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夏期休暇に遊びに行った祖父母の家。家にあがってすぐ、ゴミ箱にふと目がいった。
祖父母の家のゴミ箱は、高さが浅く丸いあみ籠のもので、中に捨てられているものが大体見えている。
そのゴミ箱の中に、高級化粧品の空箱が沢山捨てられていた。
祖父母の住んでいる場所は周りに高い建物がほとんどなく、近所の人達は全員顔見知り。
そういう田舎町だ。
私が中学生位のとき、祖父母の家のガスコンロが電気コンロに変わった。
夏休みには新聞が2種類届いていた。
母は、ガスコンロは近所の電気屋さんに言われて変えちゃったのよ。
といっていた。
新聞は、近所の人に頼まれて夏だけ買ってるんでしょ。といった。
今回の化粧品は、近所にある唯一のデパートで買わされたのだろうか、と考えた。
都会で生活していると、選択肢がたくさんある。
というよりも、私たちは沢山の選択肢がある時代に生きてきた。
化粧を買うときも、値段や質を吟味して買う。
祖母は、きっと私よりも選択肢があることを知らない。
化粧品は、値段なんてピンからキリまであることをどの程度知っているのだろうか。
年金で細々と暮らしている中で、お金をかけるべきところにかけ、かけなくて良いところにかけてしまっていたら、とても悲しいことだと思った。
近くにいてあげることが出来れば、もっと色々なことを教えてあげられるのかなと思った。
しかし、そんな選択肢があることを知らない祖母はきっと幸せだ。
一方私は、沢山の選択肢を知っているから自分は幸せだと思う。
知らない幸せと、知っていた方が良い幸せは人それぞれだ。
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真面目に書いてみる
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思ったことつらつら書きます。コラム?気取り笑
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小学生低学年のときの親友には、たまたま席が隣りになった女の子と授業中よく話していただけで、
無視されるようになった。
小学校高学年から親友になった友達とは中学でも同じ陸上部に入った。
私がどんどん速くなってしまって、そういうのもあったからか、いつかから急に大会移動でのバス席で
隣に座ってくれなくなった。
その子は心配性で、隣に座ろうねと前日にその子から言ってくれたのにも関わらず、次の日しれっと他の子と座っていた。
そういうのは割と慣れていたんだけれど、だんだんその子が少しづつメニューをさぼろうとする傾向が強くなってきてそれが私は嫌だった。
ある日その子が、私から少し離れるようになってから仲良くしてた子たちとも人数が合わなくて、練習中ペアを組むのに余ってしまったとき、
急に「どうしよう、人がいない」 と私に言ってきたことがあった。
あまりに図々しいなと思ってその時初めて、無視をした。聞こえない振り。
そのくらいはいいかなあと。
高校で仲良くしていた3人組は、2年生のとき3人揃って同じクラスになれた。
委員会決めのとき、委員会って大体2人づつだからどうしようと思ってちょうど斜め後ろに座っていた友達の方をくるっと向いた。
そしたら、その子ともうひとりの子が離れた場所同士で口パクとかしてどうするか話していた。
たぶん、どうする?って私は声に出した気がする(あんまり覚えていないけど)けど、
聞いていない振りをされて省かれてしまった。
新学期早々泣くのをこらえた。
大学で仲良くなった3人組は、初めて今までと比べて仲良く出来る子達が出来た。
初めて省かれるとかそういうくだらないことが無いなと思った。
けれど、ひとりの子はイライラしているときの私への当たりが強い。
3人で仲良くしていても、その子とわたしが一緒にいる時間の方がゼミの関係とかで多くて、
3人のときはすごく楽しいのに2人になるのが私は結構ストレスになってきてしまった。
でも親友なのか?
ゼミが同じだったのが良くなかったのかもしれない。
あんまりもう二人で飲みたいとも思わない。
けれど年始一発目あったら、卒論の余裕もできて久々に楽しく話せた。
楽しい止まりではある。
ずらっと書いてしまったのは全部ただの私の愚痴だけど
友達ってなんなのか分からない。
未だに私には親友はいないと思う。
なんだろう何が言いたいのかな〜今までの嫌な思い出ずらっと並べた感じ笑
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食べ物を好きになる瞬間はなかなかない。
気付いたら好きで、また食べたいと思う。
大人になればなるほどそうだと思う。
小学生の時のある夏休み、おばあちゃんが家の目の前の八百屋で桃を買ってきてくれた。
いとことお姉ちゃん達と机に正座して、みんな一人一個贅沢に与えられた桃を思い思いに食べた。
手はべとべとで、皮を頑張って剥き終わったあと、がぶっとかぶりついたとき、桃美味しい!好き!
そう思った。
あの時みたいに、食べた瞬間好きになった記憶はあまり残っていない。
というかむしろ他には特にない。
大きくなるとどんどん舌だけが肥えてゆく。
今年の夏に両親が初めてフランスへ行ってきた。
帰国した母は、ご飯があまり美味しくなかったと言っていた。
モンサンミッシェルのオムレツなんて、私が作ったほうが美味しく作れる。
そう言っていたのが悲しかった。
憧れのものをたべても年をとって色々積んでくるとそういう考えになってしまうんだなーと思った。
単純に美味しいと思えなくなる。
有名なお店だとか、期待値をあげてご飯を食べるとそういう気持ちになってしまったりするのだ。
小さい頃は全てが初めてで、美味しいものはちゃんと美味しかったのに。
食べることは好きだから、できる限り憧れのものは憧れであってほしい。ずっと。
そう思う。
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YUI 『Sea-short ver.-』 楽しかった出来事、思い出は、誰かに言いたくなる。 小さい頃からそうだ。
小学生の頃、姉が中学に入って部活で忙しくなり、夏休みに家族全員でおばあちゃん家へ行くことができなくなった。
その時、暇な私は、一人でおばあちゃん家へ行かされるようになった。
確か小3〜小6までの3年間。毎年夏休みは一人でおばあちゃん家へ行った。
まだ小学生の私にとって家族の誰か、あるいは学校の行事でもない、「一人旅」というのは初めてのことだった。
家に帰るとというか、その前に空港に迎えに来てくれたお母さんに会った瞬間から、おばあちゃん家での出来事をべらべら喋っていた。
自分一人しか体験していないことだから、早く、誰かに言いたい!
おばあちゃん家から帰ってくる時はいつも、そんな気持ちが先走っていた。
確か小6の時、その年の夏休みはおばあちゃん家に行った後、家族でキャンプへ行くことになった。
キャンプをしている最中に、ふと思った。
「このキャンプは、伝える相手がいないんだ…この思い出は話す人がいない。」
なんだかそういう寂しいのかよくわからない気持ちになったのだ。
今なら割と頻繁に友人に会って近況を話すけれど、小学生の夏休みなんて友達の家に朝電話をかけて、
暇だったらその日遊ぶ。そんな感じだったから、友達に話すという概念は当時なかった。
この、自分の楽しかったことを伝える相手とも共有しているから、伝えようがない。
その時の不思議な気持ちが私の中ではすごく強く印象に残っている。
今、彼氏がいる。
彼氏がいるけれど、ほとんどの人にそのことを伝えていない。
大学の友人にも。
すごく楽しくて、幼稚園以来ぶりくらいに行った今年の夏の海なんて、思わず誰かに伝えたい。そう思った。
けれど、それを伝えられる相手が私にはいなかった。
その時、この小学生の時の気持ちを思い出した。
楽しかった思い出は心の中だけに留められる。
けれど、心の中の容量って意外と小さくて、もっともっと年をとった時、どうでもいいような、けれど懐かしい思い出は少しずつ忘れらてゆく。
そんな時、誰かに話していれば、その人が私が忘れかけていたことを覚えていてくれていることもある。
楽しかったこと、自分が心から笑ったこと。そういうことは、一人で溜め込まず、誰かと共有したい。そう思う。
今日は珍しく、聞くとこの記事のことを思い出すYUIの「Sea」の歌を一緒に載せておきました。
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やることが沢山、予定が沢山。
頭がタスクだらけになったことはありますか?
大学3年生の4月、私は人生で初めて、タスクに追われるとはこういうことかと知った。
サークルではある大会の役員をやっていたが、その大会が5月にあったのでその準備に忙しかった。
新しいゼミの環境、彼氏と週3で会う、授業課題、新歓、、、
色々やって、休みたいと思うと誰かと会う予定が組まれている。そんな時だった。
自分を追い込んでいた要因を挙げると、そんなことかよと思う。
今でも思う。
けれど、それが一気に全部押し寄せると案外キツかった。
寝る前、明日はこれとこれとこれをやらなければならない、、、
朝これやって、夕方これやって、、、そういう手順を私はいつも考える癖がある。
楽観的になれないのだ。
時系列で自分がどう動くのかをイメージする。
大学3年の4月、そのイメージをするとどっと疲れが出てきた。
本当に終わるのか、、、
そういった疲れを抱え、一旦深呼吸しよう。
布団の中で寝る前そう思ったとき、深呼吸ができなかった。
深呼吸をしようとするそのほんの数秒の間に、明日のスケジュールを自分の頭がまた思い出すのである。
深呼吸が出来ないことってあるんだ。その時私は初めてそんな体験をした。
やっぱり当時は体にも異常がきていたようで、いつも周期的なのに初めて生理が来なかった。
色々なタスクに追われると、この時のことを思い出す。
自分は今深呼吸が出来る。
深呼吸が出来るならそんなに忙しくない。頑張れる。
一度最低ラインを経験すると人はそれを支えに強くなれると思う。
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