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もうお盆は過ぎたけど、あるアーティストが亡くなってて最初に迎えるお盆、いわゆる初盆となるので(笑)、盛大に書こうかと思ったので長文を書いていみました。そのアーティストとは、 以前から書こうかと思っていたんだけど時間が取れなくてね…。ちなみに、この文章は先ほどあげた一部地域限定で公開(爆)の歌詞探訪文章からの引き抜いた内容だから、かなり文章のつながりが変な所があるかもしれないですが、ご了承くださいまし…。 フジファブリックは特別、オリコンで目立ったセールスを記録した訳じゃない。「蒼い鳥」という曲が確かオリコンでベスト10に入ったと記憶はしているけど、全体的に見ると民放のメディアが大きく注目しているという動きはなく、「知る人ぞ知る」的なバンドの印象を僕は持っている。だが、その一部ながらもその人気は絶大であった。どの位の人気かと言われるとその規模を示すのは難しいけど(汗)、強いて言うなら名のある数多くのロックフェス、イベントには必ず登場するし、その扱いも大きく、そのイベントの一番大きいステージでやる、またはトップバッターかトリ2つ前くらいの「実力者に割り当てられる時間帯」に登場する位の人気である(まぁ、当然イベントによって若干の扱いの違いはあるけど…。とにかく登場回数は非常に多い)。 人気の秘密を考えられるほど僕は詳しくないし、そんなん聞かれてもよう分からんけど、一つ思うのはやはり彼らの音は「斬新だった」という一言だろうと思う。2000年代近辺はどうしてもバキバキのギターロック一筋のバンドが主流だったけど、彼らの場合はそう言った主流派とは一線を画した存在だったと思う。 ギター2本、ベース1本、そしてドラムス1台という基本的な4ピースにキーボーディストを加えた合計5人編成だけど(途中、ドラムスは脱退で4人編成となる)、ギターメインのサウンドもありながら、不思議な浮揚感やギターだけでは出せない色彩を各曲で付けている。そして何よりも、聴衆の心を一気に掴むようなダンサブルな楽曲も5人で奏で上げると言った形で、常にサウンドは柔軟性に富んだ千変万化の不思議なロックンロールを奏でている。 彼らの音楽の総体も変化に富んでいるが、最も驚くべきはその1曲における変化の付け方。プログレッシヴ・ロックにも通じるような予測のつかない曲の展開と転調の仕方、そしてそれを支える各パートの高度なテクニック。これがこのバンドの一つの大きな特徴と言える。いつぞやか現ZAZEN BOYSのボーカル、向井 秀徳氏がラジオで彼らと共演して初めてフジファブの曲を聴いた時(「マリアとアマゾネス」だったらしい)、「ピンクフロイドが始まったのかと思った」というコメントを残している。ギターロックのバンドに位置づけられるかと思うけど、その範中に留まらないサウンドの方向性と多彩さ。変化の富み方は本当に多くのリスナーの心を掴んだと思う。 そして、ボーカルでフジファブの殆どの作詞と作曲を手掛けた志村 正彦氏の作る歌詞。これもまた、実に不思議な言葉運びと共に感じられる様々なイメージ。時にそれは鮮やかな情景を生み出すけれども、とても聴いていて想像力を掻き立てさせられずにはいられない、そんな歌詞を提供している。 先ほど歌詞探訪文章で紹介した「茜色の夕日」はそんな志村氏の作詞力が爆発した見事な詞だと感じる。全てがダイレクトに伝わってくる。一つ一つの言葉からイメージされる情景だけでなく、その歌に出てくる登場人物(「君」と「僕」)の気持ちでさえも。 東京の空、短い夏の日、君の大粒の涙、その泣き顔、・・・・そして茜色の夕日で照らされる街。 全てが印象的、印象的過ぎる。綴られている言葉は非常にシンプルなのに、目の前にその世界が広がっているような・・・と言うのは言い過ぎかもしれんが(大汗)、とにかく何度も聴いて行くと目をつぶるとそう言う世界が広がる感じがする。 勿論それは、実に切ないコード感とキーボーディストの金澤 ダイスケが奏でるオルガンやリードギターの山内 総一郎によるスライド奏法の効果が絶大であり、言葉における音像を表出することに役立っていると言うことも忘れてはならない。それでも、その音を具現化するように綴られていく言葉の波。穏やかだけど、とても世界の幅は広い印象がある。 フジファブリックを通して、その音楽に懸ける情熱を出し続けた志村 正彦。こんな個人の雑感の綴っただけの駄文を読んでフジファブの音楽に注目したいと言う人は出てくることは少ないと思うが…(汗)、もしフジファブの音を、志村氏の描く音楽の世界を今後期待したいと言っても、残念ながらこれ以上はほぼ無理である(この7月に残された音源で作られた新作「MUSIC!」がリリースされたけど…)。 昨年、2009年12月24日にこの志村 正彦は突然、この世から去った。29歳という若さでね。死因はまだ公式に発表はされていないようだけど、理由は何であれ余りにも唐突な死にファンは勿論、フジファブリックの音楽を愛した同業者たちもその衝撃を隠せなかったようである。 その4日後に開催された年末恒例のカウントダウンジャパン09/10にも出演予定だったけど、急遽キャンセル。主催者の渋谷 陽一氏がそのアナウンスを前説で語った時のその一瞬に訪れたこのイベントでは初めて感じるような静寂は何かとても切なく思えた(勿論、渋谷氏は「フジファブリックの事務所の方からは来場者の方たちに十分楽しんでもらえる最高のフェスを作って下さいという言葉をもらっています」ということを言って、初日は大盛り上がりでスタートしたけどね)。 CDJの出演者でも、志村氏の死を悼みその胸の内を語ったりフジファブリックの楽曲をカバーして演奏したりして、弔っていた。僕が聴いた中で「茜色の夕日」を歌っていたのは28日の奥田 民生の旦那と29日の氣志団というヤンキー連中(爆)。 奥田の旦那は志村氏が尊敬していたアーティストとして知られていたし、その親交も深かったのだろう。この曲を弾き語りで歌い、最後のサビの「君の大粒の目から〜」の部分で涙ぐんで歌えなくなったというハプニングがあった(何とか最後まで歌ったけど)。 氣志団は、志村氏がアマチュア時代にバイトをしていたライブハウスのオーナーとしてこの氣志団のメンバーがいたらしく、その頃からの付き合いだったという。志村氏が「この曲がダメだったら故郷(山梨県)に帰る」という決意で団長の綾小路 翔(翔やん)に聴かせたのがこの「茜色の夕日」だったという。 僕としても、フジファブリックは頭のてっぺんから爪の先まで好きだったと言う訳じゃないが(汗)、初めて音楽専門チャンネル・スペースシャワーTVで見た時から衝撃を受け注目し、カウントダウンジャパン05/06で公演を見て一気に好き度が加速し(笑)、2006年に行われた初の日比谷野外音楽堂のワンマンライブに行くなど、何やかにやでカウントダウンジャパン鑑賞歴5年の中で最も多く公演を見てきたバンドである。それだけに、志村氏の急逝のニュースを聞いた時のショックは耐えられなかった。ハッキリ言うと今でも辛い。この文章もハンカチを握りしめながら・・・はジョークですけど(スイマセン…悪ノリです(汗))、部分部分の所で書いていると「ウッ」と胸を詰まらせた位である。 自分と同じくらいの年代の好きなアーティストが急逝するという経験は初めてだけど、そのショックの大きさは言うなれば、「大好きな突然友達がいなくなった」と言うのと同じ感覚である。アタシは友達と言える人は殆どいないけど(爆)、自分を支えてくれた人がいなくなることの心細さと言うのは何となく分かるので、こう言う表現を使ってみた。とにかく、「君がいないと僕は辛い」と思うような人がいなくなる。それによって、もたらされる辛さは想像以上だった。そう言うことである。 余談だけど、昨年5月に亡くなった忌野 清志郎氏の追悼文が大手新聞社Yに掲載されていたけど(書いた人は女流作家の方でしたが名前は忘れた…)、そこに書いてあった言葉で「彼がいなくなってしまいまず思ったのは「これからどうしよう」と言う路頭に迷う気持ちだった」「まるで迷子のようだった」というのがあった。その気持ち、志村氏の死によって改めて強く感じた。自分の中の「目に見えるlandmark」が目に見えない形になったのだから。迷い道にハマった感覚を持つのは必然なのかもしれない。 と言う訳でここで一曲。「茜色の夕日」を↓。諸般事情でリンクのみといたします…。 紹介した動画は、在りし日の志村氏がいるフジファブリック(ロックイン・ジャパンフェス2008の時の映像のようね)。(追記:こちらの動画はどうやら削除されたようで、視聴できません(汗))現在、フジファブリックは志村氏を失った今でも解散せず、何とか活動を継続させる方法を考えているという。今となってはどんな形でもいい。フジファブリックという名前を後世のキッズ達に残して欲しいなと、個人的には思う(…出来れば綺麗な形で(汗))。 ではではノシ お疲れっす!!!
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音も雰囲気も、天才という言葉が似合うような人だった気がします。
おそらく、「若者のすべて」とか「sugar!!」とかは世間的にもかなり評価の高まった楽曲だと思うし、今から凄い存在になるんじゃないかってときの死で、残念という言葉しかでてきません。。
2010/12/23(木) 午後 1:12
↑あまり詳しくない僕が言うのもあれですが(笑)
2010/12/23(木) 午後 1:13
では僕もお返しにトラバを。
2010/12/23(木) 午後 1:14
はすらーさん。
楽曲もそうですが、その存在も独特な雰囲気を持っていらっしゃいましたよね。今度動画があったら紹介しようと思っている曲も「ロックでこんな曲書けるのはこの人だけや」と思うような曲ですし、唯一無二の存在でしたね。
比較的大きなタイアップやビッグ・アーティストのカバーで話題になりましたし、ホントこれからという時の悲劇でしたね。
2010/12/23(木) 午後 10:44
ワタシもかなり、ツッコンだような文章書いていますが、これ以上の知識がないんですね(汗)。非常に浅いのです・・・。
2010/12/23(木) 午後 10:48
トラバもありがとうございます(笑)。
2010/12/23(木) 午後 10:50