|
前回、昨年から中途半端になっていた東海道の旅・続編として昨年載せた記事の要約を載せましたが、今回は東海道から外れますが、清洲城について載せましょう。
左足の打撲はかなり回復しましたが、昨日から日頃使っている大きな画面(48cm×27cm)のPCのインターネットが故障、回復不能な状況です。
別のノートPCで何とか記事を載せています。一難去ってまた一難・・・。
名古屋から東海道線で枇杷島の次が清洲です。JR清洲駅から線路沿いに約15分ほど名古屋駅方向に歩きます。
戦国の頃、尾張の国は守護代の織田氏が実権を握っていた。・・・
清洲織田家当主信友を、那古野城主・織田信長公は攻め滅ぼして清洲に入城し尾張の拠点にしました。
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで今川義元の軍勢を打ち破って・・・中略・・・しかし、天正10年(1582)の本能寺の変によりその志はう夢半ばで断たてしまいました。
以下の画像は、清洲町が町制100周年を迎えた平成元年4月、清洲のふれあい郷土館として再建された清洲城天主閣の様子です。
第七代城主・徳川義直の代の慶長15年(1610)、徳川家康は清洲城の廃都と名古屋遷都を命じ、3年後には「清洲越し」が完了しました。
清洲城は廃城となり、城下町は美濃路の宿場町と姿を変えていきました。
⑥松平忠吉⑦徳川義直
の銅像があります。
清洲城から移設されたといわれる名古屋城西北隅櫓(清洲櫓)です。
今から37年前に撮った写真です。この前で仲間と撮りました・・・当たり前ですがまだ若かった!この時には傍に濃姫の像はなかったと思います。
別に白黒の写真があった筈ですが見つかりません。
今回で3回この像を見ているわけです。
革命児ですから残虐な一面は気にしないことにします。
今、信長のような政治家、リーダーが必要ですね。
マジアカップ、日本対UAE戦も応援しなけらばいけませんね。日本頑張れ!!
(1;1のあと、PK戦で敗退・・・残念・・・)
*pcg-21さん、tuk**0sizuさん、yuさん、とーく飛騨さん、あや爺さん、yoshlkoさん、若紫さん、korutikam9さん、hosiささん、ranさん、eigekaiさん、四季の光景さん、安芸さん、コスモスさん、都の桜童子さん、まほもちさん、むつちゃんさん、きよちゃんさん、ぴよぴよさん、
ナイス!ありがとうございました。
後ほど貴ブログを必ず訪ね、コメントなど残します。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用


