キリスト者として今を生きる

風は冷たいけれど春の訪れを感じます。。。

神と人のあいだ

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最後の記事

「神はこの世と関わらない決断をしたんだ」と言った人がいた。

アウシュヴィッツ、南京大虐殺、ヒロシマ、ナガサキ、いじめられている子供。親に虐待されている子供…

「神はどうして黙っているんだ?!」と誰もが思う現実。。。



「神はこの世の不正を正すことを人間に委ねたんだよ」

私もそう思う。

だから私たちは平和を祈りつつ、行動していかなくてはならないのだ。

それは私たちの責任だから。

神がもし強権的な支配者としてこの世に介入し、不正を正すとすれば、

私たちは教師の前ではいじめをしない子供たちのように振舞うだろうけれど、

それは神の望むことではないから。



「神はこの世と関わらない決断をしたんだ」

私はこの言葉を半分肯い、半分肯わない。

神は強権的な支配者のようにこの世と関わることは放棄したけれど、

神が私たちひとりひとりとかかわって下さることを私は信じている。

神は私たちひとりひとりのそばにおられ、

私たちが祈るとき、

私たちを支え、導いて下さる。

十字架上のキリストは、

私たちすべての苦しみを理解し、

私たちのために泣いて下さる。

神はallではなく、everyにかかわって下さることを私は信じている。


私たちの奥深くに住みたもう御霊(みたま)の願い。

人に裏切られても裏切られても葬り去ることができなかった御霊の願い。


つつましく、おだやかな、あたたかい主の光があなたを満たしますように。

私たちはどう祈るべきかを知りませんが、

御霊が切なるうめきをもって

祈らせて下さいます。


神はこの世と関わらないけれど、

私ともあなたとも関わって下さいます。


エンマヌエル。

Living God.


アーメン。

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響き

コーラスが好き

美しく響く声を出すには

身体の力を抜き、リラックスして、喉も鼻腔も開き

身体の中に一本の、息の通り道である空洞を作らなければならない

と教わった

これがなかなかむずかしくて

大きな声を出そうとしてつい力むけれど

力んで出した声は響かないし耳障り




バイオリンにも

笛にも

空洞がある

美しい響きは

その空洞の中を通り抜ける風




神さまは私を砕いて空洞にして下さいます

その空洞を聖霊の風が通り抜け

よき響きが鳴り渡りますように


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暗い静かなクリスマス

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私の勤めている公立中学校ではもうすぐ合唱コンクールなのだけれど、公立学校で歌わせる歌は明るすぎて前向きすぎて、私はどうしても馴染めない。http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6654/maibaraad.htm

同じ理由で私はクリスマス・イルミネーションが苦手だ。


私がキリストに出会ったとき、真っ暗な夜空に星が降っていたのだ。そこは長野の、かやぶき屋根の教会で、ネオンもイルミネーションもない真っ暗な夜空に星がよくみえたのだ。

暗闇の中にしか見えないものがあるのだということを星が教えてくれたので、私は自分のブログのハンドルネームをstarにした。自分自身が星なのではなく、星の語る言葉を聴きたくて、starstoryと名づけたのだ。

この世は悲しみと苦しみに満ちているのだという事実をみつめ、なおかつ絶望したり自暴自棄になったりしないでいられるためには、この悲しみと苦しみをすでに体験し、なおかつ悲しみと苦しみから隣人を傷つけることなく隣人を愛して死んだ人がいるのだということを想起する必要がある。私のこの痛みに同じように痛んだ人がいるのだということ、それゆえ私のこの痛みを理解し涙を流してくれる人がいるのだということを知ることは慰めである。そして私自身も、苦しみと悲しみに出会わなければ、かの人の痛みに思いを馳せ、理解することはけっしてできなかったにちがいない。

私たちは苦しみと悲しみと痛みをとおして「こころ」を知る。その人の心を知ったとき、はじめて私たちは愛されていた事を知り、よろこびに満たされる。


主イエスは羊飼いの他みな眠りについた暗い夜に、馬小屋でひっそりと産声をあげた。

星を見るためには空は暗くなければならない。

主のかそけき細い声を聴くためには静寂を求めなければならない。


私はむしろ悲しみの歌を歌いたい。「みんな友だち」なんて歌えない悲しみを。祈りは悲しむ人の唇から発せられる言葉だと思う。

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新大陸でインディオを酷使するスペイン人。植民地侵略の手先となったキリスト教の宣教師。

スペイン人の宣教師:「キリスト教徒になれば天国に行けるぞ。」

インディオ:「天国にはスペイン人もいるのかね。」

スペイン人宣教師:「もちろんだ。スペイン人は皆キリスト教徒だからな。」

インディオ:「死んでからもスペイン人と一緒になるなら天国なんてイヤだ。地獄がいい。」


以下はstarが考えたこと。


地獄に堕ちた人々が永遠の業火に焼かれ、苦しんでいるのを尻目に、天国でしあわせに微笑んでいる「神に選ばれし人々」は何と冷たい心の持ち主であることか。


何の苦しみも痛みも煩悶もない天国なんて場所に行ったら、退屈で死にたくなるのではないかしら。しかもそれが永遠に続くなんて。。。


地獄に行ったら、罪を犯さないですむのだろうか。


さしあたりの結論…「天国」をイメージするのは、「時間」や「宇宙の起源」をイメージするのと同じく不可能です。三次元の頭で四次元をイメージするのはできそうもないから。

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無我夢中であること

スターはいちおうインテリである。お金持ちとは言えないけど、その日暮らしをしないでも済む程度の蓄えはある。父ちゃんと母ちゃんは庶民だけど、お坊ちゃん学校やお嬢さん学校で教師をしていたこともある。だから上流階層のヒトビトの間に入ってもイチオウあわてふためかずに話を合わす程度のことはできる。だけど一番むずかしいのはそんなことじゃなくて、「自分を開く」っていうことだなあと最近シミジミ思う。公立中学校なんかで働いてるとシミジミ思う。


「お高くとまってる」という言い方があるけど、「お高くとま」れない境遇にある人たちがいる。イエスが親しく付き合ったのはそういう人たちだったなあと聖書を読んでいると思うのだ。病気持ちだったり売春婦だったり、金持ちだけど嫌われ者(徴税人)だったり。

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そしてイエスが愛する人たちは決まって「恥も外聞もなく無我夢中」なのである。涙でイエスの足を濡らして、長い髪でぬぐい、足に接吻して香油を塗ったり(なんてエロティック!)、チビだけどどうしてもイエスをひと目見たさに高い木に登っちゃったり、イエスにパンをくれとせがみ、イエスに「パンはイスラエルの民にあげるものだから異邦人のあんたにあげるパンはない」と言われると、「だけど小犬だって食卓から落ちたパンくずはもらうのだから、異邦人のあたしにもちょうだいちょうだい」とねばったり。

キリスト教の求道者っていうと、意志の固い禁欲的な清廉潔白居士をイメージするけど、福音書を読むかぎりではちがうんじゃないかなあと思う。イエスははっきり言っている。友だちだからあげるんじゃない、あんたが夜中にドンドン戸をたたいて「ちょうだいちょうだい」ってしつこいからあげるんだ、って。(ルカ11:5−13)追っ払われてもしつこくせがむのは禁欲的な清廉潔白居士とはちょっとちがう。



「てめえ、ぶっ殺してやる!」と言いながら心の奥底で必死に救いを求めているような少年をイエスは愛しているのだと思う。そんな少年は実際には教会に来ないけど、それは敷居が高くて「お高くとまった」教会のほうにきっと問題があるのだと思う。まあ、そういう人たちと人間的に付き合うのは難しいのだ。嘘もつくだろうし盗みもするだろうし、スター先生がいっしょうけんめい授業しても聞かないで立ち歩いたあげく、「死ね!」なんて言うし。スター先生はそのとき腹を立てればよろしい。スター先生もそうやってボロボロになりながら無我夢中になっていくのだ。人間はボロボロにならないと無我夢中にならないのだ。そしてそんなカッコ悪い人たちと一緒にイエスは宴会をしましたとさ。

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