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アメリカのカトリックグループが、封切りになった映画「ダ・ヴィンチ・コード」のボイコットを全世界のカトリック教徒に呼びかけている。イエス=キリストがマグダラのマリアと結婚して子孫をもうけたという箇所が神への冒涜だということだ。 もっと他に呼びかけることがあるだろう?! アフガニスタンを空爆するなとか、イラク戦争をやめろとか、アメリカの軍備増強をやめろとか、経済制裁で最も弱い人々を苦しめるのはやめろとか。 「ダ・ヴィンチ・コード」は本で読んだけど、面白いミステリーだったという以外に大した感想はない。イエス=キリストがマグダラのマリアと結婚して子孫をもうけたとしても、べつにどうってことはない。マリアさまがヨセフさまとセックスしてイエスさまが生まれたのだとしても、どうってことはない。(これって異端だろうか。。。)重要なのは、イエス=キリストが人の世の罪によって磔になり、罪によって罪に反撃することなく、罪を担って死んだということ。人の世から罪が取り除かれるようにということを張り裂けるような悲しみの中で絶叫しながら祈ったということだ。そして自分自身の気が遠くなるような苦しみの中でそんなふうに祈ることは、できることじゃないっていうことだ。私にはできないもん。「痛いのやめてください、誰がどうなってもいいですから十字架だけはかんべんしてください。このブログのゲストをみんな差し上げますから、かんべんしておくれ。共謀罪も教育基本法改正も憲法改正もみんなけっこうですから。小泉とブッシュにもう逆らいませんから。」と言うだろう。 とにかく、 カトリックには他にやることはないのか?! カトリックもイスラム教徒も神を冒涜したといってものすごおく怒るくせに、なぜ人間が痛めつけられていても平気なのか?!なぜアフガニスタンやイラクの無辜の市民が爆撃されても平気なのか?!なぜアフリカでエイズで死んでいく大勢の人々を救うためにコンドームを配らせないのか?! キリストはどこにおられるのか。スペインのサンチャゴ=デ=コンポステッラに行ったことがある。新大陸でインディオを奴隷のようにこき使い集めた金で建てた金ぴかの教会堂の中に、キリストはおられなかった。キリスト(人の子)は、人々がその御前に集ったとき、こう言う。 「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造のときからお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」いつ私たちがあなたにそんなことをしましたか?と正しい人たちが聞くと、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイによる福音書25:31-46) だからブッシュが爆撃したアフガニスタンやイラクの人々が神さまなんだよ。「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。」 『ダ=ヴィンチ=コード』が信仰の躓きになるとは思わない。神に祈りながら「対テロ戦争」をする姿の方がよっぽどつまづきだと思う。
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