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私の友人がマグロ船にのって、2年間航海の旅をしました。そこで、今、話題のマグロ問題を、
労働の側から、実にすてきなレポートをしています。先ずは、彼のメイルから
昨日NHKBS1の番組「BSディベート」2月号「マグロ争奪」の収録に参加してきました。
マグロ問題が最近色々と騒がれていますが、
マグロを獲る現場の人々の声は
ほとんど相手にされていないという印象があります。
現場に立ち会った経験のある人間として
漁師さん達の声を発言してきました。
(オンエアされるのは多分1分ぐらいでしょうが)
皆がマグロを食べられるのは
それを獲る人がいるからだ。
そこには人間がいるのだ
と言う事が伝わればいいなと考えています。
良ければ見てください
そして宣伝してくださるよう
よろしくお願いします。
BSディベート
2007年2月25日(日) 第1部 22:10〜23:00
【BS1】
第2部 23:10〜24:00
BSディベート [http://www.nhk.or.jp/bsdebate/]
彼は、まぐろ漁船での現場を見てきて、これからのマグロ漁業全体の危機を救うには、と考えて
つぎのような提案を考えました。
それは、生産ー消費のフィードバックシステムというべきものであります。具体的には、
マグロ漁船を一年動かすのに必要な経費を算出して、ある篤志グループの人々に先行投資、してもらう、
そして、その年のマグロ漁業の生レポートなどと一緒にマグロのトロや、カマなど、が届くと言うわけです。
彼の大雑把な試算によれば、一家族一年間一万円プラス宅配料で、3kgのマグロが宅配便で
(何回かに分けて)おうちに届くプランが可能だそうです。
また、マグロのおなかの中の内容物を研究資料として提供もできる、そうです。研究者のみならず、
夏休みの自由研究テーマなどにもいいですよ。
さらに、『また、この僕の計画は2007年問題、ワーキングプア、格差社会、少なすぎる食料自給率
の解決方法だとも思っています。』とあり、それぞれについての各論があります。(ここでは、長いのでつぎの機会に)
確かに、下部構造経である経済の仕組みをすこし手直しするだけで、いい方にも悪い方にも、
社会は大きくずれていきます。政府のホワイトカラー・エグゼンプション案など、「もってのほか提案」に反対阻止することは重要なことです。そして、その次に、つぎの世界を開く経済活動を、模索用意していくこと、これも、も更に大切なことです。
今、火急の労働問題の第二段階の提案を、具体的にしている人が、がんばっている、ということを
私は、報告します。
どうぞ、興味のある方、お魚の好きな方、そして労働問題に興味のある方、見てくださーい。
宣伝でーす。
以下は、このことに付随する私の蛇足話です。
価格格決定をマーケット論理におまかせせず、商人の「儲かればよい」、という論理が生産現場の荒廃、
商社社員のモラル荒廃を招いてきて、今も続いています。
フェア・トレイド= Fair Trade=公平な取引という南北間の仕組みがあります。
いわゆる南の国からの手工業品を、現地生産者の基本的人権の中の生活を確保できる価格設定をして、取引しよう、という取り組みです。各所に、心有る方がお店を開いておられます。
南の国で、往々にして、劣悪な環境で低賃金で労働して作った工芸品を、北の国が、安く仕入れバイヤーが利を得たり、消費者が安価で得をしたり、してきました。それに対して、トレイド(取引)の基準を、
市場原理でなく、労働者の生活原理に、しましょう、という取り組み、それが、=Fair trade=です。
これを、日本国内の南北問題、に適用し、生産者の生産過程を共有し、漁業経験を共有化する、という意味で、更に一歩すすんだ取り組みが、彼のマグロ提案です。いわば、フィッシング・フィードバック・コミュニティ(ありゃりゃ、これじゃ、現政権風カタカナだ、ダメだこりゃ)ではなくて、
「life-vivifying activity」=「生きとし生けるものを輝かす動き」です。
今はパラダイム・チェンジの時期:、資本主義が、巨大化しすぎて、恐竜と同じ運命を、たどりつつあります。つぎのシステムを産みだす、胎動期です。つぎの世代の乗る船、を用意しましょう。新システムを
産みだして、次代に手渡すことが、できる希望があります。
私たちの世代、地球環境を破壊したまま、次代に、バトンタッチするのは、あまりに悲しいです。
生産者の生活を保障する値段で購買する、このことが、労働者としての「私」を守ることであり、
同時に消費者である「私」を守ることでもあります。すべての「私」にとって、の問題です。
今の経済システムに乗っている限り、私たちは、エゴ主導型の消費を行い、そして、そのことによって、
生産者そのほかを、苦しい労働条件に追い込むことになっている、という悪の循環を逃れる一つの可能性です。
今の時代、日本では、津々浦々の町の中から、お魚屋さんが消え、材木屋さんが消え、八百屋さんが消え、畳屋さんが消え、いびつな消費者オンリーの町になっています。
広告一枚 → 「アッ今日は安いわ、これ、買いにいこう」→ 買い物 → 個人利用
という具合、生産現場とのつながり、は限りなく薄くなり、さらに商店も個別商店から、スーパーつまり総合小売店に変わったので、売り手の存在感も限りなく薄くなりました。
資本主義の価格競争は、質がそのままで、安くなる、と言う前提の下に、理論があります。が、実は、商品の質も、労働者の労働条件の質も、軒並み落ちている上での価格低下が現実です。
転載元: 《いじめ大国日本》 仏教の好きなキリスト者の立場から
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