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楠木正成の生き方

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最近、読んだ歴史の話。

主人公は楠木正成。

鎌倉時代から室町時代に活躍した河内(今の大阪)の武将です。

どんな人かと云うと

鎌倉幕府打倒を掲げる後醍醐天皇が

全国の武将に助けを求めている中で

その時代、ただ一人、その求めに応じて立ち上がった人物です。

どんなことしたかと言えば

日本のほとんどの武将が鎌倉幕府方につく中

たった一人で鎌倉幕府との戦いを決断して

何万もの大軍を擁して攻め寄せてきた幕府軍をわずか千人ばかしの兵力で

散々に翻弄し 幕府がいまやかつての力がないことを白日のもとに晒し

後々、鎌倉幕府滅亡の切っ掛けを作らしめました。

その後、天下をとった後醍醐天皇ですが

鎌倉幕府と同じように 自分の側近らを遇して

協力者であった足利尊氏らに 今度は反逆の狼煙を上げられました。

楠木正成は足利尊氏にも誘われましたが 後醍醐天皇を裏切ることができず

かっての仲間であった尊氏らと戦うことになりました

正成は 後醍醐天皇に勝つための方策を

現場の実戦担当の立場から現実的な勝つための提案をしましたが 

後醍醐天皇らは奢り高ぶり 鎌倉幕府を滅ぼしたのは

我らに神の力があるからで 今度も神風が吹き勝つのだと言って

正成の提案を退けました。

鎌倉幕府を滅ぼした原動力は正成の戦略であったと歴史家と当時の武士は知っています。

正成は提案を退けられたとき 弟と息子らに

今度の戦いで私は死ぬだろう と

負けるのを分かって戦う正成の姿は

多くの歴史家や小説家が描く話の主人公として描かれ

今日の私達に 滅びの美学を伝えると同時に

悲劇として こうしちゃいけないよと教えてくれます。

正成の本を読んだとき 私は思いました。

今日にも言えることだなと。

負けるのが分かっている戦いは辛いものです。

別の時代に真田幸村という人物がいましたが 正成と境遇が似ています。

上の無理解の中で 戦いに勝たなければならない立場

勝ってもトップに威光(神風)があったから 負ければ現場が悪いと

この不景気 次々と企業が倒産しています。

残らない企業の中には正成や幸村らと同じ想いで

会社倒産の憂き目にあった人が多くいらっしゃるのだろうなと想像します。

明日は我が身!!!

逆にポジティブに言えば 今は戦国時代 幕末なのかもしれません

時代の変革が始まったのかもしれません。

そういう時代ほど あぐらを掻いた古き伝統が腐食され

時代の求めに応じた人物・組織がたくさん出てくるのだと思います。

こんな時代だからこそ

楠木正成の生き方は 清々しいです と言いたかったのであります。

楠木正成を知りたい方↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A0%E6%9C%A8%E6%AD%A3%E6%88%90

謎の種族

雨はたくさん降るが雪がふるほど寒くもない冬

非常に寒がりな九州人のSFにとっては快適な日々が続いてます。

コスモポリタン(地球人)を自称する主義者でもありませんが

こんな冬でいいのかと思ったりします。

だからといって

ネタにいつも飢えてるマスコミがここぞとばかし
環境破壊を声高に報道していることには少々、疑問符があります。

産業革命以後の物質文明の行き過ぎが
環境破壊を生んだと云いますが、

実際のところ、
Co2過多にかかわらず、
星自体の周期が温暖化へと進みつつあるといわれています。

地球は過去にも氷河期と恐竜などが生息した温暖な時期など繰り返し
今に至ってるわけですから、地球の長い歴史から見れば
よくあることだといわれてます。

この冬の暖かさもさして珍しいことではないようにも思えたりします。

ただ危惧すべきはそういった地球環境の周期がかわる時期と云うのは
その気候の変化に対応できない生命を滅ぼし(恐竜など)、

対応できた種のみが
生き残るようになってるため、この気候変化に対応できないようであれば
人類は破滅へと突き進むのであろうか。妄想してしまいます。

破滅してのち、何万年か経った頃、新たな知的生命種によって
化石として人の骨が掘り起こされ、謎の種族と言われたりするのではと

アーサーC・クラークの小説ではないですが、
つい想像してしまいました。

本多重次

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むかし、こんな侍がいました。

たまたま昨日、本屋で立ち読みした際に開いた歴史本のページに
彼の足跡が書いてありましたので、つい興味をもち、

神様の戒めか、教えなのでしょうか、自分なりに彼について調べ直し、
彼を知ることで今ある自分に置かれた状況からの「克己」を探してみました。

戦国時代の最終勝利者である徳川家康公旗下の
歴戦の勇士として、当時から広く知られた武士に本多作左衛門重次という人がいました。

容貌は顔の至るところに刀傷、火傷(鉄砲による)、
片目はえぐれ、指はかけ、足は不自由と、全身に鬼神が宿っているかのような
凄まじい形相であることから、付いた通り名が『鬼作左』。

家康公の三河時代からの譜代家臣でほとんどの戦に参加し、家臣団中で
最も荒々しい言動・行動で右にでるものがないと云われていました。

ある意味、三河武士の特徴(主君に忠実無比、死をも厭わない果敢な行動)を物語る
代表的な人物として、その当時から知られており、秀吉が家康を味方につけたいがため、
自分の母親(大政所)と妹(旭姫)を三河(いまの愛知県)の家康に人質として送った際、
大政所らの宿舎の警護を任されたのがこの重次でした。(彼に任したとこが家康の狙いでしょう。)

家康が僅かの部下を連れ、秀吉の本拠である大阪で会見してるとき、
重次はもし家康に何か危害があったときは、警護している大政所らを焼き殺すと喧伝し、
宿舎の周りに藁を敷き詰め、薪を大量に積みあげ、いつでも焼き殺す準備をしていたそうです。

それほど、家康以外は主君にあらずといった外聞も気にしない硬骨漢でした。

ただ警護と彼女らへの威嚇を過激にやり過ぎて、
旭姫は鬱病になってしまい、3年後に死んだと言われてます。

このエピソードが原因で秀吉が天下をとった世間体もあり、一時、失脚しています。
後に子供はその父親の馬鹿正直な忠義が認められ、諸侯に取り立てられていますが。

ここまでの流れだと重次はただの武闘派として思われるでしょうが、
優れた民政家としても今日、知られています。

天野康景、高力清長と共に家康三河時代からの三河三奉行の一人でもあり、
行政面にも力を発揮した実績があります。その実績の方が今日では一般によく知られています。
あまり、このことについてはここでは書きません。

飴と鞭を使い分けることに長けていたというだけです。
部下の教育などに相通じることだから、昨今の歴史雑誌によく書かれているからです。

今回、書きたかったことで、彼が真骨頂を発揮した一面のエピソードとして、
世間一般では知られていない「家康の背中のおでき」について紹介したいと思います。

むかし、家康が1582年に秀吉と小牧・長久手で戦ったあと、
体がどうもだるいと、春先に近臣らへ愚痴を零すことがありました。

一般人が春先になると、けだるくなるというようなそれとはわけが違い、
こんなことは家康に今まで無く、秀吉対策を練ろうとしても根が続かない。
背中がおかしいと思って看させると、腫物ができていて、つまらないものができたと
半ば腹を立てているうちに、それがたちまち成長し、巨大化するにつれ痛みも激しくなり

その痛みで意識がもうろうとなり、疲れきってウトウトしたかと思うと、
とたんに激痛におそわれ、もうろうとしながら意識の世界へ引き戻される。
手の施しようも無く5日ほどたつうちに、すっかり家康の体力が衰えてしまった時期がありました。

体力の衰弱だけでなく、気力もなくなり、
とうとう、家臣一同を枕元にあつめ、遺言を伝えようとしたそうです。

ちょうど秀吉に戦術で勝ったのに戦略で負け、秀吉の実力を感じ取り、
家康にとって自信喪失の時期でもありました。精神的なことが原因(ストレス)であったように思います。

家康 「わしは、もうだめばい。秀吉は、着々と我らを潰す計画を進めるだろう。よく聞け。」

遺言である。
まさか、と思い、しかし誰も分別がつかず、家康の口元をみいるだけでした。

「第一は、おまえ達がまとまって、崩れないことたい。第二は、北条を・・・・」

その時、「殿!何を申されます。」

と、大喝した者がいました。ご存知、本多作左衛門重次です。

重次 「わたくしも大変な腫物で苦しんだばい。でも(医者の)糟屋長閑の治療で全快したとです。
    ぜひ長閑を呼べばよかろうもん。治りますって。あやつは治しますばい。」

家康は医者が大嫌いでした。
(自分の祖父、父親が暗殺されたこともあり、自分で薬学を学び、全て自分で薬を作り、
 健康管理していたほどです)

家康 「いや寿命ばい。もうよか。寿命だからしかたがないと。わしにはそれがわかるとよ。まず、わしの言うことを聞け。」

重次 「いえ、ともかく一度手当てをすっとよ−」

家康 「いらん。」

重次 「・・・・・・・」

重次は、口を家康の耳に押し付けるように

「ききわけの無いお人ばい。ならば、しょうがなかね。重なる合戦で、片目はつぶれ、指がもげ、
 びっこになったのに・・・。わたくしのような老いぼれはあとに残っても役に立たん。
 一足先に行って、冥途の道掃除でもしとくばい。情けない殿ばい。ごめん。」

この重次のことばで、家康は、自分のために戦場で死に、傷ついた者の痛みをふと感じ、
自分を取り戻しました。

気力をなくしてしまったことが不思議なほどであったが、ここでそれを瞬間的に取り戻したことも、
奇跡のようなものだったと云われています。

重次のことばを受止めたものは、やはり家康の根っからの、戦国武将の血でもあったのでしょう。

遺言を言うところまで追いつめられたと思い、
ところが遺言はまだ具体的内容をもつまでに整ってなどなく。

「団結しろ、背後の北条を敵にまわすな」くらいは誰でも言えます。
(どこの企業でもよくあります。ケースバイケースに対応しろ的な)

その様な曖昧さの中に自分がいたことに、家康は驚きました。

それを、重次の別な痛みが知覚させてくれたのでしょう。
(わしに対策が立たなくて、他の者がどうして徳川を支えられるか。わしがいて、作左衛門のような家来がいて、はじめて可能ではないか。治療がたとえ効かなくてもやってみなくてはだめだ。)

ついさっきまでの弱気が、うそのように家康は思ったそうです。

家康 「長閑を呼べ。作左、もうよか。(わしは大丈夫だと以心伝心)」

糟屋長閑の治療で家康は治りました。
本多重次がいなければ、家康はこの時死んでいたと云われてます。

重次のような人は今日でもたくさんいます。

周囲を刺激するために、よかれと思って言った事を鵜呑みされ、
悪くとられることが、ままあります。(想像力がない現代人が多いのでしょうかね)

苦労人の家康であったからこそ、重次のような人物を買ってくれてたのでしょうが
上がそうでなければ、重次のような人物は組織のなかで埋れるか、
他に居場所を求めるのでしょう。

まあ、現代の名社長達らが歴史に学べと盛んに云うのは
そういったことを言ってるのだと思います。
逆もあるでしょうけど(俺の言うことを聞け!等)

今年もSFは好きなだけ煙草を吸って
本多重次を見倣って、仕事の最前線で突撃敢行したいと思います。

うりゃああああああああああ。

下山事件について

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最近、仕事帰りの電車の中で
フリーライターの柴田哲孝による
「下山事件 最後の証言(平成17年)」を読んでる。

下山事件をご存知の方がいらっしゃるだろうか。

昭和24(1949)年
下山定則国鉄総裁は出勤の途上、公用車を待たせたまま三越日本橋本店に入り、
そのまま謎の失踪を遂げ、後日、常磐線の北千住と綾瀬駅間で、総裁は轢死体となって発見された
戦後最大の怪事件のことである。

この事件を取り扱った松本清張の小説「日本の黒い霧」は記録的なベストセラーとなり
今尚、この「下山事件」研究が後を絶たない。
関連ホームページ:http://members.ytv.home.ne.jp/shimoyamania/index.html

実はSFはこの事件の当事者である下山氏のお孫さんと懇意にしていた時期があった。

昔、芝居をやってたときに舞台美術を手がけていた方で
本職は人形造形師(フィギュアの原型を作る。業界では日本で5本の指に入る人らしい)で、
頻繁に飢えたSFに餌を与えてくれてた人。最近はご無沙汰しているが。

そのお父さんは昔のヒット曲の作詞家で、先年、他界され、往時に食事などご一緒したことがある。
私がこの事件を知ったのはその食事をご一緒してるときに、
そのお父さんから話題がでたことが切っ掛けであった。

その時は何にも知らなかったが今になって、そのことを思い出し
書店で「下山事件 最後の証言(平成17年)」を購入したが、

かなり血生臭い事件である。
研究者の間では未だにその死が”自殺”であるか”他殺”であるかといったことで
意見が別れ、解決に至ってないようである。

学校の教科書では紹介のない歴史だが
戦後日本の黎明期に起き、今日の日本を語るうえで見逃すことができない
事件であるから、ぜひサブカル好き、ミステリー好き
あるいはアンダーグラウンド好きな方は ぜひご一読を。

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昨日に引き続き、歴史物小説のお勧めを
眠たい目をこすって紹介しようと思う。基本的にSFの勝手な主観だが。

今日は司馬遼太郎氏の作品。

私が彼の作品でお勧めなのは「関が原」上・中・下。
初めて読んだのは大学2年生頃だった。

その当時、私は夏休みを利用して、友人のNらと一緒に
大分県の別府湾を利用した海水浴場の監視員をしていた。

1時間交替でのアルバイトであったので休憩の間に
日陰のある松の木の下にゴザをしき、寝転んで、その本を読んだ。

作品の内容は学校の教科書にも書いてる関が原の逸話(東軍:徳川家康と西軍:石田三成の覇権争い)を
司馬史観(マニアの間ではそう呼ぶようだが)によって、その当時、画期的な「関が原」についての新訳的な小説であった。

細かい話をすると主人公は通常の小説であれば勝者である家康を扱うケースが多いが
彼が描いたのは敗軍の将である石田三成であった。

それまでの歴史小説の概念は単一的な作家の視点・思い込みで書かれてるものが多く、
歴史にないストーリー(脚色)を多分にあったのだが、

司馬氏は綿密な歴史考証(元々、司馬氏は新聞記者上がり)のうえでこのテーマを取り扱い、
現代人的な視点に近づけ、主人公のみならず、関が原に参加した数多の将たちの立場をふまえ、
東軍につくか、西軍につくかといった背後関係も描いたうえで”関が原の戦い”を昇華させる
ストーリー性を築いた。

司馬氏の場合、代表作が数多とあるが
その中でもこの「関が原」はお勧めである。

10何年か前にこの小説をテレビ化したものがあった
加藤剛が石田三成、森重久弥が家康を演じた作品で、この映像から入るのも手だが

一度、お読みいただくことをお勧めする。一気に読破する一冊であると思う。

今日はここまで。

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