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超人大陸平成24年5月1日号 藤井聡教授の「列島強靭化論」第7話より 「列島強靭化のヒントは脱東京【地方分散】にあり!!」 |
政治・経済
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国を想う国会議員達が、国会中継だけでは伝えられない政治の動きを、ビデオレターで国民の皆様にお伝えするシリーズ。今回は宇都隆史参議院議員から、一院制を巡る報道の問題点についてお話しいただきます。チャンネル桜より 前回の参議院選挙で自民党が勝っていたお陰で、民主党の暴走をギリギリで食い止めていたようなもの・・・。 選挙には必ず行きましょうね。 選挙前.COMとかで調べれば、政治家がどんなことしているかある程度分かります。 |
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麻生太郎が総理大臣であった時の話しです。
解散総選挙が近くなり私の住んでる近くに麻生さんが演説にくることになった。 その頃から民主党が危険なことは知っていた。 危険な法案もたくさんあるこも知っていた。 だから自民党と麻生さんを応援しに行こうと演説の日は楽しみにしていた。 当日は、政治に興味の無い友人を強引に連れ出して行った。 演説開始前に暑いから日陰を見つけて座っていた。 周りは田舍なので、お爺ちゃんお婆ちゃんが多かった。 地元の国会議員の演説が始まる。 そこへ「自民党の広報です」と名刺渡してきて、「少しインタビューしたい」と言ってきた。 地元の市民から今の政治の事とか聞いて広報誌に載せるみたいなことだった。 広報「自民党以外でもいいですが今の政治についてどう思われますか?なんでもいいです。」 私「なんで人権擁護法案とか外国人参政権をこういう演説のときに話さないのか?」 広報「政局と関係ないこと話す必要ありません。」 私「え?危険法案を周知しなくていいの?」 ・・・・ 私「自民党の偉い人にもあなたは話しする機会あるのですか?」 広報「もちろんありますよ。」 ・・・・ こういった話しを少しして最後に 広報「あ、すみません忙しいのでありがとうございました。」 私(心の中で)「え?それでいいのかよ・・・。」 この時点で自民党は、負けると確信していました。 この人の意見が自民党の総意では無いにせよ あくまでも「政局」なんだと そして案の定大敗してました。 今の自民党は、どうか分かりませんがいい加減に私利私欲の政治から脱却しないと とんでもないことになる気がする。もちろん中には立派な議員がいることも分かっている。 すでに民主党が日本解体・破壊工作に邁進しているのが現状ですが・・・。 自民党は、日本の政党で日本の為に政治をするなら被災地復興のためにも意識を切り替えて欲しい。 本気で民主党を潰して欲しい。 じゃないと政治家でいる意味ないよ。 以上、昔話でした。 駄文で申し訳ありません。 気づかない間に国が奪われる!?
『見えない戦争』は、始まっています!!
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小松で50日連続真夏日 節約の空自基地、中は36度
9月になっても、暑さはなかなか和らがない。小松は3日でとうとう、50日連続の真夏日となった。屋内に入って冷房のありがたみを実感する日が続くが、航空自衛隊小松基地の隊員は「うちの庁舎の中は外と変わらないよ」と言う。基地にもエアコンはあるのに、ちょっと大げさでは?基地を訪ねると、暑くて暗い中で執務に励む隊員たちの姿があった。(中野尚吾) 3日午後2時から1時間半、小松基地の補給倉庫前と旧滑走路周辺で、災害派遣救助訓練が行われた。隊員約100人は大規模地震発生時の被災地への隊員派遣に備え、的確な救助手順を確認。気温が30度を超える中、さすがにみんな動作は機敏で、夏ばての様子はみじんもうかがえない。「庁舎の中が外と変わらない」とは本当なのだろうか。 基地入り口に、外来受け付けの小屋がある。2日午後2時ごろに中に入ってみると、温度計が示す室温は36度。金沢地方気象台の観測データによると、同じ時間の小松の気温が33・6度だから、外よりも暑いことになる。これでは外と変わらないどころか、外の方がましだ。 庁舎に入ると、やはり暑い。廊下は照明が消されていて薄暗く、10メートルほど先にいる隊員の顔すらよく見えない。高村善正渉外室長に事情を聴くと「消費電力が契約電力を超えないようにするためなんです」とのこと。北陸電力との契約で、瞬間消費電力が基準値を超えた場合には超過金が発生する仕組みになっているそうだ。 「照明を消してください」「エアコンを消してください」。瞬間的に消費電力が基準値を超えそうだと、庁内放送がかかる。ある隊員は「8月は毎日のように放送がかかった。そのたびにエアコンを切るから、不快指数は最悪ですよ」と苦笑いしていた。 高村室長によると、エアコンがフル稼働しはじめた7月以降、何度か基準を超えた日もあるという。7月に基準値を超えた直後、鶴田眞一基地司令が「現状を徹底的に分析して対策を講じよ」と指示を出し、担当者は基地内を見回って細かく状況をチェックした。今はエアコンや照明はもちろん、パソコンも使っていない時は電源を落としているというから、節約意識は並大抵ではない。 エアコンが動いていない部屋の窓を開け、うちわをあおぎながら暑さと戦闘機の轟音に耐える隊員たち。防衛予算は今年度、4兆7千億円以上が計上されているが、小松基地は無駄遣いとは無縁のようだ。時には「外以上」の暑さに耐え、いざとなれば機敏な動作を見せる空の防人が、頼もしく見えた。 http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1283616537/-100役所・会社でも「節約!節約!」というが、そこまでする必要があるのか? 普通の会社でもクーラー・照明は、「昼ご飯食べる時切れ」とか言うけど、働いていて休憇時間に暗い部屋で食べさせるとかどんだけ鬼畜かと思う。私が社長だったら真っ暗な部屋より、明るい部屋で楽しく食事して欲しいと考える。 会社と違うんだから日本を護る自衛隊は、気兼ねなく平常時にクーラーぐらい使えるよう政府も配慮すべきだ。 まぁ、売国と権力維持が忙しい民主党政権では自衛隊も邪魔だと思っているんだろうけどね。 |
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「自治」といえば、地方自治。
「自治」といえば、役所・選挙・・・町内会・・・
なんとなく、「・・・」のところがよくわからないような・・・。
これは、昔からあった仕組みの上に、
近代の仕組みがどっかりとかぶさっているからです。
しかし、本来、「自治」というのは「・・・町内会・・・」の部分のことです。
一度、学校の勉強?の知識をぬけて、
江戸時代にタイムトリップしてみましょう。
また、違う世界が見てくることでしょう。
もう一度、
「我々らしい」っていうのはどういうことか、
考えてみようよ!
というシリーズです。
以下転載(適宜レイアウト変更してあります)
●行き届いた江戸の自治江戸の町50万〜60万人(町人)を町奉行所はたった300〜350人で支配出来た。
そのわけは町年寄以下の町の自治組織が末端まで十分機能して補佐していたからと言われる。 江戸の長屋の大家さんは……管理人だった!? ・町年寄(まちどしより)http://www.viva-edo.com/image/jitisosiki.gif
奈良屋 樽屋 喜多村の三家が世襲で務めた。 町人の中での最上位の存在。 収入は幕府よりの拝領地からの地代収入他で 年間500〜600両もあった。 ・町名主(まちなぬし) 数町〜十数町に一名 専業で他に職は持てない
役料(やくりょう)=給金は町入用より出た。
・大家/家主(いえぬし)/家守(やもり)/差配(さはい)
大家が五人組を構成しその中から月交代で月行事(がちぎょうじ) を選び 町政に当たった。
(※地主に雇われている。
借家人から盆暮れの金品付け届け、下肥(トイレ)を売った金も入るため、
なかなかの収入となった。)
・地主
土地の持ち主。町入用(=町の経費)を負担する
・自身番(じしんばん、いわゆる火の見やぐらの守)
各町に作りその広さは9尺2間と定められ、大家や書役 などが詰めた。 自身番屋あるいは番屋といった。 消防用の纏・ 提灯・鳶口 防犯上の突棒・刺又・袖搦み(がらみ)などを常備した。 屋根には半鐘のある火の見梯子を供えた。 幕末には千カ所を数えた。 ・木戸番(きどばん)
各町の入り口に作られ、番太郎が住み込みで町木戸を管理し、夜警を務めた。 給金が少ないため、片手間に蝋燭・鼻紙・わらじ・駄菓子、夏には金魚、冬には焼き芋などを売った。 ・書役(かきやく) 町入用の中から雇った事務担当のもの。 ・辻番(つじばん) 嘉永六年(1629)辻斬りが流行したので武家屋敷の辻々に大名・旗本が自警のために設けた番所。 ・店子(たなこ) 店借り人(たながりにん)(八つぁん、熊さんのこと) 店(たな)は二つ意味があり商店と借家。 前者は例として大店(おおだな)表通りの大商店、
後者は裏店(うらだな)裏通りの借家。
(※この辺のことは「河童が淵」さんの記事、剣客商売の時代 もご参考に。)
江戸の町奉行●町奉行は激務
江戸府内の武家・寺社地を除く、http://www.viva-edo.com/image/bugyousosiki.gif 市民の行政・司法・警察の事務を行い、
民政一般から町人の訴訟・犯罪者の裁決をした。
さらに、大火災の消防の指揮、
貧民施療院である養生所・
道路・橋梁・上水のことまで支配した。
(※と書いてあるが、「意外と知らない町奉行所の仕事」によれば、メインはあくまでも、訴訟採決、治安、消防、加えて、大名・旗本などの様子探り)
町奉行は幕府役職中でも重要なポストであり、
優秀な人材を登用した
「町奉行」は機関の名称であると同時に役職名でもあった。
単に町奉行といえば江戸の町奉行を指し、 京都や大坂は「京都町奉行」「大坂町奉行」と言った。
また、庶民は奉行所を「御番所」(ごばんしょ)、 町奉行を御奉行様と呼んだ。
寺社奉行・勘定奉行を御奉行様とは呼ばない。
月ごとの交代のため 訴え人は急ぐ内容でなければ、南北どちらかを選べた。 判決の申渡しを「落着」と言うが、 遠島以上の刑は与力が牢屋敷まで出張り本人に宣告した。
それ以下の刑は町奉行所白州で奉行が言い渡した。
ので、芝居にあるように
御奉行が罪人に「よって市中引き廻しの上獄門」などと
いいわたすことはなかった。
町奉行は江戸の町家のみの担当であり、 寺社地は寺社奉行、武家地は大目付・目付の担当であった。
(※町奉行のことは、意外と知らない町奉行所の仕事もご参考に。
当時の裁判基準は、公事方御定書(くじがたおさだめがき=御定書百箇条))
転載ここまで
江戸時代のこの国のしくみについて、さっと知るにはホームページで
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