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最近、日々聖書を読む中でクリスチャンとして自分が注意して改めることをふとした時に主が語られる・・・
そんな瞬間を感じるのです。主が語られたことは3つのことでした。
1.御霊によって歩んでいる・・・なんて安易に言う事じゃない、意外にそうでない時が多い。
ガラテヤ書5章16〜26節
「 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのため あなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。 しかし、御霊によって導かれるなら、あなた
がたは律法の下にはいません。
肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤 り、党派心、分裂、分派、 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今
もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、自制です。 このようなものを禁ずる律法はありません。
キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。 互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。」 読まれてどう感じますか?
肉の思い、『敵意、憤り、そねみ、ねたみ』・・・わたしは自分自身のこととして思い当たったのです。そして
思いました。悔い改めと、こういう生まれつきの性質を主の憐れみによって御霊によって去らせてくださる
ようにと・・・。
じつは、じつはクリスチャンにとってこのことは死活的に重要なのです。なぜって、
ローマ人への手紙8章6、7節に
「 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従でき ないのです。」とあるのです。
『肉の思いは死であり、・・・』・・・そうです。クリスチャンであろうと肉に従って歩むなら霊的に死に到る、入るはず
の御国に到達しないのです。恐るべきことです。
2.安易に人を、とりわけ信仰の兄弟を裁くことは恐ろしいこと。
マタイの福音書7章1〜4節に
「 さばいてはいけません。さばかれないためです。
あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからで す。
また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。 兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい。自分の目には 梁があるではありませんか。
偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除く ことができます。」
・・・ここで語られているのは実はとても恐ろしいことなのです。すなわち、『自分が裁いたとおりに』、『神ご自身に
自分が裁かれ』、『自分がはかったとおりに』、『神ご自身によって自分がはかられる』のです。 そして、相手の悪い点には気がついていても、自分の中にさらに悪がある・・・それに何と気がついていない。
・・・神がはっきりそう言われ、かつそういう者に対し、『偽善者』と言われるのです。
わたしは、他人をとりわけ信仰の兄弟をさばくことは本当に要注意だと恐れました。
3.主に試みられたとき、それに反抗しつぶやいていないか。・・・このことも御国に入ることと無縁でない。
「 ついで、イスラエル人の全会衆は、エリムから旅立ち、エジプトの地を出て、第二の月の十五日に、エリムとシ
ナイとの間にあるシンの荒野に入った。 そのとき、イスラエル人の全会衆は、この荒野でモーセとアロンにつぶや
いた。
イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたとき に私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して
、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」
主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、 毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためで
ある。
六日目に、彼らが持って来た物を整える場合、日ごとに集める分の二倍とする。」 それでモーセとアロンは、すべてのイスラエル人に言った。「夕方には、あなたがたは、主がエジプトの地からあ なたがたを連れ出したことを知り、朝には、主の栄光を見る。主に対するあなたがたのつぶやきを主が聞かれた
のです。あなたがたが、この私たちにつぶやくとは、いったい私たちは何なのだろう。」
モーセはまた言った。「夕方には、主があなたがたに食べる肉を与え、朝には満ち足りるほどのパンを与えてくだ さるのは、あなたがた主に対してつぶやく、そのつぶやきを主が聞かれたからです。いったい私たちは何なのだろ
うか。あなたがたのつぶやきは、この私たちに対してではなく、主い対してなのです。」
モーセはアロンに言った。「イスラエル人の全会衆に、『主の前に近づきなさい。主があなたがたのつぶやきを 聞かれたから』と言いなさい。」
アロンがイスラエル人の全会衆に告げたとき、彼らは荒野のほうに振り向いた。見よ。主の栄光が雲の中に現れ た。主はモーセに告げて仰せられた。
「わたしはイスラエル人のつぶやきを聞いた。彼らに告げて言え。『あなたがたは夕暮れには肉を食べ、朝には パンで満ち足りるであろう。あなたがたはわたしがあなたがたの神、主であることを知るようになる。』」
それから、夕方になるとうずらが飛んで来て、宿営をおおい、朝になると、宿営の回りに露が一面に降りた。 その一面の露が上がると、見よ、荒野の面には、地に降りた白い霜のような細かいもの、うろこのような細かいも のがあった。
イスラエル人はこれを見て、「これは何だろう」と互いに言った。彼らはそれが何か知らなかったからである。モー セは彼らに言った。「これは主があなたがたに食物として与えてくださったパンです。
主が命じられたことはこうです。『各自、自分の食べる分だけ、ひとり当たり一オメルずつ、あなたがたの人数に 応じてそれを集めよ。各自、自分の天幕にいる者のために、それを取れ。』」
そこで、イスラエル人はそのとおりにした。ある者は多く、ある者は少なく集めた。 しかし、彼らがオメルでそれを計ってみつろ、多く集めた者も余ることはなく、少なく集めた者も足りないことはな かった。各自は自分の食べる分だけ集めたのである。
モーセは彼らに言った。「だれも、それを、朝まで残しておいてはいけません。」 彼らはモーセの言うことを聞かず、ある者は朝まで、それを残しておいた。すると、それに虫がわき、悪臭を放っ た。そこでモーセは彼らに向かって怒った。
彼らは、朝ごとに、各自が食べる分だけ、それを集めた。日が熱くなると、それは溶けた。 六日目には、彼らは二倍のパン、すなわち、ひとり当たり二オメルずつ集めた。会衆の上に立つ者たちがみな、 モーセのところに来て、告げたとき、モーセは彼らに言った。「主の語られたことはこうです。『あすは全き休みの
日、主の聖なる安息である。あなたがたは、焼きたいものは焼き、煮たいものは煮よ。残ったものは、すべて朝ま
で保存するため、取っておけ。」
それで彼らはモーセの命じたとおりに、それを朝まで取っておいたが、それは臭くもならず、うじもわかなかった。 それでモーセは言った。「きょうは、それを食べなさい。きょうは主の安息であるから。きょうはそれを野で見つけ ることはできません。
六日の間はそれを集めることができます。しかし安息の七日目には、それは、ありません。」 それなのに、民の中のある者は七日目に集めに出た。しかし、何も見つからなかった。 そのとき、主はモーセに仰せられた。「あなたがたは、いつまでわたしの命令とおしえを守ろうとしないのか。 主があなたがたに安息を与えられたことに、心せよ。それゆえ、六日目には、二日分のパンをあなたがたに与え ている。七日目には、あなたがたはそれぞれ自分の場所にとどまれ。その所からだれも出てはならない。」
それで、民は七日目に休んだ。 イスラエルの家は、それをマナと名づけた。それはコエンドロの種のようで、白く、 その味は蜜を入れたせんべいのようであった。
モーセは言った。「主の命じられたことはこうです。『それを一オメルたっぷり、あなたがたの子孫のために保存せ よ。わたしがあなたがたをエジプトの地から連れ出したとき、荒野であなたがたに食べさせたパンを彼らが見るこ
とができるために。』」
モーセはアロンに言った。「つぼを一つ持って来て、マナを一オメルたっぷりその中に入れ、それを主の前に置い て、あなたがたの子孫のために保存しなさい。」
主がモーセに命じられたとおりである。そこでアロンはそれを保存するために、あかしの箱の前に置いた。 イスラエル人は人の住んでいる地に来るまで、四十年間、マナを食べた。彼らはカナンの地の境に来るまで、マ ナを食べた。 一オメルは一エパの十分の一である。」
・・・この出エジプト記の箇所も読まれた方は多いでしょう。実際、出エジプトしたイスラエルの民のうち、約束の地
カナンに入れたのは、ヨシュアとカレブと20歳未満の者たちだけで、指導者モーセも民の罪のため、20歳以上の
者はこの不信仰、つぶやきのため主の試みに耐えられずカナンの地を見ず、荒野で死んでしまったのです。
このことは、型であり今の時代に生きるクリスチャンも日々不信仰で、つぶやきの生活をベースとして送るなら
永遠の御国に入れないことのたとえ・・・そう理解できるのです。
以上、3つのことが主から御言葉の読み込みをしている時に主から与えられました。
わたくしも含め、平気で人を裁いている人、御霊の歩みを軽んじる人、主に試みられたときつぶやく人・・・、永遠
の御国は近い、もう自分のものだなどと主をあなどってはいけません。クリスチャンは常に主の前に試みられて
いるのです。主をあなどるなら、主の前に信者でない人以下・・・なんてこともあるのです。
主をただただ恐れ、悔い改めつつ歩まなければ・・・そう思った今日なのでした。
栄光在主 小ヨシュア
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証し・夢
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もう3年余り前のこと・・・
2007年の11月何気に撮った肝臓のCT、ある日なにくわぬ気持ちで病院に結果を聞きにいった。
「腫瘍がありますね・・・。」・・・診察室に医者の声が響く。
「はっ?」・・・わたしは声にならない。医者の声が続く。冷静に診断結果が告げられる。
「年が明けたらすぐに手術ですね・・・。、早いほうがいいです。」
「えっ?」急なことで全く頭が整理できない。しばらくして肝臓ガンである事実がうっすらと理解できた。
当時、まだ転職してまだ日月が浅く、子どものことでも悩んでいた時だった。
どうしたらいい・・・、ガンは初期とのことだった。でも家族に打ち明けることもできない。
数日間ひとりで悩み続けた。・・・もし、仕事の継続に支障が出たら・・・。長期には休めない。
・・・すべてが、肩の上にどっと覆いかぶさってきてふさぎ込んでいた時、ふと自分が福音派の牧師
レックス・ハンバードの運営する『祈りの家族』の一員であることを偶然思い出した。
たまたま持っていた『祈りのカレンダー』の中の『緊急祈りのリクエスト』の電話番号が目に留まる。
職場にも、家族にもまだ病気を打ち明けていなかった私は悩みに悩んだすえ「電話しよう。」と決意し
た。
聖書のヤコブの手紙5:14、15が頭をよぎる。
『あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、
オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による祈りは病む人を回復させます。』
わたしは、なぜか完全に信じて祈ってみようとその時思った。
11月の終わりのある日、職場のトイレに籠り、携帯で『緊急祈りのリクエスト』に電話した。
すぐにスタッフの方が電話に出られて
「どうされました?・・・」の声、自分がガンであることや家族のことが心配であると打ち明けると、び
っくりされたが、
「あなたの病が癒され神様が肝臓を完全に作り変えてくださるように、そひて奥様のために・・・」と
すぐ祈ってくださった。
その間、3分程度だったろうか・・・しかし5分にも6分にも感じられた。祈っている間、涙がとまら
ない・・・。ひとしきり祈ったあとハンカチで涙を拭い何事もなかったかのような顔で職場に戻った。
心がすっと軽くなった。
(続 く)
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