successのブログ

しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける

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東京裁判において、判事11名の中、だた1人 「日本無罪」 を主張したパール博士。
教科書で知るのみだった、この東京裁判を探究するため、ここに本件を考察したいと思う。


最初に参考文献として、パール博士に 「永遠に私の息子だ」 と言わしめた
田中正明(たなか まさあき)氏の著書 「パール判事の 東京裁判 日本無実論」を参照したい。
以下、シリーズで連載する予定であり、本記事はそのプロローグである。





東京裁判   パール判決の生まれるまで


極東国際軍事裁判(俗称・東京裁判)で、戦勝国11人の判事のうち、ただ1人
インド代表判事ラダ・ビノード・パール博士は、この裁判は勝者が敗者を一方的に
裁いた国際法にも違反する非法・不法の復讐のプロパガンダにすぎないとして、
被告全員の無実を判決した。

当時、新興国であったインドが、200余年のイギリスの桎梏(しっこく: =自由を束縛するもの) から解放されて、真っ先に取り上げた問題が、インドネシアの独立援助と、東京裁判への対処であった。
ネール首相はそのために、もっとも尊敬するパール博士を、インド代表判事として
東京に送ったのである。このとき博士は67歳、カルカッタ大学総長の職を辞して、1946年5月17日に着任した。着任してわずか2か月、他の10判事がともに談ずるに足りないと悟るや、彼らと一切の交渉を断って、帝国ホテルの自室に閉じこもった。彼らが観光旅行や宴席にあるとき、博士は部屋に閉じこもったまま、調査と著述に専念した。

ことに資料の収集には力をそそいだ。カルカッタの自宅から何度も著書を取り寄せ、アメリカやイギリスの友人からも、資料を送ってもらった。博士が2年半に読破した資料は4万5000部、参考書籍は3000冊に及んだということである。まさに超人的な努力である。

博士が他の判事たちと全く意見を異にするという噂が伝わるや、博士の身辺危うしという風説が高まった。この風説を心配して、博士の身を憂える人びとに対し、博士はきわめて冷静に、むしろそれらの人びとをたしなめながら、生活態度は少しも変わることはなかった。博士は東京裁判の全期間をとおして、法廷に臨むときは、かならず判事席から被告席に向かって、敬虔なる合掌の礼をとった。満席の法廷は博士のこの態度に感激したものである。


裁判もいよいよ結審に近づいた1948年8月、博士は夫人危篤の急電を受けて、急遽インドに帰った。病床に駆け付けたとき、夫人は博士の顔を見るなり、喜ぶどころか、うらめしそうな面持ちで 「娘が勝手に電報を差し上げたそうで、すみません。
あなたがせっかくお帰りくださったことは嬉しうございますが、しかし、あなたはいま、日本の運命を裁こうという大切なお体です。聞けば その判決文の執筆に寸暇もないそうですが、あなたがこの大切な使命を果たされるまでは、私は決して死にません。どうぞ安心くださって、すぐに日本にお帰りください」 と厳然といい放ったという。

博士はこの夫人の一言に感激して、そのまま東京へ引き返した。夫人は約束どおり、気息奄々(えんえん)ながらも、裁判が終わるまで生き延びていたが、大任を果たして帰った博士に手をとられて、いくばくもなく瞑目されたのである。


このような悲壮なエピソードまであって、全員無実の世紀の大判決文は完成したのである。あるいは、同じ東洋人だから、日本に味方したのだろう、といった、安易な見方をする人がいるかもしれない。しかしこれは、博士の精神を冒涜(ぼうとく)するものであり、見当違いもはなはだしい。
博士が再度来日されたとき、朝野の有志が帝国ホテルで歓迎会を開いた。その席上ある人が 「同情ある判決をいただいて感謝にたえない」 と挨拶したところ、博士はただちに発言を求め、起ってつぎのとおり所信を明らかにした。

「私が日本に同情ある判決を行ったと考えられるならば、それはとんでもない誤解である。私は日本の同情者として判決したものでもなく、西欧を憎んで判決した
ものでもない。
真実を真実と認め、これに対する私の信ずる正しき法
を適用したにすぎない。
それ以上のものでも、また、それ以下のものでもない」


日本に感謝される理由はどこにもない。真理に忠実であった、法の尊厳を守った、という理由で感謝されるならば、それは喜んでお受けしたい、というのである。

その後博士は、国連の国際法委員会の委員長として
活躍され、日本にもたびたび来日されて、
日本国民が 東京裁判史観にまどわされて、自虐・卑屈にならぬよう 日本全国を
遊説された。
博士はインドにおいては最高勲章を、日本からは勲一等瑞宝章を授けれられた。

この裁判を演出し指揮したマッカーサーは、裁判が終わって1年半後、ウェーク島でトルーマン大統領に 「この裁判は間違いだった」 と告白し、さらに3年後の5月3日、アメリカに戻って上院軍事外交委員会の席上で、「日本があの戦争に飛び込んでいった動機は、安全保障の必要に迫られたためで、侵略ではなかった」 と言明したのである。

平成9年11月、インド独立50周年を記念して、パール博士のご遺志に沿い、京都東山の霊山護国神社境内に博士の顕彰碑が建立された。

この場所は明治維新の志士たちの眠る聖地であり、大東亜戦争の英霊鎮まる聖域である。

イメージ 1

靖国神社 境内 のパール記念碑



■参考画像
水間政憲氏 パール記念碑の前にて 

http://lookatgame.com/index.php?key=%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%88%A4%E4%BA%8B


「東京裁判②」 は パール博士がいかなる人物だったかを
ご紹介する予定です。



それを貫く精神は 
ときを経て 多くの人へ伝わる


 
success


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閉じる コメント(27)

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柳虫さん
私も 涙しました。
パール判事と日本の命運に。 感涙

2010/8/23(月) 午後 9:10 [ success ] 返信する

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successさん人物名間違えていました。
本田ではなく本間でした不覚です

2010/8/23(月) 午後 9:15 ITTA 返信する

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ITTAさん
本間氏についても、必ず扱いましょうね。
ありがとうございます。

2010/8/23(月) 午後 9:17 [ success ] 返信する

Successさん(^O^)/


字数配分失敗!


一部 添削しちゃいました。



それから 勝手に Success氏のブログ 【紹介】しちゃいました。


ご迷惑なら 削除します。では


By柳虫

2010/8/23(月) 午後 10:02 [ 柳虫 ] 返信する

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転載させて貰います。

座布団1枚 ポチっとな。

2010/8/23(月) 午後 10:08 [ ジャガイモ4 ] 返信する

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柳虫さん
たくさんの転載ありがとうございました。
記事転載されるの大変だったでしょう!
ありがとうございます^^。

2010/8/23(月) 午後 10:39 [ success ] 返信する

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ジャガイモ4さん
転載ありがとうございます。
ポチもいただいて、感謝です!

2010/8/23(月) 午後 10:40 [ success ] 返信する

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この本、最近買いましたが、まだ、読み終わってません。読まないといけませんね。東京裁判やパール判事の事は名前は知っていても、どんな内容だとか、どんな人か、知らない人は多数だと思います。

2010/8/23(月) 午後 11:59 たまりん 返信する

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SUCCESSさん、お疲れさまです。
最後まで公平を貫かれたパール判事の姿勢こそが本来あるべき国際スタンダードだ!勉強して出直せ!と、反日国家どもに言ってやりたいですね。
傑作!

2010/8/24(火) 午前 0:02 J-BOY 返信する

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おはようございます
ポツダム宣言とは条件付き降伏であり、占領地の法律を尊重するのが国際法だったのである。
白人自己弁護を兼ねた差別と復讐の儀式が東京裁判である
、この儀式に法律の権威がなかった、この裁判を否定した
パール博士だけが事実上の権威だったのである

2010/8/24(火) 午前 5:46 [ 俺はい漢和 ] 返信する

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polepoleさん
私もまだ全部読んでないのですが、一文字一文字が これはメッセージですね。
噛んで含めるように、真実を教えている、パール博士から託された作者の志が感じられます。

2010/8/24(火) 午前 6:17 [ success ] 返信する

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J-BOYさん
>最後まで公平を貫かれたパール判事の姿勢こそが本来あるべき国際スタンダードだ!
そうなんですが、日本人の大多数が、このことを知らないのですね(私も含めて)。
ですから、多くの方に知っていただくのが重要かとおもいました。

2010/8/24(火) 午前 6:18 [ success ] 返信する

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おれは27だよさん
これを読むと、当時の「国際法にぜんぜん則ってない」ことが最初の数ページからわかりました。
東京裁判をするために、「新たな条例」を作ったのです。
今までの裁判に前例がないためです。
これを知れば、A級戦犯やら、合祀が云々やらの論議は、吹き飛びます。

2010/8/24(火) 午前 6:20 [ success ] 返信する

東京裁判 は フィクション であり 戦犯 は 幻 です。



そして 実行 した 欧米が 戦犯国 であり 携わった連中 が 戦犯 なのです。

By柳虫

2010/8/24(火) 午後 5:53 [ 柳虫 ] 返信する

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柳虫さん

深いコメントです。
本を読むと、柳虫さんの言葉の意味が よくわかります。

2010/8/24(火) 午後 7:13 [ success ] 返信する

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東アジアを植民地支配していた白人国家から解放するための戦争であったはずが。。。。
全部日本になすりつけられた。。
その結果今のようなことになっている。。

パール判事の言うことが真実なのでしょう。。
真実は、1つしかありません。

でも見方を変えれば、東南アジア諸国の白人植民地支配を解放した
と言う意味では、日本は歴史上負けたことになっているけど。。。
本当に勝ったのは、日本だったのかもしれませんね。。。

傑作&コピペ転載させてください!!!

2010/8/25(水) 午前 0:45 [ - ] 返信する

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パン大好き♪さん
日本人は、私もそうなのですが、「東京裁判」と聞くと「悪いことをして、ごめんなさい! 日本人が裁かれて当然です」という思考になってしまうのではないでしょうか。
実は、この本は「そうなることを予測して、書かれている」のです。
パール博士が、無くなる前に著者に託していかれたそうなのです。
驚異的ではないでしょうか。
それほどまでに、細心の注意をして、博士は判決をくだされたのです。
日本人は、この志を受け取らねばならぬ、と強く思いました。
転載、いつもありがとうございます^^。

2010/8/25(水) 午前 6:58 [ success ] 返信する

日本人の 機微なる精神構造 をそこまで深く理解していた とは ∽ゥーム …


パール判事は…∽…


■日本人は、…「東京裁判」と聞くと「悪いことをして…裁かれて当然です」という思考に…
「そうなることを予測して、書かれている」のです。
パール博士が、無くなる前に著者に託していかれたそうなのです。



m(__)m



パール判事の 深い思慮に 日本人は報いる努力が必要に思います。


公正 を 欠き 歪められた 偏執的なイデオロギ に翻弄され 流され 日本人としての自立が達成されなければ パール判事の努力も気持ちも踏みにじる事になります。


日本に対し ここまで 理解を深め かつ 公正さに於いて ここまで 努力 された人物が他にあったでしょうか。


我々 日本人は イデオロギならぬ 考察 というものを思考しなければなりませんね!では


By柳虫

2010/8/26(木) 午前 5:54 [ 柳虫 ] 返信する

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柳虫さん
すばらしい人物ですね。
ただ、その背景には、アジアの小国 日本が、帝国主義の名のもとにアジアを植民地として搾取しつくしていた大国に勝った、そのときの感動が、日本への研究を深めさせ、公平・平等な視点の中での判決の要因となったようです。
日本は、アジアの星であった。それを忘れずに、今でも役割として果たすべきことがあるような気がしています。

2010/8/26(木) 午前 6:41 [ success ] 返信する

(^O^)/ ”日本”の 再建!


By柳虫

2010/8/26(木) 午前 7:44 [ 柳虫 ] 返信する

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