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日本人の知っておくべき事

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※この動画では「生活保護費でパチンコ」「顔認証」「遠隔操作」は入れ忘れてしまいました。興味有る方はご自分でもお調べになってみて下さい。

ニコニコ動画: http://www.nicovideo.jp/watch/sm17408092 



朝鮮玉入れなんて違法で害悪でしかないから潰れても問題ありません



《中国重慶市で26日午後、反日デモがあった。約千人の若者が
「日本製品ボイコット」などと叫びながら市中心部を行進、日本総領事館の前で抗議行動をした。
「歴史の屈辱を忘れるな」――。
重慶市は日中戦争時に旧日本軍による激しい爆撃を受けたことから反日感情が根強いとされる土地柄。》
 
《デモ参加者の多くが「中国人よ、目覚めよ」「日本製品ボイコット」と書かれた
そろいのTシャツを着て、「打倒小日本(日本人の蔑称)」と叫んだり、
国歌を歌ったりしながら繁華街を練り歩いた。
‥‥常に100人ほどの警官が周りを囲み、少しでもコースをはずれようとすると制止。》
 
《1時間ほど過ぎると、デモ隊のシュプレヒコールが突然、静まった。
市内にある「重慶大爆撃遺跡」にさしかかった時だった。
1941年6月の旧日本軍による爆撃で多数の市民が死傷したとされる
防空壕の一部を残した記念館。参加者は1分ほど黙祷すると、再び気炎を上げた。
「永遠に日本人の犯した戦争犯罪を許さない」と、参加した20代の女性は叫んだ。》
 
上記は連日、彼の地で行われている「官製反日デモ」の一部始終を伝える
朝日新聞の記事から抜粋したものである。
中にさり気なく「重慶大爆撃」を持ち出す辺りは流石「朝日新聞」と言うべきか。
しかし、日本軍の爆撃は最初から市民を標的にした「東京大空襲」などとは異なるものだ。
この点をはっきり書かなければ、事情を知らない者は誤解するではないか。
ひょっとすると誤解する様にワザと仕向けているのかも知れないが。
 
重慶は軍の施設や軍需工場の間に民家が混在する都市であるが、
最初は満足な防空壕も無かったのだ。
日本軍の爆撃による民間人の死傷者は、軍事施設攻撃の「巻き添え」になったもので、
戦争の犠牲者ではあるが、東京や広島の場合と同一視するのは間違いだ。
まして、それを尖閣問題に絡ませるのは意識的な「すり替え」である。
 
デモには「約千人の若者が行進した」とあるが、
その3倍に近い2800人ものデモ隊が都内を行進した時には1行の記事も書かなかった。
これも大変な片手落ちである。
ノーベル平和賞で恫喝を試みたチャイナは世界の失笑を買ったが、
怯む事なく初志を貫いたノルウェーは立派な国である。
日本にもスポーツ界には骨のある人物がいるようだ。
先日、チャイナで開催された、U−19アジア選手権の日本ーUAE戦の時、
会場に掲げられた日章旗が引き剥がされた。
 
《これを問題視した日本協会・小倉純二会長が、中国サッカー協会のチャン・ジロン副会長に
直接電話で抗議。尖閣諸島問題でおよび腰の日本政府とは違い、
迅速な行動で中国サイドにイエローカードを突きつけた。
中国出張から帰国した小倉会長は
「一人の大学生が3メートルの高さにあった国旗を引きはがした」
と確認した上での抗議だったことを明かした。
同じUAE戦では試合前、中国人とみられる男がグラウンド内に乱入し、
日の丸を奪って逃げるという事件も発生。
尖閣諸島問題では強硬な中国側も、サッカーでは日本側の抗議に「謝罪」したという。(産経)》
 
(以上、転載記事) 
・・・・・
へっぴり腰の日本政府と相変わらず自虐愚民化育成にいそしんでいるマスコミ。
それがうかがえる記事です。
 
尖閣のビデオも2時間あるものを6分間に編集して都合の悪い部分は見せないのだそうだ。
私も見ていましたが、先日(1024日)の日曜日の朝のフジテレビで石原都知事が
「日本の巡視艇の乗員がなんかの弾みに落ちたのを、
中国の漁船の乗組員が銛(モリ)で突いてるんだって・・・」
これを見た国民のビデオの関心はこの一点となったことでしょう。
 
これが事実だとして船長たちを返したというならば日本中が怒りで沸きかえることでしょう。
(少なくとも私の周りにこのことを言うと、ほぼ100%の確率で怒ります)
 
大体、こういうことを隠すとろくなことにならない・・・
 
支那事変前の1935年、上海の国際租界を歩いていた日本海軍の中山水兵が
支那人に射殺されました。
この時、日本政府は日本社会を刺激しないように、この事実を半年間も隠して発表しませんでした。
このいらぬ配慮をしても、この後、次々と数えきれないほど反日事件や日本人殺害事件が起こり、
ついに1937年、上海の国際租界を車で走っていた日本海軍の大山中尉に
非武装地帯の平和維持部隊であるはずの支那兵が襲いかかるという例の事件が起きた。
 
この時、大山中尉は30発以上の弾丸を撃たれ、体は蜂の巣にされて即死し、
その大山中尉の死体を車から引きずり出し、ライフル銃で殴打し、
頭蓋骨は真っ二つに割られ、顔はぐちゃぐちゃに潰されて、
さらにその死体を切断し、胸部は大きな穴が切り開かれていました。
最後には人間としての原形をとどめていなかったのだ・・・(大山事件)。
 
かつてイギリスのチャーチルは「平和主義者が戦争を引き起こす」と言いました。
ビデオを6分間にカットしても、それを非公開にしても、チャイナとの真の友好はなく、無意味です。
護憲の平和主義者たちこそ日本にとって危険なものはない。
・・・・・・ 
 
最後に、現在の日本の政権にいる政治家(?)の不甲斐なさに、
本当の政治家の心意気を教えたい。
 
かつて、朝鮮で起きた甲壬の政変で日本人の居留民四十名が清国兵に惨殺されたことがあった。
日本の世論は沸きかえり、征韓論から征清論へと変わり、
「清国を懲らしめるために一戦辞せずの覚悟を示せ」となった。
明治政府は最高の使臣を清国に派遣し平和裏に解決しようとしました。
その頃、日本の国力、つまり軍事力はまだまだ未熟で、
当分はその準備期間として世論の攻撃に耐え、そして無念にも耐え、
その間に軍拡を進めていたのです。
 
この清国への主席全権に伊藤博文を行かせることにしました。
その副使として農商務大臣の西郷従道を選びました。
西郷は維新の功績も格式も伊藤より上であったため、伊藤はそれを断ると西郷は言った。
「君の体は今後の日本に大切だ。長く日本の政治をやってもらわねばならない。
しかも、しきりに暗殺の噂もあるので、一人で行かせるのは心配だ。
だから俺が一緒に行って肩を組んで歩くのだ。暗殺者が現れたら俺が遮る。
今はお国の大事な時だ。
西郷が命を張って行きたいのだ。位の上下なぞは問題ではないぞ」と言った。
伊藤は頭を垂れて、小さくうなずいた・・・。
 
 
さらにもうひとつ。
日露戦争前、内務大臣だった西郷従道は軍令部長の樺山から
イギリスへ緊急に軍艦を注文したいという相談を受けた時、
帝国議会の承認を得ていなかったが西郷はすかさず言った。
「すぐに注文しなさい。国家の大事ではないか。
議会で叱られたら君と二人で宮城(皇居)の前で腹を切って謝ればいい。
大方は後から許してもらえるだろう」
と言って、すぐに注文し、何とか日露戦争に軍艦が間にあったということがありました。
この軍艦こそ、日本の勝利に大きく貢献し、名将東郷平八郎が活躍した旗艦「三笠」でした。
・・・・・・
 

転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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■【拡散依頼】1024「尖閣諸島・沖縄に自衛隊の緊急配備を求める要請書」
 提出:金城てる
 
10・24日の「尖閣諸島・沖縄に自衛隊配備を求める日本国民大行進 」へは、7時15分集合という前代未聞の早朝からのデモにもかかわらず、約250名の皆様にご参加いただき、本当にありがとうございました。
 
今回のスケジュールは、せっかくの休日にもかかわらず、平日よりも早く起きなければならないので、きっと、ご参加いただいた方全員、自然に体が動くほど、国家の危機を肌で感じとっていらっしゃる方だと思います。
 
そのような方がこれだけいらっしゃるとは、日本の未来はまだまだ明るいと本当に思いました。
 
 
また、今回の準備・運営に関しては、本当に多くの方にお世話になりました。
 
バタバタして、お礼の言葉をかける事ができなかったり、ご挨拶をする事もできなかったりした方もいると思います。
 
ここで、ご協力をいただいた全ての方にお礼を申し上げます。
 
「本当にありがとうございました。」
 
 
さて、JSNのブログで当日の報告をする前に、花うさぎさんが素晴らしいブログを神業とも思える早いタイミングでアップしてくださいました。
 
ありがとうございます!
 
JSNでも動画をアップして行く予定ですが、まず最初に、デモ行進と平行して行った自衛隊への要請書の提出の動画をアップいたします。
 
 
この動画は、今まで誰も見たことが無い驚くべき動画です。
 
何故なら、マスコミが流している反戦平和、反米・反基地、反自衛隊の沖縄県民とは全く異なり沖縄県民が上京し、自衛隊へ直接、緊急配備を要請している動画だからです。
 
尖閣、沖縄、日本を守るためにも、是非拡散にご協力をいただきたいと思います。
 
よろしくお願いいたします。
 
1024「尖閣諸島・沖縄に自衛隊の緊急配備を求める要請書」提出:金城てる
 
 
 
統合幕僚長 折木良一 殿
 
「尖閣諸島・沖縄に自衛隊の緊急配備を求める要請書」
 
 
自衛官の皆様、日々の国防の任務、本当にありがとうございます。
 
皆様におかれましては、尖閣危機の今、新たな情勢に即した訓練に日々励まれている事と存じます。
 
一方、中国人民解放軍は東シナ海の覇権を目指して着々と動いており、尖閣諸島の実効支配も本気で狙っている事もご存知だと思います。
 
そして、もし尖閣諸島が人民解放軍に実効支配されたら、二度と取り返すことが困難であることもご存知だと思います。
 
国防のプロである自衛隊の皆様は、本来なら自衛隊を尖閣諸島近海や先島諸島近海に派遣するべきであることもご存知だとおもいます。
 
それにもかかわらず、現政権では国防に関する危機意識が不充分な国会議員が多いため、自衛隊も思うように動けず、臥薪嘗胆の思いでいるのではないかと推察 いたします。
 
しかし、私達、日本の主権と自由を守るためには、日本の自衛隊が国家を守る意
 
志を強くみせる事が必要不可欠だと確信しております。
 
このような中、尖閣危機の最前線の沖縄県民こそ、自衛隊配備要請の声を上げるべきだと考え、この度、上京し要請させていただきます。
 
 
「私達、沖縄県民は、日本国の主権と自由を守るために、尖閣諸島・沖縄へ自衛隊を緊急配備する事を強く要請致します。」
 
「一日でも早く、配備するようご尽力を更に強くお願いいたします。」
 
 
私たち沖縄県民は、国民の立場から、自衛隊の配備が実現するまで、国会に対して請願活動を行い続ける覚悟です。
 
自衛官の皆様は、国防のプロの立場から、どうか国会議員を教育し説得をお願いいたします。
 
 
自衛隊の皆様が沖縄に増強配備、駐屯される時には、沖縄県民総出で日の丸を振って、大歓迎で迎えさせていただきます。
 
国を守る尊い任務に励む隊員の皆様と、ご家族のご健勝を心よりお祈り申し上げます。
 
      平成二十二年十月二十四日
 
      沖縄請願団 代表 沖縄県那覇市○○○丁目○○-○   金城てる
 
 
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
JSN 沖縄と共に『自立国家日本』を再建する草の根ネットワーク
 
 
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転載元転載元: 吉田 明彦

歴史は虹のようなもの

虹が見れない日本人。
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  「歴史は虹のようなものだ」・・・イギリスの学者、オーエン・バーフィールド氏がこのように述べています。上智大学名誉教授の渡部昇一氏はこのバーフィールド氏の比喩を次のように解説しています。

「彼は『歴史的事実』と『国史』すなわち一国の共同表象になる歴史を区別した。歴史的事実は中央、地方、対外の出来事などなど無数にある。しかしそこに虹を見ようとするなれば、特定の視点と距離が必要である。雨が上がったからといってどっちを向いても虹が見えるものではない。視線の方向が重要である。また虹をもっとよく見ようとして近づけばよりよく見えるものでもない。虹にあまり近づくと虹は消えてしまう。つまり国史というのは無数の水滴の中に虹を見ようとする行為に似ていて、無数の歴史的事実の中に、その国民の共通認識となるような虹を見ようとする行為というべきものなのである」

  無数の歴史的事実の中には良いこと悪いこと、光もあれば影もある、様々ありますが、それらを一定の距離、方向から見れば虹が見えるというものです。これは大切なことでしょう。日本人は無数の歴史的事実の中から日本人の心に「負」となるような面ばかり見せられ、プロパガンダを本当のことのように教えられて、そして「虹」を見せないように統制されてきました。戦前は全部真っ暗とでもいうように教えられてきました。「ジパノフォビア」という自信喪失、自己嫌悪、自虐を好み、寂しく自国を嘲笑する日本国民になってしまっています。かつてのスペイン大帝国が没落したのはこの自虐史観に因るものでした。

  イギリスも自虐史に悩んでいました。イギリスの教科書では「大英帝国ほど世界で悪い国はない」と書かれ、大英帝国は貪欲なブタのイラストで描かれていました。イギリスの植民地にはドクロが描かれ「植民地支配によってたくさんの人殺しをした国だ。そこにあなたたちは生まれたのだと教えていたのです。
  イギリスではこの自虐史を乗り越えるため、サッチャー首相による教育改革が行われ、「歴史には光と影がある。事実をバランスよく、発達段階に応じて教えるべきだ」と語り、改革を断行しました。これは「虹」を見せようというものでしょう。なお、この改革は決して楽に進めれたことでなく、当時のイギリスの文部大臣は「とにかく戦いでした。私の人形が作られ燃やされました」と語っています。

  日本でもこうした教育改革は安倍政権のときからサッチャー教育改革をモデルにした改革が始まりましたが、政権交代によって日教組が台頭し、大きく後退しつつあります。無駄を省く「仕分け」を隠れ蓑に教育に必要な予算が削られていったのは知る人ぞ知るです。イギリスではブレア首相になってからも「イギリスで必要な政策は三つある、教育、教育、そして教育だ」と叫ばれ改革を続けました。国民がサッチャー教育再生を支持していたからです。しかし、日本では安倍政権の教育再生を国民の8割が賛成しているにも関わらず、政権交代後にそれができないのは日本の病巣の深刻さがわかるというものです。

  「虹」が見れない日本人。そして今でも「菅談話」や官房長官の「日本が中国に迷惑をかけた」発言というような自虐史観を与え続けられています。寂しく自国を嘲笑し、日本人であることを恥ずかしく思い、先人に感謝もできない日本人。このままでは日本はスペイン大帝国と同じように没落していくでしょう。



参考文献
  歴史通2010.3「歴史は虹のようなものだ」渡部昇一
  「日本よ、永遠なれ」山谷えり子著

関連記事
  歴史を貧困にみたらあかん  http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/24120061.html
  ジパノフォビア http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/22638249.html

添付画像
  虹のかかる厳島神社 My SEIN氏撮影

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転載元転載元: 偏った歴史観を見直す「かつて日本は美しかった」

皆さんには自分で決めた日課というものがあるでしょうか。
 
私は朝に行う日課があります。
先ず誰よりも早く会社に行って社長室に入り、
掲げられている日の丸に拝礼し、教育勅語と五箇条の御誓文をそらんじます。
それから新聞を読み、仕事に入ります。これは常に変わらぬ日課です。
これをせねば気持ちが悪いものです。
 
さて、明治の軍人で陸軍大将にまで上り詰めた柴五郎の毎日の日課となると、
さすがにレベルは違います。
 
陸軍大将であった柴五郎は退役後も毎朝、自分で布団をたたんで押し入れに片付け、
そして、どんなに寒い真冬でも屋外に出て、柔軟体操をしてから、浴室で身を清めて、
それから自宅の裏手の崖の小道を登って行き、その途中に作った「忠魂碑」の前に立ちます。

この忠魂碑はかつて日露戦争で戦死した自分の部下たちである野戦砲兵第十五連隊の
士官九名、下士官三十一名の霊を祀ったものです。
支那大陸から復員した時、十五サンチ砲弾をひとつ払い下げてもらい、
それが忠魂碑になったといいます。
 
五郎は雨の日も風の日もこの碑の前に額づいて、
戦死した部下の霊を慰めることが一日の始めの日課でした。
そして、その左側には小さな祠(ほこら)が二つあり、
そのひとつは皇太神宮祠、もうひとつは柴家先祖代々を祀る祠だったそうです。
そこでそれぞれに手をうち、拝礼した後、今度はさらに急な崖を登って行くと「遙拝所」があり、
そこで姿勢を正して、遥か伊勢神宮、そして宮城(皇居)を拝し、
皇室の弥栄(いやさか)と祖国の隆昌を祈念していたといいます。
 

昭和二十年八月十五日の正午、
八十七歳の柴五郎はラジオの前で姿勢を正して天皇陛下の放送を聞いていました。
放送の後、よく聞き取れなかったらしく、娘に
「陛下は何と仰せられた」
と聞くと
「日本は敗けたらしゅうございます」
と言いました。

五郎は二度ほど深くうなずき、そのまま瞑目し、
そして家の裏手に出て、朝の日課と同じように忠魂碑の前にすすみ、
頭を垂れて何事かを報告していたといいます。
皇太神宮祠、祖先祠、そして遙拝所の前に行きました。
 
国は敗れ、山河はもとのまま。・・・・・
五郎は深々と拝しました。
そしてこの老人の眼からは、涙が滴り落ちていたといいます・・・。
 
柴五郎は会津藩の武士の子として生まれ、戊辰の役で逆賊の子として家族とも共、
辛い明治の時代を過ごしますが、運よく出来たばかりの陸軍幼年学校にすすむことができました。
彼を世界的に有名にしたのが義和団事変の時の北京籠城での働きでした。
当時世界の第一国であったイギリスをはじめ、フランス、アメリカ、ロシア、ドイツ、オランダ、
そして日本などの公使館区域に義和団が攻め込み、さらにこの区域を警護していた支那兵までが
宣戦してきて、まさに絶体絶命の混乱が起こりました。
 
各国の並みいる武官の中でも時間とともに一番信頼されたのが、柴五郎であり日本兵の奮闘でした。
当時、籠城していたイギリス公使はこう書いています。
「日本兵が最も優秀であることは確かだし、ここにいる士官の中では柴中佐が最も優秀とみなされている。
日本兵の勇気と大胆さは驚くべきものだ。我がイギリス兵がこれに続く。
しかし日本兵はずば抜けて一番だと思う」
 
籠城戦という中で半月、1カ月、2か月と経つと各人の性格や優秀さや勇敢さが
自然とわかってくるものなのでしょう。
このイギリス人の日本の高い評価が後の日英同盟につながり、
その日英同盟が日露戦争の勝利に大きく貢献したことを考えると、
柴五郎の果たした役割はかなり大きな貢献です。
 
この義和団事変の後、日本に戻った柴五郎中佐は「金鵄勲章功三級」を賜ることになりました。
五郎は参内し、天皇陛下の御手づから勲章を拝受されました。
五郎はのちに、この勲章を胸に飾って日露戦争を戦地で戦い抜きます。
そのため、勲章のメッキは剥れ落ち、古びたような勲章になり変わりましたが、
柴五郎は終生、この勲章に手を加えることはなかったといいます。・・・・・・
 
 
 

 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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