乳癌・・・その後の形成手術

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私の体験した乳がん

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私が体験したガンについての経緯と治療、予後を過去をさかのぼって書いていきます。
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乳腺専門医に出会えた幸運


10年前、当時は、「温存療法」も「同時再建」の始まったばかりでまだ、症例も少ない時代だった。
ハルステッドといって、大胸筋もリンパ節も危ないものはすべてとることが主だった頃。

たまたま、この年の6年前に出会った「消化器外科」の主治医こそが「乳腺専門医」だったのです。
手術法の説明が入院当日行われました。

個室の空き待ちをしている時間がないため、
とりあえず、4人部屋へ。

隣は60代の太った女性。Fカップくらいあるお乳で「温存療法」でしこりをとるとのこと。
向かいは、一度、ハルステッドで手術し、8年後に再発した30代後半の人・・・
この人は、抗がん剤治療を先に先行して行っておりそれから手術になるとのこと。

もう一人の記憶はないが、乳がん患者ばかりでいると話が病気のことになるので
初めての私は余分な予備知識が入らないように心を閉ざしていた。

当時の私は、本当に知識も何もない臆病者だった。
そして、手術の説明が両親を呼んで夜に行われた。

母が声を殺して泣いていた。
悲しませて申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

説明は、乳腺全体にブドウ状にがん細胞が
並んでいっぱいあり、早急に取る話。乳輪から距離があるので乳首は残る。

取った後は、形成外科と連携の上、背中の筋肉を血管をつけたまま移植。
それを中身をくりぬいた乳房(乳首は残る)の中に収めて縫合。

キズは背中に8cmくらい、乳房の下と脇のリンパ節切除跡となるとのこと。
10年前の段階でこの手術を受けられたことは幸せだったと思う。
説明が終わる頃に、主治医が「遺伝子のどこかにキズが入っていて
ポリープが出来やすい体質なので今回とってもまたどこかに出来る可能性は高いです」と。

気丈な母が、初めて私に2回、
「ごめんね、ごめんね。」と手を握って伝えてきてまた、泣けた。

その翌々日に手術、朝9時から夕方の6時近くまで、
朝、外科的にガンの除去とリンパ節の切除に4時間、その後、形成外科による移植に4時間半。

計8時間。転移もなく、ホルモン療法も必要なしの判断だった。
これが1回目の乳がん手術。

予後はこのあとで

処置室に立てこもったあと


自分では30分は泣いていたと思う。
時計からすると5分くらいだった。

入院する予定の看護師長さんがいつのまにか降りてきてくれて
カーテンの外からゆっくり語りかけるように

「私も胃がんを取ったのよ。全部。」
「ガンは治らない病気じゃないのよ。」
「一緒に治しましょうね。」と。

不思議と落ち着いてきた。もともとイサギはいいほうなので。
「すみませんでした。先生の話、お聞きします。」

検査が半年、飛んだ為に進行していた。
乳腺の中を突き破ってガンののう胞がブドウのようにできており、
パンとはじけて胞子が飛べば「リンパ転移」「遠隔転移」ということになるらしい。

主治医に頼んだ。婚約も差し迫っていたので
「乳首は残りますか?」と・・・
今、思うと間抜けな聞き方ではあるけれど。

つづく

最初は泣けた・・・

天のトビラに立てこもる


1995年の5月末に基本検査をすべて完了。
そして、6月に入ってすぐに主治医から
「吸引細胞診」という注射器でぷしゅぷしゅっと麻酔もなく
プレパラートに自分の細胞を吸引して出すという痛いやつだ!(一瞬だけどね。)

その1週間後・・・
主治医が目の前で『残念だけどガンです。』
『転移の疑いもあるからすぐ、入院しましょう。』とあっさり。

頭の上を言葉が抜けた。
『も1回お願いできますか?』
主治医は今度はゆっくりと、『浸潤性の乳がんです。』と。

詳しい話を聞く前に、つーっと涙が流れた。
33歳、独身。
年下の彼との婚約まじかで、仕事の昇進もかかっていた。
そのあと、しゃくりあげるように泣けてきた。
当時は、乳がんに関する知識も何ももっていなかった。
子供も生まないのに、片方のお乳がなくなる恐怖だけが私を包んでいた。

つづく

 

乳がん発覚!

ついに、ガン発覚


1994年12月
9月に手術した部分とは反対側に痛みが。

同じ左胸なので、前回の手術の後遺症かとおもっていたが・・・
3ヶ月に1回の診察で、「しこりありますねぇ。」

乳首から黄色い分泌物も少しだが下着についている。
主治医から「ちゃんと検査しとこうか?」

ということで、乳腺エコーやマンモグラフィーなどの予約を取る。
結構、予約が込んでいて1995年の1月後半で予約を取る。
そう、運命の1995年1月。
”阪神大震災”が街を襲った年・・・

1995年1月17日以降、もう、検査どころではなかった。
病院も液状化と震災のゆれによるダメージ・・・
震災で怪我をした人や精神的に参った人のケアなどで
病院も平常を取り戻すまでに時間もかかった。

もちろん、われわれ、一般市民もいかに水を手配するか、生活の基盤の建て直しに必死だった。
なんとなく、生活を取り戻せたのは1995年の5月も末の頃だった。

続く

いろいろ検査をした結果、4〜5cmくらいの「しこり」ができているという。
この大きさだといずれは取らなくてはならないとのこと。

医師から日帰りで30分くらいの手術と聞き、即決断。
検査結果の出た次の週に手術へ。

日帰り手術室の前で術衣に着替えて中へ。
日帰りとはいえ、普通の手術室と設備は変わらない。

準備が整い、主治医から「麻酔するからちょっと痛いよ〜。」
ま、1本目は、神経の集まっている敏感な乳房にぶすりと刺すので痛い!
でも2本目からはわからなくなる。3本打って手術開始。
意識があるので医師と会話しながら進む。

「先生、痛くないようにしてね。」
「だいじょうぶ、麻酔十分打っといたから。痛かったらすぐにゆうてや。」

メスは最初だけ、あとは、電気メスで止血しながら進む。
痛くないが肉のこげる匂いがしてくる。

引っ張られたり、途中、はさみで切り取られたりがわかる。
ジョキジョキ・・・ジュー

30分くらい経って取り出された「しこり」は
フィルムケースの中の液体に浸かっていた。

白くて丸い直径4cmくらいのしこり・・・
先生からも「良性だと思うよ。検査にはだすけどね。」
そして、開いた乳輪部分を縫合して終了。
これが1994年秋のこと。

その3ヶ月後、再び症状が出てくるのですが。
それは次で・・・

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