キリスト者として今を生きる

風は冷たいけれど春の訪れを感じます。。。

戦争と平和

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わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。
                                                 (ヨハネによる福音書10:11−12)

沖縄戦の集団自決が軍の命令であったのか否かについて、論争が行なわれている。教科書検定は軍の強制であったという箇所を削除するように求め、のちに沖縄住民の強い抗議によって、「軍の関与」という表現に書き換えられることとなった。http://www.okinawatimes.co.jp/spe/syudanjiketsu.html

昨日の毎日新聞は新たに、防衛省が図書館に所蔵されている沖縄戦資料に、「集団自決は戦隊長命令でなかったことが証明されている」とする見解をつけていたことがわかった、というスクープを報道している。http://mainichi.jp/select/today/news/20080113k0000m040104000c.html


昨日は「GAMA--月桃の花--」という、沖縄戦を描いた映画を観た。

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沖縄戦で激しい空爆の中、日本軍も沖縄住民もガマ(洞窟)に逃れる。沖縄戦の総司令官であった牛島中将が自決し、日本軍が組織として壊滅した後も、沖縄住民はガマに潜み日本軍との同居を続ける。

軍人は、ガマの中で泣き叫ぶ赤ん坊をだまらせろ、と銃剣で脅す。「大きな声を出すとアメリカ軍に見つかるじゃないか!泣くのをやめないなら殺す。」

ガマがアメリカ軍に包囲され、「危害を加えないからガマから出てきなさい」と投降を促すマイクの声が聞こえると、軍人は「出て行くな!」と制止する。そして手榴弾を配って自決するよう命じる。



「命令したのかどうか」が今問題になっているわけだが、私はそんなことはどうでもいいと感じる。問題は日本軍が沖縄住民を守るものとして存在したのかどうかということではないだろうか。

「ガマから出て来い、危害は加えないから」という米軍からの投降勧告が聞こえたとき、「出て行って投降したら鬼畜のアメリカに何をされるかわからない」という恐怖はあったであろう。「危害を加えない」と言うのが真実か罠かはわからない。ガマを出て投降することは「賭け」であったにちがいない。しかし追い詰められて勝算の全くなくなった戦争において、出て行かなければ死ぬしかない状況なのである。私だったらどうするだろうか。まちがいなく「賭け」に出るであろう。生きながらえることができるかもしれない唯一の可能性に賭けてみるにちがいない。「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」。

沖縄住民にそれができなかったとすれば、日本軍に「出て行ったら殺す!」と銃剣で脅されていたか、「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ」と刷り込まれていたかどちらかなのである。しかし私が沖縄住民だったら「捕虜とならず日本人として立派に死ぬこと」に魂のすべてをささげられただろうか。沖縄方言を禁じられた戦争において。「自分のことば」を辱められた戦争において。


日本軍は沖縄住民を守る存在として沖縄にいたのかどうか。

自決命令を出したのか否かよりも重要な問題はそれではないだろうか。

沖縄住民が命を救う唯一の可能性であった投降をなぜ促さなかったのか。「投降したら鬼畜のアメリカにきんたまを抜かれる」のであれば、軍人がなぜまっさきに投降して「きんたまを抜かれる」かどうか自分自身が生贄になって試してみなかったのか。それで「きんたまを抜かれ」なかったら、「大丈夫だぞ、安心して出て来い!」と呼びかけられるではないか。


「よい羊飼い」は羊のために命を捨てる。羊飼いでない雇い人は羊のことなど気にかけていない。狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。牛島中将は逃げ惑う沖縄住民がその後どうなるかを考えずに自決した。組織的抵抗を失った沖縄戦は泥沼の中で続いていく。「赤ん坊が泣くのをやめないのなら殺す!」と軍人は銃剣を突きつけた。

「国家を守る」「国民を守る」と言っている政治家が「よい羊飼い」であるのかどうか、羊のことなど気にかけない雇い人にすぎないのかが問題なのである。そういう問題であるからこそ、防衛省も政府も正体を見破られるのを恐れ、「集団自決は軍命令」をあれほど否定しようと躍起になるのである。

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清少納言に倣って「いとわろきもの」
「股上の浅きジーンズを履きてウンコずわりしたるネエチャンの、尻の割れ目までみえたる、いとわろし」

みたくもないのにヒトのお尻の割れ目を昼日中公道でみてしまったときは、みたくもないものをみせるネエチャンを憎たらしいと思う気持ちにもちょっとばかりなるが、こういうネエチャンは逮捕されてほしいとか留置所に放りこんだらいいとまでは思わない。

しかしこういうネエチャンをタイホ、拘留することもできるらしい。ブログでお付き合いさせていただいてる司法修習生のCKさんが、軽犯罪法をわかりやすく解説してくれてるけど、それによると軽犯罪法第一条20項で、「公衆の目に触れるような場所で公衆にけん悪の情を催させるような仕方でしり、ももその他身体の一部をみだりに露出した者」は「拘留または科料に処す」とある。(ちなみに「こじき」も軽犯罪法違反だと知っておどろいた。)

私のこれまでのケイケンでも「シリの割れ目までみえちゃってるネエチャン」には3回ほどぶつかり、そのたびに不愉快な思いをしたのだから、かなりの頻度でこういうネエチャンは(特に夏場は)出没しているワケで、これが軽犯罪法違反ならお巡りさんが「シリの割れ目露出防止パトロール」をしてもよさそうなものだが、そういう話は聞かない。

CKさんが言うにこの「タイホ、拘留、科料」には情状酌量ってもんがあって、軽犯罪法の第二条に、

前条の罪を犯した者に対しては、情状に因り、その刑を免除し、又は拘留及び科料を併科することができる。

って書いてあるから、シリの割れ目を露出したネエチャンにムカついて私がお巡りさんに言いつけに行ったとしても、たぶんネエチャンはオマワリさんにお説教されただけで(何をどうやって説教するんだろう。。。)釈放されるんだろう。

じゃあどういうときにタイホ、拘留されるのかって言うと、多くは別件逮捕だとCKさんは言う。で、ここからが本筋なんだけど(この記事は「シリの割れ目をみせてるネエチャン」について書きたかったわけではないのだ)、ピザ屋のチラシをマンションのドアポストに入れても犯罪にはならないけど、共産党のビラを入れると犯罪になっちゃうのだ。廊下とかマンションの共用部分に入ることも「住居侵入罪」に当たるから、「シリの割れ目をみせてるネエチャン」と同じで「ドアポズトにチラシを入れてるピザハットの宅配員」もタイホされてしかるべきなんだけどタイホされない。だけどドアポストに入れたのがピザのチラシじゃなくて共産党のビラだったらタイホされる。

産経ネットニュース「共産党ビラ配り、僧侶に逆転有罪判決」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071211/trl0712111536004-n1.htm


3年前には東京の立川市でイラク反戦のビラを自衛隊宿舎のポストに入れた人が控訴審で逆転有罪判決を受けた。反戦ビラをドアポストに入れたからっていってマンションの住人はそう大きな被害を受けるわけじゃないじゃないかと言って無罪判決を出した一審を覆し、控訴審は、ビラ投函によって、入居者らが「軽微」とはいえない不安・不快感を抱いたからこそ、立ち入り禁止の掲示等各種の対策がとられたのだと指摘する。(ウィキペディア)


共産党のビラをマンションのドアポストに入れたお坊さんも、立川の自衛隊宿舎にイラク反戦ビラを入れた人たちも、「言論の自由」を主張するのだけど、「空気を読む」公立中学校で日々揉まれてるスターは、「この主張ってウマくないなあ、一般タイシュウの共感をよばないだろうなあ」と「空気を読む」のである。なぜかっていうと「言論の自由」っていう主張そのものにきっと多くの人は「軽微とはいえない不安・不快感を抱く」だろうからである。「言論の自由」って「権利」を主張した瞬間に、たぶん多くの日本国民は反発する。リクツを言われた瞬間に反発し、リクツで反論するっていう回路を、日本国民は中学生くらいから形成してるって、中学教師であるスターはイヤというほど思い知ってるのダ。実際、この判決をニッポン国民はどう受け止めているのだろうとブログ検索してみた。少なからぬブログが「こんな坊主は有罪判決を受けて当然だ」と書いていた。

人の迷惑顧みず、カルト共産主義を無理やり人々に布教しようとは・・・
これが僧侶という立場のマトモな思考の人物のすることか。押し付けやKYはハッキリいって迷惑だ。

フツーの人は「言論の自由」なんて言わない。そういうコトを言うのは政治的な主張を持ったトクベツな人間であり、トクベツな人間はフツーじゃないことを考えたりやったりしそうだから怖い。「『軽微』とはいえない不安・不快感」を掻き立てられる。ピザ屋は「言論の自由」なんて言わないから、ピザ屋のチラシはよろしい。シリの割れ目を見せてるネエチャンもよろしい。

では立川反戦ビラで拘留された人たち、今回の共産党のビラをドアポストに入れて有罪判決を受けたお坊さんはどうしたらよかったのか。

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「でもそんなのカンケイねえ!オッパッピー♪」
と言えばよかったのだ、たぶん。そうしたら一般大衆の共感を呼んだかもしれない。

でもイラク戦争に反対する人たちも、このお坊さんもマジメなので、たぶんそうは言えない。この人たちを支援する人たちもマジメなので言えない。だからますます一般大衆から乖離するのである。

軽犯罪法第四条。

この法律の適用に当たっては、国民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない。

これってどういう意味なんでしょう?ピザ屋には「この法律を適用」しないで共産党のビラを配布したお坊さんに適用する「本来の目的」はなんなのでしょう?法律の専門家であるCKさんにもこの条文のイミはわからないようです。


立川反戦ビラと言論の自由については、こちらのブログが詳しい。http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20050131.html

本当は、「言論の自由」を主張する反戦運動家や共産党シンパのお坊さんに反発するんではなく、戦争政策も含めて今の政治を批判する批判者を狙い撃ちする警察や検察のあり方のほうをモンダイにしないと、ニッポンはヤバイいんじゃないかと思うんですけど。

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「若者による戦争待望論」を、華々しく「美しい国」にふさわしいキャッチ・コピーを喧伝している

赤木氏のことを聞きました。朝日新聞社「論座」上だそうです。

一方で、アベ氏とかいう元首相とその一派が、動き始めた、と聞こえてきます。

美しい国=美国=アメリカ合州国属国ブームを盛り返そうと、いうことです。



1.戦争はとても儲かる。

★70年ほど前、真珠湾攻撃があって以来、当時、最低だったアメリカの景気はうなぎのぼりに活況を呈し始めたのだそうです。軍需景気です。

★日本の戦後の好景気は、朝鮮動乱による軍需景気、ベトナム戦争による軍需景気、に結びついています。
日本はコイズミ首相時までグンタイは出してきませんでしたが、戦争の恩恵には、じゃぶじゃぶ浴してきました。
いわゆる、日本の戦後の復興が奇跡的という背景には、この「言われざる事実」があります。

戦後、朝鮮動乱が始まるまでの5年間、日本経済がどん底でした。生きていけるのがやっとで、実は、

上野では孤児が、毎日のように餓死していた、と書いてあります。日本は戦争で、財産を使い果たしてし

まったのです。戦後の日本の繁栄は、ケッシテ戦争に行った兵士の上にあるのではありません。

戦争に行った兵士の後に残されたのは、大勢の孤児とその餓死ダッタ。

戦後日本の繁栄は、何の上に築かれたか、ソウデス。

朝鮮とベトナムの孤児たちの上に築カレタノデス。


9.11が起こったとき、株をする人たちがまず頭に浮かんだのは、

「儲かる。とてつもないビッグチャンス」ということだったそうです。(映画「ザ・コーポレーション」より)

アメリカの産業は、ITは、インドに食われているし、もうすでに、軍需産業しかありません。

アメリカが、好況をめざそうとすれば、戦争をおこすしか、ない。しかし、自分で戦争をおこすのは、自

国内の世論がうるさくてダメ。だから、いいカモを見つけて、代理戦争をさせるのが唯一の経済政策。

日本の経団連の会長 御手洗氏は、(「おてあらい」と読まずに「みたらい」と読むようですね!)

キャノンから、出ていますが、キャノンは、アメリカの外資50%の会社だそうです。

ここで、「?」と思いませんか?

どうして、日本の経団連の会長を、アメリカ外資本の(半分以上の)会社の人がするんダベ?





若い人の戦争待望論

以上を踏まえて下記を読む必要があると思います。

「丸山眞男」を引っぱたきたい
 http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama.html


著者の赤木氏は、実に計算がうまい人だと思います。私は、かれに太宰治的な才能を感じます。

「丸山真男を引っぱたきたい」というコピーは、岩波文化人への『持たざる者』からのメッセージでしょ

う。「丸山は、ただの特権階級じゃないか、知性になんの意味があるか」という訳で、

1.日本の文化人が知的であるだけで、ココロ的でないことに怒ってイル。その批判は痛烈。

それを、読ませる力はたいしたものですなー。(内容があるわけではないけれど)

2.彼の主張する『ワーキング・シアせずに若年労働者を、後から来たという理由で

きちんとした待遇での職にありつかせないで、放置するオトナ社会の精神的レィジネス《怠惰》=心理的

幼児性=エゴ』への攻撃は、社会的ムーブメントになってしかるべきです。彼の主張は当然です。

みんな大賛成。(ひとことアドバイス、労働格差は、実は、年金問題において、国税庁が企業にかぶせようとし、企業がその負担を避けようとするところから始まっています。そこを見ると初めて、問題の根っこが見えるように思います。)

(すごい才能のある赤木氏には、このリーズナブルな方向性で、もっと論理的にとことん詰めてジャーナリスティックな評論家になってほしいです!!この点で、このすばらしい才能が運用されますように、心から応援します!

人は、善のために働くときに、だんだん、シアワセになっていくのです、ワカモノよ、大切にね。)



ところが、
3.「戦争は物事を流動的にするから、大賛成。弱者にもチャンスがある」という彼の論は、

実に甘ったれていて魅力的です、理性を捨てたアブナイ感じが、破滅的ロック的な喜び

かもしだします。花火のように燃えてしまえ!という絶望の中の希望の幻影が見えます。

    《ミック・ジャガーには他者への愛情があるけれど、赤木氏には、エゴへの愛情しか見えない》


戦地で「「「あの丸山真男を」」」プア階級が、いじめ「る環境が与えられ」たこと、その事実が

赤木という人のココロの奥底の抑圧を取り外し、爆発的快感を与えたのかなぁ、と推定します。

「丸山」への大いなる羨望が見うけられます。おそらく、ココロの中のライバルなのでしょうね。

ヒトラーを動かしたのも、こういう羨望であったかもしれない、と思います。ヒトラーは、絵描きになっ

て名をあげたかった。しかし社会の貧困が原因で.....

自分の不幸の原因を100%社会的要因に結びつけると、怨恨のカタマリになります。

多くの犯罪がそこから生まれます。社会的不平等が、犯罪の温床であることは定説。

ここでは、ワカモノにとって、戦争は、合法的犯罪の場として、

やけっぱちなココロの発散の場として、大いに待望されている状況が読み取れます



実際、戦争に行って「楽しくてしょうがなかった」と言っていた職人さんがいたと本に書いてありました。

《チャンコロと呼ばれる》《一般)人を好きなだけ殺して、普段食べられなかった、お肉や白米も
(好きなだけ強奪して)腹いっぱい食べて、あんなに楽しいことはなかった

と、町でその職人さんが子供たちに吹聴していたのを幼い僕は聞いた、ということでした。《必要なら、どこで読んだか調べます)人間のなかにはモラルが欠如した人も、モラルがある人もいる、ということですね。


『はじめから何も持たない僕は、戦争で失うモノは何もない』すごいキャッチ・コピーですね。

戦争で大もうけする人たちが、どれだけこれを聞いて喜ぶか!欣喜雀躍とはこのこと。



不幸の原因は与えられた社会的要因だけではない」という精神文化が今の世の中の教養から脱落しています。
40年前には、社会はもっともっと貧乏でしたが、みんなが貧しい仕事をシアして(3Kの仕事ー農業ー米作りが全盛でした。)いました。農業で、ぎりぎりでも誇り高く生きていく選択肢もあります。
今の日本は、歪んだ唯物主義・消費文明に浸りきって、その歪みのまま、どうにかしうようとしています。知的認知力や精神性そして想像力と創造力が、点と線であって、ビジョンを形成していきません。



いまは資本主義経済の終焉期です

このことについいて、いま論じる暇がないのですが、資本主義経済が円熟して、腐敗して、

いま、大変なことになっていることについて、日本ではあまり注目されていないですね。

アメリカ経済がもたらした『作為的土地バブル』の破裂は、まだまだ今から影響がでてきます。

そればかりでなくて、ITマネーの問題、貨幣信用性自体が崩れようとしている事態。

そして消費経済の結果として必然的にもたらされ、危機的状況になってもちっとも改善されない

環境問題。

赤木氏の問題提起は正しいし有効ですが、今の経済体制が基盤になって論じられています。

しかし、この体制自体がもう麻痺しています。マネーが、危機的状況で信用を失いつつ、各所で

暴力を働いています。その暴力が環境を破壊し、軍隊を操り、人の心も勝手にあやつり。

ここの中でいくらあがいても、イジメあいになるだけ。むこうに有利につくられた土俵で、勝つことはできない、ならば、戦争で平等になろう、というのは、あなたからみれば、決闘を申し込んだつもりでしょう。人は自分の人生を選ぶ自由があります。

しかし、この土俵事態が、もう揺れて、そのうち、崩れる。時期はわかりませんが、これは確実です。

大体、このままでは地球温暖化で生命環境が、もたないのですよ。




しかし、今の日本の若年労働層への(職の面でも、社会基盤としての文化の面でも)

社会的ネグレクト→→→若年労働者の奴隷化→→→むしろ「自ら」戦争に向かう

は、作為的筋書き上にあり、アベや経団連の御手洗カイチョウのオモウツボ以上です。

戦争に行けば、グリーンカードをあげる、とか条件をださずとも、自ら望んでくれるなんて、

アメリカン・フォースとしては夢のようないい話。

アメリカの国防省と、防衛省と、そして、経済省は大笑い、してますね。冗談ではなくて、本当です。


転載元転載元: 《いじめ大国日本》 仏教の好きなキリスト者の立場から

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元タレント「そのまんま東」の宮崎県知事東国原知事が、発言。「若者にビシっと規律を教えるために徴兵制を導入すべきだ」。http://kyusyu.nikkansports.com/news/f-kn-tp6-20071128-288966.html

徴兵制って教育目的で導入するもんなんスか。

わたし、少年院を見学したことあります。

「非行少年」たちが刑務官の号令で一糸乱れず行進してました。

これって教育なんスすか?

「場の論理」で権力(力)のある者に従うっての、非行の行動原理とたいして変わらないと思うんだけど。

軍隊にはイジメもありますよね。それでも「規律」って言うんだね。

で、大量破壊兵器があるなんて言って人を何千人も何万人も殺したあとに、「あっそう、なかったんだあ、でもフセインが悪者であることには変わんないでしょ」なんてホザくのも「規律ある国際カンケイ」なんだな?

僕らの希望は戦争

週刊誌「SPA」最新号の見出し。通勤電車の吊革広告にあったので立ち読みしようと思ったが、ネット検索してみたら話題をまいた元のブログ記事を読むことができた。ちょっと前に話題になったのだろう。私はずいぶん遅れて今頃知った。

「丸山眞男」を引っぱたきたい
 http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama.html
けっきょく「自己責任」ですか
 http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama2.html

この記事を書いている30代フリーターに「戦争はけっして弱者を救わない」「イラク戦争に狩り出されたアメリカの貧困層の悲惨な状況をみよ」と言うこともできるのだけれど、なぜかそんな反論をする気にはならなかった。記事を書いた赤木さんというおそらくインテリであるフリーターはそんなことはきっと重々承知なのだ。

サヨクの唱える「平和」が「持てる者の安定の継続」を意味し、初めから持たざる者以外の何者でもないポストバブル世代のフリーターを無視しつづけるかぎり、戦争という「国民全体が苦しむ平等を」という彼のキモチはわかるからだ。戦争が果たして「国民全体が苦しむ平等」なのかどうかというリクツはここではカンケイがない。「そういうキモチ」なのである。ネット右翼のキモチがわかるという彼の理解は多分正しいのだろう。ネット右翼がホンキで戦争を求めているのかどうか私は知らない。たぶんちがうような気がする。なぜならホンキで戦争をしたいんだったら、アメリカの外資と結びつくとか、ネオリベがやっているようにワーキングプアを生み出したりとか、そういうコスい手を使うと思うからだ。「ホンキで戦争をしたい人たち」は感情よりもそういう「利害」で冷静に動いているような気がする。会ったことないけど。ネット右翼は2チャンネルで韓国や北朝鮮や中国の悪口を言ったり、サヨクのブログにアラシとなって現れたり、よっぽどすることないときは私のブログにまでしつこいコメントをつけたりする。そんなことしたって戦争なんて起こらないからだ。

彼(赤木さん)は書いている。

戦争は悲惨だ。
 しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。
 もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。
 持つ者は戦争によってそれを失うことにおびえを抱くが、持たざる者は戦争によって何かを得ることを望む。持つ者と持たざる者がハッキリと分かれ、そこに流動性が存在しない格差社会においては、もはや戦争はタブーではない。それどころか、反戦平和というスローガンこそが、我々を一生貧困の中に押しとどめる「持つ者」の傲慢であると受け止められるのである。
(…中略…)
それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争に苦しむさまを見たくはない。だからこうして訴えている。私を戦争に向かわせないでほしいと。
 しかし、それでも社会が平和の名の下に、私に対して弱者であることを強制しつづけ、私のささやかな幸せへの願望を嘲笑いつづけるのだとしたら、そのとき私は、「国民全員が苦しみつづける平等」を望み、それを選択することに躊躇しないだろう。

彼は冷静であり、「戦争を希望する自分」をも客観視していると思う。この記事は『論座』にも載ったというし、識者の反論もあったと聞く。戦争はけっして国民全員が苦しむわけではない、金持ちは安全なところで甘い汁を吸い、君らのような貧乏人こそ前線に送り込まれるのだよ、と反論することも可能だ。しかし彼の気持ち、それは「金持ち(=強者)と庶民(=弱者)」という座標軸では「庶民(=弱者)」に自分たちを分類するような(たぶん私のような)安定的マジョリティに対する反感であり突きつけなのだろう。

彼は『論座』での斉藤貴男の反論に再反論する。

斎藤貴男氏は「戦時中の日本でも、金持ちや有力者の子弟には赤紙が配達されないケースが珍しくもなかった」と、徴兵の不平等さを強調する。しかし、私が社会の流動性を高めるために戦争に巻き込まれてほしいのは、そうした一部の権力者よりも、私たちのような貧困労働層を足蹴にしながら自身の生活を保持しているにもかかわらず、さも弱者のように権利や金銭を御上に要求する、多数の安定労働層なのである。
 金持ちや権力者が恵まれているのは、血筋や家柄という固有属性を持っているからであり、彼らが戦争で死んだとしても、その利権は、固有属性を持たない私には絶対に回ってこない。一方で、血筋や家柄を持たない安定労働層と、我々のような貧困労働層との交換可能性は非常に高い。安定労働層は、「たまたま」安定した生活を得られているだけである。念のために言っておくが、私は「努力」などという、結果から遡及してはじきだされた、彼らに都合がいいだけの言い分を認めるつもりはない。

アベシンゾーは「私」ではありえなかったし今後もありえないけれど、starとか○○とか△△のような「安定労働層」は、状況が状況だったら「私」でありえたはずだ、という思いが、「安定労働層も平等に苦しむ戦争というギャンブル」でもう一度勝負しようという「主張」に結びつくのだろう。

私は彼にたいして安易な反論をするのを差し控えたいと思う。彼(赤木)に反論するサイトもみたけど、かみ合った議論になっているとも思えなかった。彼の記事には「ウ〜ン」とうなった。今はそこにとどまりたいと思う。

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