わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。
(ヨハネによる福音書10:11−12)
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わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。
(ヨハネによる福音書10:11−12)
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前条の罪を犯した者に対しては、情状に因り、その刑を免除し、又は拘留及び科料を併科することができる。
人の迷惑顧みず、カルト共産主義を無理やり人々に布教しようとは・・・ これが僧侶という立場のマトモな思考の人物のすることか。押し付けやKYはハッキリいって迷惑だ。
この法律の適用に当たっては、国民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない。
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「若者による戦争待望論」を、華々しく「美しい国」にふさわしいキャッチ・コピーを喧伝している 赤木氏のことを聞きました。朝日新聞社「論座」上だそうです。 一方で、アベ氏とかいう元首相とその一派が、動き始めた、と聞こえてきます。 美しい国=美国=アメリカ合州国属国ブームを盛り返そうと、いうことです。 1.戦争はとても儲かる。 ★70年ほど前、真珠湾攻撃があって以来、当時、最低だったアメリカの景気はうなぎのぼりに活況を呈し始めたのだそうです。軍需景気です。 ★日本の戦後の好景気は、朝鮮動乱による軍需景気、ベトナム戦争による軍需景気、に結びついています。 日本はコイズミ首相時までグンタイは出してきませんでしたが、戦争の恩恵には、じゃぶじゃぶ浴してきました。 いわゆる、日本の戦後の復興が奇跡的という背景には、この「言われざる事実」があります。 戦後、朝鮮動乱が始まるまでの5年間、日本経済がどん底でした。生きていけるのがやっとで、実は、 上野では孤児が、毎日のように餓死していた、と書いてあります。日本は戦争で、財産を使い果たしてし まったのです。戦後の日本の繁栄は、ケッシテ戦争に行った兵士の上にあるのではありません。 戦争に行った兵士の後に残されたのは、大勢の孤児とその餓死ダッタ。 戦後日本の繁栄は、何の上に築かれたか、ソウデス。 朝鮮とベトナムの孤児たちの上に築カレタノデス。 ★9.11が起こったとき、株をする人たちがまず頭に浮かんだのは、 「儲かる。とてつもないビッグチャンス」ということだったそうです。(映画「ザ・コーポレーション」より) アメリカの産業は、ITは、インドに食われているし、もうすでに、軍需産業しかありません。 アメリカが、好況をめざそうとすれば、戦争をおこすしか、ない。しかし、自分で戦争をおこすのは、自 国内の世論がうるさくてダメ。だから、いいカモを見つけて、代理戦争をさせるのが唯一の経済政策。 日本の経団連の会長 御手洗氏は、(「おてあらい」と読まずに「みたらい」と読むようですね!) キャノンから、出ていますが、キャノンは、アメリカの外資50%の会社だそうです。 ここで、「?」と思いませんか? どうして、日本の経団連の会長を、アメリカ外資本の(半分以上の)会社の人がするんダベ? 若い人の戦争待望論 以上を踏まえて下記を読む必要があると思います。 著者の赤木氏は、実に計算がうまい人だと思います。私は、かれに太宰治的な才能を感じます。 「丸山真男を引っぱたきたい」というコピーは、岩波文化人への『持たざる者』からのメッセージでしょ う。「丸山は、ただの特権階級じゃないか、知性になんの意味があるか」という訳で、 1.日本の文化人が知的であるだけで、ココロ的でないことに怒ってイル。その批判は痛烈。 それを、読ませる力はたいしたものですなー。(内容があるわけではないけれど) 2.彼の主張する『ワーキング・シアせずに若年労働者を、後から来たという理由で きちんとした待遇での職にありつかせないで、放置するオトナ社会の精神的レィジネス《怠惰》=心理的 幼児性=エゴ』への攻撃は、社会的ムーブメントになってしかるべきです。彼の主張は当然です。 みんな大賛成。(ひとことアドバイス、労働格差は、実は、年金問題において、国税庁が企業にかぶせようとし、企業がその負担を避けようとするところから始まっています。そこを見ると初めて、問題の根っこが見えるように思います。) (すごい才能のある赤木氏には、このリーズナブルな方向性で、もっと論理的にとことん詰めてジャーナリスティックな評論家になってほしいです!!この点で、このすばらしい才能が運用されますように、心から応援します! 人は、善のために働くときに、だんだん、シアワセになっていくのです、ワカモノよ、大切にね。) ところが、 3.「戦争は物事を流動的にするから、大賛成。弱者にもチャンスがある」という彼の論は、 実に甘ったれていて魅力的です、理性を捨てたアブナイ感じが、破滅的ロック的な喜びを かもしだします。花火のように燃えてしまえ!という絶望の中の希望の幻影が見えます。 《ミック・ジャガーには他者への愛情があるけれど、赤木氏には、エゴへの愛情しか見えない》 戦地で「「「あの丸山真男を」」」プア階級が、いじめ「る環境が与えられ」たこと、その事実が 赤木という人のココロの奥底の抑圧を取り外し、爆発的快感を与えたのかなぁ、と推定します。 「丸山」への大いなる羨望が見うけられます。おそらく、ココロの中のライバルなのでしょうね。 ヒトラーを動かしたのも、こういう羨望であったかもしれない、と思います。ヒトラーは、絵描きになっ て名をあげたかった。しかし社会の貧困が原因で..... 自分の不幸の原因を100%社会的要因に結びつけると、怨恨のカタマリになります。 多くの犯罪がそこから生まれます。社会的不平等が、犯罪の温床であることは定説。 ここでは、ワカモノにとって、戦争は、合法的犯罪の場として、 やけっぱちなココロの発散の場として、大いに待望されている状況が読み取れます。 実際、戦争に行って「楽しくてしょうがなかった」と言っていた職人さんがいたと本に書いてありました。 《チャンコロと呼ばれる》《一般)人を好きなだけ殺して、普段食べられなかった、お肉や白米も (好きなだけ強奪して)腹いっぱい食べて、あんなに楽しいことはなかった と、町でその職人さんが子供たちに吹聴していたのを幼い僕は聞いた、ということでした。《必要なら、どこで読んだか調べます)人間のなかにはモラルが欠如した人も、モラルがある人もいる、ということですね。 『はじめから何も持たない僕は、戦争で失うモノは何もない』すごいキャッチ・コピーですね。 戦争で大もうけする人たちが、どれだけこれを聞いて喜ぶか!欣喜雀躍とはこのこと。 不幸の原因は与えられた社会的要因だけではない」という精神文化が今の世の中の教養から脱落しています。 40年前には、社会はもっともっと貧乏でしたが、みんなが貧しい仕事をシアして(3Kの仕事ー農業ー米作りが全盛でした。)いました。農業で、ぎりぎりでも誇り高く生きていく選択肢もあります。 今の日本は、歪んだ唯物主義・消費文明に浸りきって、その歪みのまま、どうにかしうようとしています。知的認知力や精神性そして想像力と創造力が、点と線であって、ビジョンを形成していきません。 いまは資本主義経済の終焉期です このことについいて、いま論じる暇がないのですが、資本主義経済が円熟して、腐敗して、 いま、大変なことになっていることについて、日本ではあまり注目されていないですね。 アメリカ経済がもたらした『作為的土地バブル』の破裂は、まだまだ今から影響がでてきます。 そればかりでなくて、ITマネーの問題、貨幣信用性自体が崩れようとしている事態。 そして消費経済の結果として必然的にもたらされ、危機的状況になってもちっとも改善されない 環境問題。 赤木氏の問題提起は正しいし有効ですが、今の経済体制が基盤になって論じられています。 しかし、この体制自体がもう麻痺しています。マネーが、危機的状況で信用を失いつつ、各所で 暴力を働いています。その暴力が環境を破壊し、軍隊を操り、人の心も勝手にあやつり。 ここの中でいくらあがいても、イジメあいになるだけ。むこうに有利につくられた土俵で、勝つことはできない、ならば、戦争で平等になろう、というのは、あなたからみれば、決闘を申し込んだつもりでしょう。人は自分の人生を選ぶ自由があります。 しかし、この土俵事態が、もう揺れて、そのうち、崩れる。時期はわかりませんが、これは確実です。 大体、このままでは地球温暖化で生命環境が、もたないのですよ。 しかし、今の日本の若年労働層への(職の面でも、社会基盤としての文化の面でも) 社会的ネグレクト→→→若年労働者の奴隷化→→→むしろ「自ら」戦争に向かう は、作為的筋書き上にあり、アベや経団連の御手洗カイチョウのオモウツボ以上です。 戦争に行けば、グリーンカードをあげる、とか条件をださずとも、自ら望んでくれるなんて、 アメリカン・フォースとしては夢のようないい話。 アメリカの国防省と、防衛省と、そして、経済省は大笑い、してますね。冗談ではなくて、本当です。 、
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元タレント「そのまんま東」の宮崎県知事東国原知事が、発言。「若者にビシっと規律を教えるために徴兵制を導入すべきだ」。http://kyusyu.nikkansports.com/news/f-kn-tp6-20071128-288966.html |
戦争は悲惨だ。 しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。 もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。 持つ者は戦争によってそれを失うことにおびえを抱くが、持たざる者は戦争によって何かを得ることを望む。持つ者と持たざる者がハッキリと分かれ、そこに流動性が存在しない格差社会においては、もはや戦争はタブーではない。それどころか、反戦平和というスローガンこそが、我々を一生貧困の中に押しとどめる「持つ者」の傲慢であると受け止められるのである。 (…中略…) それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争に苦しむさまを見たくはない。だからこうして訴えている。私を戦争に向かわせないでほしいと。 しかし、それでも社会が平和の名の下に、私に対して弱者であることを強制しつづけ、私のささやかな幸せへの願望を嘲笑いつづけるのだとしたら、そのとき私は、「国民全員が苦しみつづける平等」を望み、それを選択することに躊躇しないだろう。
斎藤貴男氏は「戦時中の日本でも、金持ちや有力者の子弟には赤紙が配達されないケースが珍しくもなかった」と、徴兵の不平等さを強調する。しかし、私が社会の流動性を高めるために戦争に巻き込まれてほしいのは、そうした一部の権力者よりも、私たちのような貧困労働層を足蹴にしながら自身の生活を保持しているにもかかわらず、さも弱者のように権利や金銭を御上に要求する、多数の安定労働層なのである。 金持ちや権力者が恵まれているのは、血筋や家柄という固有属性を持っているからであり、彼らが戦争で死んだとしても、その利権は、固有属性を持たない私には絶対に回ってこない。一方で、血筋や家柄を持たない安定労働層と、我々のような貧困労働層との交換可能性は非常に高い。安定労働層は、「たまたま」安定した生活を得られているだけである。念のために言っておくが、私は「努力」などという、結果から遡及してはじきだされた、彼らに都合がいいだけの言い分を認めるつもりはない。
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