東京訪ね歩き

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前回は東海道47宿の関宿を紹介しました。東海道の宿場町53宿の中でも最も江戸時代の宿場の面影を残している場所で、国の伝統的建造物保存地域に指定されています。
今回は後半を載せます。下記の地図のほぼ中央、郵便局のマークの右「関宿旅籠玉屋歴史資料館」から訪ねましょう。
 
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玉屋歴史資料館です。関宿は江戸時代後期の天保14年(1843)には、本陣2、脇本陣2、旅籠42を数えましたが、その中でも代表格の旅籠、玉屋歴史資料館になっています。関西本線関駅から徒歩」10分ほどです。
 
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市文化財に指定されている江戸時代の貴重な旅籠建築を修復し、・・・・江戸時代に栄えた旅籠の姿を再現したものです。
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離れ座敷です。
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庭も素晴らしいものでした。
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行書版「東海道53次 関」 歌川広重 画
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保永堂版 「東海道53次 関」 歌川広重 画
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地図の左の方へ歩いて行きます。郵便局・・・現役の局です。
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宿場の決まりごとなっどを書いた8枚の木板が掲げられている高札場・・・後方は郵便局
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老舗和菓子処・深川屋・・・唐破風の庵看板・・・銘菓「関の戸」の文字が裏表に書かれていますが西側は漢字、東側は仮名交じりのくずし字、旅人が東西の方向を迷わないようにと示したものだとされ、関宿のシンボル的存在。
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喫茶・たなかや
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虫籠(むしご)窓の家。関宿の町屋は平入りの低い2階建ての建物が一般的。
虫籠窓や出格子、漆喰細工を施すなど凝った意匠も多く楽しめます。
 
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森川菓子。
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築200年余という町屋。ナガヲ薬局のレトロな看板を掲げたカフエ&ギャラリー。
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志ら玉
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福蔵寺
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関地蔵院・・・天平13年(741)に行基が諸国」に」流行した天燃痘から人々を救うために地蔵菩薩を安置した』伝わる古刹。
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本堂は5代将軍・綱吉によって建立された。
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地蔵院前の会津屋
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小まん亭(小万茶屋)。地図の中央上部の観光駐車場方向に歩いていきます。
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無料休憩所・・・足湯です。
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広い足湯でしたが誰もいなくて貸切状態・・・ちょうど良い湯加減でした。
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足湯からでて街道を東へ・・・歩いてきた道をです。百五銀行の角を右折して関駅に戻りました。
関駅の売店で「観光雑誌で話題の関宿名物<鈴鹿亭の巻寿司>・・・昔ながらの味です。是非一度ご賞味ください(1本450円)・・・という看板が目についたので2本購入。
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駅構内の売店前の机で食べようとしたら売店の女性がお茶をいれてくれました。駅構内の観光案内所の男性も親切で関宿の人たちに好感を持ちました。お世話になりました!!
旅先では現地の人の親切が身にしみます。
関宿は見る価値がある宿場町です!古い街並みが好きな人は訪ねてみてください。JR関西本線関駅から徒歩で見て歩けます。駅の付近に「道の駅」もあります。
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隣駅の亀山駅まで電車で移動・・・。亀山で宿泊します。
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次回は東海道第46宿の亀山宿などの様子を載せます。古い街並みが見られるといいのですが・・・。
忍者と松尾芭蕉で知られる伊賀上野は見所が多かったので5回連続して記事をのせましたが、やっと今回は東海道第47宿・関宿について紹介することになりました。
東海道随一といわれる街並みが続き、1984年に国の伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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JR関西本線関駅前の風景、後方の建物が関駅です。
 
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関駅は地図の下部、地図右端の「東の追分」に向かいます。
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「東の追分」に着きました。直進する道は伊勢別街道、東西の道路は旧東海道:参勤交代や伊勢参りの人達で賑わう東海道有数の要衝の地でした。
 
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東の追分から西に歩いて行きます。江戸時代に戻ったような気分になります。
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東西の追分間、約1,8㌔、約25ヘクタールという広い地域が保存地区。
遊快亭:
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郵便受けも江戸時代風です。
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旧街道に面して約400棟の町屋が軒を連ねています。
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正月のような飾りが玄関に掲げられています…「笑門」。
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ご馳走場付近:
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連子格子に絵手紙が飾ってある家が散見されます。
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伝統の建物は今でも人々の暮らしの場であり、美しい街並みには長い歳月を経てきた風格があります。
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百五銀行:
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マンホールは旅人姿:
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御髪結処(美容院)マチ:
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関まちなみ資料館: 江戸時代末期に建築された、関宿を代表する町屋建築の一つです。町屋で使われていた道具類や、関宿に関する歴史資料などを展示しています
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関まちなみ資料館と旅籠玉屋歴史資料館の入館券:
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百六里庭:江戸日本橋から106里、休憩所が設置されていました。
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2階の展望室から:関の街並みが見通せ遠方に鈴鹿の山々が見えます。
反乱者の東国脱出を阻止するための古代3関のひとつ「伊勢鈴鹿の関」が置かれていました。関の町名の由来です。
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伊藤本陣:
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伊藤本陣:
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松井呉服店付近:
 
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石垣屋:ライダーやハイカーなど旅好きに人気の宿のようです。
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東海道には53もの宿場町がありますが、そのほとんどが旧態をとどめない中で、この関宿の街並みは奇跡的といわれています。商家と商売をしていない家が昔の面影を残しながら仲良く並んでいます。
次回も関宿の続きを載せます。
前々回は松尾芭蕉の生家、前回は松尾芭蕉の伊賀上野における足跡を訪ね歩きました。
しかし見所が多い伊賀上野ではまだ忍者屋敷・博物館を紹介していませんでした。
今回はこれを紹介して、次回から東海道53次宿場町をめぐる旅に進むことにします。
伊賀上野城の近くにある忍者屋敷です。奥に忍者博物館があります。
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入館券、756円。
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入り口で数名待つていました。
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大鼠に足を載せた忍者の人形が出迎えてくれます。奥では既に入場した観客が説明を聞いていました。
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25名位に組み分けされ逐次説明を受け進んでいきます。父親に抱かれた忍者姿の幼子も居ます。
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木の壁に見えましたが、どんでん返し(回転扉)・・・誰かチャレンジしませんか!の呼びかけに忍者姿兄弟の兄さんが果敢に挑戦・・・お見事!
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棚と思っていたら・・・。↓
天井のほうに見える明るい場所は、外の様子を伺う「警戒の場」
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棚が梯子になりました・・・。隠れ梯子。
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廊下の隅には…。
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秘密の出入り口・・・。しかけ戸。
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忍者姿の兄弟は特に熱心に聴いていました。
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ここにもどんでん返し・・・。
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物隠し・・・。
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刀隠し・・・。
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ここにもどんでん返し・・・。
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テレビでは何度か見ていましたが楽しかったですよ。
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通路側から見た忍者屋敷です。
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忍者の衣装を着た幼い兄弟の後について博物館へ・・・。
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展示品は結構充実していました。
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伊賀忍術:忍術には25流派あるといわれているが、その中で伊賀流と甲賀流は群をぬいて優れている。
伊賀は甲賀に比べて特に呪術に秀でていた。
忍術は、戦乱の世に必要と」されて発達したため、武術、謀略、破壊工作などが含まれるが心理学、薬学、医学、天文学、呪術、占術など、戦いに直接必要でないものが圧倒的に多い。忍術は、まさに生きるための知恵と技術の集大成であつたのである。
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水の上を歩行する道具・・・。
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中央は火車剣。手裏剣に火縄を巻きつけ中心に火薬を盛る。照明用や放火用に使用する。右は分銅形のつぶて。下は鎖鎌・・・振り回し敵を威嚇しかく乱」した。刺したり切ったりもした。右下は吹き矢筒
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手裏剣・・・刃にトリカブトの毒汁を塗るのが定法。
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忍者屋敷で説明されたからくりについての掲示です。
 
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忍者は余り目立ってはいけないので農民の衣服に頭巾で顔を隠して感じです。
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疲れたので忍者屋敷の前にある伊賀上野名産協同組合の売店に珍しいお菓子を求めに入りました。
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伊賀上野の名物、せんべいのような菓子がありましたが、試食したら歯が欠けそう程に硬いのでやめました
伊賀流あん巻き・・・どら焼(三笠山)を棒状にした感じでした。540円
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次回は東海道47宿の関宿の様子を紹介いたします。
伝統的建造物保存地区に指定され、昔ながらの連子格子の木造建築が続いて見事な景観を維持していました。
興味がある方は見ていただけたら幸いです。
 *早々と訪問して下さりナイス有り難うございました。
まほもちさん、若紫さん、YUさん、eigeikaiさん、あや爺さん、yoshikoさん、Hosiさん、クンシンさん、能美市美術作家協会さん、安芸さん、四季の光景さん、きよちゃんさん、tuk**0さん、Ranさん、ぴよぴよさん、
後ほど訪問してコメント残します。
サムライジャパン、コートジボアールに1:2で逆転負けを喫しました!がっくりです・・・。しかし次の試合は頑張って!
気を取り直して伊賀上野市にある松尾芭蕉関係の場所をたずねましょう。
前回は地図の右中央付近の芭蕉生誕地・生家を紹介しましたが、今日はすぐ下の芭蕉翁故郷塚から紹介します。
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芭蕉の遺髪を埋めた故郷塚は松尾家の菩提寺、愛染院の奥にあります。芭蕉生家から徒歩3分くらいの場所です。
 
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史跡 芭蕉翁故郷塚の石碑が・・・。
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上野天神です。10月下旬に行われる天神祭りは賑やかなようです。前回紹介した芭蕉の最初の自選句集{貝あわせ」はこの天神宮に芭蕉が奉納しました。
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伊賀鉄道・伊賀市駅から武家屋敷の赤井家(市に寄贈され現在整備中でした)や重厚な町屋が続く中ノ立町通りを約20分歩くと蓑虫庵につきます。
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弟子達が句会を行った芭蕉五庵の一つで、簡素な茶室造りの草案。芭蕉が気に入っていた草庵のようです。
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蕉門、服部土芳の草庵で、芭蕉の句「蓑虫の音を聞きにこよ草の庵」にちなんで命名されたようです。
下の句碑は「よくみればなづな花さく垣ねかな」・・・ 芭蕉43歳のときの句。
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吟行で訪れている中年女性七〜8名と出会いました。聞けば千葉県から訪れているとのこと・・・。
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場所は変わり、最初に紹介した伊賀上野城の近くにある俳聖殿。斬新で風格ある建物でした。
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殿内には等身大伊賀焼きの芭蕉像が安置されていました。
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国指定重要文化財。芭蕉の旅姿をあらわしているようです。
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芭蕉街という通りがありました。東海道に至る道です。
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町屋風の建物が散見され昔の面影を残していました。ここでも吟行の女性達を沢山みかけました。
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 4月上旬から5月上旬にかけて「伊賀上野NIINJYAフエスタ」が行われ賑やかなようです。12月には伊賀上野と縁が深い都内・上野恩賜公園でプレイベントが行われているようなので開催されれば今度出かけて見ましょう。
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次回は忍者屋敷を紹介してやっと伊賀上野から東海道宿場町の関宿へ前進できそうです。
*訪問いただきナイス!有り難うございました。
若紫さん、あや爺さん、安芸さん、yoshikoさん、yuyunekotanさん、tor*sh*batさん、まほもちさん、tuk*oさん、eigekaiさん、四季の光景さん、oume(sazanka)さん、
狂冶さん、クンシンさん、ぴよぴよさん、Ranさん、Hosiさん、きよちゃんさん、
後ほど訪問しコメント残します。
 
6泊7日の今回の旅の最初の訪問地、伊賀上野から記事はなかなか前へ進めません。
俳聖・松尾芭蕉伊賀流忍術のふるさと、藤堂藩の城下町として、伊勢街道の宿場町として栄えた伊賀上野は見所が多いです。
今回は松尾芭蕉関係の場所を巡る事にします。
伊賀鉄道、伊賀市駅まえの松尾芭蕉像です。
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中央が伊賀市駅、右手に芭蕉翁生家、芭蕉故郷塚があります。
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芭蕉翁誕生の地の碑…生家があります。芭蕉翁は正保元年(1644)、現伊賀市で生まれましたが、幼少より藤堂藩伊賀の侍大将藤堂新七郎に仕えて当主良忠とともに俳諧を学びましたが、良忠の没後奉公をやめました。
その後、江戸にでて俳諧師となり、37歳のときに「桃青門弟独吟20歌仙」を刊行、俳諧における地位を確立、ついに蕉風俳諧の祖と仰がれる新規の俳風を打ち立てました。
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立派な塀に沿って進みます。
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松尾芭蕉が伊賀上野で生まれたことは知っていましたが、生家が残っているとは・・・。当時のままではなく改変されているようですが・・・。明治18年(1885)松尾惣内のときの屋敷は、宅地面積86坪強だったようです。
松尾芭蕉生家です。
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入場券を購入し見学・・・。300円
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入ってすぐの部屋です。
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母屋から通り土間を老けて裏庭にいくと釣月庵がありました。
芭蕉は母屋ではなく庭に建てた6畳一間の庵に住んでいました。
(長男ではなく3男?でしたから・・・)
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庵の部屋の状況です。芭蕉翁が処女句集「貝おほい」を執筆したところで、伊賀へ帰省の折には、この建物で起居しました。
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 ここで芭蕉は自選の処女集である「貝おほひ」を執筆し、上野天神に奉納して江戸に下ったといわれています。
この「貝おほひ」は「三十番俳諧合」というごとく、芭蕉が郷里の上野の諸俳士の発句に自句を交えて、これを左右につがえて三十番の句合とし、、更に自ら判詞を記して勝負を定めたものである。
本書は29歳の芭蕉選集であるとともに、芭蕉の生前中自署し、自署として刊行した唯一の出版物です。
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1694年に無名庵を建てましたが、住んだのは半年くらい、建ててから1年半後に旅の途中、大阪南御堂花屋で死去、51歳。
絵や銅像ではお爺さんに見えますが今では働き盛りの年齢ですね。
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無名庵あとに建つ句碑・・・「冬 籠り  またよりそはん 此はしら 」
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生家西門付近の句碑…「古里や臍のをに泣としのくれ」
芭蕉については、愛染院、上野天神、蓑虫庵などなど次回に載せます。
 

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