東京訪ね歩き

,その時の話題に合った写真を沢山載せるので目で楽しんで下さい!!

旅行:東北・(北海道)

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八戸10:16発、はやぶさ14号でわずか28分で10:44盛岡に着きました。新幹線に乗らないと、八戸〜金田一温泉まで<青い森鉄道>、次いで<IRAいわて銀河鉄道>に乗り盛岡ということになり大変な時間がかかります。
左側の「もりおか」という平仮名は石川啄木の字です。右下に啄木と書いてありますが…。
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本州最大の面積を持つ岩手県の県都。近代的なビルが多いとはいえ、石川」啄木が杜の都と歌ったように城下町の面影を色濃く留める南部藩20万石の城下町。
慶応年間に南部氏26代信直が不来方(こずかた)城を築城した。藩政の中心地、また北上川を利用する舟輸送の基地として栄え、その後、県庁所在地として発展し、今日に至っている。
盛岡の市街地図です。赤字の線は盛岡都心循環バスの経路です(おおよそ2キロ×500メートル。左中央が盛岡駅、駅の右上の橋が旭橋、まずその付近に向かいます。

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盛岡都心循環バス「でんでんむし号」で観光をすることにしました。右回り、左まありの2種類。1日フリー乗車券300円。


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「でんでんむし号」です。

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旭橋を渡ると材木町、宮沢賢治が旧盛岡高等農林学校へ通うために歩いた材木
町の通りに宮沢賢治の像があります。その他5つのモニュメントもあります。
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宮沢賢治作「注文の多い料理店」発行所・光原社。現在は世界の民芸品を扱う。
中庭には賢治の資料館、喫茶店・可否館などがあります。
コーヒーとクッキーをとって休憩しました。いい雰囲気の場所です。
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材木町にほど近い場所に「啄木新婚の家」があります。啄木が堀合節子との新婚生活を始めた家です。随筆「我が四畳半」に新婚当時の様子が書かれています。

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入場無料です。
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石割桜・・・。巨大な花崗岩の割れ目からエドヒガンザクラがたくましく伸びています。推定樹齢360年以上。昼食は「昭和天皇も召し上がられた」という記事に惹かれこの近くの料理店に入りました。
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春には見事な花を咲かせます。もりおかマップの写真です。
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地図で石割桜が確認できますか…。時計回りに大きく回ります。

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上の橋擬宝珠(ぎぼし)。中津川に架かる上の橋には、慶長14年(1609)の銘が刻まれた青銅の擬宝珠が8個、慶長16年(1611)のものが10個取り付けられています。このように多く残っている例は珍しく、国指定重要美術品に指定されています。



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紺屋町番屋…大正2年(1913)に盛岡消防団分団として建立され、第五分団の番屋として使用されていました。大正期の木造建築の典型で、望楼の特徴的景観は、消防の歴史を知る貴重な建物。
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ござ九。江戸末期から明治にかけて、灯明用の灯心売や藁工品などを扱った豪商。

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川の方向から見ると・・・土蔵と川べりの石垣は、盛岡を代表する景観です。

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盛岡信用金庫本店旧盛岡貯蓄銀行として昭和2年(1927)に建設。花崗岩を貼った直線的な外壁で、アクセントに石彫を装飾した、モダンな表現と近代的なデザインの流れをくんでいます。
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岩手銀行旧本店本館…東京駅を手掛けた辰野金吾・葛西萬司建築事務所が設計して明治44年(1911)に建てられました。赤レンガと白い花崗岩の帯が美しくその外観は目を惹きます。国指定重要文化財。
丸ポストがあったのが私には嬉しかったです。


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もりおか啄木・賢治青春館
明治43年(1910)に竣工した旧第九十銀行を保存活用して、啄木と賢治の青春時代と盛岡を紹介しています。国指定重要文化財。入館無料

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岩手県公会堂・・昭和2年(1927)に昭和天皇のご成婚を記念して建設。当時、外壁をレンガで飾ったモダンな造りは」東北でも珍しい」もので、県会議事堂・大」ホール・西洋料理店・皇族方の宿泊所があったといわれます。
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「時鐘(じしょう)」が見えます。
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「時鐘}
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右の標柱には「岩手公園」と書いてあります。鳥居をくぐって直進すると桜井神社
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桜井神社…。
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烏帽子岩
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史跡 盛岡城址
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大通りアーケード通りに立つ「石川啄木少年像」です。
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開運橋から見た北上川と岩手山です。

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 駅前の石川啄木歌碑「ふるさとの山に向かひて言ふことなし  ふるさとの山はありがたきかな
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南部藩城下町の風情と洋風建築が溶け込んだ町には、文人たちが好んだ香りと情緒があちこちに漂っています。設明は主に「もりおかマップ}を参照しました。次回は個別に詳しく載せます。



前回、鮫駅の写真を載せたところ、「鮫という地名があるのはその付近の海に鮫がいたからですか?」とwさんから質問をうけました。インターネットで調べたが不明でしたが、八戸の種差海岸で知り合った地元の窪田さんからメールで回答が寄せられたので紹介します。
鮫という地名のルーツは、アイヌ語で「サ・メム(Sa.mem)で「浜の・湧水」、蕪島のすぐ目の前の段丘の上の線路脇のくぼ地から水が湧き出ていて「御前水」とよばれている。」菅原進氏いう方が2008・8月に発表した説です。
*八戸の地名、蕪島、種差などなどもアイヌ語が起源のようです。
八戸線、本八戸駅です↓

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中央やや右手、本八戸駅。駅の右下に「おがみ神社」、左下に「三八城公園・八戸城址」
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駅を出てすぐ左手に神社があったので参拝しました。「おがみ神社
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源義経が八戸に上陸し市内の高館に住んだという伝説があるようです、
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八戸城址です。
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八戸城址の隣に神社があり、そこにも義経関係の史跡がありました…弁慶石。市内に義経関係の史跡が16か所もあるようです。
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力自慢の弁慶が岩に記した足型だと言われています。
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 八戸城址・・・。
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八戸城址の説明・・・。
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南部直房像…1664年(寛文4年)、南部重直が世継ぎを決めずに亡くなったため盛岡藩は、御家断絶の危機を迎えました。幕府は南部藩10万石を八戸2万石と盛岡8万石に分け、南部直房により八戸城が築かれました。これが八戸藩の始まりです。→八戸にはもっと古い歴史があります。
末尾に記載します。

               。イメージ 10
明治天皇の行在所の標柱の前で素っ裸で小便を飛ばす八戸の小便小僧・・・。地図の駅のすぐ下のロータリーにあります。
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明治天皇行在所跡の前で堂々と小便する小僧・・・。
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後方のビルは市庁舎。小便小僧が見えますか…。
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 街中の写真を沢山撮ったのですが、誤って消去してしまったようです。泊まったホテルがあった近くの23日町の風景です。市営バス、南部バス、十和田観光バスが市内全域を走っているので交通の便はいいです。

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 マンホールの絵柄は菊の花・・・八戸市指定の市の花は菊・・・食用菊も有名です。
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食用菊です。香りが高くおいしいですよ。
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八幡駒の
マンホールもありました。

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郷土玩具の八幡駒は↓。
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マンホールではありませんが、ウミネコの絵柄が道路上に…。
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ウミネコです。種差海岸で1羽だけ見かけました。1匹狼ならぬロンリーマン…バードか…。八戸市指定の鳥は勿論ウミネコ!
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夜に備えて飲み屋街を散策していると丸ポストが!
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みろくロマンポストと命名されているようです。
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夜訪ねて来ると・・・・。
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みろく横丁という飲み屋街です。地図の中央、三日町の下の地域にあります。
オープンな屋台約25軒が並んでいます。
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大吉通り…。
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八戸一のせんべい汁という看板が目に入りました。

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  日本一の銀サバの刺身という看板も・・・。
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  古い木造の日本家屋を使用したという大きな居酒屋でした。
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  八戸といえばイカ刺し…それにイワシ、サバの刺身などをとり、地酒で一杯…。、
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刺身だけでは物足らないので地元・桃川酒造の大吟醸を飲みながらホッケをつつく・・・。いい気分になってきました。
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最後は八戸せんべいの「せんべい汁」  鍋に八戸せんべいを入れるだけですが美味しかった!
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上記のほか、たぬき小路、ロ一丁、五番街、八戸昭和通り、ハーモニカ横丁、長横町など8つもの横丁が点在しています。もともとは漁師さんをもてなすために発達した横丁のようです。

*元弘3年1333)、甲斐の武将・南部光行は奥州平泉の藤原氏を破った手柄により、頼朝から北東北の一帯を賜ったと伝えられている。
元弘3年、北畠顕家は、後醍醐天皇より陸奥守に任じられ、陸奥国府に赴任した。南部師行は顕家により国司の代官に任じられ、建武元年(1334)、南朝方の拠点の1つとして根城を築いたといわれている。
根城は、南北朝時代から江戸時代初頭までの約300年間、八戸の中心でした。
以来、この城を本拠とした南部氏の系統は「根城南部氏」(または八戸氏)と呼ばれるようになりました。
江戸時代に入ると、寛永4年(1627)、南部利直の命により、根城南部氏は遠野へ領地替えとなり、根城はf歴史的価値を終えました。(根城は八戸の観光名所の一つです)
次回は盛岡を載せます。




八戸(はちのへ)…前回、下の路線図(右方向が北)の右下、種差海岸について記事にしましたが、八戸はその少し左上(西)です。約50キロ西に十和田湖、青森までは約80キロです。
八戸は人口約24 万人。青森県東部を占める南部地方の中心都市。港町と工業都市の2つ性格を持った都市です。
2002年(平成14年)には、東北新幹線が八戸駅まで延伸され、東京駅まで約2時間40分ほどで結ばれました。

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新幹線の八戸駅に到着!大宮から2時間23分ほど、八幡駒が迎えてくれました。

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種差海岸、三陸復興国立公園!
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駅の前に行ってみます。私が住んでいた昔は「尻内」とい小さな田舎駅でしたが・・・。
八戸市の木に指定されているオンコ(別名イチイ、アララギ)が美しい姿で立ち目を惹きます。
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立派な駅です。
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駅前の環境は「緑のデザイン賞・建設大臣賞」を受賞しています。
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予約したホテルは八戸市の街中にあるので、JR八戸線に乗り換えて「本八戸」駅に向かいます。
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本八戸駅に到着・・・。  ここから徒歩でホテルに向かいましたが、前回の記事に関係した場所を紹介したいのでちょっと寄り道します。
        
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八戸線でこのまま進むと鮫駅に到着します。駅前に鮫の像・・・。ここから徒歩15分ほどで蕪島(かぶしま)につきます
(鮫という地名があるのは、この付近の海に鮫がいたからですか?という質問をWさんから受け、インターネットで調べたましたが分りません??)→八戸でお世話になった窪田さんからメールで回答が寄せられました。次の記事で紹介します。

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三陸復興国立公園の北の玄関口である蕪島は、ウミネコの繁殖地として国の天然記念物に指定されています。
私たちは9月7日に訪ねたのでウミネコはいなかったです。春から初夏にかけて、産卵・子育てをする。その営みを間近で観察できる全国で唯一の繁殖地です。
7月下旬から8月上旬、ウミネコは繁殖を終え、蕪島を去ります。8月中旬になると島はカラになり、ウミネコはエサを求めて海上を移動します。
蕪島生まれのウミネコがサハリンやフィリピンめで移動しているようです。2月頃から再び蕪島に集まってきます。
(八戸市観光課発行の「種差海岸」という小冊子から引用・以下同じ)
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下はインターネットで得た写真です。毎年飛来するウミネコの数は3万から4万羽といわれ、産卵期には菜の花が島全体に咲き乱れます。

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数十年前に撮った写真です。こんな小さいスバル360で舗装もさてれていない国道4号線(陸羽街道)を埼玉・浦和まで帰郷していました。600キロ余りあります。単身の時は十数時間走り続け、家族連れの時は仙台で1泊して帰ったと記憶しています。
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かっては陸から150メートルほど離れた場所にあった蕪島は、昭和17年、旧海軍によつて埋め立てられ、陸続きの島になりました。
島の頂には弁財天を奉る蕪島神社があり、その創建は永仁4年(1269)。この地に流された工藤犬房丸が故郷の江ノ島に似た蕪島を懐かしみ、その頂上に厳島神社を勧進したのが始まりと伝えられています。
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NHK連続ドラマ小説「花子とアン」の舞台にもなりました。ウミネコは、漁場を知らせてくれる弁財天の使い、人々が大切に扱ったため繁殖したといわれています。
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八戸小唄の碑です。この歌は歌えます・・・かって8年間も住んでいたので当たり前ですが…。
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蕪島を南下すると、小舟渡、鮫角灯台、タイヘイ牧場を経て、太平洋戦争時には海軍の監視所にもなっていたという葦毛崎展望台にたどり着きます。眺望の素晴らしさは種差海岸でもトップクラス。
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鮫角灯台が見えます      
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「道の碑」で知り合った窪田さんから、ここの売店のソフトアイスは美味しいと紹介され買いましたが…。食べているのを見られ「バニラと言ったのに・・・」と言われましたが、チョコも美味しかった!
             
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この先、15分ほど歩くと、前回の記事で紹介した、東山魁夷「道」の舞台となった地点に到着します。
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これで前回の記事とつながりました。次回は八戸の市街地の様子を載せます。












種差海岸とうみねこの道・・・9月7日(月)から12日(土)まで東北の八戸、盛岡、花巻、仙台、米沢と旅しましたが、帰宅早々ハプニングが起こり妻が入院していましたが、今日無事退院しましyた。
風光明媚な八戸の種差海岸等の写真を今回は載せます。
気分はこの風景のように明るく爽やかです。

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この辺りが種差海岸です。私が30才代の頃、八戸に8年間住み訪ねてきた両親・兄弟・知人などを案内し何度も訪れた懐かしい場所です。
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平成23年3月11日、宮城県沖にマグニチュード9.0の大地震が発生。この地震によって引き起こされた大津波は、北海道から関東に至る太平洋各地を襲い、中でも三陸地域に壊滅的な被害をもたらしました。平成23年5月、環境省は被災した東北地方太平洋沿岸の自然公園を三陸復興国立公園として再編成し、地域再生に貢献していくことを決定、「三陸復興国立公園」を創設しました。
その中で種差海岸は、約14キロにわたって変化に富んだ景観が楽しめる海岸です。
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「八戸カード」という1日乗車券(700円)を買い観光地を巡りました。

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海辺まで天然の芝生というのいがこの海岸の特長・・・。
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 青々としたた草地は、昔、八戸名産の馬の放牧地だった名残のようです、

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種差海岸から少し北の海岸風景・・・。
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東山魁夷画伯が描いた「道」という絵の舞台です。ここで地元の方(窪田輝雄さん)に色々話を聞き、後日参考資料を送っていただいたことはすでに記事にしました。
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東山魁夷画伯の代表作「道」
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写真はこんな状況・・・。
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東山」魁夷画伯
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次回も隣接した海岸やウミネコの繁殖地・蕪島などについて載せます。
*青森県八戸市から福島県相馬市までの海沿いをつなぐ、全長約700キロの長距離自然歩道{みちのく潮風トレイル」の整備、全線開通は平成28年度末の予定です。
*お見舞いのコメントを頂いたり、ブログを見て知ったと直接電話を頂いたりご心配と激励をいただき有難うございました。
全快するにはまだ時間がかかりそうですが、自宅でのんびり養生すれば治りも早いことでしょう。
皆様もご自宅などで転倒しないように気をつけて下さい。
前回9月2日(水)に記事を載せてから14日過ぎました。
前回の記事「開店休業・旅に出ます」の記事の末尾に時々現況を書き足してましたが、12日(土)に5泊6日の旅を終わり帰宅しました。
ところが、妻が自宅の廊下で転んで首の骨(頚骨)の一部を傷め入院する羽目になりまた。まもなく手術となります。
ということでまたまたお休みという次第・・・。
今日は一寸時間がとれたので、前回写真だけ載せて訪問地を記載していなかったので、場所を明記することにします。
ゲスブで地名を的確に回答された方もおられます。ありがとうございました。

1.下記は青森県八戸市の種差海岸をモデルに描いた東山魁夷の絵「道」です。
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実際の風景は↓東山魁夷「道」記念が立っています。ここで妻と風景を眺めていたら、大きな犬を連れた男性が、近づいて来て色々説明してくださり、夫婦の写真を撮ってくれました。
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貴方と愛犬の姿をブログに載せてもいいですか?と訊いたらOKということなので・・・。種差海岸等の景観の維持等に一役かっている方のようで、私達が進むあちこちで再会しました。この写真は「道」より約500m北の葦毛崎展望台で撮ったものです。
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*平成25年に青森県八戸市から宮城県気仙沼市までの地域が「三陸復興国立公園」に指定されました。種差海岸、葦毛崎展望台など含まれています。
この方から10日(木)に関係資料が送られ我が家に届いていました。私はその2日後に帰宅し感謝、感激しました。↓
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手紙も同封されていました。アクシデントに振り回されCDなどはまだ見ていませんが、そのうちゆつくり拝見します。
私は若い頃、この八戸に8年間住み、二人の娘もここで生まれました。偶然にも長女の夫は八戸高校卒業生!このように親切にされて一段と八戸が好きになりました。窪田さん、お世話になり参考資料まで送って下さりありがとうございました。
唄に夜明けたかもめの港 船は出ていく南へ北へ♪♪・・・八戸小唄・・・勿論歌えますよ。長年詩吟をやっていたので大声で歌うのは今でも好きです。
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八戸では地元の居酒屋にいきイカ・サバ・イワシ・ホッケ等などの新鮮な魚を食べながら地元、桃川の大吟醸を飲みましたが美味でした。仕上げは八戸煎餅汁、

2.2日目は盛岡を散策しました。下は岩手銀行中ノ橋支店。周辺には商家「ござ九」、「もりおか啄木・賢治青春館」などがあり見学しました。わんこそばではない盛岡のそばを食べました。昭和天皇も召し上がったというフランス料理店のランチも食べました(ランチは安いですからね・・・)。
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3.岩手花巻温泉卿にある鉛温泉・藤三旅館に泊まりました。下は有名な「白猿の湯」。立つて入る風呂で、私の肩の下まで深かったので1.4メートルはあるでしょう。1.25m程度の浅いところもあるので女性も入れますよ。写真で見るよりずっと大きく、4メートル×6メートル・・・25へーべ位。
混浴・・・女性時間帯もあります。いい経験・思い出になります。
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4・すぐ分かりますね。仙台城址です。独眼・伊達政宗の騎馬像があたりを睥睨しています。仙台及びその周辺に約6年間住んでいました。仙台では激しい雨になり、アーケード街を散策し牛タンを食べました。
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5.仙台から福島までは新幹線で動けましたが、福島から山形線(奥羽本線)で米沢方向に向かう列車の運行が15時ころまで停止していて一時は山奥の温泉行きを諦めました。時間があるので福島城址など予定外に見学しました。しかしやっと16:04分福島発の列車が運行することになりそれに乗り「峠」という無人駅に到着。宿の迎えの車で約8キロの急な山道を約40分かけて上り、やっと秘湯と言われる姥湯温泉に到着しました。
一度は来て見たいと思っていた山奥の温泉です。断崖絶壁に囲まれた素晴らしい温泉でした。
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6日間で
8万2千歩歩いて元気に帰宅したのですが・・・。何が起こるか分かりませんね。皆様も転ばないように気をつけてください。  

妻の首の手術が無事に終わり余裕がでたら各地ごと詳しく載せたいと思います。
皆様もお体を大事に元気でお過ごしください。

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