グルジア紛争は、ロシアが和平6原則に同意した後も軍をグルジア中部まで侵攻させ続け、その支配地域ではグルジア人の拉致と強制収容やら村落の破壊が続いている。中部ゴリ市では、戦闘の終結宣言後も家を追われ、逃げてくる避難民が絶え無いのだ。 グルジア中部ゴリの難民キャンプでは過酷な環境の中でも健気に遊ぶ子供たちの姿が見られた
ゴリ市を管轄するシダカルトリ地方のバルゼラシビリ知事は「今もゴリ北方の32のグルジア人村落に立ち入れずにいる。これら地域では停戦後、把握しているだけで16人の住民が殺害された。戦闘終了後も追い出される住民が相次いでおり、戻れないように村のすべての住居が焼かれている」と強調し、「ロシア軍は停戦合意によって存在してはならない所に駐留している。ここで起きていることは大量殺りくだと憤る。 かつてソ連と米国は宿命的なライバル関係にあった。ところが1991年にソ連が崩壊してロシア連邦となって以来、旧ソビエト連邦だった国のうちいくつかは親西欧の立場を取るようになってきている。グルジアやウクライナがその代表格だ。グルジアのサーカシビリ大統領、ウクライナのユーシェンコ大統領は親欧米派の姿勢を明確に打ち出している。 http://sankei.jp.msn.com/photos/world/europe/080830/erp0808302311003-p2.jpg グルジア中部ゴリの難民キャンプでは、家を失った人々が先の見えないテント生活を続けている この国には、分離独立を求める南オセチア自治州がある。ロシア連邦政府は以前からこの南オセチア自治州に平和維持軍を駐留させ支援していた。そして8月にグルジアは南オセチア自治州へ侵攻、ロシアもグルジア領内まで軍事介入して、両軍の間で紛争がおこったというい事件である。このグルジア紛争をロシアとアメリカとの新しい冷戦と見る動きもあった。
つまり、これまではグルジアのサーカシビリ大統領が、背後に米国軍事顧問がいることを頼みに、勇み足で南オセチア自治州に侵攻したと思われていたわけだが、さらにウクライナまでが軍事協力していたということが明らかになったのだ。グルジアはウクライナの武器を使って南オセチアに侵攻したのだ しかも「ウクライナの協力」は、生半可なものではなかった。ユーシェンコ大統領はわざわざ自国の軍隊の武装を解除して戦車やミサイルなどを提供していたのである(一般に、一国の軍隊が武装解除するのは大変な事態だというどだ)。そしてグルジアはその借りた武器を使って、南オセチアに侵攻した。 ウクライナは、グルジアのサーカシビリ大統領から武器を貸与してほしいと依頼されて承諾したのだろう。しかし「自国を守るための武器を、よその国に貸してあげる」という、極めて異常な事実を聞かされたウクライナ国民も驚いたことだろう。
このスクープでウクライナのユーシェンコ大統領の立場は悪化した。前述した通りユーシェンコ大統領は親欧米派。ところが彼と連立を組んでいるティモシェンコ首相はいつの間にか親欧米路線を捨ててロシアとも話をすべきだという態度になっている。実際彼女はグルジア紛争以後、ロシアのプーチン首相と会って何やら密談している。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2008年11月14日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]





