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おはようございます。 朝から気になっていた方のブログへ行ってみました。ご家族のコメントが載っていて、亡くなったことが 書かれていました。 ちょっと前までお元気だったので本当にびっくりしました。希望を持って明るくがんと向き合っていた方 でした。 ご冥福をお祈りいたします。
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○患者さん話○
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入院中に知り合った方がどんな症状でどんな方だったか、覚えている限りですが書いていきます。
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こんにちわ。 昨日、気になっていたので思い切って友人に携帯でメールを出しました。 しばらくしてご主人から返信が来ました。 11月の始めにお亡くなりになったということです。その10日前にはメールの交換をしていました。 なんとなく調子が悪そうだったので、そんな予感もしていたのですが、やっぱりショックです。 病院で仲良くなった人がいなくなってしまいました。 最近頭を巡っているのは「なんで私が生きているのか・・?」という疑問です。 がんの種類(乳がんの中での)の違いなど、いろいろあるのでしょうが たぶん、医者もわからないと思います。そう、誰もわからないんですよね。 考えても悩んでもわからないことは、気にしていてもしょうがありません。 その時がいつきても良いように、今を楽しく思い切り生きることしかないかも知れないですね。 ○○さんのご冥福をお祈りします。いろいろお世話になりました。
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おはようございます。朝から蒸しています。さっきまで薄日が差していました。 昨日の夕方、2005年2月に入院した時アドレス交換したPさんからメールがありました。 Pさんは乳がんから、肺に転移していて、気管をがんが圧迫しているらしく 声が枯れちゃっていることは聞いていました。 大体の内容は、 MRIで、脳に小さな腫瘍が見つかりました。ちょっと前から目がおかしかったので そのせいかもしれません。一ヶ月入院して放射線治療を行います。脳転移の事例を知ってますか? 最近玄米ご飯を食べ始めました。美味しくないのですが、美味しく食べられる方法知ってる? ショックでした。私の親しかった人で脳転移は二人目です。 「そういうのもあるよ。」と返信しました。 玄米は私も食べていないのでわかりません。 もしどなたかお勧めの食べ方など教えて頂くとありがたいのですが・・。 PさんやPさんのご家族が、それをどうやって受け止めたかを考えると心が痛みます 「人は必ず死ぬ。」と日頃から言っている私ですが、身近にそういう事があると なんとか、死に方を選ぶことは出来ないか?などと考えてしまいます。 どこまで辛い思いをさせたら気がすむんだろう Pさんが苦痛が無く、精神的にも安定して治療を受けられることを望みます。
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おはようございます! 肺に転移して最初の抗がん剤治療の時(1998年9月)ナベルビンの治験の為に述べ120日間入院したときに いろいろな乳がんの転移、再発の患者さんに会いました。久しぶりにこのシリーズです。 Dさんは私と同い年で、来年小学校に入るという息子さんのお母さんでした。 胸にしこりがあるのを知っていながら、(本人曰く)鬱状態になっていたので放っておいたそうです。 どのくらい経ってからかは忘れましたが、病院に来たときには乳房の表面をがんが突き破っていて 臭いも外から感じることができました。もちろん切除は無理だったそうです。しかし、最初にやった抗が ん剤が効いてみるみるお乳の腫れも引き、臭いもどんどん無くなってきました。 結局は一時的に効いていた抗がん剤も効かなくなり、いくつか抗がん剤を試した後、入院してから 9ヶ月後くらいで亡くなりました。 Dさんは、自分が鬱でこんなに病院に来るのが遅れたのを、主治医にとがめられると思ったそうです。 しかし、その主治医(私と同じ医師)が 「そうか、そうか、つらかっただろう。」と言ってくれたので、すごく気が楽になったそうです。 私はこの先生の彼女に対する態度に好感を持ちました。今更何を言っても彼女を苦しめ後悔させる だけだっただろうし・・。それにDさんは、Dさんでそうやって自分の人生を自分で選んだわけですから。 それを尊重してくれた主治医はDさんにとって精神的に救いの神に見えたのではないかと思います。 Dさんが胸のしこりに気づいてすぐに病院に行っていたら、今も健在だったかどうかわかりません。 でもDさんはDさんの意思で病院にすぐ行かなかったのです。Dさんがそう選択したのですから 部外者は何も言える立場ではありません。DさんがDさんの人生を全うしたと言うこと以外・・。
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Zさんはわたしより10歳くらい年上で高校生の2人のお子さんのお母さんでした。 私が肺に転移して入院していた1998年10月くらいに病院で知り合いました。 丁度、乳がんを手術したのが二年くらい前でほぼ一緒でした。 何回か話をしているうちに、彼女の実家の近くの中国医学の先生を紹介されました。 紹介されてその後、3年の間週に一回電車で片道1〜3時間(特急、鈍行により変わる) かけて通いました。 それはともかく、Zさんは私と同じく肺に転移していました。 タキソテールという薬を始めてしばらくして1999年6月には肺からがんが消えたそうです。 Zさんは抗がん剤、中国医学、そしてずっと信仰している宗教のせいで治ったと信じていました。 Zさんが再び調子が悪くなったと聞いたのは翌年2000年の夏でした。 消えていた肺のがんが今度は肝臓で見つかったそうです。 それから二ヶ月後の10月にとうとう痛みが我慢しきれずに自分から入院したいと言ったそうです。 そして年も押し迫った2000年12月に亡くなりました。 Zさんは中国医学の先生の「抗がん剤は百害あって一利なしだよ。」という言葉に従って 肝臓に転移していることがわかってもかたくなに病院へ行くのを拒んでいたということです。 私はお葬式に出席しませんでした。 半年ほどたっておうちにお参りに行った時、ご主人がしみじみ仰っていました。 「痛みが出たら病院へ行った方が良いかもね・・。」 そしてこれは中国医学の先生から伺ったことですが 「先生の言うことを聞いていたばかりにがんが悪くなった。どうして私のがんを治してくれないのか。」 などと今度は中国医学の先生を責めながら亡くなったらしいのです。 Zさんの最期を見ていて感じたことは、いろいろな面で 「他力本願ではいけないのだな。最後は自分(たち)で決めないといけないんだ。」 と言うことでした。 自分が信じていたのに思い通りにならなかったからと言って 逆恨みしてもしょうがないんじゃないかな、と思いましたが・・。 Zさんのご主人が私の夫に最後に言っていた 「今までいたのがいなくなると寂しいよ〜、大事にしてね。」 という言葉が、Zさんのご主人の本当の気持ちなんだと思いました。 (写真はワシントン大学の構内の桜です)
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