Love your life 〜 なぜベストを尽くさないのか

仕方ないでしょ?世界は残酷なんだから…(by 進撃の巨人より)

A Day In The Li

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A Day In The Life とは。

この書庫は、ある事情で年1回ペースで書かれるワタシのブログ唯一の真面目風記事を集めた書庫です。
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 先日、BS-1のワールド・ニュースを見ていたら、このようなニュースが↓。


米国、ワシントン州などで嗜好品としての大麻を合法化。



 別に自分がどうこう言う立場じゃないけど、自分の常識を余りにも打ち崩されたようなニュースだったのでモノ凄い衝撃的でした。
 背景には、米国では既に大麻の流入が社会問題化されていて年間に大量の大麻が入り込んでいるんだとか。加えて、既に医療機関では鎮痛剤としての役割で大麻を服用すると言う、ほぼ合法的な「実用化」が定着していることから、複数の州ではこのように大麻を合法化しようという結論に至ったようです。また、嗜好品としての大麻に税金をかけることによって財政赤字脱却を図る目的もあるようです。勿論、使用制限はあるようですし(でも、12歳以上になれば使用できるということを言っていたと思うから、それを考えると相当緩い・・・。まぁ日本的な観念ですがね)、所持は認められるが、販売目的の所持は違法扱いとされるとのこと。
 
 合法化した目的、そして「自由を認める国」という観念がある米国と言う視点で見れば、こう言った動きもあるのかなと、一つ一つをひも解けば理解は出来る。だけど、あくまで日本人的な考え方にどうしても立ってしまうのだが、超えてはいけない「第一線」と言うモノがあるでしょうに。詳しいことは分からないが、大麻は他の麻薬に比べて毒性は低いようだけど、いったん服用するともっと強い麻薬に手を出して行って、最終的に自己崩壊を招くということがやはりあるようです。
 やはり、そう言う危険性がはらんでいるのを「みなさん、自由に持っていてもかまいません」という風に言うのはどうかと。そんなことを言ったら、たばこや酒類も同じ結果を招く恐れがあるけど(実際、そいうい考えもこの合法化の後押しをしたようですが)、いったん手を出したらリカバリーが利かなくなる強い薬を合法化するのは、やはり社会的影響の大きさを懸念せざるを得ないでしょう。ましてや、大統領のお膝元であるワシントンでこのような法律が出来てしまったというのは…。

 この話を聞くと、なんだか「自由」と言う言葉の意味を履き違えていないかい?と言う気がしてならんのです。アタシが言うことじゃないけど(爆)。ロッキンオン編集長でカウントダウンジャパンやロックインジャパン・フェスのエグゼクティブ・プロデューサーである渋谷 陽一氏が自身の主催するロックフェスで、自由には「何でもして良い自由」「相手を尊重し合って作り上げる自由」と言うモノがあるんだと訴えていたことを思い出します(実際にそう言っていたかどうかは忘れましたが(爆)、要約するとそんなことだったと思います)。
 自由は確かに「ルールに束縛されない」という側面はあるけど、何でも許したら無法地帯と化すでしょう。そのために、渋谷氏主催のロックフェスでは、面倒くさいようだけど様々なルールを取り決めて、参加者に遵守するようお願いをしているのです。他のロックフェスに行ったことは余り無いけど、此処まで細かく「ローカル・ルール」めいたモノを規定するフェスは無いんじゃないかと思うほど、細かい規定を設けているんです。その代表的な例が、ロック・ミュージックのライブで良く見られる、フロント・エリアでのモッシュ&タイブ。場合によっては死傷者が出るこの行為の危険性を見かねて、幾つかのフェスではこの危険性を訴える所はあるようですが、ロッキンオン系のフェスでは、明確にモッシュ&ダイブを「禁止行為」と定めている。この他にも、休憩ゾーンでの荷物の場所取り禁止とかいろいろあります。
 傍から見ると「窮屈過ぎ」て、居心地が悪いという意見もあるでしょうが、それはお互いがお互いに居心地のいい空間を作るという意味では大きな作用を齎していると個人的には思います。居心地の良さだけで言うなら、同じ会場で行われているサマーソニックよりもカウントダウンジャパンの方が、遥かに良い(ラインナップ的な問題は度外視しています)。それは、参加者のための休憩ブースが充実されていたり、エリア内の工夫やスタッフの懸命なオペレーションの賜物だったりもするが、やはり参加者間の目に見えない気配りみたいなものがあったりするからではないかと個人的には思います。ロックフェスだから、客が傍若無人な振る舞いをする輩ばかりというイメージは、このフェスには無い。まぁ大人し過ぎるというだけかも知れんが(笑)、公演になると正に「ロック・キッズ」としての血が騒ぐかのように暴れまくっていますね、皆さん(公演の種類にもよるけど)。

 何が言いたいかと言うと、「自由が認められる」と言うのであれば、その国の中でより人々が生活しやすい社会を創るため、どうするかと言うことを考えられなかったのかと思います。まぁ、大麻に関して言えば、これまで流入に歯止めが利かずにやむなくそうなったということはあるんでしょうが。規制緩和は必要だろうが、大麻に関しては繰り返すが、社会的な影響を考えると余りにも危険性が大きい。過去にも、世界の偉人達がドラッグで命を落とした悲しい歴史があるのを忘れた訳ではあるまいに。合法化されたものの、反対意見も多くあるのが救いではありますが、こう言った、危険なモノを自国では認めて、他国の社会制度には過度にツッコんでくるという不思議なジレンマを持っている国だなと、最近米国のことを思ったりします。
 な〜んて人のことを言っていますが、日本にも(と言うよりワシ自身にも)同じ様なジレンマが幾つも存在すると思うんですけどね。ただ、ハワイ州も合法化に対する動きが出ているんだとか。もし、合法化されたらアタシ、ハワイには今後一切行かないと思います(と言うより、今後、行く機会が無いと思いますが(爆))。それぐらい、恐ろしいです、クスリは。


 そんなことをちょっと思っていました。


ではではノシ


お疲れっす!!
 フィギュアスケート、グランプリシリーズ第1戦のアメリカ大会男子はめでたく日本人表彰台独占と言うことで。実力からして十分あり得ると思っていたことではありますが、ホームでは無くアウェイで表彰台独占と言うのは凄いことだと思います(NHK杯では過去に男女シングルで表彰台独占と言うのがあったけどね)。
 羽生選手のSP世界歴代最高得点はビックリしましたが、本人も言っていたけどルール改正によってもたらされたモノだとは思いますので、これに飽きず更に上を目指して欲しいなと思います。
 ただアタシが注文付けるのはおこがましいですが、転倒した時に完全に演技をぶった切るような転び方は止めて欲しいなと…。ある解説の方も言っていた気がしますが、転んだけど「私は飛んだんですよ!」的なアピールが残るような転倒をした方がジャッジに対しての印象は悪くならないと聞いた気がします。羽生くんの場合、ジャンプが決まった時はスバラシイ質なんだけど転んだ時は完全にがっくりした感じの姿勢をするので、それが気になりますね〜。どの部分に影響が出るかは分からないけど、ジャッジの主観による所が強い演技・構成点ではマイナスになると思います。実際、今回のフリーではセカンド・マークが70点台になっていたし(まぁこれ以外にも原因はあると思いますけど・・・)。
 いずれにせよ、まだまだ成長しなくてはならないと言うことなんでしょうね、佐野先生風に言えば(爆)。佐野 稔さんの解説、昔はどーなのよと思いましたけど、最近はたまらなく好きです(笑)。


 そんなスケート話はまた別の機会にしまして、今回は最近思うことの諸々のお話を。


 ツイッター嫌いのアタシがこんな話をするのも大いにおこがましいのですが(爆)、先週、有名お笑い芸人のお二人が立て続けにツイッターのアカウントを削除するという騒動が話題になりました。ドランクドラゴン鈴木 拓氏とトータルテンボス藤田 憲右氏。この両名がアカウントを削除すると言う様な事を言いだしているようです(実際に削除したかどうかは分かんないけど…)。
 アカウントを削除することの良し悪しはその本人たちでないと分からないけど、今回二人がこのようなことになった経緯には彼らが出演した番組でのパフォーマンス、または漫才のネタについて一般ユーザーの批評が原因となったようである。これを見て、いつぞやかワタシがカイシャのクレーム研修で見た資料の一節を思い出したことがある。実際にこの研修は受けていないけど、印象的だったのは「インターネットにおけるSNSが発達したことによって、自己主張をできる場が増えたことにより、クレーマーが増えている」ということが資料の中に書かれていたこと。
 実際に自分が統計を取った訳じゃないし、そういった資料も無かったと思うので、SNSの発達が「クレーマーを増やしている」という確証は取れないけど、「自己主張の場が増えた」ことは大いにあると思う。ブログと言うモノが無かった時代は、「掲示板」と言うモノで自分の言いたいことを言うことはあったけど、アレは自分だけじゃなくて全く赤の他人も必ず目を通すので、好き放題なことを投稿すると必ず「アホか」的な感じのツッコミが入るので、自由度は制限されたツールだった気がする(中には集中砲火される人もいましたけど(爆))。まぁ、今の「2ちゃんねる」も実質同じような感じだと思うけど。
 それがブログとなりツイッターとなりフェイスブックとなり、各個人でIDを持ってより自由な物事を投稿できるようになった。全く「他人に見られる」ということは無くなった訳ではないが、自分でその「広場」を管理出来るようになった(出来やすくなった)分、快適に投稿が出来るようになったと思われる。ワシみたいに趣味のことだけ書く人もいれば、日常の日記をメインに書く人もいる。そして当然、普段の憂さ晴らしというか(汗)、そう言ったことを書くためだけにSNSを利用する人もあるだろう(そんな人、実際に見たこと無いけどね(苦笑))。
 好きなことを自由に書けると言うことは、「歯止めが利かなくなる」と言うことにも繋がる。自分の理性が働けばそう言うことも無いだろうが、普段の鬱積したものが爆発すると人間どんなことをするか分からないことがあると思うが、それがこのSNSの中における「炎上」と言うモノになるんだろうと思う。つまり、外的には発散できないから、ネットと言う内的な世界に於いて、「言葉」で憂さを晴らそうと言うことだろうか。
 
 ブログは「炎上」という問題が発生したら、管理者としてはコメント欄を閉鎖したりして、一時的に双方のコミュニケーション方法を閉じるという措置を取ることが考えられるが(それ以外は時間を置くという方法以外、考えられませんが(汗))、ツイッターの場合はそう言うトラブルが生じた時の防御手段が少ないからな〜。フェイスブックは全く分からんし、ブログも防御出来る手段が多い訳じゃないけど(汗)、自分のツイートに対して相手が言ってきたことに対しては悪い言い方をすれば「やられっ放し」という形になるからね。詳しくは分からんが、言われたことの履歴も自分のアカウントの所に何らかの形で残ってしまうような気がするので、タチが悪い。おまけに、文字数も非常に限られているから、そこに投稿される内容も極めてストレートな表現のモノにしかならないだろう。
 ツイッターと言うツールが悪いと言っている訳じゃないけど(ワシは本音を言うと悪いと思っているけど(爆))、一度「炎上」が発生したら、継続するにはいったんアカウントを削除して別人となって続けるしかないと言うリスクが存在すると思うのだよ。まぁ一般の人が炎上すると言うことは少ないだろうし、気に喰わんリツイートばかりする人がいたらフォロアー解除と言う策もあるんだろうが、収拾がつかなくなったらこうするしか道が無いのはしんどいでしょうな。どれも同じかと思うけど・・・。

 それと、今回の人気お笑い芸人による「アカウント削除騒動」に対して某同業者が「そんなことでいちいち馬鹿みたいに腹を立てる奴がいるから騒動が大きくなるんだよ」的なことを言っていたようだけど、それも少し違うかな〜と思う。今回の問題はツイッターが炎上したということよりも、道徳的観念を見失った人たちが非常に多いということがあると思う。TVに出演しているタレントが精いっぱいパフォーマンスをしてくれているのに、それに対して本人たちの目の届く所で公然と批評したりコケ下ろすと言うのは余りにも無礼に当たるのではないだろうか。建設的に意見を述べる人も勿論いると思うけど、報道されていたトーテンの藤田さんのコメントを見ると尋常ではない雰囲気を感じたから、上に述べたように心無いツイートを重ねられてしまった結果なんだろうなと思う。
 タレントなんだからこういう非難にさらされても仕方の無い職業とは言え、言い方と言うものもあるだろう。我々一般人でも人から「オメェの言っていることはいちいちうぜぇんだよ」的なことをダイレクトに言われると腹が立つでしょうに。タレントと我々は違うから、言っても大丈夫とでも思っているのでしょうか。色々な有名人の話を聞くと、やはりファンの中でも失礼な人とそうでない人がいるという意見が多いようなので、やはり有名人であっても我々と同じ道徳観は持っているでしょうし(一見そうは思えない人もいますが(爆))、だから我々も道徳的な姿勢を持ってタレントや有名人と接していく必要があると言うことですかね。タレントと接する機会があったらの話ですがね(爆)。

 ついでに言うと、トーテンの藤田さんに関して言えば、10月初旬に放映された番組で披露したネタについて色々言われたそうですが、こうもネタに噛みついてくるのはお笑いのコンテスト番組が多くなっているからでは・・・と言う気もする。お笑いのコンテスト番組は今まで見る機会が少なかった芸人も活躍できる場だから、とても意義はあるモノと感じるけど、以前から思うけどその審査基準はどの大会もあいまいで、「何故こんなものが・・・」と思うことも時々ある。「面白ければいい」というのが基準なんだろうが、自分が面白いと思っていたモノでも評価が低かったりするのでフラストレーションが見ていて溜まりまくるのも確か…。こう言ったフラストレーションもSNSにおける「憂さ晴らし」、そしてそこから繋がる「炎上」というモノに繋がっていくんじゃないだろうかと思ったりする。
 藤田さんも「お笑いを純粋に楽しめないなんて、可哀相な人だと思う」と仰っていたが、それは一理ある。今回の騒動の発端は、披露されたネタが「パクリではないか」という趣旨のモノからだったけど、元ネタがあるだけで「パクリ」と捲し立てて「このネタは最低」と言うんじゃ、世の中の全てのエンターテイメントは「駄作」ということになるだろう。ある程度の意見の発信は必要だろうが、作品の良し悪しを断罪するならばそれ相応の論理性を持って人を「説得させる」ことが必要だろう。どんなことでもそうだけど、自分が正しいことを言っていても人の心に響かなければただの「遠吠え」にすぎないと思うのだよ。

 な〜〜んてワシが偉そうに言えた義理でもないし(爆)。ただ、ツイッターに関する騒動を見てなんだか残念だな・・・と思うことがあったので文章にしてみました。色々意見はあると思うけど、此処に書いたこと以上のことは言えないのでツッコまないでください(爆)。




ではではノシ


お疲れっす!!
 バレーボール・女子のワールド・グランプリ。先週から何気に始まっていますが今週は小牧ラウンド。先週の韓国ラウンドでは1勝2敗という成績以上に、日本選手のモチベーションの低さが指摘されていた訳ですが(汗)、今週はドミニカ共和国相手になかなかのゲームを繰り広げていたと思います。中でも何と言っても、栗原 恵がコートに帰って来てくれたこと。これに尽きるかな?まだ、本調子と言う訳じゃないんだろうけど今できることをしっかりやってくれていたと思います。出来れば今日みたいな布陣で木村 沙織、竹下 佳江を混ぜて行きたいですね〜・・・って、どうなるかまだ分からんですけど(汗)。


 バレーボールのお話はさて置き、今日は真面目なお話を。


 ワタシが愛する漫画「ジョジョの奇妙な冒険」第6部(「ストーン・オーシャン」)でラスボスのプッチ神父ウェザー・リポートとの直接対決で、プッチ神父が追い詰められた時のシーンでこのようなやり取りがある(ネタばれ注意)。



プッチ神父「グリーン・ドルフィン刑務所で…おまえを始末するつもりならいつだって出来たのだ・・・だが・・・いつかおまえを救えると思ったから『記憶』だけを奪っておいたのだ。これは…わたしの都合のいい命乞いなんかではない」(中略)「やめろウェザー。自分とわたしを殺そうとするのはやめるんだ」

ウェザー「・・・おまえは・・・自分が『悪』だと気付いていない・・・もっともドス黒い『悪』だ・・・」


 全然ジョジョを読んでいない人もいると思うが、詳細な設定は省略させていただく(爆)。今週、大阪の方でまた痛ましい通り魔事件が起きたことを受けて、このやり取りのことを思い出したのです。2008年の秋葉原の事件でもそうだったが、「誰でもいいから殺そうと思った」「殺せば死刑になると思った」という身勝手な動機による殺人事件。このような、情状酌量の余地が無いと思われる事件は現代になってなかなか無くなりそうにならない。非常に残念なことだし、日々生活している上では不安になる。
 そうなると「このような事件をなくすためにはどうするか」、と言うことを考える必要はあると思うが、そのようなことを此処で言ったってどうしようもないし、そんなことを言える知識をワシは持ち合わせておらん(爆)。ただ、こう言った事件の加害者の動機から色々と思うことはあるのである。それを示していると思うのが、冒頭のプッチとウェザーのやり取りだ。
 犯罪を犯した者は「悪」と言うことは社会上の道義的観念から言えば言うまでもないことだ。しかし、それ以前に何処まで人は「悪」という観念について考えているだろうか。そのことを考えてみる。

 話が一気に飛躍するけど(汗)、例えば戦争はどうして無くならないのか。政治でも政権の争いと言う物は常につきものである。そう言った争いがいつまでも無くならないのは何故だろうか。多くの人は恐らく、「相手が悪いからだ」ということに基づいた観点から理由を考えるだろう。だけど、僕自身が最近思うのは違う。多分、両者ともに「正しいことをしていると考えている」からだろうと思うのだ。
 自分の正論を捻じ曲げずに突き通そうとすることは、物事の運びとしては正しいことであると思う。しかし、それによって生じる摩擦に意外と気付かないものだ。自分の経験則上からでしか言えないけど、自分がどうしても「こうしたい!」と強く希望を出しても、相手が受け入れられないと感じると不快な思い、ストレスを少なからず感じることがある。これが鬱積すると相手への攻撃へと転じるのではないだろうか。攻撃は暴力的な手段だけでなく、言葉による中傷や非難をする様な態度をわざと取って、その人の立場を危うくすると言うことも含まれる。
 ただ、人間誰しもはそう言ったことが起こったことによって、周囲の人間への影響を少しずつではあるけど考えるようになると思う。そして、自分の取っていた行動は間違いであったと気付き、自分の考えを変化させ、それによって成長させられていくと思うのである。
 此処で言いたいのは、「悪」とは「自分にとって正しいことと思っていることが相手には理解されず、それによって相手への態度が攻撃的なモノに成り下がった状態」を言うのではないか。その状態では、自分にとっては正義と思っていたことでも、相手にとっては「悪」なのだ。

 それを基に、通り魔事件を起こした加害者たちの心理を考えると「自分は死にたい。そう言う気持ちを分かって欲しい。だからその気持ちをお前らにも味わせてやる」という心理が働いているのではないか。それが社会通念上、「悪」と言うことではあるけど、自分の置かれた立場から見て行くとそれもまた「自分なりの正しい道」と考える状態に陥ると。そして、見ず知らず人への悲惨な攻撃へと向かって行く・・・。
 こう言った、社会的な立場で「切羽詰まった状態」の人をどうケアするかは、専門家の方々にお任せするとして(汗)、「自分がそう言う相手にとって悪の状態になることを回避するためにはどうするか」は多分言うことは出来る。それが、「気付き」と言うものになるだろうと考える。
 「気付き」は、言葉の上では簡単なものであるが、非常に重要なことである。専門的なことは分からないが、まず心理学上のセラピーと言う面からも「気付き」と言うのは基本中の基本とされている。そして、自己啓発の本を読んでも「自分の状態に気付くこと」と言うのを最初に持ってきてそこから改善のための方法論を展開していくことが王道であろう(そーゆー本をあんまり読んだことは無いですが(爆))。心理学や専門学術の世界だけでなく、スポーツだって楽器演奏だってダイエットだって(爆)、自分のパフォーマンスがどういう状態なのかを「気付く」ことから様々な改善方法を試して行くであろう。「気付き」は、人間が更なる成長をしていくのに重要なことなのだ。
 そして、此処で言う気付きは「自分が相手にとって悪の状態になりつつある」と言うことに「気付く」と言うことになるだろう。「気付き」のサインは人によって様々だと思うので、どう言うタイミングで「気付き」になるかは分からないけど、「相手にとって悪」となっているかどうかは、周囲の人たちの自分への見られ方などから感じ取ることは・・・多分、出来るんじゃないかと思う(苦笑)。

 冒頭のやり取りに話が戻るが、ウェザーが言う「自分が「悪」だと気付いていないもっともドス黒い「悪」」という表現は、プッチ神父が自ら創造しようとする「天国」と言うもののために、多くの犠牲を出しているということ。更には、その行為は自分の目的達成のためにはどうしても必要なモノとプッチの中で信じて疑わない所から派生して、ウェザーがプッチを評したことだと思う。
 だったら、プッチが責められるのは可笑しいんやないの?と言う人ももしかしたら居るかもしれない(汗)。それはまぁ、漫画のストーリー設定上、最大の宿敵が居ないと物語が成り立たないので(爆)、通常一般人が持っている道義的観念(「勧善懲悪」と言う物になるんでしょうが)から描いているのでこうなるんでしょうね(汗)。
 ただ、このやり取りからも(と言うより、ジョジョの第6部のストーリー全般から)「悪」とは何で、何故ジョジョ達は戦っているのかと言うのがより見えてくると思うし、それは実際の社会でもあるんじゃないかい?と思うのだよ。

 「自分が悪の状態に陥っている」と言うことを気付くなんてやっぱり無理。と思う人たちも多いだろうが、ジョジョの第5部(舞台はイタリア)には次のような感動的な名言がある。


「そうだな…わたしは『結果』だけを求めてはいない。『結果』だけを求めていると人は近道をしたがるものだ・・・・・近道した時、真実を見失うかもしれない。やる気もしだいに失せていく」「大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。向かおうとする意志さえあればたとえ今回は犯人が逃げたとしてもいつかはたどり着くだろう?向かっているわけだからな・・・・・違うかい?」


 これは、主人公のジョルノ・ジョバーナとチームを組むアバッキオが、サルディニア島で対抗するギャングのボスの攻撃を受け、絶命する寸前と思われる時に見た幻影の中で出会った、不思議な警官に言われた言葉である。連載されていた当時は見逃していたんだが(その当時では読んでいても意味は分からなかったと思う(爆))、非常に真を得たスバラシイ言葉だと個人的には感じる。
 今目の前で起きていることが絶対ではない。「結果」は自分の行いで変わっていくものだ。そのことを信じて前へ進めば、いつかは自分が求めていた結果に辿りつける・・・。そのような勇気を与えてくれる、物静かだが力強い意志を感じる言葉。スバラシイ(ちなみに、そう言った過程よりも結果を先に出して自分の起こりうることを覚悟できる世界を創ろうとしたのがプッチなんだけどね・・・って、それ言ったらネタばれになるわ(爆)。詳しくは読みましょう!!)。



 社会の難しいお話をしたわけだが、やっぱりジョジョは良い・・・。早く、ジョジョ特集をこのブログでもやりたいわね〜〜(と言っても、自分が選ぶ名ゼリフ集位しか思いつかないが(爆))、などと思う今日この頃なのでした。



ではではノシ



お疲れっす!!!
 いきなりでアレですが、フィギュアスケートのヨーロッパ選手権が現在英国で行われているんですけど、ロシア勢が凄いですね…。いつの間にか競技復帰しているプルシェンコを筆頭とした男子は勿論ですが、ペアは既にメダルを独占、アイスダンスも優勝は逃したものの(優勝はフランスのペシャプル組。なんとか面目を保ったようね)、2、3位にロシアのカップルが入っています。後は鬼門の女子で頑張ればと言う所なのですが、マカロワが3位に入っている。レオノワはちょっと出遅れてますね〜。五輪じゃないのでジンクスは関係ないけど、女子が伝統的に他に比べてちょっと残念なことになりがちなロシアだけにしっかりとFSは纏めて欲しいです。まぁ、今年は断然イタリア勢を応援していますけどね(爆)。何故かは後日に。コストナーちゃん頑張れ!!
 テニスも錦織 圭選手の快進撃がイメージ強いですが、その後のシングルス決勝も、女子は安定感と勢いを感じるアザレンカと地力で勝るシャラポワ、既にフェデラー対ナダルに匹敵する位、屈指の好カードの印象があるナダルとジョコビッチが来ました。まだまだ面白い大会になりそうです(まぁ見られないけど…。NHK、圭クンの試合を放送する気合いがあるなら決勝も放送しちゃいなよ(爆))。


 スポーツの四方山話も気になりますが、今回はちょっと気になるお話を。昨日、ヤフー!のページを見ていたらこんなニュースがありました↓。


Twitterが国の状況により、検閲を行う意向を表明。




詳しい記事はこちら↓。


 今やインターネットを通したコミュニケーション・ツールとして世界的に定着しているツイッターと言うモノ。アタシも一回使ってみて、その有用性は否定しないけど自分には無理という結論に至った代物でもある(爆)。従って、特段こう言ったニュースを見ても本来なら気にも留めないのが本来だろうが、丁度日本でも某携帯電話会社の携帯端末の通信にトラぶったというニュースが入った時期にこのようなニュースを見たので、情報通信関連のニュースが重なったと言うことで少し気になった・・・といのはある。
 ニュースの概要は、昨年の中東・アフリカ北部で巻き起こった民主化運動、いわゆる「アラブの春」の契機としてツイッターが使用されたということに起因し、各国の当局が申し入れしたら該当(危険因子のこと?)のツイートを削除、アカウント凍結の処置をツイッターの運営側が行うと言うモノのようである。
 要するに「ツイッターの使用制限」を場合によっては行いますよと言うことなのでしょう。このニュースはツイッターのユーザー限って影響が出るだけじゃないと言うのは自分の中にはある。ブログを主に利用している自分にとっても同じようなことが起これば当然使用制限はかかると言うことを認識しなければと言うことを思わされる内容でもあるんじゃないかと感じたりはする。

 当然、此処に出て来た使用制限の例は上記のように大規模な暴動運動や国家転覆と言った危険な思想を伝播する様な内容に対してのモノだけど、果たして今回出て来た使用制限令を出すこと自体が正当なことなのかと言う疑問も少なからずある。
 ネットでの発言やこう言った形の主張と言ったモノは個々人の思想に反映されると思うが、これを「将来的な危険がある」ということで消されることは「思想の自由」「表現の自由」に反すること。それを犯してまで消さなければならないモノと言うことは相当なものなのだろうけど(汗)、実際ネットでの個人の主張や発言はどの程度のモノかと言うことは明確には表されていない。故に、自分ではそんなつもりでは無いけれども「危険な発想」と言うことで消されると言うことに対して、その発想を持った人はどう思うか。消されたことに対してどう考えるか。ユーザー側の立場にとってみればとても複雑な心境になるのではと感じる。
 ちなみに、中国では既に中国国内版のツイッターと言われるサイトの使用制限令が、政府から出されているというニュースがあったけど。

 「どの程度で危険な発想か」と言う「範疇」の話が出て来たけど、これは表していないのでは無くて「表すことが出来ない」のだと言うことなのだろう。その尺度は、本当に人によって様々で一概に範囲を設定すると「例外」と言うモノを無くし、それはそれで活動に極度に制限をさせてしまう恐れがある。このようなことに限らず、法律は一般的に一定のベーシックな取り決めは作りながらも「それ以上のことは個々人の判断に任せる」と言う様に、語弊はあるかもしれないが(大汗)逃げ道も用意している書き方を条文中ではしていることが多い(当然、禁止規定は「〜してはならない」という断定的な言い方をしている)。
 だから、今回のことも(詳細は運営側の公式HPに書いてあるんだろうが…)「国の状況により」と言う大きな枠組みはあれど具体的な例は出ていない。と言うより、出せないのだろうと思う。逆に出したらちょっと阿呆だな〜と思ったりするんだが(爆)。学校の教科書じゃあるまいし、そんなのいちいち出してたらキリが無いだろう。

 以前から思っていることなのだが、こう言った状況の中だからこそ、「情報とどう向き合うか」と言う姿勢を自分たちの中で育むことが必要なのではと感じたりする。インターネット全般でもそうだが、特にツイッターは運用次第では大量の情報を個人が入手することが出来る。それだけに、不要な情報もいくらでも出てくる。自分たちの中でどれが必要か、どれが必要ではないかという取捨選択、それをできる器を自分の中で用意しておくことがユーザー側の意識の中に置いておくべきだろうと感じるのである。
 信頼できるサイトならばともかく(そーゆーとこでも裏切られることはままあるがね(爆))、盲目的に一つの情報を過信し、思い込むことはこの社会の中で行動をする上でとても危険なことに繋がりかねないだろう。それが、昨年1年に起きた暴動、震災を通してインターネット・ツールの活用のされ方を見ていてワシが思ったことでもある。



 最後にどうでもいいことを言うと(爆)、やっぱりツイッターというモノはコミュニケーション・ツールとして良いモノなのだろうが、自分ではその良さがどうしても分からない。確かに自分のツイート、或いはツイートすることの行動に対してどんどん広がりが生まれてくることは一見いいことだと思うが、広がり過ぎれば自分が知らないうちに「未知の領域」に足を踏み入れることになる。内容によっては非常に恐ろしい所と繋がる可能性もはらんでいる。
 ワシも一昨年末に一時的に使用していたことがあって、その時の体験談を今だからこそ話すけど、ある好きなアーティストのツイートをしたら、そのアーティストから突然自分のツイートに対して返信してきたのである。良いことじゃないかと思うが、その時の感覚を言うとハッキリ言って不愉快だったし怖かった。
 まぁ、自分のツイートが余りにも・・・と言うことがあったので殆どの責任は自分にあるのだが(苦笑)、ただ自分の感覚で自由に言っていたモノに対して唐突にいちゃもんを付けられること、まさか観ていないだろうと思っていた人にまで見られていると言うことがモロに分かってしまうこと。そう言った感覚がこの出来事で芽生えて、それ以来、ツイートすること自体に恐ろしさを感じたのだ。
 ブログも同じことが言えるだろうし、「荒らし」と言うモノに対しての恐怖は常に持っているつもりである。だが、ツイッター程「見られている」と言う感覚はガードされる分、使用することに恐怖感は無い。ただ、「他の人と関係を持ちたい」ということになって色んな人の所に行って、コメントしたりすると同じ様な恐怖感に駆られることが良くある。よほどの人はそんなことは無いだろうけど、やはり全く見ず知らずの人にいきなり「文通をお願いします」と言うのは自分にとっては恐ろしく勇気のいることだ・・・と、最近ジジィになって思うようになったことである(爆)。
 運良くこのブログで知り合えた方々もいらっしゃるし、このブログを通じて自分の好きなモノ、音楽や映画、フィギュアスケートにテニスなどの知識や雑談を深めることが出来たことは確かである。ただ、今の自分には今以上、関係を広げたり深める勇気は沸いて来ない。それはやっぱり、上の様な事があるし、やはりネット上の関係と言うのは擬似的な印象が自分の中にどこかある。そっちの方にばかり気を取られて、現在の自分を見失うことは余りにもくだらないことだと感じるからである。故に、今現在はネットを通じての交流活動の幅は限定的。一人で文章を書いてウホウホし、興味のある人の文章を見てウホウホするだけという、開設当初の状態にほぼ戻りつつあるのである(爆)。

 ツイッターのニュースから話が飛んでしまいましたが(汗)、要するにインターネットと言うモノは便利なモノと言うだけの思考で利用してはイカ〜〜〜ン!!ということをより意識しなければならない時代になっているのかなと感じたりします。そんなお話なのだ。この文章を読んで「もうこんな奴、知らね」と思われた方はファン登録削除等をしていただいて構いません。



ではではノシ



お疲れっす!!!
 ちょろりとYahoo!のトップページで見たんですが、人気ガールズ・ロックバンドのチャットモンチーのドラムス、高橋 久美子さんが脱退を表明したとか。最近はそんなに聴かなくなったんですが(汗)、初めて彼女たちのライブを見たのが初めて参加したカウントダウンジャパン05/06で、その時の演奏している初々しき彼女たちの姿が今でも思い出されます。あの時は、会場の中でも一番小さかったステージで演奏していましたが、その翌年にはいきなりアース・ステージと言う最大規模のステージに行ってしまいまして人気のモノ凄さを感じましたが、同時に親近感も薄れてしまったのも確か(爆)。ちょっと浮足立ちな彼女たちのパフォーマンスが目に付いて最後まで見られなかったな、初めてのアースの公演は。
 んなことはさて置き(汗)、勿論これから!という時にメンバーが脱退すると言うことは非常に大きいことではないかと感じたりします。ただ、脱退する本人は言わば「燃え尽き症候群」的な感じになってしまったということなので(汗)、こればかりはしょうがないのかなと思ったりします。とにかく新しい道が早く見つかると良いなと心の片隅で思ったりもするのです。




 そして、この回の本題へ(爆)。某野球選手や日本を代表するSF作家など、ここ最近度重なる訃報が続いてしまっているけど、先週ある一人の英国シンガーが亡くなったことは、色々なことを考えさせられてしまう出来事でもある。そのシンガーとは、エイミー・ワインハウスのこと。享年27歳と言う非常に早すぎる死で世界に衝撃を与えたと思うが、この件に関する新聞記事や他のブロガーさんの文章で言われていたのは「27歳で死去したミュージシャンが非常に多い」ということである。
 実際、この「27」という年齢で死亡したミュージシャンで考えると、米国の60年代を代表する女流シンガーソングライター、ジャニス・ジョプリン。ロックバンド「ニル・ヴァーナ」のボーカリストだったカート・コバーン。そして、名ギタリストとして後世に名を残すジミ・ヘンドリクス(全てウィキペディア調べ)。その他、20代で亡くなったということを考えれば、R&Bシンガーのアリーヤ、日本でも尾崎 豊がいますし、一昨年急死した「フジファブリック」(活動を再開したようですね)のボーカリスト、志村 正彦。20代は人気のあるミュージシャンで考えるなら正に旬だと思うが、その人気絶頂の最中に急逝すると言う悲劇的な運命を辿るケースが多い。
 死因としては乗っていた乗り物の不運な事故やオーバードーブ(薬物依存)による合併症と言ったモノが殆どだろうけど、何故にこんなにも若くして逝ってしまうのか。考えてもしようが無いような事をここ最近考えてしまうのである。それに、そのことで過敏に反応するのはあまり良いことではないしね(…と、某新聞のコラムに載っていましたが(汗))。


 ある方のブログでもコメントさせてもらったが、20代、特にその後半の年齢と言うのは非常に微妙で難しい年齢なんだと個人的には感じる。一般人で仕事に就いている人ならばそれ相応の仕事を任される時期にもなるし、それと同時に新人職員では余り感じることの無かった「責任」と言うモノの重さを感じさせられる時期にもなってくるからだ。しかも、ある程度のサポートはあるにせよ、基本的には自分でそれらの仕事をこなさなければならない。
 学生であれば常に誰かが後ろ盾となり守ってくれるということもあるだろうけど、社会人には基本的にそれは無い。初めて「自分の身は自分で守れ」と言う言葉を身を以って体感する時期がこの20代と言う年代なんだと個人的には感じる。
 その中で自分の抱えている問題を一気に丸呑みにして、押し潰され、様々な精神障害を引き起こし、それに至らなくとも普段の行動に明らかな変化が生じる。自分も今の職に就いて一時期そういう経験はあったけど、無事死にはしなかったけど(爆)、自分の中で全てが上手くいかないと感じて何度か自殺を考えたこともあった。元々根暗な性格ではあったが、それが更に増長して本気に死にたいと感じていたレベルに達していたんだと思う。まぁ、担当していた課が根本的に嫌だったと言うのが全てだったんだけどね(苦笑)。
 それはさて置き、自分はそれ相応の解決の道を辿ったが(まだ終わった訳じゃないけど…)、とにかく「自分は何をやっているんだろう」「何をしたいんだろう」「こんな自分は思っていたのとは違う」と言う言葉、その中にある得体のしれない重さを肌で感じてしまう。
 「理想と現実のギャップ」。言い逃れの無い様な空虚感。それに派生する極度のプレッシャー。それに押しつぶされて耐えきれなくなる人も恐らく居ると思う。その結果が、上に出て来たようなミュージシャン達の悲劇にも繋がっているんじゃないかと個人的には感じる(全てじゃないと思うけどね…)。

 これも極端な考えだと思うが、よく10代が「青春」として一番輝く時期だと言われる。可能性に満ち、これからの未来をしょってたとうとする若者たち。そのワカモノ達が本気で悩み苦しんで何か一つのことを成そうとする。それはそれでスバラシイことであるというのは言うまでもない。だが、この時の彼らはまだ「学校」という砦で守られた中の世界しか見えていない。行事で様々な所に行ったり体験学習をしたりすることはあるだろうが、基本的には学校の規範の中で行動するしかないのだ。中退とか諸々ある人もいるだろうが(汗)、それはさて置きね。
 本当の試練として通らなければならないのは、初めて自分で地に足を立てて歩むことを余儀なくされる20代からなのだ。そこには、今までせき止められていたモノを止める物はない。誘惑に駆られてばかりで振り回されても駄目だし、自分を追い込んで歩みを止めてばかりいても駄目である。自分で「自分を律する」と言うことがとにかく必要になるのだ。そこでプレッシャーに打ちひしがれスポイルされる人が出てくる。10代で様々なことを経験しても、此処で転んで立ち上がれなくなったら全てが意味をなさなくなる。
 反面、20代の試練を乗り越えて次に進むことが出来た時、恐らくその後の人生には自分の中のもう一つの可能性が生まれると確信し、更に大きな歩みをもたらしてくれると個人的には思ったりする。20代とは10代までに手に入れた知識などを更に確実なものにし、また得られなかった感覚を手にして次に進むための準備段階でもあると感じる。そして、10代には無い「本当の意味での人生の輝き」を手に出来るチャンスでもある。
 それを得るには、10代では体験されなかった苦難も多い。それを受け入れひたすら進むか、諦めるかはその人次第である。だが、もし苦難を受け入れ進んだ先にはまた一つ違う自分になれる可能性を秘めていることも忘れてはならない。僕はまだ30代に入ったばかりでこの先に何かあるか分からんし、更に苦しいことも当然のことながら待っているんだろうが(爆)、20代で「諦め」てしまっていたら、当然のことながら(汗)今の境地には至らなかったのではと思う訳である。

 10代は全てのことに於いて何かとフィーチャーされやすい。しかしながら、人間の内面を磨き人生の足がかりを掴む本当の年代は20代、特に「学生時代」と言うモノを通過した後からであると個人的には感じる。今年プロ野球チーム、日本ハム・ファイターズに入団した斉藤 祐樹投手(ゆーちゃん)が成人式の時の記者会見で20代からの自分の目標について「去華就実」という言葉を口にしていた。「華やかさは去り、実を就けていく」。そのように語っていたが、正にその通りだと個人的には感じる。
 大人と呼ばれる年代となり、10代でやっていてチヤホヤされていたことは当たり前のことになるけれども、まだまだ精神としては未熟さもある20代。状況としても非常にバランスが一番難しい年代でもある。だが、そこを切り抜けて人間として一歩大きな存在として人生を歩むためには、此処で起こりうることを受け入れて進むしかないのである。まぁ、辛いことが多いけどね(それに何をやっても上手く行く人って結構いるよね〜・・・ってそれはさて置き(爆))。


 そのようなことを、改めて若きミュージシャンの死亡のことから関連して考えていたんだが(汗)、余りにも関連性が終りに方で無くなってしまった…。今回のエイミー・ワインハウスの死は、エルトン・ジョンやレディー・ガガなど、多くの大物ミュージシャンも哀悼の意を示しているようです。全て命は尊く、大切ではない命は存在しないということも改めて考えさせられたりもします。





 と言う訳で此処で一曲。

        



 僕のお嫁さん候補でもある(まだ言うか・・・)シンガー、Salyuがソロ・デビュー前にメンバーとして活動したグループ、Lily Chou-Chou(リリィ・シュシュ)の名曲「グライド」ですね。
 ある音楽レビューではこの曲について「ジョン・レノンの「Mother」にも似た空虚感が存在する」と書いてあったと思うが、簡単な英語の文章を連ねてメロディーに乗せたシンプルな楽曲ながら、どこか空しさと共に無常に流れる時間を表現した様な美しくも儚い楽曲。彼ららしい曲と言えば彼ららしい。
 最近では、死生観を歌詞にしたポップスも見受けられるけど(爆)、僕の中で死生観を非常に良く、真摯に表現した音楽と言えばこのリリィ・シュシュ以外に思い浮かばない。彼らの歌に含まれる(と思われている)映画にもなった「リリィ・シュシュのすべて」でも取り上げられている「エーテル」と言う存在が、そう言った人の現世と来世を繋ぐ光と言う意味も取っているイメージが個人的にはあるからである。
直接的に「生」や「死」を想起させる言葉は出てこなくとも、人が人として人生を終えた時、どれだけ静かな静寂が訪れるか、何を考えるか。そんなものをこの「グライド」という曲では唄っているのかもしれない。


 結局何やねんな文章になってしまったけど(爆)、ちょっと考えて唐突に文章にしたからこんなんなってしまったということで勘弁してくださいね・・・。まぁ、寝ましょう(笑)。


ではではノシ


お疲れっす!!!

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