|
いよいよ今日でエヴァTVシリーズ各話紹介も終わり。お付き合いくださいましてありがとうございました。もう少しで終わります。この各話紹介はね(笑)。とにかく、ガンガン行くっすよ!!
第弐拾伍話 終わる世界
第17使徒であった渚カヲルを殲滅(せんめつ)し、人類の危機は去った。しかし、人類補完計画はそれと同時に発動された。人々の心の奥底の世界が表出され始め、ジレンマに苦しむ者が出始めた。人として生きる上では、必ずどうにもならないジレンマが存在する。
今人々の心は、補完計画によって自我境界を越えて一つになろうとしている。従って、互いが互いの心の中を窺い知ることができる状態になっている。そんな中で、シンジは、自分の心の奥の出来事が表出されると同時に、ミサトの心を、そしてアスカの心を見ることとなる。
実験劇場のような舞台の上で、展開される彼らが密かに持っていた希望、そして悲しみと痛みが露にされる。
第1に取り上げられたのは碇シンジ。彼は初号機によってカヲルを殺したことを責めている。たとえ作戦でも、人類の脅威となる使徒であったとしても、カヲルはシンジの理解者だった。そのカヲルを自分の手で殺してしまうなんて…。
シンジはそんなジレンマに苦しんでいた。
続いて、葛城ミサト。彼女は使徒への父親の復讐のためにネルフに入った。しかし、そこはかつて父親が所属していた組織。結局、父への復讐を誓い、けじめをつけようとしていたのに、父の呪縛から逃れられない自分に嫌悪感を抱くことを何よりのトラウマにしている。
それによって自分が本当に欲しかったもの、「幸せ」という価値を見失っていたことに気づかされる。
「自分の幸せへの渇望のため、男(加持リョウジ)に抱かれたかったのか」
そんな疑念が彼女自身を責め、もがき苦しみ始める。彼女が望むものは一体何なのか。
惣流・アスカ・ラングレー。幼少のころに起きた悲しい体験。
父親が実験で起きた事故で死亡し、そのショックで母親が精神障害を起こす。母親は古ぼけた人形を自分の娘だと思いこみ、病室のベッドの上で毎日のようにその人形にアスカの名を呼び語りかける。そんなある日、母親は言う。
「あなたのパパは、私たちのことが要らなくなったのよ。だから、一緒に死んでちょうだい…」
・・・・翌日、病室で首を吊った母親の姿を見たアスカ。その母親の表情は奇妙にも嬉しそうな表情だったという。その表情を見てアスカは、誰の手も借りず生きていく。エヴァに乗り、誰からも認められるようになる。そのような強い決心を持ったが…。エヴァに乗っても、使徒に勝てなかった悔しさが、アスカは彼女自身の価値を見失う。
アスカ「パパもママも嫌い。男の子も嫌い。・・・・でも、一番嫌いなのは私。私を…殺さないで」
如実に現れる人々の「欠けた心」。その心によって心が痛み、痛みから逃避しようとする人々は、このようなことが起こるようになった今の世界を、「終局の一つ」と気付く…。
「そして、人類の補完は・・・・・、つづく」
第弐拾四話の鮮烈なエピソードからどんな展開になっていくのか!!と期待していて見ていたら、「何じゃい、こりゃ!?」という話の展開。要約すると上のような感じになるけれども、映像からの情報は非常に奥深く、1回見ただけでは意味不明なディープな演出となっている。
総集編と言うわけものでは全くないが、過去に出てきた映像を組み合わせ、主要な登場人物の抱いてきた思いを中心に(と言うより、それしかスポットが当たらないんだが…)、ストーリーが構築されている。
ちなみに、過去の映像にまぎれてこの弐拾五話では気になる映像も登場する。地底湖らしき場所で格納されている弐号機、その中でうずくまるアスカ、通路で血を流し倒れこむミサト、誰かに銃に撃たれた形で水に浮かんでいるリツコの死体、対面するゲンドウとレイ。
これらの映像は主に、旧劇場版「THE END OF EVANGELION」で登場する映像である。すでに、新ストーリーのための映像が出来ていたということはTVシリーズでも具体的な映像化で人類補完計画を語る準備は製作者サイドは行っていたと思われる。しかし、後の話では「構成が膨らみすぎて、TVの枠では語りつくせなくなった」ということから、劇場版と言う形で人類補完計画を語るという方向性が決まったという。
とにもかくにも、なんか消化不良な感じであっても、TV版は最終回を迎えるのではあった。
最終話 世界の中心で、アイを叫んだけもの
人類補完計画。その実行中の中でこの物語の主人公、碇シンジは自分の存在価値というものを見つけ出そうとしていた。
シンジは、幼少時代に父親・ゲンドウに捨てられたと思いこみ、知人の下で生活するようになった。ただ、そこでは殆ど何もない、只そこにいるだけの無価値な生活でしかなかった。そんなある日、エヴァに出会った。そして使徒と戦い、幾度となく苦しい決断を迫られながらもこのエヴァに乗っていた。
そのような、エヴァに出会ってからの出来事を通じて彼は「何故エヴァに乗るのか」という質問にはこのような回答をするようになった。
シンジ「それが、僕のすべてだから…」
だが、それは「エヴァに乗る。それだけしかない」と自分の世界を狭量とし、自分の絶対的な価値を低めるものでもあった。「自分にはそれだけしかないのか」。そんな葛藤こそ、彼を苦しめる根源であった。
周囲の人々はそのようなシンジの持っている価値の持ち方について提言をする。最初は厳しく突きつけられるものであったが、そのような言葉を聞くうちにシンジはあることに気付く。「エヴァに出会ってからの生活の中で徐々に僕も変わっていく。それによって、僕の周りの世界も変わってきたことも事実なんだ」。
それに気づいた時に…。
シンジは、別の次元の世界を見た!!
それは、エヴァと言うものが存在しない世界。だけど、シンジは両親と、そしてクラスメイト達と普通に笑って過ごしている世界。明るく、充実しているシンジの表情がそこにはあった。
この世界を見てシンジは悟った。
シンジ「僕は臆病で、何も出来ないダメな人間だ。でも、生まれ変われるかもしれない!!」
シンジは自分自身の取り巻く世界を変えていける力が自分の中にもあって、エヴァに乗らなくても生きていける世界があると知った。「そんな世界があっても悪くはない!!僕だってやっていける!!」そんな決意表明が心を覆っていた闇を打ち破った。闇が過ぎ、光注ぐ場所では、今までシンジを支えていた全ての人々(ミサト、リツコ、トウジ、ケンスケ、ネルフ本部の人々、そしてゲンドウとユイ…etc.)が成長したシンジの姿を喝采し、心から祝福している。誰かが言う。
「父にありがとう。母にさようなら。そして、全ての子供達(チルドレン)に…、
おめでとう」
…全ての物語はこれで完結した。
最終話も弐拾伍話と殆ど同じタッチで、過去の映像をコラージュのように登場させ、キャラクターの内在する心的情景を映像化している。テロップも効果的に使われており、これまでのアニメにはない演出効果が配されている。んが!!「この結末は、一体・・・・何?」と当時は思ったものである。最後のテロップで「おめでとう」と出てくる印象的な一場面があるけれど「何が『おめでとう』やねん?」と当時高校の頃の僕は思ったものである。
ただ、成長して経験を積んでいる今だからこそもう一度見ていると、この結末の意味が分かる。シンジは、補完計画によって互いの心をフィルタとして自分の心を見直して見て、自分でも自分の世界を変えることができる、自分を取り巻く別の世界が存在するということに気付くという過程が描かれているということが理解できる。
このエヴァンゲリオンというアニメは、使徒との戦いを通じて少年達の成長にも主眼を置いて物語が造られていたということも、弐拾伍話と最終話で総括されていると思われる。
と、僕がこのような一定の理解を得られるようになったのは数年前なので、放映当時は見た後に「え〜〜〜!!!」という感想を持ったのは確かである(笑)。他のファンの人の間でも賛否両論の意見が飛び交い、今に至るブームの火が点いた原因にもなったと思われる。
ちなみに、この最終話のタイトルは、あるSF小説のタイトルから取られたものである(誰が書いたかは忘れました…。確か外国人です)。名前が似ているからと言ってヒット作、「世界の中心で愛を叫ぶ」とは全く関連性がないのは間違いない…。
あと、先日放送されたテレビ朝日の深夜番組「アメトーク」でエヴァンゲリオン芸人の熱いトークを紹介する新聞のテレビ欄でさりげなく「おめでとう」と書いてあったが、これは最後のテロップの言葉であろう。この言葉を見た瞬間、「取ってんな〜」と朝っぱらから思った僕だったりする。
「アメトーク」自体見ていない僕で、この回も見ていないんだが、どうやら予想以上の熱い内容だったようである。お笑いグループ・オリエンタルラジオの中田さんが妙なフェチニズムを暴露したこともあって、「見ないで良かった〜」と思う半分、「ちょっと見ておけばよかったな〜」と思ったりする。
とりあえず、これでTV版の物語は、色々な思惑が交錯される中で一応は「完結」となった訳です。と同時に、このブログにおけるTVシリーズ各話解説も終わったんですが、まだまだエヴァ・エッセイは続くであります!!いや、続かせるであります!!!!(←なぜか、ケロロ軍曹の口調)
次は劇場版っすよ!
でも、ちょっと疲れたな〜。他のお話もしないとな〜と思う僕でありました。
お疲れっす!!!
あぁ、気がつけば堺ブレイザーズが準決勝進出ですって〜〜!?嬉しいっす!もう、行くしかないっすね!!
|