キリスト者として今を生きる

風は冷たいけれど春の訪れを感じます。。。

日本という国、風を…

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NOVA!

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今日のニュース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070615-00000413-yom-soci

NOVAには以前ちょこっとだけ通ったことがある。今は英語でメシを食っているけど、大学を出て10年以上、「英語はちょっとは読めるけどほとんど聴けない、話せない」典型的な大学出日本人だった。だけど「英語が話せたらいいなあ」というこれまた典型的日本人の憧れで、NOVAに通った。NOVAと私は相性が悪かった。I hate the artificial smile of the staff here!(ここのスタッフの作り笑いが嫌いなのよ!)と大人気ない暴言をついに受付嬢に投げつけたのも、相性の悪いスクールにお金を払ってじっとがまんしてレッスンを受けつづけるストレスがたまったせいだった。たいへん大人気なかったと今では思うけど、英語力を本気で伸ばそうと思うのなら、そのくらいワガママであって正解だった、従順な「生徒」であったなら私の英語力はけっして伸びなかっただろうとも思う。

数年後、英語で少しはオカネが稼げるようになり、自分自身がインストラクターとして英会話スクールに雇われるようになって、artificial smile(つくり笑い)を浮かべるネイティヴ講師の苦労とストレスもわかるようになった。控え室にいると、隣の教室でネイティヴ講師が子供たちに英語のゲームの相手をしている声が聞こえる。Good!Nice!Ha Ha Ha....ハイテンションな笑い声。そして控え室に戻ってくると彼はグッタリしている。話しかけるのも気の毒なくらいで、話しかけても弱々しいゲッソリした返事が返ってくるだけである。もちろんもともと社交的で「裏表」のないネイティヴ講師もいる。そういう講師は、日本人生徒がもとめる「欧米人」ティーチャーのステレオタイプにあてはまっているから、そんなに苦労はないけど、欧米人のなかには内向的なヤツもいるし、暗い性格のヤツもいる。それなのに「英会話の外国人の先生は明るくて面白くて社交的でなくっちゃ!」という生徒たちの暗黙の要請にしたがって、ムリして明るくふるまっている。日本人は欧米人と話したがるけど、日本人が彼らにする質問はおんなじような質問ばかりで、答える方はウンザリしているのだ。「外国人といっしょに楽しくパーティー」なんていうのも日本人にとっちゃモノ珍しくて楽しいんだろうけど、日本にいる欧米人にはしょっちゅうこんなリクエストがかかっていて、お金をもらってだったら付き合うけど、タダで休日を犠牲にする気にはなれない。コミュニケーションっていうのは母国語でであろうと外国語でであろうと、そういう他者の立場を理解することが前提だと思うのに。けっきょくNOVAは講師の質がどうとかいう前に、そこで話される英会話が「擬似コミュニケーション」でしかなかったために、面白くもなんともなくて、講師がムリをして努力すればするほどに、私のストレスもたまった。

日本で外国人と話していておもしろいとワクワクしたのは、ペルー人とかコロンビア人とかのスペイン語圏の南米人、中国人留学生などだった。東京の四谷にイグナチオ教会という大きいカトリック教会があって、日曜日にはスペイン語のミサも行われていた。スペイン語を勉強しはじめたころ、イグナチオ教会に行って、カタコトのスペイン語で話しかけると、彼らはすごく喜んでくれた。在日欧米人に英語で話しかけてもこうは喜んでくれない。ペルー人やコロンビア人とはすぐに友だちになって、彼らのほうでもあれこれ私に質問してきた。さっき買ったローションのパッケージの説明書に何が書いてあるのかとか、ゴミの出し方とか。ペルー人の友だちは観光ビザで入国して工場で働いていたけど、雇用主が賃金を払ってくれないということで、なんとかしてほしいというので電話で交渉をした。低賃金労働でこき使って利潤を上げていたくせに、「彼(ペルー人)は不法就労だったんですよ。不法ですよ、犯罪者なんですよ」と言った雇用主の言葉を今でも覚えている。入管に収容され、ペルーに送還されるまで、「お金を貸してほしい」とか「助けてほしい」とか私の手に余ることも頼まれたけど、それを「親切な日本人を利用した」というのなら、私たちだって欧米人を「わくわく体験」「異文化理解」のために利用しようとしているだけなんじゃないか。

今は勤めている中学校で「国際交流部」の顧問をしているけど、イギリスの学校の生徒と文通したい、インターナショナルスクールを訪問したい、などという生徒たちの要望は、むこうの需要がないために、はかばかしく実現しない。
私:「インターナショナルスクール訪問したい?」
生徒:「うん!したい、したい!」
私:「むずかしいかも。中華学校は?」
生徒:「それから中華街っていうのもいいね!」
私:「できたらね。あ、朝鮮学校っていうのもあるのよ」
生徒:「ヤダ!コワイ。」


NOVAの講師のつくり笑いの奥にひそむ疲労に鈍感で、「外国人」らしく愛想よくサービスしてくれ、「異文化体験」という名の非日常をつかの間与えてくれることをひたすら期待している日本人に、「国際交流」なんてできるのだろうか。NOVAだけがワルモノなのか。私たちを「だました」のか。

しつこく君が代

「国旗に一礼、卒業式での君が代斉唱はマナーだ」…「君が代くらい歌えばいいじゃん」「どうしてもいやだったら一応起立した上で口パクすればいいんだし」

たぶん私もそうする。口パク。今は非常勤だから卒業式こっそり欠席という手をつかえるけど、専任教員で公務員という立場だったら、たぶんそうする。「一応起立した上で口パク」。もともと戦闘的なのはあんまし性に合わない。アマノジャクでガンコだけど戦闘的じゃない。ヘルメットかぶったり拡声器持ったりは最後までしないタイプ。話しかけられたり問われたりすれば自分の思想信条について正直に語るけど、問われなければだまってる。「オルグ」も「福音宣教」もニガテだ。

だけど君が代。口パク以上にはやっぱり歌えない。おんなじように口パク以上はできないもの、「アシジの聖フランシスコの祈り」。私が非常勤で勤めるカトリック学校では朝の職員朝礼で教職員全員が起立して声を合わせて唱える。これがとってもいや。

主よ、私をあなたの平和の道具としてください。
憎しみのあるところに、愛を
罪のあるところに、赦しを
争いのあるところに、一致を
誤りのあるところに、真理を
疑いのあるところに、信仰を
絶望のあるところに、希望を
闇のあるところに、光を
悲しみのあるところに、喜びを
もたらすことができるものとしてください。
慰められることよりも、慰めることを
理解されることよりも、理解することを
愛されることよりも、愛することを
望む者としてください。アーメン。

とても美しい祈り。大好き。だけど朝の職員朝礼で起立して声に出して唱えたくはない。そういうところで声に出して声をあわせて唱えたくはないのだ。いやでいやでたまらないので、職員朝礼が終わったころをみはからってわざわざ朝ギリギリに出勤するようにしている。クリスチャンじゃないのに大きな声で唱える教員もいる。(だまってる教員もいるけど。)「大きな声で唱える」ことが「敬虔なカトリック信者」「学校への従順」を証す踏み絵のようになっていることがいやでいやでたまらないのだ。「まあ、○○先生、だまってるわ」「△△先生、大きな声でスラスラ暗誦してらっしゃるわ」…周りの教員の声は自然きこえるし、そんなふうに心のなかで皆が探り合ってるかと思うと一層イヤだ。

で、「国旗に一礼、君が代斉唱はマナーだ」じゃないけど、キリスト教主義学校でこういうお祈りに付き合うことは「マナーだ」。日本のクリスチャン人口なんて0.5パーセントだから、キリスト教主義学校といえどもクリスチャンだけで教員を固めることなんてのはよっぽどガンコな学校でしかありえない(そういう学校にいたこともあるけど、クリスチャン教員だけで固めるために、他の条件を大胆にゆずっていた。「60歳以上でもいい」とか「教員免許がなくてもいい」とか。)で、「クリスチャン・コード」っていって、教職員の4分の1か5分の1くらいはクリスチャンを採用しておいて、あとはノン・クリスチャンを「キリスト教主義教育に協力します」「少なくともけっしてさからいません」という誓約のもとに採用する。だから「アシジの聖フランシスコの祈り」を声に出して唱えることは「マナーだ」。信じてても信じてなくても。思ってても思ってなくても。

だけど「思ってても思ってなくても」唱えるお祈りってなんなんだろうとおもう。それを「よし」とするキリスト教主義学校ってなんなんだろうとおもう。で、「ホントに信じてとなえてるか」を査問するのはもっとヘンで怖いし。だからテキトーにムニャムニャ言っとこうということになる。ムニャムニャ。。。「愛されることよりも愛することを」「君が代は千代に八千代に…」♪

いちおうオトナなので、そういう事情はよくわかる。じゃあなんて職員朝礼に出るのを避けてるかというと、こころの底から祈りをささげたいと思うのでないときに、周りの目を気にしながら周囲のウケのために祈るのが、自分のなかのみえない何かを知らないうちに侵食してしまうようにかんじるからだ。愛してないのに「愛してる」と言ったり、感じてないのに感じてるフリをしたり、イッてないのイッたふりをしているうちに、自分と相手との関係、自分自身のありようも見失っていってしまうのではないだろうか。そして「祈る」ためにはなによりも「自分と相手(神)との関係」、自分自身の今立っている位置を自覚していることが必要なのではないだろうか。「自分は今祈れていない」「祈れない状態にある」あるいは「反抗している」「受け入れられない」「それがどうした」等々をありのままにみつめることが、「いつの日か祈る」ために必要なのだと思う。それをムニャムニャやっちゃったら、「いつの日か祈る」ことは永久にできなくなってしまうんじゃないか。

愛してないのに「愛してる」と言ったり、感じてないのに感じてるフリをしたり、イッてないのイッたふりをすることはマナーですか?たぶん思いやり。「あなたとのセックスでイカなかった」なんてハッキリ言ったら、相手を傷つけるじゃないですか。付き合って日が浅い若者のカップルだったらともかく長年連れ添った夫婦で、夫:「愛してるよ」妻:「さあ。。。長年一緒にいるから情が移ったし大切にはしてますけど、愛かといわれるとどうでしょう。。。」なんて言えるわけないじゃない?!だから「私も愛してるわ」と答えるのがマナー。思いやり。
それは社会生活をオトナとして送るために必要なことで、それを人は「責任」とよぶ。こういう「責任」を放棄して「愛」を追い求める人にオトナ社会はいい顔をしない。

「ガキじゃないんだから愛だの恋だので責任を放棄するな!」

だけどね、カクニンさせていただきます。初めの問題は「愛」だったのですよ。「愛」国心。神さまへの「愛」。いつから「愛」が「責任」「マナー」にすりかわったのですか。だったらはじめから「愛」なんて持ち出さずに「責任」「マナー」といえばよかったじゃないですか。結婚生活は愛ではない、責任。だから「愛してるよ」なんていい、「君も僕を愛してるかどうか」をきく夫がまちがってる。不問に伏せ。その点に触れるな。君が代斉唱と「アシジの聖フランシスコの祈り」を唱えるのが「責任」で「マナー」なら、「君」の礼賛はやめよ。「ああ、主よ」の部分はカット!

ね、成り立たないでしょう?カットしちゃっちゃ、「君が代」も「アシジの聖フランシスコの祈り」も。「ポイ捨てはやめよう」は成り立つよ。「お年寄りに席をゆずろう」も成り立つ。だけど「君が代」と「アシジの聖フランシスコの祈り」は成り立たないのです。「愛」をカットした「責任」と「マナー」では。そして「愛してるふり」が何よりも「愛」をそこなう。


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石原都知事が3選をめざし立候補している。数々の暴言、弱者の痛みを切り捨てるその態度、スキャンダル…だのに野党は吉田氏と浅野氏、黒川氏を擁立して、票が割れることが予想され、このままでは石原氏の思うツボ。せっかくイシハラをひきずりおろすチャンスなのに。なんとかしてくれ!イシハラ都政はもういらない!総力結集でイシハラをひきずりおろそう!。。。。。の気持ちをこめて一部修正のうえ再掲いたします。。。
 
                   (以下再掲)

石原慎太郎都知事が来春の都知事選に立候補することを正式表明した。http://news.goo.ne.jp/topstories/politics/20061205/fa0f92caa7eb8b6ce3a1e1df3a4314d3.html

「五輪招致を言い出したからには途中で投げ出すわけにはいかない。引き続き首都のかじ取りを命がけで行ないたい」
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石原氏がご自分の命をかけるのは個人の自由なので一向にかまわないのだけれど、こちらの命まで本人の承諾もなく勝手にかけられてしまうんではないかと恐怖です。。。

「五輪招致」がきな臭い。
五輪が東京に来ませんように。ナムアミダブツ、ナンミョウホウレンゲーキョー。

五輪に備えて東京厳戒態勢、対テロ政策!とナンデモアリになりそうな嫌な予感。。。
すでに東京・杉並区では「防災訓練」と銘打って、自衛隊の治安出動訓練が行なわれています。http://members.jcom.home.ne.jp/tokakushin/saisin108/bousai10826.html
「荻窪駅にミサイル」とか「テロリストが学校占拠----爆破して逃走」とかアドレナリンを刺激するカゲキな想定をしています。「国民保護条例」に基づく「国民保護計画」だって言うんだけど、荻窪駅にミサイルが落ちたとき、杉並区民はどうやって「保護」されるのかな。。。びっくりしてしまうのだけど、「屋内に避難」「小中学校に避難」だそうです。ミサイルがとんできて小学校に避難してどうするのよ?!


元陸上自衛隊幹部の志方俊之東京都参与は、昨年5月、市区町村担当者を集めた学習会の席上であけすけに発言しています。
「緊急時には考え方を180度変える」
「個人的利益より全体の利益、勇気こそ管理者の資質」

「国民保護条例」ってネーミングがまぎらわしいです。空港も道路も病院も軍が使う、軍人さんはお国のために負傷したんだから、おばあちゃんの肺炎なんてほっときなさい、おばあちゃんはあとあと、軍人さん(米兵だったりする)が先、っていうのが「国民保護条例」でしょう?「沖縄戦リバイバル条例」とかした方がわかりやすいんじゃないかしら。ガマの中で軍人さんは一番奥の安全なところを占領して、朝鮮人慰安婦を天井がみえている一番危険なところに追いやったって。沖縄の人たちはガマの中で自分たちのおしっこを飲んで生き延びたんだから、東京の人たちも荻窪駅にミサイルがとんできたら小学校に避難してなんとか生き延びてもらうしかない…。ね、「沖縄戦リバイバル条例」でしょう?


石原対立候補の吉田万三氏(共産党推薦)は対抗馬としては弱い気がする。浅野氏はいろいろ問題はあるかもしれないけど、そしたらまたイシハラですか?
石原が都知事になりませんように。
五輪が東京に来ませんように。

この前コンビニに入ったらびっくりした。
コンビニの店員の胸に「私たちはテロ対策に協力しています」というバッジ。
上から言われないでもこういうことをコンビニが率先してやる、というところがニッポンの怖いところです。マジに恐怖を感じます。五輪が東京に来ませんように。
卒業式シーズンです。私が非常勤で勤めるカトリックの私立学校も明日が卒業式です。はじめてこの学校の卒業式に出席したときはびっくりしました。それまでリベラルなキリスト教主義学校にばかり勤めていたので、卒業生が入場するや、お祈りよりも聖歌(賛美歌)よりも前に、君が代を斉唱する卒業式には、ぶったまげ、「スター先生は卒業式初めてですか。ねえ、厳かないいお式でしょう?」と同意をもとめてくる先輩教員に返す言葉にくちごもりました。それ以来卒業式はずっと欠席です。今年も欠席します。君が代を歌う場に居合わせたくないから。「なぜ歌うのか」「なぜ歌わないのか」同僚たちとの間で気持ちを打ち明けあうことはできます。「歌うな」とはいえません。「厳かな式」を妨害するつもりもありません。ただ「歌えない」私の自由が保障される国であってほしいと願うばかりです。
君が代裁判の最高裁判決が出ました。この国はこういう方向へ向かって進んでいくのですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070227-00000012-yom-soci

以下の記事は昨年書いたものの再掲です。私のこと、「ユジンさん」ってよんでください。。。


国旗と国歌を尊重することは自分の国に誇りを持つことだから、君が代を歌わない教師は子供たちがこの誇りを持つことを妨げており、教育者としての資格はない、という意見をききます。私は君が代を歌えません。私は非常勤とはいえ教育者です。カトリック学校ではありますが、卒業式では君が代をお祈りよりも聖歌よりもさきに斉唱します。君が代を歌いたくないので卒業式は欠席しています。君が代裁判は地裁で「思想・表現の自由」が認められ、君が代斉唱を強制することは違憲との判決が出ました。石原都知事は控訴する構えで、高裁や最高裁の判決しだいでは君が代を歌わないことがふたたび処分の対象になりかねません。安部新総裁が着手しようとしている教育基本法改正では「愛国心」が盛り込まれ、著書『美しい国へ』では「ダメ教師にはやめていただく」と書いてあるから、君が代を歌わない私のような教師は「ダメ教師」としてクビにされるかもしれません。

君が代を歌わないことは、単に私の趣味や嗜好の問題ではありません。自分の属している組織の規律に従うことは大人として当然のことだから、私は学校に加えて勤めている英会話学校のユニホームも着るし、もし私が仏教の学校に勤めることがあったら、クリスチャンだけれどもお経を唱えたり、ご詠歌を歌ったりすることにためらいはありません。けれど君が代は歌えません。なぜならそれは私の良心の問題だからです。

日の丸はかつての出征していく兵士を見送るために万歳とともに振られた旗だし、ベルリン五輪マラソンの金メダリスト孫基禎選手の胸につけられていた旗です。日本の植民地にされ、日の丸をつけて表彰台に上らねばならなかった韓国の孫基禎選手の胸のうちはどうであったか、その勇姿を地元の新聞に掲載するにあたりゼッケンの日の丸を塗りつぶした東亜日報の編集者たちの気持ちはどんなであったか…日の丸を見ると私はそんなことを思ってしまうのです。
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君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
君が代の「君」は天皇です。靖国神社のHPの解説によれば、「この歌は小さな石がたくさん集まり固まって大きな巌となり、さらにその巌に苔がむすほどまで、長い長い年月、まさしく千年も万年も永久に、大君の御世が栄えますように、という意味を込めたお祝いの歌です」とあります。そっくり同じ記述は戦争中の学校で使われていた国定修身教科書に書かれていました。「君」の解釈については政府内でもやりとりがありましたが(http://www.jcp.or.jp/faq_box/001/990805_kimigayo_faq.html)
かつて「天皇陛下の御為に」と死んでいった多くの兵士やその名の下に行なわれた侵略戦争を思うとき、私はやはりこの歌を歌えないのです。

日本は戦争を反省して平和国家となり、国民主権の象徴天皇制になったのだから、日の丸と君が代もかつてとは別な旗や歌になったのだと言われても納得できない自分がいます。小泉首相をバックアップする森前首相は首相だったとき、「日本の国はまさに天皇を中心にしている神の国であるぞ、ということを国民にしっかりと承知していただく」と述べました。戦争中の教科書に書かれていたとおりの言葉で君が代の歌詞を説明する靖国神社に、首相が参拝を続けています。たかが旗、たかが歌とするにはあまりにもこの旗の下、歌の下に死んでいった人々がいるのだし、殺されていった人々がいます。その過去を本当に反省し新しい国に生まれ変わったとは思えない中で、この旗に敬礼し、この歌を歌うことはできません。

なぜ新しい旗、新しい歌をつくらないのでしょう。日本人の「伝統」は人々や文化とのあらたな出会いであらたな命を吹きこまれつつ、私たちのふるさとや心にあるのだから、旗と歌をあらためたところで日本の伝統が断絶するわけではありません。ドイツはナチスの掲げたカギ十字の国旗を廃止し、新しい国旗と国歌を採用しました。そしてナチスの犯した罪をひとつひとつ反省し、近隣の国と和解していきました。ベルリンの中心部には、ナチス・ドイツの犠牲となった600万人のユダヤ人を追悼するユダヤ人虐殺慰霊碑が建てられました。日本の侵略戦争の犠牲になった中国・朝鮮他アジア諸国の人々の霊のために祈りながら、新しい旗と新しい歌で平和への決意をあらたにしないのでしょうか。そんな旗とそんな歌だったら、私は祖国への誇りを抱いて敬礼し、歌うことができるでしょう。

君が代をなぜ歌えないのか…非難としてではなく問いとして真摯にたずねられたことは一度もありません。「愛国心を持つべきだ」「教育者としてふさわしくない」…そんな言葉が一方的に非難として投げつけられ、処分さえされます。人の心を理解しようとし対話しようとする回路は閉ざされ、日本はますます息苦しい社会になっていきます。


「冬ソナ」でペ・ヨンジュン演じるミニョンさんは、ヒロインのユジンをめぐってユジンの幼なじみサンヒョクと三角関係になります。ユジンは死んだ初恋の人チュンサンを忘れることができず、チュンサンにそっくりのミニョンさんの出現で心がゆれます。以下、サンヒョクとユジンの会話です。「彼」を日の丸・君が代に、「チュンサン」を侵略戦争に置き換えてお読み下さい。
サンヒョク:「彼(→日の丸)を見るとチュンサン(→侵略戦争)を思い出すんだろ。だからチュンサンを忘れられない」
ユジン:「それじゃどうすれば? 私だって忘れられるものなら忘れたいわ。チュンサン(→侵略戦争)のこと全部忘れられたら楽なのに。でもね、忘れたくても目がチュンサン(→侵略戦争)の顔を覚えている。この胸がチュンサン(→侵略戦争)の言葉を覚えている。どうすればいい?教えて、私どうすればいい?」

「彼」(→日の丸)を見ると「チュンサン」((→侵略戦争)を思い出すユジンをサンヒョクは許すことができず、非難します。そして心が離れていくユジンを道徳的に断罪し、ユジンが婚約を解消したいと話すと、その言葉を無視して家族や友人の前、ラジオのライブ放送でサンヒョクはユジンとの結婚を公表してしまいます。
ユジンのサンヒョクへの言葉「なぜわかろうとしてくれないの」

ミニョンさんもユジンに言います。
「いつまで死んだ人(→過去の戦争)を思うの。故人を思い続けるのが愛とは思えない。彼は死んだんだ(→戦争は終わったんだ)。現実(→現在の日本)を見るんだ。」
けれどミニョンさんの言葉は非難ではなく「意見」です。自分の意見をきっちり言った上で、その言葉がユジンの心にどう受けとめられるかを見届け、ユジンの気持ちは自分の意見とちがったとしても丸ごと受け止めようとします。「誰を愛しているのか」と聞き、自分とサンヒョクの「どちらを選んでも僕はユジンさんの味方です」と言います。こういう男性に惹かれないわけがない。


愛国心というのであれば、愛は対話ではないのでしょうか。そして相手の感情を尊重し、意見が異なったとしても力でおさえつけることをせず、その声を聞こうとすることではないでしょうか。日の丸君が代をめぐる対話や議論がまったく行なわれず、一方的に義務が語られ強制だけが行なわれる国に、私はミニョンさんよりサンヒョクを重ねてしまいます。話をきいてくれず、わかろうともしてくれず、一方的に言われます。「君はふさわしくない」「ダメ教師にはやめていただく」冷たい国です。
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人生のチョイス

映画『不都合な真実』を観た。元アメリカ副大統領アル・ゴアが地球温暖化を警告している。世界の気温は100年後には1.8度から4度上昇するということであるし、もちろんこれは単に「暖かくなる」ということではなくて、熱波や集中豪雨、洪水、局所的な干ばつ、海面上昇などの怖ろしい未来図を予告するのだ。
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タイトルは『不都合な真実』であり、京都議定書を批准しようとしないブッシュ大統領や大統領が批准しないようロビー活動でプレッシャーをかけている米産業界にとって、二酸化炭素排出と地球温暖化の関係は「不都合な真実」なのだ、と言いたいのだろう。私たち一般庶民にとっては別段隠蔽しておきたい「不都合な真実」ではない。

けれど私たちは、はっきりとチョイスした覚えもないのだ。今、贅沢して電気や車を使い放題にすると、二酸化炭素が排出されて地球が温暖化し、地球は生物が住めないところになってしまう…その「真実」をはっきり見た上で、それでもあえてそちらを選択した、という自覚もないのだ。

江戸時代までの日本はほぼ完全なる循環型社会だった。人々が排出したゴミは肥料になり、土に還り、生態系を破壊することなく回っていった。冬の住居は今より寒く、夏はウチワと打ち水、行水でしのぎ、絶えずひもじく、用を足すにも長いこと歩かなくてはならなかったけれど、海はきれいで星は降るように見え、緑に囲まれて生活していた。私の記憶に残っている3,40年前の日本においてすら、生活は今より不便だったけれど、子供たちの遊べる路地や空き地があり、近所の人たちのお節介であたたかい目があり、言葉をかわせる商店街があり、裸電球の下でのあたりまえの家族団欒があった。その生活を捨て、商店街をつぶして大型スーパーとコンビニエンスストアを作り、高層マンションを作り、家族団欒を犠牲にして子供を遅くまで塾に通わせようという明確な「チョイス」をした覚えもないのだ。

私たちはパソコンに頼らざるをえないし、携帯電話を携帯せざるをえないし、車を使わざるをえない。時折思いついて、温暖化防止のためにそうした生活を見直そうという良心的な人々はいるけれど、生産現場に身を置いている男性などは特に感じるのではないだろうか。「仕方がない」のだ。

「生きることを選べ!」…20世紀の神学者ドロテー・ゼレの著作のタイトルである。私たちはどの程度、「生きることを選」んでいるだろうか。私たちは「選んで」いる。ファミレスでメニューを、サラダにかけるドレッシングの種類を、コーヒーにするか紅茶にするかを、デザートをつけるかつけないかを、ブログをヤフーにするかgooにするかを、ブログの設定を、今夜見るテレビ番組を、子供を通わせる学校を、そのために子供を預ける塾を、マンションの内装を、今日のデートに着ていく服を…etc。

そうしたチョイスの積み重ねが人生であるかぎり、地球温暖化はたぶん私たちが「選択」したものではない。私たちはそんなチョイスをした覚えはない。産業界はそれではそれを「選択」したのか。その「選択」がどういう結果を招くかということはしたがって大衆に知らせたくない「不都合な真実」なのか。この生活からより多くの利得を得ている者により多くの責任があるのだという前提に立つことができれば、資本家の責任は労働者の責任より大きく、先進国の責任は開発途上国の責任より大きいのだろう。

サルトルによれば「人間は自由の刑に処せられている」のであり、全ては私たちの自由な選択なのだというけれど、本当かなあ。「選べるプラン」…今日も送られてきた何かの広告チラシ。このいらないチラシを破って捨てる手間は「強いられた」手間なんだけどなあ。。。
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