アメリカ便り Letters from the Americas

様々なアメリカ&メキシコ事情と両国の小話

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       「JAP通り名を変えたサンドラ先生」上
 
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            サンドラ・タナマチ先生(www.hirasaki.net/family_stories/mayumi/)
 テキサス親父の愛称で親しまれている、トニー・マラーノ氏が始めた、ホワイト・ハウス宛てへの「グレンデール市の慰安婦像の撤去を請願する署名」がついに100,000を超え、連邦政府がこの件の調査に乗り出すことになったのは、大変喜ばしいことである。
さて、この記事を読んで24 年前、テキサス州の一寒村から始まった、全米規模の「JAP通り」名の変更に関する運動を思い出した。というのは、JAP通りと慰安婦像は日本と日本人への偏見と侮蔑を象徴する点が似ているからである。
以下は日系二世・サンドラ・タナマチ先生の「偏見と侮蔑の象徴である、JAP通り名」を変えた、同胞愛に燃える、不屈の14年間にも及んだ奮闘記である。           
             
                            JAP通り名変更を求める 
 発端は24年前の1990年だった。テキサス南部・ヒューストン市近郊のボーモント市の学校教師・サンドラ・タナマチ先生は、彼女の父と叔父たちが生まれ育った同市の近くにある、ファネット・タウンの大通りにつけられた、「JAP Road-ジャップ通り」名の変更を求める運動を開始した。(ファネットは人口が少ないため自治体ではなくunincorporated townと位置づけられ、ジェファーソン郡役所の管轄下にある)
 
 タナマチ先生はこの言葉を聞くと、第二次大戦中、彼女の母親と家族が敵性外国人強制収容所に “JAP”と呼ばれて収監されていたという記憶と、母親たちが受けた人種差別の苦痛を思い出すのである。JAPJapaneseの略語であり、英語圏に於ける日本、日本人に対する侮辱語、差別語なのである。
 
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  ファネットにあった「JAP通り」の道路標識(www.hirasaki.net/family_stories_mayumi)
 タナマチ先生が始めた、通り名変更のキャンペーンは、ヒューストンの日系米国市民同盟(JACL)、反名誉棄損同盟(ADL)、米国陸軍歩兵第36師団、その他の有力な市民団体の協力、援助を受けたが、地元住民、役所を説得するには至らなかった。
何故36師団が「JAP通り」名変更に協力したのか、見当もつかなかったが、やがてタナマチ先生と36師団は深い絆で結ばれていることが分かった。くわしくは(下巻)で触れることにしたい。
 
 同年年末、タナマチ先生はテキサス州議会のジム・ソリス議員の協力を得て、「テキサス特定人種、宗教に対する偏見に基づく憎悪による犯罪法」に公道及び公共の場所に於ける人種的侮辱を禁止する、という修正事項を付加えることを意図したが、法案裁決前に政治取引が行われて、廃案となってしまった。
 
 1995年、キャンペーンのもう一人の主役クワハラが登場した。
その日ハワイ出身の日系米国人・トーマス・クワハラはヒューストンからサン・アントニオに向かう途中、たまたまJAP通りを通りかかった。自分の同胞、先祖を侮辱する言葉である「JAP」が公道に付けられているのを見て、クワハラは憤慨すると同時に大きなショックを受けた。
ルイジアナの自宅に帰った、ヘリコプター・パイロットのクワハラは数ヵ月に亘って、テキサス州の議員、州、郡関係者からこの件に関する話を聞いて廻ったが、収穫はなかった。が、しばらくして問題の道路がある、ジェファーソン郡郡政委員commissioner)のマーク・ドミンゲから、タナマチ先生が郡役所に提出した「JAP通り」に関する書類とファネットに関する資料がクワハラに送られてきた。
 
     マユミ兄弟、陸稲栽培技術を伝授
 この資料を読んだクワハラは、やっとJAP通りを巡る問題点が理解出来た。
資料によると、20世紀初頭、ヨシオとヤスオ・マユミ兄弟はファネットに1734エーカー(700万㎡‐東京ドーム150個分)の土地を購入して米作農場を開いている。二人は農作業のかたわら、日本式陸稲栽培技術を付近の農民にも伝授したのである。
そのお蔭で、米は今でもジェファーソン郡の主要農産物になっている。1905年頃、二人の義挙に感謝した農民たちは、マユミ農場に通じる道路の建設を手伝って、恩返しをしたと伝えられている。更に農民たちはマユミ兄弟の恩義を徳として、その道路を「JAP通り」と命名したのである。
従って「人種差別的意図」は全くないとファネットの住民たちは断言し、JAP通りはファネットの歴史的文化遺産であり、「よそ者や役所」の圧力によって名称を変えることなど考えられない、と主張するのである。
 
 「JAP通り」名の経緯が分かったクワハラは、タナマチ先生と力を合わせる必要を感じ、彼女を探し始めた。
所要で故郷のハワイを訪ねた彼は、友人のホノルル・アドバタイザー紙のコラムニストである、リー・カタル―ナにJAP通りについて語ったところ、カタル―ナは大きな関心を示しコラムに問題のいきさつを書いてくれた。
すると、幸運にもこの記事を読んだタナマチ先生の一友人が、記事とクワハラの連絡先を彼女に送ってくれたのである。こうしてようやく連絡が取れた二人は、共同して「JAP通りの名称変更キャンペーン」に当たることになった。
 
 2001年になると、元シアトル日系米国市民同盟会長であり、人権活動家のシャロン・ソビー・セイモアが「通りの名変更運動」の活動家リストに加わった。彼女は道路の名前を聞いただけで激怒した、と言う。
その他、有力な助っ人が続々キャンペーンに加わった。例えば、Chink’s Peak(シナ人山)という中国人に対する蔑称がついた山の名を変えさせた実績を持つ、アイダホのミッキー・カワカミ、サン・フランシスコの人権問題専門の弁護士・デール・ミナミ等の実力者がキャンペーンに加わった。タナマチとクワハラはこれらの人たちとCCJRJAP通り名を変える委員会-Committee to change JAP Road-)を結成した。
 
 そしてタナマチとクワハラは1992年から名称変更運動を行っているタナマチの仲間たちの他に、CCJRの活動を法律面から援助してもらうために、反名誉棄損同盟(ADL)に協力する、ヒューストンのスコット・ニューワー弁護士と顧問契約を結ぶとともに、黒人向上協会(NAACP)のキャンペーンへの協力も取り付けた。
 
 更に2003123日に行われた記者会見に於いて、タナマチ、クワハラとニューワー弁護士は、連邦政府の運輸省、住宅土地開発省を、告訴したと発表した。要するに「全国の道路、州際高速道路を管轄する両省、特に運輸省は道路名が『人種差別的でないことを監督する責任がある』としたのである」
告訴状に名を連ねた団体は、ヒューストン・反名誉棄損同盟、日系米国市民同盟、中国系アメリカ人協会(Organization of Chinese Americans)、米国ラテン系市民同盟(LULAC),アメリカ市民的自由同盟(ACLU)、アジア・太平洋・米国法律家協会等だった。
中国系アメリカ人までが名を連ねる「この告訴」により、JAP通り問題は米国中のメディアの関心を呼び起こし、全国区ニュースになって、テキサス州ジェファーソン郡の郡政委員たちをあわてさせた。それにしても10年前、中国人たちが日系人のキャンペーンを応援したとは、今となっては信じられないことだ。
 
       マユミは日本の地主、銀行家、国会議員だった
 さらに、筆者は片手落ちにならないように、ファネット側の事情も調べてみた。
問題の5.6㌔㍍のJAP通りには、現在日系人も含む150人が住んでおり、そのうち144人がJAP通り名存続に賛成している。彼らにとってJAP通りは部落の歴史であり、文化遺産であり、JAPが日本人を侮辱する差別語である、という意識は全くない、と主張する。
その証拠として、当時のファネットの日本の隣人たちは、自分たちの名字が上手く発音出来なかったことから、彼ら自身を「JAPS」と自称していたとも証言している。
 
よく調べてみると、ヨシオ・マユミ氏は裕福な日本の地主、銀行家であり、国会議員でもあった、とThomas Walls著「The Japanese Texans」に記されている。同書は1908年には、705エーカーのマユミ農地から米7トンの収穫があったことも記録している。
そしてマユミ兄弟は、20世紀初頭、テキサス政府から要請されて、陸稲栽培を指導するためにテキサス入りをした、という説があることも記しておきたい。とにかくマユミ兄弟は、非の打ちどころのない立派な人物だったことが分かる。
なお、マユミ兄弟は米国の「1924年移民法」が施行された1924年、帰国している。
 
 一方「JAP通り名を変える委員会(CCJR)」と「反名誉棄損同盟(ADL)」は通り名変更に関して、1993年からこの運動に理解を示していた、ボーモント市の住民である、元陸軍歩兵第36師団の退役軍人マリオン・ファーグソンにも協力を求めた。同氏は人権市民団体のメンバーとファネット村住民との会談及びタナマチ、クワハラを初めとする、「JAP通り反対派」と住民との話し合いに向けて、「あくまでも目的を貫こう」という強い意志を持って、郡政委員並びに住民に働きかけてくれた。
 
        JAPは差別語か否や?
 2004年に入ると、ようやく通り名変更を求める日系人側も、反対するファネット住民側も「JAPの意味、解釈」そのものが、両者の対立の原点であることに気付くのである。「JAPは差別語か否や?」が大きな焦点となった。
 
 そして、地元テキサスの人間である、ファーグソンの説得が功を奏し、先ず公聴会を開いて、両者の言い分を聞いたうえで、五人の郡役所の郡政委員(commissioner-日本の議員にあたる)が通り名変更の是非を裁決しよう、との合意に到着したのである。
公聴会に先立って525日には、人権市民団体とファネット住民側の会談もセットされ、公聴会は719日に開催されることが決定した。
 
 ファネットの住民たちは「文化遺産」と考え、日系人は「日本人への侮辱」と見る、「JAP通り」の名称を巡る、両者のプライドとプライドの衝突は、ようやく2004719日に最終局面を迎えることになった。
思えばタナマチ先生のキャンペーン開始から14年の長い年月が経っていた。
 
 さて次回はタナマチ先生と縁がある、強力な助っ人の登場を得て、JAP通り問題は大団円を迎えるのである。
 
(上)の終り
 

閉じる コメント(6)

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富田さん
新年早々良い話題を発掘されましたね。テキサス親父に匹敵するサンドラ先生の話、地元に住んでいなければ見つけ出せない貴重な話題です。アメリカ便りの眞骨頂発揮と言えます。後編を楽しみにしています。
下記にトラックバックを貼らせて貰いました。

http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/34011097.html

2014/1/10(金) 午前 2:28 [ 和田好司2 ] 返信する

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富田様 大変面白いお話し有り難うございました。愛称と蔑称の話があるのですね。シェアさせて頂きます。 削除

2014/1/10(金) 午前 6:40 [ 辻良二 ] 返信する

冨田さん

偏見と差別をなくしていくには、
大きな力と長い時間がかかりますね。

サンドラ先生の力と忍耐で、
JAP通りの名前を変えたという
今回の話題に乾杯です。

続きを楽しみにしてます。

2014/1/10(金) 午前 6:40 saburo 返信する

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和田さん、次回は感動的です。乞うご期待!

2014/1/11(土) 午前 9:33 Ricardo 返信する

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辻さん、
ヨシオ・マユミという明治時代の国会議員を探しています。助けて頂けますか?
JAP Roadは彼に対する感謝の気持ちを表したのだそうです。お暇なときに、お願いします。

2014/1/11(土) 午前 9:37 Ricardo 返信する

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Sabuさん、コメント、ありがとうございます。
14年ですからね、すごい馬力です。
そして奥ゆかしい人なのです。次回を楽しみに。

2014/1/11(土) 午前 9:40 Ricardo 返信する

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