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《中国重慶市で26日午後、反日デモがあった。約千人の若者が
「日本製品ボイコット」などと叫びながら市中心部を行進、日本総領事館の前で抗議行動をした。
「歴史の屈辱を忘れるな」――。
重慶市は日中戦争時に旧日本軍による激しい爆撃を受けたことから反日感情が根強いとされる土地柄。》
《デモ参加者の多くが「中国人よ、目覚めよ」「日本製品ボイコット」と書かれた
そろいのTシャツを着て、「打倒小日本(日本人の蔑称)」と叫んだり、
国歌を歌ったりしながら繁華街を練り歩いた。
‥‥常に100人ほどの警官が周りを囲み、少しでもコースをはずれようとすると制止。》
《1時間ほど過ぎると、デモ隊のシュプレヒコールが突然、静まった。
市内にある「重慶大爆撃遺跡」にさしかかった時だった。
1941年6月の旧日本軍による爆撃で多数の市民が死傷したとされる
防空壕の一部を残した記念館。参加者は1分ほど黙祷すると、再び気炎を上げた。
「永遠に日本人の犯した戦争犯罪を許さない」と、参加した20代の女性は叫んだ。》
上記は連日、彼の地で行われている「官製反日デモ」の一部始終を伝える
朝日新聞の記事から抜粋したものである。
中にさり気なく「重慶大爆撃」を持ち出す辺りは流石「朝日新聞」と言うべきか。
しかし、日本軍の爆撃は最初から市民を標的にした「東京大空襲」などとは異なるものだ。
この点をはっきり書かなければ、事情を知らない者は誤解するではないか。
ひょっとすると誤解する様にワザと仕向けているのかも知れないが。
重慶は軍の施設や軍需工場の間に民家が混在する都市であるが、
最初は満足な防空壕も無かったのだ。
日本軍の爆撃による民間人の死傷者は、軍事施設攻撃の「巻き添え」になったもので、
戦争の犠牲者ではあるが、東京や広島の場合と同一視するのは間違いだ。
まして、それを尖閣問題に絡ませるのは意識的な「すり替え」である。
デモには「約千人の若者が行進した」とあるが、
その3倍に近い2800人ものデモ隊が都内を行進した時には1行の記事も書かなかった。
これも大変な片手落ちである。
ノーベル平和賞で恫喝を試みたチャイナは世界の失笑を買ったが、
怯む事なく初志を貫いたノルウェーは立派な国である。
日本にもスポーツ界には骨のある人物がいるようだ。
先日、チャイナで開催された、U−19アジア選手権の日本ーUAE戦の時、
会場に掲げられた日章旗が引き剥がされた。
《これを問題視した日本協会・小倉純二会長が、中国サッカー協会のチャン・ジロン副会長に
直接電話で抗議。尖閣諸島問題でおよび腰の日本政府とは違い、
迅速な行動で中国サイドにイエローカードを突きつけた。
中国出張から帰国した小倉会長は
「一人の大学生が3メートルの高さにあった国旗を引きはがした」
と確認した上での抗議だったことを明かした。
同じUAE戦では試合前、中国人とみられる男がグラウンド内に乱入し、
日の丸を奪って逃げるという事件も発生。
尖閣諸島問題では強硬な中国側も、サッカーでは日本側の抗議に「謝罪」したという。(産経)》
(以上、転載記事)
・・・・・
へっぴり腰の日本政府と相変わらず自虐愚民化育成にいそしんでいるマスコミ。
それがうかがえる記事です。
尖閣のビデオも2時間あるものを6分間に編集して都合の悪い部分は見せないのだそうだ。
私も見ていましたが、先日(10月24日)の日曜日の朝のフジテレビで石原都知事が
「日本の巡視艇の乗員がなんかの弾みに落ちたのを、
中国の漁船の乗組員が銛(モリ)で突いてるんだって・・・」
これを見た国民のビデオの関心はこの一点となったことでしょう。
これが事実だとして船長たちを返したというならば日本中が怒りで沸きかえることでしょう。
(少なくとも私の周りにこのことを言うと、ほぼ100%の確率で怒ります)
大体、こういうことを隠すとろくなことにならない・・・
支那事変前の1935年、上海の国際租界を歩いていた日本海軍の中山水兵が
支那人に射殺されました。
この時、日本政府は日本社会を刺激しないように、この事実を半年間も隠して発表しませんでした。
このいらぬ配慮をしても、この後、次々と数えきれないほど反日事件や日本人殺害事件が起こり、
ついに1937年、上海の国際租界を車で走っていた日本海軍の大山中尉に
非武装地帯の平和維持部隊であるはずの支那兵が襲いかかるという例の事件が起きた。
この時、大山中尉は30発以上の弾丸を撃たれ、体は蜂の巣にされて即死し、
その大山中尉の死体を車から引きずり出し、ライフル銃で殴打し、
頭蓋骨は真っ二つに割られ、顔はぐちゃぐちゃに潰されて、
さらにその死体を切断し、胸部は大きな穴が切り開かれていました。
最後には人間としての原形をとどめていなかったのだ・・・(大山事件)。
かつてイギリスのチャーチルは「平和主義者が戦争を引き起こす」と言いました。
ビデオを6分間にカットしても、それを非公開にしても、チャイナとの真の友好はなく、無意味です。
護憲の平和主義者たちこそ日本にとって危険なものはない。
・・・・・・
最後に、現在の日本の政権にいる政治家(?)の不甲斐なさに、
本当の政治家の心意気を教えたい。
かつて、朝鮮で起きた甲壬の政変で日本人の居留民四十名が清国兵に惨殺されたことがあった。
日本の世論は沸きかえり、征韓論から征清論へと変わり、
「清国を懲らしめるために一戦辞せずの覚悟を示せ」となった。
明治政府は最高の使臣を清国に派遣し平和裏に解決しようとしました。
その頃、日本の国力、つまり軍事力はまだまだ未熟で、
当分はその準備期間として世論の攻撃に耐え、そして無念にも耐え、
その間に軍拡を進めていたのです。
この清国への主席全権に伊藤博文を行かせることにしました。
その副使として農商務大臣の西郷従道を選びました。
西郷は維新の功績も格式も伊藤より上であったため、伊藤はそれを断ると西郷は言った。
「君の体は今後の日本に大切だ。長く日本の政治をやってもらわねばならない。
しかも、しきりに暗殺の噂もあるので、一人で行かせるのは心配だ。
だから俺が一緒に行って肩を組んで歩くのだ。暗殺者が現れたら俺が遮る。
今はお国の大事な時だ。
西郷が命を張って行きたいのだ。位の上下なぞは問題ではないぞ」と言った。
伊藤は頭を垂れて、小さくうなずいた・・・。
さらにもうひとつ。
日露戦争前、内務大臣だった西郷従道は軍令部長の樺山から
イギリスへ緊急に軍艦を注文したいという相談を受けた時、
帝国議会の承認を得ていなかったが西郷はすかさず言った。
「すぐに注文しなさい。国家の大事ではないか。
議会で叱られたら君と二人で宮城(皇居)の前で腹を切って謝ればいい。
大方は後から許してもらえるだろう」
と言って、すぐに注文し、何とか日露戦争に軍艦が間にあったということがありました。
この軍艦こそ、日本の勝利に大きく貢献し、名将東郷平八郎が活躍した旗艦「三笠」でした。
・・・・・・
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腹を切る覚悟を持った政治家がいないことは悲しい。
2010/10/29(金) 午前 8:26 [ たまお ]