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私ごときが・・・と思っていたけれど、
やっぱり書かずにはいられない。
 
中村勘三郎さんが逝ってしまった。
こんなに早く逝ってしまうなんて夢にも思っていなかった。
夢がひとつ消えてしまった。
 
はじめて観劇したのは小学六年生の時。
母に連れられて行った南座で当時の勘九郎さん(18代目勘三郎)と先代勘三郎さんとの親子共演だった。
演目は身代わり座禅。
あんなにお腹を抱えて笑った観劇ははじめてだった。
格式高き南座で私は涙を流してお腹がよじれるくらいに笑い転げた。
古典芸能の世界の魅力と舞台というエンターテインメントの素晴らしさ、
演者のプロフェッショナルさに触れた瞬間だった。
見終わったあとの私の中には、何とも言えない爽快感と一体感と高揚感が残った。
時が経ってもあの時の感激が薄れることはなかった。
今でも私の中で、キラキラと輝く綺羅星のように輝き続けている。
 
私のような経験をした人が、きっと数え切れない程いるだろう。
そしてみんなが勘三郎さんのファンになったと思う。
あれから年月がたち、私にも娘が生まれ、来年あの時の私と同じ小学六年生になる。
娘は私よりも舞台の魅力にはまっていて、年代的にももう
勘三郎さんの舞台を見てその素晴らしさにきっと感動するに違いなかった。
 
勘太郎さんが勘九郎さんになって歌舞伎座柿落としには勘三郎さんが帰ってくる。
その時には娘と一緒に南座へ観劇に行こう。いや、思い切って歌舞伎座まで行こうかな。
そんなことを考えていた。
 
でももう出来なくなってしまった。残念だけでは片付けられない。
呆然としてしまった。もう見れない。ただもう、ショックだった。
 
でも、六代目勘九郎さんの口上をテレビで見て、その言葉が一筋の光のように私の心に刺さった。
太陽のような人だった。きっとそのスピリッツに私たちは中村屋の舞台で会えるだろうと。
ただただ今は、ありがとうございました。その言葉を捧げたい。
同じ時代に生きることが出来て幸せでした。
日本のいや、海外でも多くの人がそうだったように、私も中村勘三郎さんが大好きでした。
型破りは型があるから型破り。
 
勘三郎さんはきっと舞台にいつもいる。
そう思ってまた、中村屋に会いに行きます。娘と一緒に。
ありがとうございました。安らかに。
絶対忘れません。
 

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まだ五十七歳という若さで惜しい人をなくしましたね。

2012/12/8(土) 午後 6:56 [ 悲歌慷慨 ]


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