東京訪ね歩き

,その時の話題に合った写真を沢山載せるので目で楽しんで下さい!!

旅行(関東・中部・北陸)

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最近腰痛がひどくなって悩んでいたら、娘夫婦が温泉に誘ってくれました。近くに住む姉も一緒、5名で群馬県の伊香保温泉へ・・・。座席に座っていられるか心配・・・腰に湿布薬を貼り、生ゴムの腰痛バンドを締めて・・・。
浦和の自宅を出て約1時間経つたので高坂SAで休憩・・・。自動販売機の傍の大きなウルトラマンが子供達に人気があります。
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高崎を経て渋川・・・昔2年あまり住んでいた家があった場所を訪ね、すっかり変貌した様子に驚いたのち、榛東村ワイナリーヘ。私は試飲したでけですが、娘は数本購入・・・あとでもらいました・・・。。
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数十年前に食事した店がまだあるかな?と立ち寄ってもらったらありました!!

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鹿火屋という御休み処です。
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囲炉裏があって店内は燻された懐かしい匂いがします。テレビの取材も多いようで壁に沢山写真が貼ってありました。
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食事をするつもりでしたが、メニューにないので葛餅味噌こんにゃくを注文。

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上州吉岡村・・・縞の合羽に三度笠の渡世人がふらりと入ってきそうです。おひかえなさって・・・手前生国は上州吉岡村・・・。
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上州名物「おっきりこみ」を食べるため、すぐ近くの店へ。
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大きな薪を燃やしていました・・・熱いくらいの火力でした。
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おつきりこみ」600円!・・・幅広の厚いうどんと多種な野菜・根菜の具、味噌味。甲府のほうとう(南瓜入り)」に似た食べ物です。私の地元の浦和辺りの蕎麦屋のメニューにある「けんちんうどん」(麺は幅広とは限りませんが…)にも似ています。
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伊香保温泉の案内板
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今夜泊まる伊香保温泉は通過してまづ榛名湖へ・・。赤城などの山々がみえます。
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道路の両側にはまだ雪が・・・。
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榛名湖に到着・・・何度も来ていますが、氷に覆われている湖は初めて見ました。
水面に榛名富士の姿がないのが一寸寂しい感じ・・・。
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街灯には人力車の飾り・・・。竹久夢二を連想しました。
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パノラマです。榛名湖は標高1084mで中禅寺湖についで2番目に高い湖、
榛名富士は標高1390,3m。
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マンホールの図柄は榛名富士・榛名湖、鳥と花(鳥と花の種類は調べておきます)
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伊香保温泉に戻り、ホテル(にチエックインしたのち石段へ。以前来たときより整備され、手前に石段が増えていました。
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これから365段・・・・。昨年、四国金比羅さんの785段の石段を上がれたので驚きませんが、今回は腰痛なので・・・。
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次回は伊香保温泉及び高崎・白衣観音を訪ねた様子を載せます。
腰の状況ですか・・・?2日間温泉に入っただけでは完治しませんが、少し良くなった気がします。暖かい今日の天気のせいかもしれませんが・・・。
*今日(3月17日)は暖かいですね!行きつけのイタリアンに行きシエフのお任せ料理を食べ赤ワインを飲んで帰ってきましたが暑い暑い!
部屋の温度は24,2℃になっていました。帰途、私が好きな郭信寺菩薩様のそばの河津桜が満開でした。近いうちに載せましょう。

東海道宿場町訪ね歩きの続きです。藤川宿の散策を終わり、藤川駅から名鉄で名鉄赤坂に移動しました。
赤坂宿の旅籠・大橋屋は今でも営業をしています。人気があってしかも毎日3組限定なのでなかなか予約がとれません。
大橋屋の予約がとれた日を基準に6泊7日の旅の全般を計画したので江戸に向けて進むことになりました。
*360年以上の歴史をもつ旅籠「大橋屋」は3月15日をもって営業を止めるようです・・・あと2週間余りですね。私は昨年5月・・・約9ケ月前に泊まれてラッキーでした。
これで江戸時代から続いている東海道の旅籠は1軒も無くなります。


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名鉄赤坂駅です…何と可愛らしい駅!赤坂宿は御油宿や吉田宿ととも飯盛女を多く抱えていて「御油や赤坂、吉田がなけりゃ、なんのよしみで江戸通い」と言われたほど昔は活気ある宿場町だったとようですが…。

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駅前の広場に丸ポスト…現役で頑張っています。

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赤坂紅里交差点に御油松並木の石柱と高札がありました。右へ行くと35宿・御油(江戸の方向)、左手の道路から歩いてきました。
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交差点の反対側には古い木造家屋が…、道路を左に進むと37宿・藤川宿(京都方向)です。
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尾崎屋という看板が 見えます。曲物をあつかう店のようです。
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一寸先に今夜泊まる「大橋屋」がありました。右手にいる小学校5年くらいの男の子が寄ってきて大橋屋の内部を見学したことがあると話してくれました。
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「旅籠 大橋屋」(豊川市指定建造物):享保18年(1733)の赤坂宿は、町屋をあわせて家屋400軒があつたがそのうち83軒が旅籠屋であった。大橋屋は旧屋号を鯉屋といい創業は慶安2年(1649)、現在の建物は正徳6年(1716)の建築といわれる。
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斜めから見てみましょう。享保18年(1733)時点で83軒の旅籠があったが、大橋屋はその中でも大旅籠に属していました。間口は9間、奥行きは23間ほどです。1921年(大正10年)、隣家で発生した火災で延焼し建物の三分の一が消失しました。松尾芭蕉や安藤広重なども宿泊したようです。
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安藤広重の浮世絵は「大橋屋」を描いたものです。
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マンホールの絵柄は、浮世絵そのままでした。
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松尾芭蕉が宿泊した部屋です。
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私が泊まった部屋は8畳と6畳の部屋でした。
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浮世絵に描かれているソテツがあるという浄泉寺を訪ねました。

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傍らの説明板には次の様な文章が記されていました。
このソテツは広重の東海道53次の内、赤坂「旅舎招婦図」と題されたはたご風景中に描かれたソテツである。明治20年頃、道路拡張により旅籠から当寺境内に移植された。推定樹齢270年、樹高3m、幹回り4,6m。
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風呂は懐かしい感じのもの…。
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襖に赤坂宿と書いてある部屋で夕食・・・。
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冷たいビールを飲みながら…。
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床の間には鷹羽狩行さんの句…「秋の暮いまも旅籠の大橋屋」。自筆でしょう…。
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夜の大橋屋の様子を写真に撮りたい…と話したところ2階の芭蕉が泊まった部屋の電気をつけてくれました。
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年を経た提灯…趣があります。
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名鉄の旅のポスター、大橋屋が使われています。
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玄関に入りました。
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のれんの下に見える階段を上がり部屋にいきます。
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大橋屋は夕食付き一人9,000円+消費税でした。(+酒代・・・)
営業されているご夫妻とも高齢で早起きして朝食を作るのは大変なので止めているとのことでした。
朝日新聞デジタル2月25日号を偶然今朝(2月26日)見て、冒頭に書いた3月15日で閉館及び19代目になる青木一洋さん(75歳、)妻の法子さん(69歳)であったことを知りました。心がこもったおもてなし、有難うございました。
*私のブログの記事もたまたま1400号という区切りのよさ・・・高齢で目の調子がいまいちの私もそろそろ閉館を考えたほうがいいかな・・・?

次回は
赤坂宿(36宿)から御油宿(34宿)まで歩いた様子を載せます。
やっと今回の旅の終わりが見えてきました。暖かくなったら健康維持のためあちこち歩き回りたいですね。
今日は東京マラソン・・・生憎小雨が降りそうな肌寒い日ですが何の問題もなく無事に終るように祈っています。
参加者は約36,000人、海外か約5,000人も参加するようですね。
私の中学同級生で、時々仲間たちと一緒に旅をしたり食事等しているN君も参加します。高齢者ですが、東京マラソンのほか国内・海外での各種マラソンにも参加している元気いっぱいの老ランナー(外見は若々しい)です。
他の仲間は私同様、腰痛、膝痛、その他色々な病名をつけられ無理できない身体・・・マラソンどころか100mも走れない状況なので驚異的な存在です。
しかも中小企業診断士としての仕事もまだ精力的に続け、暇を見ては海外のクルージングにも参加するなど余暇も楽しんでいる活動家。
軽く完走するでしょうが、何回も参加している東京マラソンで今回は何時間で走れるのか楽しみにしています。N君頑張れ!
追記;トラブルもなく無事に終了してよかったですね。N君から4時間49分で完走したというメールが届きました。われわれ仲間の会・フロー会の誇りです。(左側のフロー会のホールダーに会の活動記事が入っています。)
話は変わりますが、東海道藤川宿の続きを載せます。
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本陣跡が整備されていました。
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藤川宿の説明板:藤川宿は、慶長6年(1601)に伝馬朱印状が発給されて宿場町となりました。天保14年(1843)の記録では、戸数302、本陣、脇本陣各1、問屋場1、旅籠屋36、宿内人別1213人。
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本陣跡から街道方向を眺めました。

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本陣跡の説明板:
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本陣跡から鉄道線路方向を眺めました。
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右側・・・(旧)銭屋の建物。
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(旧)銭屋の格子
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右手の建物が(旧)米屋
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内部は資料館になっていました。たまたま休みの日だったので、裏庭で作業していた関係者の了解を得て土間から見せてもらいました。
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この日残念ながら室内に上がれませんでした。
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なんとなく懐かしい看板です。この薬の名は知りませんが・・・。
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(旧)米屋の格子です。
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問屋場跡:問屋場では、人馬荷物の継立、飛脚業務が実施されていました。
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問屋場跡の説明板:
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つるし雛を飾る家が目に入りました。
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藤川宿の高札場跡:高札とは、立て札ともいい、法度(はっと),掟書きなどを書いたものです。藤川には、当時掲げられていたものが、今も六枚残り、岡崎市指定文化財に指定されています。
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片界不動尊
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直進:東棒鼻、右:明星院  
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明星院です。
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歌川広重の浮世絵「藤川」です。藤川棒鼻図
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浮世絵と同じ場所と思われる東の棒鼻を整備したようです。浮世絵の後方は水面に見えるのでピントきませんが。この写真は道の駅にあった写真を撮ったものです。
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このちのマンホールの絵柄は岡崎市のものと同じ・・・ここも岡崎市内ですから。
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鉄道路線図:左下の東岡崎から3つめ藤川から4つ先の名電赤坂にこれから向かいます。松尾芭蕉も泊まった大橋屋という旅籠に泊まります。
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今日、2月22日は「竹島の日」ですね。我が日本の領土を不法に占拠している韓国人どもを出来るだけ早く駆逐する必要がありますね。我が領土であることは歴史的事実で疑う余地はありません。歴史を捏造、歪曲する韓国、中国に対し政府は世界各国に歴史的事実を強く広報するべきです。
次回は赤坂宿の様子を載せます。皆様お元気で!
*若紫さん、安芸さん、とーく飛騨さん、Hosiさん、yuyunekotanさん、てるさん、都の桜童子さん、コスモスさん、yoshikoさん、korutikamuさん、チョコママさん、
四季の光景さん、あや爺さん、m_london226さん、kusanokazeさん、こもれびさん、
きよちゃんさん、
ナイス!有難うございました。必ず貴ブログを訪ねコメント等を残します。
昨日は晴れて気温も15℃前後の暖かい日でしたが、今日は冷たい雨が降り気温も5℃くらいの寒い日でした。
北海道や東北などの雪景色を見ると寒いなどと言っては申し訳ない気がします。延べ15年あまり東北・北海道に住んでいたので厳しい冬の生活を体験していますが今はダメですね。
高齢のため寒い冬の間はなるべく外出を控えています。そのため自分の思い出の整理を兼ねて、昨年旅した東海道宿場めぐりの様子を継続して載せています。
今回は37番目の宿場・藤川宿について乗せます。伊賀上野から初めて名古屋・清洲・足助と東海道を外れて周りやっと藤川になりました。
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下の鉄道路線図で左下の東岡崎から右へ3つ目が藤川駅です。
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藤川駅に着きました。
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駅前に飛脚の可愛い石像がありました。
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駅の近くに大きな「道の駅」がありました。
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藤川は松を芭蕉が俳句に詠んだ「むらさき麦」が知られています。その名がついたきしめんを食べました。
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食事後、道の駅から線路を渡って反対側に出ました。駅前に徳川家康の胸像がありました。
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品川から数えて37番目の宿場町・藤川宿の案内図です。
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歌川広重が描いた藤川宿の絵です。どの場所を描いているのでしょう。
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むらさき麦は江戸時代から栽培されていたことはいろいろな書物から知られていましたが、いつしか作られなくなり、幻の麦となっていました。
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平成6年にやっと念願がかない、藤川の地に再現することが出来ました。
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毎年5月中旬から下旬にかけて趣のある色合いを出しています。
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西棒の鼻跡です。ここから1020メートル東に東棒の鼻跡があります。
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十王堂境内にある芭蕉句碑です。
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芭蕉の句「ここも三河 むらさき麦の かきつばた」
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藤川一里塚跡です。
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何も残っていないでこお標識だけでした。江戸から79里目です。
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東海道 藤川宿の標識 左手奥に脇本陣跡があります。
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脇本陣跡です。
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門だけが脇本陣橘屋当時のもで、資料館は無人の施設です。
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脇本陣跡には資料館が設置されています。
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次回は本陣跡や町並みなどを紹介します。
明日は雪が降り更に寒くなるようです。健康管理に気をつけましょう。


徳川家康生誕の地である岡崎の城下町、宿場町としての現在の様子を前回載せましたが、今回その続き載せます。
  
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赤い標識のある付近に岡崎宿の歴史を伝える20基の石像が並んでいます。
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伝馬町1丁目の風景。
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金のわらじ案内柱です。要所要所に立つています。
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二十七曲りの説明。
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伝馬交差点
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岡崎宿伝馬歴史プロムナード」と書かれた石碑。伝馬交差点から伝馬町1丁目の交差点にかけて伝馬通りの南北両歩道に並ぶ20基の石碑を見てあるくと歴史が分かり楽しいです。
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飯盛女(めしもりおんな)・・・旅籠屋で旅人の給仕や雑用をする女性であったが、三味線を弾き、唄や踊りを披露、時には夜の相手もをする遊女でした。


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あわ雪茶屋・・・岡崎宿の名物の食べ物といえば「あわ雪豆腐」、葛や山芋をベースにした醤油味のあんをかけてあんか豆腐で、岡崎宿を通行する旅人に親しまれました。
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矢作橋(矢矧橋)・・・岡崎宿を行く旅人にとつても、まだ見ぬ岡崎を思い浮べる人にとつても、街道の規模を誇るこの橋の勇壮さは関心が高いものでした。

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備前屋本店。初代が伝馬町で菓子屋を始めて、8代目という歴史があります。中でも江戸時代に東海道名物であった「あわ雪豆腐」の名を菓子に残し創作した「あわ雪」は三河を代表する銘菓のようです。
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伝馬町の常夜灯です。
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門前町1丁目の円頓寺です。
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統一的なルート案内として平成19年に設置が開始された「金のわらじ案内柱」です。柱の上にある金のわらじが目印。
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東海道二十七曲りの東のスタート地点。冠木門は要所にあったという木戸が再現されています。
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昨年の春に訪ねたときに撮った大手門です。
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岡崎城跡の説明
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天守閣。手前の石碑には家康の有名な言葉が刻まれています・・・「人の一生は重荷を背をって・・・」
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徳川家康像。
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八丁味噌の会社。
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岡崎市の市章ではありません・・・観光パンフレットの表紙です。
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次回は岡崎市藤川、芭蕉が「ここも三河むらさき麦のかきつばた」と詠んだ東海道37宿・藤川宿を載せます。
*若紫さん、都の桜童子さん、Hosiさん、yoshikoさん、korutikamさん、yuyunekotanさん、ranさん、あや爺さん、安芸さん、yuさん、とーく飛騨さん、チヨコままさん、団子屋さん、TUK*Oさん、きよちゃんさん、
ナイス!有難うございました。貴ブログを訪ねコメント等を残します。

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