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12月8日というと、私のような高齢者の頭に浮かぶのは、大東亜戦争(太平洋戦争)開始の日!
(しかし読売新聞でさえ、全然載っていないですね…。他の新聞はどうかあとで調べてみます。)
1941(昭和16年)12月8日早朝(現地時間午前7時49分)、日本軍(航空母艦6隻を基幹とする海軍機動部隊)がハワイオアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を攻撃し大東亜戦争(太平洋戦争)が勃発した日です。
戦艦アリゾナなど戦艦11隻を撃沈・撃破、400機近くの航空機を破壊し、攻撃の成功を告げるトラトラトラという暗号文が打電されました。
(*別の資料:撃沈・戦艦6、重巡1、輸送船3、撃破・戦艦2、重巡1、乙巡6、駆逐艦3、補助艦3、飛行機約300.わが方の損害は未帰還機28。米空母はちょうど出港していたので被害を免れた。)
少なくとも30分以上前に宣戦布告を米国に通知する予定であったのに、当時のワシントンにある日本大使館の不手際により、攻撃が開始されたのちに通知する結果となった。
そのため外交交渉中に日本は攻撃した!ダマシ討ちは卑怯!「リメンバー パールハーバー」を合言葉に国民の気持ちが一つになり日本に対する戦意が高揚しました。
こんなミスをした外交官たちは誰一人処罰されることもなく、責任者全員出世し、勲1等の勲章までもらっているようです。出世コースにのっている名誉ある外交官、切腹して責任とる…無理なら辞職、勲章を辞退する気骨がある人物が一人もいなかったとは…。
「日本の一番長い日」を見て、終戦時の陸軍大臣・阿南さんの姿が焼き付いているもので…。
リトアニアの領事館で数千枚のビザを出してユダヤ人を助けた外交官・杉浦千畝さんの実話が映画になっています。
ビザ発給は外務省の訓令に違反する行為でした。しかし杉原さんは、独断でビザを発行…世界中、特にユダヤ人の間では英雄ですが、戦後外務省が人員整理をしたときに彼も対象になり退職させられたとの事…出世コース・キヤリアでなかったので見捨てられたようです、
*渡部昇一氏の「国民の教育(産経新聞社刊)」の記事を紹介いたします。
外交官はサイテーだ…日本は昭和16年以降、宣戦布告をしないで真珠湾攻撃をしたというので、世界中から軽蔑され文句を言われ続けている。スニーク・アタック(奇襲)をした、だまし討ちをしたという批判である。
ところが、当時は、天皇陛下も東条首相も、永野修身海軍軍令部長も、それから連合艦隊司令長官の山本五十六も、スニーク・アタックする気など全くなかっのだ。
ところが当時のワシントンにある日本大使館は、外務省から「これから重要な電報が行きますよ」というパイロット電報の通達があったにもかかわらず、土曜日の夜は空っぽだった。
大使館員たちは送別パーティーか何かやつていて、外に出ていたというのである。翌朝、電報を見つけた海軍武官が慌てて大使館の人に教えたのだが、それから大使館では暗号を解き始めることになる。
ところが外務官でタイプを打つ人は一人しかいないうえに下手だったため、打ち直ししているうちに、どんどん時間がたって、時間内に文書が打ち終わらなかったのである。
午後1時(ワシントン現地時間)に国務長官に手渡せと、電報にはそう命令されていた。
もちろん野村大使も命令どうり、国務長官ハルにアポイントメントはとっていたもののタイプが仕上がらない。
タイプが仕上がったのは、日本からの命令の1時間後である。
最初の約束から、1時間ずらしてもらつて、それを持って、駐米日本大使は米国務長官のもとを訪れたが、その時にはもうすでに真珠湾攻撃が開始されていたというわけである。
大使館が命令通り午後1時に行っていれば、攻撃の前だから文句を言われることはなかった。
それを勝手に1時間延ばしたために、宣戦布告が事後になってしまったのである。
それで「外交交渉中に日本は攻撃した」と非難されることになった。
文書を渡す30分前には、日本軍は宣戦布告をしたもの思い、正々堂々と真珠湾を攻撃しているのである。
結果的に宣戦布告が遅れたことは、日本にとってものすごく不利な話であつた。
責任はすべて外務省の出先機関の大使館にあると言っていい。彼らが日本に恥をかかせ、大変な迷惑をかけた。
これによって日本は世界から非難ことになったのだ。
それまで戦争をしたくてたまらないが、国内で大きな反対があったためになかなか踏み切れなかったルーズベルト米大統領は、躍り上がって喜んだに違いない。
カウボーイの国では、先に銃に手をかけた方が卑怯者であり、殺されても文句はいえない。
アメリカ国民は、パールハーバーによつてカーッと頭に血が上り、
「卑劣なジャップめ」ということで、一挙に厭戦気分が吹っ飛んでしまったのである。
そんなことになってしまったのだから、当時の駐米日本大使館の責任者は、世界中にわかるかたちで責任をとればよかった。
「あれは日本が悪かったのではなく、わたしたちがサボったからです」そうはっきりと公の席で述べて、日本政府によってしかるべき処分をしてもらうべきであった。
もしも彼らが、ペンシュルベニア・アベニューにずらりと並んで、作法にのつとって切腹していてくれれば、日本の言い分は世界にはっきりと知れ渡ったに違いない。
そうなればスニーク・アタックの汚名も消えた筈である。
ところが誰一人として切腹はおろか目に見える処分を受けなかった。懲戒免職は言うに及ばず、減給くらいの処分さえ受けていないのではないか。
それが証拠に、責任者に該当する四人のうち、三人は外務大臣にjなり、残りの一人は国連大使になっている。
そのうえ、彼らは最後はみな勲一等をもらっているのだ。
しかも外務省は、それを最後まで公表しようとしなかった。
徳岡孝夫さんという人が、昭和61年1月号の「文芸春秋」にそのことを書いて「(誰が12月8日を国辱の日にしたか)」、初めてその事実が公表されたというわけである。
あれほど日本という国に迷惑をかけておきながら、何ひとつ責任をとらず、位人臣を極めるほど出世するとは何事かといいたい。
これこそが悪しき出世」コースなのである。
…次のページに「出世コースに乗らなかった人」として杉浦千畝さんが紹介されています。
*とーく飛騨さん、クンシンさん、若紫さん、awjp:reikoさん、eigekaiさん、りらっくまさん、korutikamuさん、四季の光さん、tuko*sizu*さん、帆立のnekoさん、yuさん、
都の桜童子さん、yoshikoさん、mak*to*ir*uさん、yuyunekotaさん、meiさん、
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