主の食卓を囲み 命のパンを頂き
救いの杯を飲み 主にあって我らは一つ
マラナタ マラナタ 主の御国が来ますように
マラナタ マラナタ 主の御国が来ますように
待降節第一週です。私はカトリックなんだけど、今日は浅草の聖公会の教会へ行きました。聖公会はその昔、離婚して好きな女の人と結婚したかったヘンリー8世が、カトリックだと離婚できないのでカトリックを辞めて作ったイギリス国教会が基になってて、「離婚して再婚したかった」ということだけが動機なんで、プロテスタントなんだけど「礼拝はどっからどうみてもカトリック」です。だけどイチオウ宗派はちがうので、聖体拝領(ってキリストの肉であるパンと血であるぶどう酒をいただく儀式です)は「聖公会の洗礼と堅信」を受けてない私はしちゃいけなかったのかもしれないけど、「ここでどうしても聖体拝領受けたい」と思ったので、やっちゃいました。これって罪?なワケない、と確信しているstarです。
で、私がいいなあと思ったのは、上野公園でみたようにお食事の前に説教を聴くことなんか条件にしないでご飯を渡してること、それから順番待ちの列の数箇所に灰皿が置いてあったこと。教会(特にプロテスタント)は酒タバコに眉をしかめるところが多いんだけど、ホームレスの人々の中には煙草を吸いたい人多いよね、それで灰皿を行列の間に置いてるっていうのが「いいなあ」と思った。
こういうことを毎週している教会っていうのは生きてる教会って感じがして、私がカトリック教会で大ッキライな「主の平和」って言って隣近所の席の人と笑顔(これがまた作り笑顔にみえるのだ)で挨拶を交わす儀式もここではとってもよかった。「主の平和」って言って握手を交し合うのがとってもよかった。上の「マラナタ」の聖歌も聖餐式も、目の前のホームレスの人々と食事を分かち合ってこそ初めて生きてくる。
「クリスマス・パーティー」が私は大っ嫌いだ(大ッキライなものが多いワガママ者)。トンガリ帽子をかぶってクラッカー鳴らして、クリスマスケーキやチキンを食べてシャンパン飲んで、「メリー・クリスマース!」なんて騒ぐのが大っきらい。クリスマスのご馳走っていうのも嫌いです。
でも「一緒に食べて飲むこと」はキリスト教ではとても重要なことなのです。ミサの中心である「聖体拝領」はキリストの身体と血を信徒みんなで分け合っていただくことだし。「共にお食事をすること」の中に神さまもいると思います。
クリスマスの一日だけ、日本人みんながホームレスの人々と一緒に食卓を囲むことにしたら、世界的にも歴史的にも忘れられないクリスマスになると思う。炊き出しみたいに次々に渡して帰すのではなく、金持ちも貧乏人も一緒にお鍋でも囲むことができたら素敵だと思う。できればいつも寒気にこごえているホームレスの人々の方の空間で、ベツレヘムの星の下、暖かい焚き火をパチパチと燃やして。それは「恵んであげる」のではなくて私たちの魂にいつまでも残る糧を与えられる食事のように想像するのです。
クリスマスにそんな食事ができたら、すごくすごくステキなのに。。。
※本当はホームレスの人々が自立できる雇用を創出できたらそれが一番いいのだと思う。
[ ビッグ・イシュー]という雑誌は、東京や大阪などの首都圏の路上で、ホームレスの人々からしか買えない雑誌。政府も草取りやペンキ塗りなどの雇用を創出していて、新聞によると日給5800円くらいになるそうだけど、働き口にたいしてホームレスの人々の数が多すぎるので、一人当たりにするとひと月1万5千円くらいにしかならないそうです。
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