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今日も暖かい陽気ですが午後から雨になるようですね。 昨日も比較的暖かかったので浜松町の小便小僧に会ってきました。 しかし小便小僧の記事が3回も続いているので載せるのは数日後にします。 どんな衣装だったか楽しみにしていてください。 浜松町駅の隣の新橋駅から上野駅までの間を銀座通り等の大通りを避け裏道や横丁を史跡や古い家などを見物しながら歩きました。 JRの駅を6つ歩いたことになりますが、23区内の駅の間隔は短いのでたいした距離ではありません。(帰宅時の歩数は2万歩あまりでした) いずれ見た史跡や古い家などは紹介しますが、今回は「菜の花」を載せましょう。 どこで見かけた菜の花でしょうか?浜離宮には菜の花畑がありますがそこではありません。 菜の花畑といったらオーバーかな?菜の花花壇でしょうか・・・。 ビルの谷間にあります。 久安橋公園です。橋の下を流れているのは川の水ではなく高速道路を流れる車の列です。東京オリンピックのために楓川が埋め立てられ(暗渠?)高速道路になってしまいました。 橋の名前だけ残っている場所は都内に数多くあります。 久安橋公園の石碑には次のように刻まれていました。 「この橋は、江戸時代に松平越中守の屋敷前に架けられていましたが、明治維新で、江戸幕府の名残である「越中」の名がとられ「久安橋」となりました。 「久安橋」の名は、昔こお付近の御坊主久安の拝領地があってこれに因んで名ずけられたといわれています。 橋は関東大震災のあと建て替えれれ、皇居に近く東京駅正面に望む場所柄を考慮して、石を多く使った重みを感じられる「アーチ型」にしたものとおもわれます。 昭和39年、楓川が埋め立てられ、高速道路が開通したことで、この橋の周辺の景観は架設当時と大きく変わり、橋の象徴であつた親柱が取り外されたことなどから、利用者にとつても橋としての印象がうすい存在になっていました。 区は平成3年度に、自然石を使いデザインに「アーチ」の曲線を取り入れた橋梁の環境整備を行い人々に親しまれる」橋に装いを新たにしました。 平成4年2月 東京都中央区」 直進すると東京駅に出ます。 左端は東京駅で、公園(右下の青い色の場所)まで約650mの近さです。 次回はこの久安橋近くの三吉橋・中央区役所付近の様子をのせます。 意外な場所に古い家や美しい昔の建築物が残っています。 *東京オリンピック(1964年10月10日開会)のために江戸城の濠は埋め立てられ(数寄屋橋付近など)、川は埋め立てられたり(暗渠?)、川の上部に道路・高速道路が設けられたり、日本橋のように上部を道路が横断して自然の景観が失われてしまいました。
土地買収が不要で、工事期間も短縮できたのでやむを得ない面もありますが、美しい水の都・江戸の景観が破壊されゴミゴミした風景になってしまったのは残念なことです。 *これより以前、大平洋戦争の敗戦後の灰塵の処理のため江戸城の八重洲堀や多くの濠がゴミ処理場として使われ昭和24年(1949年)までの間に埋め立てられています。 水路網が発達した美しい水の都だった東京はこうして消えてしまいました。 |

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