TOHO見聞録

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日本時間で2010.2.27の午後、

チリ中部の沿岸部でM8.8の大地震が発生。

それによる津波が太平洋を1万7千キロも渡って、

約22時間後の2月28日(日)の午後に日本に到達しました。

米国やオーストラリアなどの政府防災機関が、

早々に津波の警告を発していたにも関わらず、




実はちょうどその瞬間、

僕は宮城県気仙沼市本吉の小泉海岸で波チェック中で、

フルドライスーツに着替えるため車に戻ろうとした矢先でした。

波の状態は良いとは言えませんでしたが、

既に何人かのサーファーが波乗りしていました。

防潮堤の内側に設置されている大きな電光掲示板に、

オレンジ色の「大津波警報発令」の文字が表示され、

その事を告げる放送が流れ始めたのでした。

津波の到達は予想していたのですが、

もっと早く来ていたらサーフィンできたのに...と、

正直言って残念な気持ちでした。



海に入っていたサーファーが、

次々と海から上がってきました。

回転灯を点けて国道45号線を走る消防車が見えました。

いよいよ来たな。



志津川の弁天ママさんから携帯に電話が入り、

この日予定されていた牡蠣祭が中止になったと教えられました。

昨年の牡蠣祭でとても美味しい思いをしていたので、

今回はワイフを誘って一緒に来ていました。

津波の到達予想時間は午後1時半頃だったので、

志津川に行ってお土産に牡蠣でも買って帰ろう思い、

弁天ママさんから教えていただいた旧志津川漁市場近くの魚屋さんに向けて出発です。



消防車やパトカーが行き交い、

上空には防災ヘリコプターが飛び交い、

南三陸町志津川は騒然としていました。

迫り来る大津波に備えて町全体が臨戦態勢に入っている...

その緊張感が僕らにもヒシヒシ感じられます。

それもそのはず、

1960年に起きたチリ大地震による大津波(三陸大津波)に襲われ、

ここ志津川も大きな被害と犠牲者を出しているからです。

1,2階が浸水して屋根に上がって救助を待つ人々、

目の前を流されていく人やたくさんの家財....

津波にのみ込まれた町の様子の話を、

弁天ママさんのお母さんから以前聞いたことがありました。

お土産を買いに寄った山内商店のおじさんが近くの電信柱を指さして、

「流されないように、人々が電信柱の天辺につかまっていた」と教えてくれました。

中村商店もお客をさばきながら、

津波に備えて店を閉める準備で大わらわでした....



旧志津川魚市場の防潮堤の外側には、

地元の消防団の消防車や救急車が待機しています。

どこかのテレビ局のクルーも到着してロケハンを始めていました。

漁船をトラックに積み込んでいる人々や、

プレハブの建物を固定している人も見えました。

後でワイフが教えてくれたのですが、

なんとあの場所も、

津波を報じるテレビニュースに写ったそうです。

映像には、僕たちが立っていた所まで海水が押し寄せて来たことや、

漁船が1隻、岸壁に乗り上げていた様子も映し出されていたとか.....

僕らが立っていたその場所が、

数時間後に津波によって浸水していた.....凄いリアルです!!




幸い、今回の津波による大きな被害は今のところ見られないようです。

気象庁の発表では岩手県久慈市と高知県須崎市で1.2メートルの津波が確認されています。

3月1日の朝日新聞に次のような記事が掲載されていました。

 1960年のチリ地震による津波で40人以上が死亡した宮城県南三陸町の志津川地区。町職員らは、漁港から800メートルほど離れた役場で、港の中継映像を食い入るように見ていた。午後3時40分ごろから漁港の水位がぐんぐん下がり始める。
 「大きいのが来るぞ。」緊迫感が一気に増した。防災無線を通じてサイレンを鳴らし、住民に警戒を呼びかけた。午後4時すぎ。町の潮位計で130センチの津波が観測され、海水が魚市場に流れ込む様子が映し出された。「これは大きい」。声があがった。





津波に備えて志津川の町中を流れる八幡川の水門が閉じられました。

その八幡川水門のそばに松原公園があります。

この公園には1990年に当時のチリ大統領から贈呈されたモアイ像と記念碑が建っています。

この像は、イースター島にあるモアイ像のレプリカで、

本物のモアイと同じ種類のチリ共和国本土の石から、

現地の石工が製作し1991年7月に設置されました。

1960年5月に発生したチリ地震津波で大きな被害を受けた南三陸町志津川地区(旧志津川町)に、

この地震津波で被災し、復興を遂げた両国の友好のしるしとして、

1990年に当時の駐日チリ共和国大使が来町して、

町に「友好のメッセージ」を贈りました。

これがきっかけで、チリ共和国と南三陸町との交流が始まり、

モアイ像は1991年7月に復興と友好の、

そして防災のシンボルとして設置されました。(南三陸町のオフィシャルサイトより)



そして、

今回のチリ大地震による津波は、

南三陸町に何をもたらした...何をもたらすのでしょうか?

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今回は 1960年の約四分の一の大きさだったので、小さいモアイ

像1対と言う所でしょうか? 削除

2010/3/2(火) 午後 4:32 [ guffy828 ] 返信する

怖いよね〜。たいしたことなくてよかったよ〜。

2010/3/7(日) 午後 9:09 あーちゃん 返信する

guffy828さん、こんばんは。
気象庁の予想が外れて良かったですね。
1/4のモアイ像でって、可愛いですね。

2010/3/10(水) 午後 10:14 stu*io1**4jp 返信する

あーちゃん、こんばんは。
津波は一気に来て、総てを持ち去るし、
最初の津波より、後から来る津波の方が大きいそうだから怖いね。
小惑星が地球にぶつかって、恐竜が絶滅したときには、
なんと300mの大津波に襲われたそうだよ!

2010/3/10(水) 午後 10:17 stu*io1**4jp 返信する

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こんにちは、写真に映し出されている、お魚市場山内は、南三陸町に行った時の、新鮮な魚介類のお買いものスポットだったのでした。懐かしいです。今ではどこにあったのかもわからなくなってしまいました。店の人たちは大丈夫だったのでしょうか。

2012/1/25(水) 午後 4:50 [ サラベイ ] 返信する

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