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今度は日本が学ばなければ。
大東亜戦争中、インドネシアは日本軍が軍政を敷いていました。この軍政ではインドネシア語を公用語とし、PETAという郷土防衛義勇軍を創ってその中で士官学校の内容を取り入れ教育し、官吏学校、医科大学、農家大学などを設立し、10万名のエリートを育成しました。日本敗戦後に最初にインドネシアにやってきた連合国はイギリスですが、すごい迫力を感じたといいます。植民地人らが教養を身につけ、民族で団結し、愛国心と誇りを持つようになっているとは驚いたことでしょう。 スリオ・ウィリオハディプトロ氏(元インドネシア国軍大将) 「オランダ時代は、食べ物の心配はありませんでした。食べるものはみな安く手に入り、貧しい人でも飢えるということはありませんでした。(中略) 当時は一人一日5セントあれば十分暮らしていけました・・・しかし、その時代、わたしたちにはインドネシア人としての誇りはありませんでした」 「インドネシアには300以上の言葉があります。それはなぜかというと、インドネシアの各地は高い山々によって隔てられていて、お互いに話をすることがなかったからです。スマトラ島だけでも20以上の言葉があります。オランダ政府はこれらのインドネシアの言葉を統一することをさせず、そのために、お互いの意思の疎通を図ることは大変困難でした。インドネシア人同志の団結を阻み民族主義運動を起こさせないようにしていたのです」 白人の植民地支配のやり方がよくわかります。 プロボ・スウォンド氏(元インドネシア国軍中将 国連大使) 「日本軍がインドネシアの学校を再開し、わたしはその学校へ通い始めました。そして、そこでインドネシア語を習ったからです。それで、わたしは始めて自分がインドネシア人だと実感したのです」 「『身を挺してお国のために尽くさなければならない』と教えられました。そのとき、わたしたちは『国』とは誰の国のことだろうかと。 わたしたちはインドネシア原住民だと教えられましたが、そのわたしたちは、一体誰に身を捧げなければいけないのだろうか、と考え始めたのでした。日本軍の将校は、わたしたちインドネシア人が身を捧げる国はインドネシアだと教えました」 白人らは原住民を支配するため「愛国心」、「民族の誇り」を持たせないようにしていたわけです。これは支配、侵略する上でのポイントといえます。 スリオ・ウィリオハディプトロ氏 「戦争前のオランダ時代は、私たちは支配者であるオランダ人の言うことに、ただ『イエス。イエス』としか言えませんでした。しかし今、私たちは『ノー』と言うことができます。なぜならば、私たちには誇りがあるからです」 日本が教えた愛国心と誇り。今度は日本が逆に学ばなければなりません。ノーと言えない日本。土下座外交は誇りを失った結果でありましょう。日本人から愛国心と誇りを喪失させているものに支配、侵略、弱体化の意図が裏に隠されていることを見抜かねばなりません。国旗掲揚に反対する、国歌斉唱時に起立しない、などは愛国心を持たせないようにすることが目的であり、捏造歪曲の自虐史を教えるのは日本民族としての誇りを持たせないためのものです。 参考文献 ASEANセンター編「アジアに生きる大東亜戦争」 桜の花出版編集部「インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実」 添付画像 スラバヤでインドネシア軍が使用した日本の軽戦車を調べる英軍(インド兵) http://www.hiroshima-blog.com/area/banner001.jpg クリックで応援お願いします。 インドネシア独立記念パレード http://www.youtube.com/watch?v=ElAoXeGmj2k&list=QL |
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ブン・トモ(インドネシア、元情報・宣伝相)
我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。
インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北したとき、
”これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる”と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。
2010/11/14(日) 午前 10:10 [ 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化 ]