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そして、今日の「大河ドラマ」は、大坂夏の陣 そもそも、豊臣家が滅んだのは、毛利家が動かなかったからである。 そのくせ、徳川期に毛利は「徳川を攻める準備は整いました。」「未だ時期は熟せぬ」と三文芝居を毎年正月にしたとか。 所詮、長州や薩摩(中央突破したのがどうした?)、損得でしか動かない大名。 だが、「秀頼が正当か」といわれると、黙らざるを得ない。 しかし、徳川幕府の正当性を問うた明治維新を先導した長州・薩摩に対しては、今まさに「明治維新」改め薩長の武力革命を改めて問うべきである。(おかしいかどうかではなく、制度疲労を起こしている。) 普通、人間のすること150年や260年持つはずが無い。 そこには、異常(でないかもしれませんが)な力が働き続けていると言うことでしょう。 企業なら30年。 しかし、わが国では100年以上、200年以上、1000年以上存続し続けている企業があるとか。 でも、不合理なものなら、”日本”でも続きません。 の「龍馬たちの挑戦」を観て、特別講演会−「龍馬と河田小龍」を聞いてきました。
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幕末
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「実に実に実に実に」切腹無念、武市瑞山の書状か 新たに見つかった武市瑞山の書状(高知市の土佐山内家宝物資料館で) 幕末の志士・坂本龍馬の盟友として知られ、土佐勤王党を主宰した武市(たけち)瑞山(半平太、1829〜65年)が、切腹直前に獄中から仲間に送ったとみられる書状が、高知市の土佐山内家宝物資料館で見つかった。 反論の機会すら与えられず、罪状を言い渡されたことに対し「実に絶言語申候(げんごにぜっしもうしそうろう)(言語道断だ)」と、「実に」を4度重ねており、同館は「志を遂げられなかった悔しさが生々しく伝わる」としている。13日から同館の特別展で公開される。 同館が、志士らの書状約20通をまとめた巻物を所蔵資料から見つけた。武市の書状は複数あり、あて先は不明だが、いずれも藩に捕らえられた1863年から切腹までの1年半の間に記されたらしい。 「実に」と書かれた書状は、65年の罪状言い渡しの直後のもの。病床から無理やり連れて行かれた取り調べの様子などを筆記。「皆々…所置(切腹)スル事」になるだろうとの覚悟を記して結んでいる。 明治時代の歴史書「維新土佐勤王史」には同様の内容は記されていたが、書状の所在は不明だった。武市は土佐藩の尊皇攘夷(じょうい)派のリーダー的存在で、龍馬も若い頃、土佐勤王党に加わっていた。 藤田雅子・同館学芸員は「武市の普段の字よりも小さいが、『実に』の字だけは大きく、無念さがわかる」と話している。 (2009年11月13日06時46分 読売新聞) |
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司馬遼太郎 「竜馬がゆく」(一)より |

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