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こんばんは。ご無沙汰しております。 今日は私の母が様子を見に来てくれて、一緒に昼食を取りました。 二日くらい前に、例の『四月誕生日の会』から二週間ぶりくらいに電話をかけてきました。私が日一日と 体調が悪くなっているとは、当然ですが、つゆ知らずだったようで「もう外出する時には車いすじゃない とだめかも・・。」などと言ったらびっくりしていました。 そうですよね〜、本人が一番驚いているんですから、二週間くらいで急に悪くなるなんて想像できないでしょう。 確かに私は乳がんが肺に転移して10年、骨に転移して1年以上たっていて、ついこの間まで電車で旅行など できていたわけですから、このところの変化は想像できない、というのが家族の気持ちだと思います。 今日は母になんとしてでも言っておきたいことがありました。 「いままで意地悪言ってごめんね。」 今まで、母と話しているとイライラしてきて、つらく当たることが多かったんです。いつも言いすぎたと 思っても後の祭り・・。なんでだったのでしょう? 「その時はむかっとしたけど、親子だよね、許せるんだよね。」 と言っていました。そして 「当たる人が私しかいないんだろうから、じっと我慢してた。私に甘えてたんだと思うよ。」 と言われました。 そうだったのかも知れません。がんのストレスなんかもあまりないほうだと思っていたんですが、やっぱり 心の中には何かあって、母親に(時には夫に)吐き出すことでストレス解消していたのかもしれません。 母の気持ちを考えると、子供のことが心配なのは当たり前だし、長生きして欲しいと思うのは当然です。 そう言う気持ちを「自分が悲しみたくないからじゃないの?」なんて言ったりして・・。 私としては、強がりではなく「大往生」だと思っています(笑)。だって、転移がんで11年生きて、その 大部分が抗がん剤治療などをしながらではありますが、普通の生活ができたのですから・・。 でも、残していく家族のことを考えると、やっぱりちょっとかわいそうだな、と思います。私が夫の立場 だったら、やっぱり不安だし「この先どうしよう。」と思うと思います。あまり私のことを引きずらないで 明るく生きて行って欲しい、それだけが願いです。 ファットボーイを使い始めた時の医師の指示は「安静時1〜2L/分、作業時2〜4L/分」だったのですが、 今は安静時でも4Lがちょうどいいくらいなんです。来週主治医に電話してみようと思っています。 家にいると、ちょっとは食事の用意をしたり洗濯物を畳んだりは(今は)できるので、体のためにも入院する より良いと思っています。入院したらほとんど歩かなくなってしまうでしょう。できる時は無理をせず、 普通の生活を続けたいと思います。 ただGWが明けたら夫も仕事に行かなくてはいけないので、介護保険のことも病院で相談したいと思います。 家族の負担のことも考えないといけないと思いますので。時間がかかりそうなので、どうなるかは「?」です。 これが今日現在の状況です。明日はまた違っているかもしれません。なかなか明るいことが書けなくなって きそうですが、記録のために、書ける時には書くようにしたいと思います。 訪問してくださり、読んでくださりありがとうございます。
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☆家族☆
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こんばんは〜。 夫が土日返上で仕事をしたので、上司が帰りにお寿司を持たせてくれたそうです。 御馳走になるお寿司ってなんておいしいんでしょう!!(爆) おいしかった♪
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コメント(21)
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こんにちは。数日、湯治へ行って今帰ってきました。 そっちにばっかり気を取られていたのですが、今日は13回目の結婚記念日だったのでした・・。 あやうく忘れるところでした。最近夫が超忙しいので、ほとんど私だけが遊んでいるのですが(爆)、 クリスマスなども金沢へ遊びに行ってそれで頭がいっぱいで、私はその気になってなかったりして・・^^;。 私も疲れてますし(本当か?)、今日はとりあえずお祝いの外食へ行ってきます〜。 留守の間もコメントありがとうございます。またゆっくり伺わせて頂きます〜。
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おはようございます〜!今日はとても寒いです。風邪などひかないようにご注意くださいね。 ブログを書くのが久しぶりになってしまいました。 昨日の朝の5時頃、電話が鳴ったような気がして目が覚めました。一回鳴って切れたような気がしたのですが、 ちょっと気になってそれからしばらく寝られませんでした。 午後に母から電話があり「叔父さん(母の兄弟)がさっき亡くなったって。」 関西に住んでいる叔父は数年前にあるがんであることがわかり、数年間は治療をしたのですが、この半年 ほどは積極的な治療はせず、ホスピスで悠々自適(笑)で暮らしていました。年末に母と金沢へ行った時に 「今年いっぱい位と言われている。」と叔父の家族が言っていたというので、金沢旅行ができるかどうか、 ハラハラしていた、と言っていました。 叔父は自分の病気のことはもちろん、余命も何度か更新されるのも(笑)聞いていて覚悟はもうとっくに できていて、家族とも十分にお別れができていたようです。ただ私などが気になっていたのは、叔父の母 (私の祖母)が去年の三月に亡くなったことを知らせていないことでした。それは叔父の家族の希望でも あったのです。 母曰く、「あの母子のきずなは深い。」・・。祖母が去年の今頃倒れて病院へ入院したことを告げた時、 すでに闘病中だった叔父はすごく泣いたのだそうです。家族がなだめるのに大変だったとか・・。 その2か月後に祖母は亡くなったのですが、「決して言ってくれるな。」と私の母などは口止めされたそうです。 叔父がまだ自分の母親が入院していて元気だと思っていたかどうかはわかりません。もし元気だと信じて いたら、自分の人生の最後に「もう一度会いたい。」と思ったり、「声だけでも。」と思ったりするのでは ないかと思うのですが、もちろん、逢いに出かけられるような体調ではないし、祖母が声も発せられないと 言えば、納得したのかもしれません。 でも私は叔父はなんとなく感づいていたのでは・・、「自分のために周りのみんなが嘘をついている。」って わかっていたのではないか・・、と思うのです。そして騙されているふりをしたまま亡くなったのでは、 と・・。 わかっていても、自分の母がまだ元気で生きている、と思い込むことで、自分も奮い立たせていたのでしょうか? それとも、家族の思いやりをうれしく思っていたのでしょうか? 転移がん患者としては、ずいぶん長く生きることができたような気がします。死の恐怖もたぶん払拭して 居たのではないでしょうか?年を越せるかどうかと言われていたのに、数日長く生きました。 私の母とは最期に電話で話をしたそうです。か細い声で「ありがとう・・。」と言っていたそうです。 生まれた地から遠く離れて暮らし、ずいぶん苦労もしたんだろうと思います。あまり会ったことのない叔父 ですが、土に帰ることで人間の一サイクルを全うしたのだと思います。それに対して「お疲れ様でした。」 と言いたいです。 叔父の家族の希望で「お葬式は兄弟だけで・・。」というので、私も妹も行かないのですが、遠くの地から 冥福を祈りたいと思います。 |
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こんばんは。 私の父は去年喜寿でした。しかし、父の車はランクル、一言で言えばジープのような車を持っています。 昔から普通の乗用車には乗ったことがありません。いつも買うのはジープやランドクルーザー、ちょっと 前にはやりましたが、そんな車が珍しかった頃から、そういう車に乗っていました。アウトドアがもともと 好きだったからです。 私たちが小さい頃はスキー場に連れて行ってもらったり、父母の実家などにもよく出かけていました。 私たちが成人するころには、年末年始は一人で車でどこかへ旅行へ行ってしまい、一人でお正月を車で 迎えるようなことをしていました。初日の出を見ながら持って行ったお節料理などを食べながら・・。 父は根っからのロマンチストなのです(笑)。 70歳に近くなるころから、ちょっとした事故やどこかに車をぶつけてしまうことが多くなりました。 完全に年のせいで、感覚やら運動神経が鈍ったために起こしていたようです。 5年ほど前からは耳も遠くなって補聴器を入れるようになりました。しかし、補聴器をずっと入れて おくのも疲れるらしく(なんとなくわかりますが・・。)、運転しているときに入れていないことあることが 判明!私たち家族は「お願いだから車の運転を止めてくれ。」と何回も言い続けていました。でも 「高速道路は走らないから大丈夫。」などとしらっとしていました。 母は「何かがあるまではやめないと思う。」と言っていました。 「何を言っているの!何かがあってからでは遅いでしょ?!」 今まで真面目に生きてきて人生の最後に人にけがをさせてしまったり、人生を奪ってしまったら、今までの 人生がすべて泡になってしまいます。孫たちは「あの人の孫だ。」という目で見られてしまいます。 一人で事故って、一人で死ぬならいいのです。「人を巻き込んでしまったら。」と、それだけが心配でした。 今の父が運転するただ一つの目的は、「名水」と呼ばれている水を汲みに行くことです。往復で5時間くらい かけて行くのだろうと思います。それをタンクにいっぱい汲んで持って帰って、自分の家や妹たちの家で 使っているのです。何度「もう水は良いから運転は止めてくれ。」と言っても聞かなかったのです。 しかし、最近家族で実力行使に出ることにしました。考えたのは『浄水器』です。「浄水器を買うから もう水は汲みに行かなくていい。」と言うことにしたようです。父は「おれのたった一つの楽しみが 無くなっちゃう。」と言っていたそうですが、帰ってくるまでハラハラしている家族としてはこれ以上 心配しなくていいのはとても助かります。 本当は車も免許証も手放してほしいのですが、大きな地震で家が倒壊した時などに大きな車があれば、 足を延ばして休みことができるから、などと言い、手放すことはしないのではないかと思います。 まあ乗らないのであれば構わないのだろうと思いますが。 本当はもっと早くに自分から「運転止める。」と言ってほしかったのですが、自分はまだまだ大丈夫だと 過信し続けている父でした。同じような年の人がどんどん運転を止めていく中、大きな車を運転するのは ちょっと「エヘン!」と言う感じだったのだと思います。「若いな〜。」と言われるのが、うれしくて たまらなかったのかも知れません。「年を取った。」と認めるのはさびしいことなのかも知れません。 でも車も一つ間違えば立派な凶器です。 もともと趣味が多い人ではあるのですが、車の運転以外の楽しみを見つけて、そろそろゆっくり生活して 欲しいものです。
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