヤスジさんは自分から「やりたい」と申し出ます。ヤスジさんは、やさしくていい人だけれど、ズルいところもあり、冬吾さんのように強くはない人間として描かれています。ヤスジさんは戦争をしたい、戦争をするべきだと思っていたわけではないだろうし、戦地を描き日本軍の活躍を人々に是非伝えたいと思っていたわけでもないでしょう。売れない画家のヤスジさんは、自分の絵を人に見てもらいたい、画家として認められたいとささやかに願っていただけです。ヤスジさんはそんな自分を冬吾さんが軽蔑しているのではないかと思い、冬吾さんに食ってかかります。冬吾さんは「人のいいあいつが中国へ行ってそんな絵を描いてどうなるかが心配なんだ」というようなことをボソっと言います。ヤスジさんのような生き方を選んだ人は多かったでしょう。「選んだ」という自覚すらなしに「万歳!」を叫んだかもしれません。亡くなった私の祖母のように。素朴にささやかな幸せだけを願いながら。結果としてそのことが、「タテマエ」が闊歩する社会をつくりだし、戦争に反対していたごく少数の人々を「非国民」にし、追いつめ、拷問死させることになったのだと思うのですが。

戦争中人々はどんなことを考えていたのだろう。どうやって「戦後」を生き始めたのだろう。『汽車ぽっぽ』という童謡は、元は『兵隊さんの汽車』という歌だったそうです。
          (昭和14年の詩)             (戦後の詩)
一.	汽車汽車しゅっぽしゅっぽ        汽車汽車しゅっぽしゅっぽ
          しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ      しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ
        兵隊さんを乗せて            僕らを乗せて
          しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ      しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ
        僕らも手に手に日の丸の         スピード スピード 窓の外
        旗を振り振り送りましょう        畑も飛ぶ飛ぶ 家も飛ぶ
        万歳 万歳 万歳            走れ 走れ 走れ
        兵隊さん 兵隊さん 万々歳       鉄橋だ 鉄橋だ 楽しいな
 この歌詞を作った富原薫という人とヤスさんが重なります。驚くのは、戦争が終わった年の紅白歌合戦のラジオで川田正子という人気歌手がこの歌を歌うことになって、この歌詞のまま歌うわけにはいかないということでNHKは同じ富原さんに依頼して、ただちに今の歌詞(上の歌詞右)に書きかえられたということです。どういう気持ちで書きかえたのでしょう。書きかえた3番の歌詞では「行こうよ行こうよどこまでも 明るい希望が待っている」とあります。この歌詞に書きかえたとき、元の歌を作ったときのことを思い出したでしょうか。伊藤信吉という詩人のことを朝日新聞で知りました。戦前戦時下でプロレタリア詩を書いていた人ですが、治安維持法で検挙され拷問され、「転向」しました。拷問に耐えられず友達を裏切りました。戦争に反対していたのに戦争を賛美する詩を書くようになりました。戦後、そのことを悔いて詩を書くのをやめてしまいました。「私は臆病な人間です。また戦争が起こったら同じ失敗を繰り返す気がします。そういう人間なんだという目で、いつも自分を見ていたい。」亡くなる数年前に伊藤信吉が語った言葉です。私はこういう涙が「平和」をつくるのだと思います。「平和」は、『兵隊さんの汽車』を『汽車ぽっぽ』に簡単に書きかえることによって作られるのではなく、このおどおどとした伊藤信吉の搾り出すような小さな声、その痛みこそが「平和」をつくるのだと信じています。



私たちも桜子たちと同じような時代に生きているのかもしれない。気づきづらいけれど。「戦争のつくりかた」という絵本を載せました。下のサイトをクリックするだけでWeb上で読めます。多くの方に読んでいただきたい絵本です。
http://smile.hippy.jp/ehon/index.htm

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