お気楽主婦の乳がん闘病記

乳がん肺転移より10年8か月、骨転移より1年10か月経ちました。

●発症から再発●

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乳腺症から乳がんの手術まで。
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全摘手術から11年。




こんにちは。


11年前の今日、左胸の全摘手術を受けました。

上のカウントアップ時計の『左胸全摘手術より』で、今日のお昼の12時に4,017日になります。

日にちで行くと、11年前の1996年5月16日で丸11年、閏年が二回あるので

365X11+2=4,017


です。(また細かくてスミマセン。)

11年前はこのころハナミズキが咲いていたような気がするのですが、どんどん早くなってますね。




前に何回か書いていますが、4月25日、4月31日と部分切除をしました。

入院するときや手術前は全摘っていう事だったのですが、

結婚して二ヶ月しか経っていない私のことをかわいそうに思ってくれたのか、

主治医がなるべく小さく切ろうとしてくれたようです。


しかし1回目も2回目も、端片にがん細胞が見つかったので、一週おいて全摘手術を受けました。

一ヶ月の間に三回手術を受けたのです。さすがに最後に「やっぱり切らなくちゃ駄目だ。」と

主治医に言われたときにはすごいショックでしたね〜。

二回の部分切除でも乳房の形はあまり変わっていなかったようでした。

「これで終わりだったらどんなにいいだろう!」と欲も出ていましたから。


乳がんの手術は(昔の)内臓の手術と違って、手術翌日から歩くこともトイレに行くこともできますし

私はリンパに転移がなかったので傷も軽く、術後はすぐに手を挙げることもできました。


主治医も周りも「全部取っちゃったから安心だね。」と言い、私もそのつもりで居たのですが・・。

ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、約2年後の1998年8月に肺への転移がわかりました。

初期に発見されても、(一見)リンパに転移がなくても、転移する人はするんですね。


脅かすわけではありませんが、「100%○○だ。」とか「絶対△△。」と言う言葉を絶対に

使えないのが病気、というか、人生なのかも知れませんね〜。

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「肺に転移」の日〜3〜の続きです。)


肺に転移しているのがわかったのが、五日後には私の両親と夫と4人でのアラスカ旅行に出かける時でした。


問題は両親にどう言うかでした。乳がんの時も初めて父親が私の為に泣いたり


両親にとっては、本当に辛かったと思います。転移だ、再発だと言ったら、どんなに嘆くか・・。


そこで夫と「旅行が終わるまで黙っていよう。」と言う意見で一致しました。



そして、期待していなかったオーロラを見ることができたり、 氷河の滑落(私はトイレで見られませんでした、泣)


を見たり、父親も初めての海外旅行を満喫し、「今度はアメリカ西部をキャンピングカーで走りたい。」


なんていう始末でした。私も大好きなシアトルの街を親や夫に見せることができてすごく楽しい旅行でした。


最後に航空機会社のストのため、シアトルから直行で帰るところを


ダラス・フォートワースまで行ってから帰るというアクシデントもありまして


一日遅れで成田に着きました。




明日から入院という前の日に車で夫と実家に行って


「明日から入院だから。肺に転移したんだって。抗がん剤やるから髪の毛抜けるから・・。」と用件だけ言って


「じゃあね。」と言って帰ってきました。


後から聞いたら、その後大変だったとか・・。いなくてよかった。


メソメソしたり、されたりするのが一番いやなんです。


会社も休暇の後すぐの無期の入院なので、仕事の引き継ぎに大忙しでした。



このように、ばたばたと初めての抗がん剤治療の為の入院になりました。

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「肺に転移」の日〜2〜の続きです。)


ファミレスから一時ちょっと前に病院へ帰ってきて、少し待っていました。


名前を呼ばれて内科に入ると、年の頃50才くらいのめがねをかけた先生がいらっしゃいました。


挨拶をすると、「(乳腺外科の)○○先生はなんて言ってた〜?」


私の沈んだ心を察したように明るく聞いてきました。


私は言いたくなかったけど、「あの、肺に転移・・、と仰ってました。」


「そっか〜、そう言ってたか〜。」と慰めるように言いました。




もしかしたら、転移を自覚させようと、自分の口から言わせたのかもしれません。


そしてぺらぺらとカルテをめくると「あなたは、ホルモン剤が効かないんだね。」


「手術はどうですか?」


「転移性の肺がんは、多発性なんで、手術は出来ないんだよね。ほら、一カ所じゃないでしょ?」


と1cm大の腫瘍の他にぽつっとしている小さい物を指さして言いました。




実は私はこの時、手術を受けなくていいということにすごくほっとしました。


左胸を全摘するまで、一ヶ月の間で三回全身麻酔の手術しているので、全身麻酔の切れかかりの


あの、頭は覚醒しているんだけど体が動かないという、なんともしがたい経験はもう二度としたくないと


思っていました。放射線も多発性には使えないそうです。ですから、化学療法しか選択肢は


残っていなかったのです。




「8月の末に旅行を予定しているのですが、行けますか?」と聞くと


「何処行くの?アラスカ?良いね〜。あ〜、行っておいで。抗がん剤の入院はその後でいいから。」


とどんどん、入院の手はずを整えていってくれます。そんなに急いでもしょうがないのか、


やれる間にやっておいた方が良いっていうくらい、危機的状況なのか・・?


そしていろいろ抗がん剤の説明を聞いた後、「何か質問ある?」と言われたので


実は一番気になっていたことを聞いてみました。




「先生、子どもは産めますか?」すると、先生の顔が一瞬こわばり


「えっ!子どもいないのか〜?産めないことは無いけれど・・。」


わたしはその一言で、「私は子どもが産めないんだ。」と直感しました。


術後2年経っていましたが、まだもう少し経ってからと思っていました。


しかし、そんなに悠長なことも言っていられない年でしたから・・。




そして、次の質問です。


「親に言った方が良いでしょうか?」


「言った方がいいだろう。だって髪の毛抜けちゃうんだから。」




さ〜て、このことをアラスカに一緒に行く、私の両親にどう伝えよう??


それが直近の大きな悩みになりました。



(次回に続く)

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「肺に転移」の日〜1〜の続きです。)



その後、ふらふらと待合室に戻り、夫といすに腰掛けました。


あまりのショックに言葉も出ませんでした。「転移、転移、転移、アラスカ、アラスカ、仕事・・・・・。」


頭を駆けめぐっていました。


その後、午後からの内分泌科の予約を取ってくれた、申し訳なさそうな顔をした看護師さんが


「大丈夫ですか?一時にそちらの待合室で待っていて下さい。」


と外科とは違う内科の方の待合室を教えてくれました。


今でもその看護師さんの顔を思い出すことが出来ますよ〜。




夫は「ファックス来てたんだよ。」私は「知ってたよ・・。」


涙が目にわき上がってくるのがわかりましたが、大声でなんか泣くことができません。


あまりにショックだと、泣くことも出来ないのかも知れません。


実は「たぶん転移」と覚悟していたのかも知れないし、周りの乳がんの患者さんに


「あの人転移したんじゃない?」と感づかれるのもいやだったのかも知れません。




一時まで時間があったので、お昼にはまだ早いのですが、病院から出てファミレスに行きました。


物など食べる気になりませんでしたが、病院にいる気にもなれませんでした。


まずは、今日は出社出来ないことだけをイギリス人の上司に電話で伝えました。


「No problem! パール-san!」



年下の上司でしたが、すごくいい人で、気が合っていました。なんの問題も無いようでした。


イギリスから来たばかりの上司だったので、いろいろ相談も受けました。私も言いたいことを言いました。


彼には会社を辞めるときにも、すごくお世話になりました。




結局そのファミレスで、私は白玉ぜんざい(困ったときはあんこが食べたくなるようです、笑)を


夫は何か飲み物を頼みました。


「だいじょうぶだよ・・。」夫もなんだか元気がありません。


「だいじょうぶって、どう大丈夫なの?」「大丈夫じゃないんじゃないかな?」


「アラスカ行けるかな?」「親になんて言おう?」等々話をしました。




そして、失意のまま、一時からの診察を受けるために病院へ帰ったのです・・。



(長いので次回に続きます・・。)

「肺に転移」の日〜1〜

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おはようございます。


肺に転移していると言われたのが、1998年8月20日(金)でした。


トップページのカウントアップ時計が2日前の今日のお昼に2920日になります。


やはり閏年が二回入っているので、ちゃんと合ってますね〜。すごい!


前にもちょっと書いたことがありますが、その日の様子を振り返ってみたいと思います。




その日の二週間前くらいに、全摘手術(1996年5月)から半年ごとの検査の4回目に病院へ行きました。


外科の先生とは「どう?元気かい?」「おかげさまで・・。」という話をしました。


触診した後、「じゃ、レントゲン撮って帰ってね。その結果見てみるから・・。」と言われ


レントゲンを撮ってその日は帰りました。そしてその結果を聞きに行ったところ


ぺらぺらと、レントゲンの読み取り医師のコメントを見ていた先生の顔色が変わりました。


「肺門に腫瘍・・??」



先生もビックリしていたようで、今度はもっと正確なCTを撮ってみることになりました。


「せ、先生・・、転移していたら、ど、どうなるんでしょう?」


「そんなこと、その時に考えればいい・・。」と言い、2人ともなんだか動揺していました。




それから何日か後に、家の夫の机の上にたたんで置いてあった紙をふと見ると


「検査の結果はご家族と一緒に来てください。」というメッセージと主治医の名前が入った


ファックス用紙でした。留守電がいっぱいだったようで、ファックスで知らせたくれたらしいのです。




そのころ私はその年の1月から勤めていた銀行の仕事が忙しく、しかも8月の末から


私の両親と夫の4人で行くアラスカ旅行の事で頭がいっぱいでした。


留守の間の引き継ぎとかで、夫より家に帰るのが遅く、夫が先に見ていたようです。


でも夫はそのことを私には言わず、「検査の結果聞きに一緒に行くよ。」と言われました。


私も主治医からそんなメッセージを貰ったのが、がんが見つかったとき以来だったので


「どきっ!」としましたが、夫が言ってこないので私も見なかったふりをしていました。




当日、夫と診察室へ入って先生の話を聞きました。


「乳がんが肺に転移したようだ。」



と言うことでした・・。心臓がドキドキしてきました。。


それよりもショックだったことがこの先待っていたのです。




「転移しちゃうと科が変わるんだよね。だから午後にそっちの先生に見て貰って・・。」


再び「が〜ん!」



午後から会社へ行く予定だったのに・・(笑)。変な話なんですが、『転移した』と言う事実より


『見てもらう科がかわる(乳腺外科から内分泌科)、主治医が変わる』と言うことと、


会社に行けないという方がショックでした。


見放されたような気がして、断りの電話をするのがちょっと気が引けたのです。



(長いので、 次回に続きます・・・。)

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