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日本を生かす先人の言い伝え −津波の生還者からの証言 「我々に悲壮感はない。またやっていける」 石巻市水浜集落 防災意識の高さで98%が生還 2011.4.2 14:00 産経 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110402/dst11040214030016-n1.htm 「千年に1度」と言われる東日本大震災の大津波は被災地に壊滅的な被害をもたらした。そのなかで、昔から何度も津波を経験してきた宮城県石巻市雄勝町の水浜集落は、
約130戸の集落がほぼ壊滅したが、住民は380人中、死者1人、行方不明者8人で全体の2%程度。背景には、地域で受け継がれてきた知恵や防災意識の高さがあった。
水浜集落は、津波を増幅させるリアス式の雄勝湾の入り口にあたる。昭和8年の昭和三陸津波や、35年のチリ地震津波を経験し、昨年2月のチリ地震でも約70センチの津波が押し寄せた。
集落近くの市の支所前には、「地震があったら津波の
用心」と刻まれた石碑があった。石碑は今回の津波で流されて
しまったが、長年言い伝えられてきたその言葉を胸に刻んでいる。
主婦の秋山勝子さん(67)は地震当時、海岸から約30メートル離れた自宅にいたが、夫とともにそのまま飛び出し、高さ二十数メートルの高台を目指した。高台に着いた約15分後、茶色く濁った波が轟(ごう)音(おん)とともに、集落を飲み込んだという。
湾を襲った津波は最高約20メートルに達し、約130戸のうち9割以上が流出。だが、住民約380人の大半は波がくるまでに、高台に登り難を逃れた。
地区では毎年、高台に上がる訓練を実施している。地区会長の伊藤博夫さん(70)は「水浜のもんは、高台までの一番近い道を体で覚えている」という。 「貴重品やアルバムはすぐに持ち出せるよう、リュックサックにまとめている」と話す住民もいた。
集落には1人暮らしのお年寄りも多かったが、伊藤さんは「どこの家に誰がいるか、頭に入っている」。自身も独居高齢者を家から連れ出し、背中を押して高台を目指した。
今回、被害が大きかった地域では、荷物を持ち出そうとしたり、車で逃げようとして渋滞にはまり、逃げ遅れたケースも目立つが、秋山さんは「命さえ助かれば、後は何とか生きていける。とにかく逃げること」と話した。
高台にある避難所に逃げたが、集落は孤立した。入り組んだ地形の沿岸部にある集落は石巻市中心部から30キロ以上離れ、当初、道路はがれきや土砂で寸断された。4日間は完全に隔絶されたが、全く慌てなかったという。
もともと市内から離れたこの地域は米や缶詰などの保存食を備蓄する習慣があり、水が引いてから被害に遭わなかった家に備蓄された食料を全員で分け合った。さらにガソリンを節約するため、集落中の燃料をまとめて一台の車だけを使用、数日たってから一本だけ通った道を使って買い出しや、親類などへの連絡を効率的におこなった。
今も高台の避難所には約120人が共同生活を送る。まだ電気、水道がなく、電話は通じない。さらにホタテ養殖が県内一盛んだったこの集落の船約50隻も4隻しか残らなかった。しかし、伊藤さんは「われわれに悲壮感はない。支え合ったみんなとなら、またやっていける」と話した。 「地震があったら津波の用心」と刻まれた石碑
これだけではない。 日本の先人は 多くの言い伝えを子孫に残し その命を助けている。 【東日本大震災】 「津波のときは井戸を見ろ」先人の教えで津波避け助かる 2011.3.16 13:18 産経
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110316/dst11031613200050-n1.htm 「津波の時は井戸に気をつけろ」。岩手県大槌町栄町の佐藤綾子さん(59)は二十数年前に近所の高齢者から聞いたこんな教えを覚えていて、津波から逃げ延びた。「昔聞いた話が本当に役に立つとは」と先人の知恵に驚いた様子だった。(清作左)
佐藤さんは二十数年前、当時小学生だった長女(32)と、学校の学習発表会のために津波について勉強していた。
そのとき、明治29年に起きた明治三陸大津波に被災した近所のお年寄りから体験談を聞いた。「津波の時は井戸の水が引いて、ゴボゴボという音が
する。井戸には気をつけて」と佐藤さんは振り返る。 それ以降、「津波が来そうな時はとにかく井戸を見る」と肝に銘じていたという。
この知恵が今回の震災で生きた。揺れが収まった後、佐藤さんはすぐに自宅の井戸をのぞいた。
「(井戸の水が)今まで見たことないぐらいに真っ茶色に濁っていた。これはまずいと思って、すぐさま逃げた」
自宅は津波に飲み込まれたが、佐藤さんは高台に逃げて助かった。
高台から見ると、町に煙がたなびいていた。「よく見ると水しぶきだった。あんなに近くまで来るなんて…」と今回の津波の壮絶さを語った。
「先人の教えは大事なんだと、今回のことで教わりました」と笑顔を見せた。 http://yanesen-urouro.bakyung.com/blog_imgs/08041401.jpg
http://yanesen-urouro.bakyung.com/2008/04/post08041400.html 日本に残る井戸 東日本大震災
此処より下に家建てるな…先人の石碑 集落救う 2011年3月30日07時22分 読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110329-OYT1T00888.htm 「此処(ここ )より下に家を建てるな」――。
東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。
「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ )」
本州最東端の ●ヶ埼 ( とどがさき )灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に
刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)
地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。
地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20110329-080280-1-N.jpg
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110329-OYT1T00888.htm 過去の津波で壊滅的被害を受けた姉吉地区にある石碑(27日、岩手県宮古市で)
【大震災】 防災の教え 命救った 釜石「津波てんでんこ」 (自分の責任で早く高台に逃げろの意) 2011/03/27 06:55 北海道新聞 http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/281397.html 東日本大震災で1200人を超す死者と行方不明者を出した岩手県釜石市では、3千人近い小中学生 のほとんどが無事に避難した。 背景には、古くから津波に苦しめられてきた三陸地方の言い伝え「津波てんでんこ」(自分の責任で早く高台に逃げろの意味) に基づいた防災教育がある。 想定外の大津波が押し寄せる中、防災の教えが子供たちの命を救った。 釜石市北部の大槌湾を望む釜石東中学校(生徒数222人)は、同湾に流れ出る鵜住居(うのすまい)川から 数十メートルしか離れていない。 11日午後の地震発生時は、各教室で下校前のホームルームが行われていた。 立っていられないほどの横揺れが生徒たちを襲った。1階にいた3年生の栗沢正太君(15)は避難口を確保しようと、 とっさに窓を開け、机の下へ。揺れが一段落すると、担任教師が「逃げろ」と叫び、栗沢君が校庭に出ると、2、3階にいた1、2年生も非常階段を下りてきた。 校庭に出た生徒たちは教師の指示を待たず、高台に向かって走りだした。途中、同校に隣接した 鵜住居小学校(児童数361人)の児童も合流。小学生の手を引く中学生の姿も目立ったという。 子供たちは普段の防災訓練で使っている高台に集まろうとしたが、だれかが「まだ危ない」と言いだし、さらに高い場所にある老人施設まで移動。学校から1キロも走っていた。 教師たちが点呼を取ったところ、登校していた両校の児童生徒計562人全員の無事が確認できた。 その5分後、両校の校舎は津波にのみ込まれた。 続きはこちらへ 安政元年 村を津波から守った 浜口梧陵ラフカディオハーン 「生き神様」 のモデル日本は 先人の 「子孫を思う心と知恵」
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オナラ、ウンコ・・・お腹が痛くなった原発くん わかりやすい Youtube 原子力解説 わかりやすい原子力解説。 身近なものに例えて、理解しやすい画像です。 こういった教育分野は、日本の独壇場の領域です。 オナラに、ウンチ…。身近なもので、原発を解説しています。 地震で お腹が痛くなってしまった原発くん。 ウンチの代わりに、オナラが出てしまった・・・ 今回の福島 原発事故のしくみがよくわかる画像。 私も勉強したいと思います。 煙 = おなら
http://chirol.net/blog/archives/images/2000/20001127.jpg
http://chirol.net/blog/archives/2000/11/post_63.html 放射性物質 = ウンチ だそうです…
http://profile.ak.fbcdn.net/hprofile-ak-snc4/50552_47912107417_4500_n.jpg
http://www.facebook.com/notes.php?id=47912107417 【放射能漏れ】 事故を分かりやすく表現 放射性物質は「うんち」、煙は「おなら」 原発アニメがネットで人気 放射性物質の拡散が懸念される東京電力福島第1原子力発電所の事故について、子供や高齢者にも分かりやすく表現したアニメが動画投稿サイト「YouTube(ユーチューブ)」にアップされ、100万回以上閲覧されるヒットとなっている。
作品名は、「うんち・おならで例える原発解説〜『おなかがいたくなった原発くん』」。ピンクのクマ、モモがメールを運ぶパソコンソフト「ポストペット」の生みの親、メディアアーティストの八谷和彦さんが原作となる「つぶやき」を投稿し、それを見た匿名アニメーション作家が作成した。
原子炉内の高レベルの放射性物質を「うんち」、放射性物質を含む煙などを「おなら」に例えて区別。旧ソ連のチェルノブイリ原発と違って福島第1原発には、おむつも当ててあると解説している。英語字幕版も作られ、同様に100万回以上再生されている。
15日の投稿以降、マスメディアの堅苦しい解説とは一線を画す軽いタッチが受けているようだ。
八谷さんは、奥さんやその友達が報道では分からないことが多いため過剰に不安がっていたことから、「当時の資料を読んで、小さい子や高齢者でも理解できるようにと作った」と話している。 以下、youtubeの画像解説です。 http://www.youtube.com/watch?v=ZUzBvxdnCFM わかりやすいです
「チェルノブイリちゃん」 や 「スリーマイルくん」 との ちがいも解説されています 事態はもっと深刻なんですが、概略を知るには
わかりやすいと思います 実際の状況については、別途記事にしたいと思います。 原発くんにお薬をあげてくれている
お医者さん、本当に ありがとう 東京は、福島の原発くんから、たくさんの電気を
もらっていました 原発くんにも ありがとう success
ちなみに・・・ これは英語版です |
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震災は悲劇である。
あらゆる天災が悲劇であるように。
しかし、それに乗じて「新たな日本」?
「大きな夢をもった復興計画」?
日本滅亡を防ぐキーワードは
「分相応」
日本は日本らしく
我々は我々らしく
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人気ブログランキング 政治 https://blog.with2.net/in.php?1067783
にほんブログ村 政治 https://politics.blogmura.com 政府筋から、
「被災者にやさしい」復興計画がぶちあげられはじめた。
曰く、津波被災地域の「買い上げ」
その財源の案は、
各種増税と、
日銀による国債引き受け
のようだ。
これを読まれて、
「もっともだ」
と思われる方もおられる事であろう。
しかし、これは「私有財産制」を根本から切り崩す、
寝技になっていることに気づかれるだろうか。
天災は、この国の国民が等しく被りうるものである。
東京も、大阪も、沖縄も例外ではない。
今回の東北地方は、阪神大震災と同様に「ノーマーク」の地域であった。
これは不可抗力である。
逆にいえば、これに備えるのは、
個々の国民の義務であり、
それぞれの集落・町の義務である。
それが「国民主権」
「地域主権」の意味である。
我々は、キリギリスにならないように教育され、
アリの忍耐と備えを教育される。
誘惑に負けないものが生き残る。
これは、道理なのだ。
多くの生命が失われ、
多くの家屋・工場が流された。
頼みにしていた堤防は消滅し、
土地は沈んだ。
あまりにひどい被災に、
個人では無理、集落や町では無理。
しかし、だから「国がなんでも面倒をみろ」
というのは筋違いだ。
「国がなんでも面倒をみられる」
これなら、「公営経済=統制経済」そのもの、
「私有財産」ではなく「国有財産」という社会主義そのものである。
個性だ、人権だと、勝手気ままを正当化し、
困ったら「国がーー」「政府がーー」では、
わがままな子供そのものではないか。
国の奴隷になるのを大歓迎する「シロアリ」である。
それは逆にいえば「国家による専制」そのものでしかない。
こんなのは
私有財産制を定めた憲法第29条に違反する
阪神大震災でも、
国の役割は、
・インフラの復旧
・信用不安の抑制
・民間活力の支援
に限定されていた。
これは正しい判断だったと思う。
しかし、「かわいそう」と言う声を背景に、
が事後につくられた。
阪神大震災の時、
民有地のがれき撤去は公費でできないという問題が浮上した。
これでは復旧が遅れるとのことで、
公費ですることになった。
これは賢明な判断だったのではなかろうか。
しかし、被災者に金を配る仕組み
というのは、やはり、バラマキでしかない。
ましてや、水没地域の国家買い取り(国有化)に至っては、
全く筋が通らない。
人々は、そのリスクとともに暮らしていたのだ。
そのリスクの対価としての安さを度外視して、
「かわいそう」だから、
国費が投入される。
東電をせめるのは筋違いである。
東電がどうして、「お粗末な原発防災対策しかとれなかったのか」
考えてみた事はあるのだろうか?
こんなことを反原発屋と(社会主義の本家の)フランスがわめいている。
まったく本質をはずしている。
広島・長崎の原爆を受け、
強固につくられた「反原発アレルギー」を「悪用」して、
反原発勢力は、政治闘争をしかけた。
原因は、「反原発勢力」にあるのであって、
それ以外ではない。
こういうのは「総会屋」と同じマッチポンプである。
今回、原発の暴走で、我が国の危機管理の本質が露呈した。
確かにこれまでの原発事故のような「軽度」の事故では、
マニュアルが完備され、問題は露呈しなかった。
しかし、「重度」の事故では、
「何の準備もない」ことが露呈したのである。
これを国防におきかえるなら、
「軽度」の問題なら、問題は露呈しない。
でも、「重度」の問題なら・・・。
尖閣問題程度の問題ですら、あのざまだった。
だから、当然ながら、
「本格的な侵攻」などには、お手上げなのではなかろうか。
しかし、今回の大震災ではっきりした。
といっても、断ったり、
来ても、何も依頼ができず、
ただ、時間だけがたち、
決断はなく、現場の責任感だけしかない。
こういう「識者が、指摘してきた問題が、そのまま露呈」した。
話が横道にそれた。
本ブログでは、民主党政権の政策・政治について、
繰り返し警告してきた。
と、繰り返し警告してきた。
そして、その本質は、今回の大震災でそのまま発揮されてしまった。
当然のことながら、その本質は、「復興」においても存分に発揮される。
だからこその
なのだ。
市場はさっそく反応し、
長期国債は暴落しかけ
円は一気に円安にふれている。
このブログのコメントによせられた、
などという議論は、
わずか一瞬で「現実によって反論」されている。
世界各国の機関投資家に説教でも、しに行くべきだろう。
正気にもどるというのは、
こういう事だ。
こういうまともな感覚のことを、
昔の人は
と表現していた。
こそが尊ばれてきた。
これが本来の「日本」の姿ではないのか?
今回の大震災。
本来であれば、国家もまた、この震災に備えて、
のである。
しかし、我が国の状況はどうだ。
これは「キリギリス」そのものの姿なのだ。
この「キリギリス」は、
我々が「復興」に対してなせる事は
すでに身をあまやかして、
などという堕落に終止符をうって、それを財源とすること、
そのうえで、どうしても足りない分だけを、
国民による自律再生を損なわない最小限の規模・方法で、
復興国債を世界中から募ることである。
迷妄からさめよ、日本国民よ
滅びの時は、先送りできない
日本は日本らしく
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アルゼンチンはかつてスペインの支配にありましたが1816年に独立します。
そのアルゼンチンはヨーロッパやアメリカの圧力に常に緊張した状況が続いていましたが、
決して屈することなく独立を堅持していました。
そのようなアルゼンチンにとって東洋の小国である日本という国が、
大国である清国と堂々と戦っている姿は人ごとではありませんでした。
当時のアルゼンチンの新聞にはこう書かれていました。
「日本は10倍の人口を持つ国に挑戦するという、これ以上望むべくもない勇猛さと剛胆さを
体現しているのであるから、我々は清国より日本に共鳴せずにはいられない」
日清戦争の日本の勝利でアルゼンチンは「日本を手本にすべきだ」と日本を研究しはじめ、
明治31年には日亜修好通商航海条約をも締結します。
そして、アルゼンチンが最も日本に関心を高めたのは日露戦争でした。
「なぜ日本はロシアに勝てたのか」、アルゼンチンは分析をはじめました。
・・・日本は東洋にあって西洋文明の優れた部分を取入れ、
また他方では自国の伝統を遵守し、継承している国である。
そして、その根源は聖徳太子の憲法十七条にある。
日本ではすでに604年に憲法が制定され、
その憲法には
「和をもって貴しとせよ 群卿百寮、礼をもって本とせよ それ民を治める本なり」と定めている。
それに対して白人は傲慢で、無礼で、暴力的で、威圧的に人間を統治していた。
日本の精神は道徳によって社会を律し、
国家への忠、親への孝、夫婦の和、兄弟の愛を
宗教人としてではなく社会人・家庭人として義務とされている。 ・・・
アルゼンチンの日本分析はこう締めくくられていました。
「日本国民は見識を持ち、勤勉かつ壮健である。
彼らの中には祖国とその偉大な人物への崇拝心が混在している。
戦争に勝利したのは東郷でも大山でもない。
戦争に勝つには優秀な将軍だけでは十分ではなく、優れた軍隊が必要なのであり、
そして優れた軍隊をもつには堅牢に建設された国家の存在が不可欠なのである。
日本という国は国民全体の資質が極めて高く、それが日本の国家の基盤である」
と指摘しています。
・・・
大東亜戦争後、青年期にアルゼンチンに移住した現地日本語紙の編集主幹・高木一臣氏の
回想録にはこのように書かれています。
私が祖国・日本を離れ、このアルゼンチンに来て50年が経ちました。
1951年6月、私は全くスペイン語を知らないでこの国にやって来ました。
当時、無一物の私は、無料の国立夜間小学校のあることを知り、
強引に校長先生にお願いして入学を許されました。
そして、日本の大卒でしたが、子供たちと机を並べて勉強し始めました。
小学校を終えると、次に夜間の国立中学校に入学しました。26歳の時でした。
入学して1年、歴史の授業での出来事です。
先生は生徒を名指しし、教壇に呼び出して復習してきたかどうかを質問します。
その時、「ホセ、前に出ろ」 「ファン、前に出ろ」と名前で呼ぶのが常でした。
ところが私の場合、なぜか「高木」と名前では呼びません。
「日出づる国の生徒よ、前に出ろ」と呼んだのです。
私はこれに対し
「先生、日出づる国の生徒よ、という呼び方はやめて下さい」と言いました。
「なぜか?」と反問する先生に向かって私は、
「先生、太陽は落ちたのです。日本はもう日出づる国ではなくなったのです」と答えました。
しかし、先生は
「君が太陽が落ちたと言うのは、日本が戦争に敗けたからか?」とたずね返してこられました。
私が「そうです」と答えると、先生はキッとした厳しい顔つきになりました。
そして、
「君は間違っている! 日本が日出づる国であるのは戦争に強かったからではない。
日本はアジアで最初に西欧文明を取り入れて、我がものとし、世界五大強国の仲間入りをした。
そのことに示されるように西洋文明と東洋文明という全く異質の文明を統一して、
世界文明を創り上げる唯一の能力を持った国である。
この難事業をやり遂げるのは日本をおいて他にはない。
日本がこの能力を持ち続ける限り、日本は日出づる国であるのだ。
戦争の強弱などという問題は西洋文明と東洋文明の統一という大事業の前には、
取るに足らぬことなのだ。
君は日本が戦争に敗けたからといって、卑屈になる必要は少しもない。
『俺は日出づる国の人間なのだという誇りと精神を失わず、胸を張って歩きたまえ』
と私に向かって言われたのです。
私はこれを聞いて、涙があふれ出るのを押さえきれませんでした。
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
(産経フォトより)
日出づる国の人間なのだという誇りと精神を失わず、胸を張って歩きたまえ
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海上保安本部 特殊救援隊のみなさん 被災犬も分け隔てなく救出 する海保 よく生きていたなあ、というのが まず最初の感想です。 地震・津波が東北地方で発生したのが、3月11日。 この わんちゃんが助けられたと報じられたのが、4月1日。 3週間です。 犬だからいいじゃないか、という意見もあるでしょうが、でもでも 3週間の間 たった1人 (1匹) 助かるともわからない波間を漂っているのは、きっと不安以外の なにものでもなかったでしょう。 見れば、まだ小さい犬。 生きとし生けるものが助かる ― 本当によかったと思います。 【東日本大震災】 気仙沼沖 海上漂う屋根の上に犬 不明者捜索中の海保が救助 2011.4.1 23:58 産経 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110401/dst11040123590085-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/images/news/110401/dst11040123590085-p1.jpg
http://sankei.jp.msn.com/affairs/photos/110401/dst11040123590085-p1.htm 第3管区海上保安本部の特殊救難隊に救出されて なでなでされる犬 1日午後4時ごろ、宮城県気仙沼市本吉町の沖合約1・8キロの海上で、漂流していた屋根の上に犬がいるのを、第3管区海上保安本部(横浜)所属の特殊救難隊が見つけ、約1時間後に救出した。
地元の第2管区海上保安本部(宮城県塩釜市)によると、同救難隊は東日本大震災の行方不明者を捜索するため海上をヘリコプターで飛行中に犬を発見。ヘリコプターから助けようとしたが、犬は海上にあった木材などに飛び移って逃げた。
隊員3人が救助艇で再度近寄り、最後は救助用の担架に乗ったところを助け出した。
犬は黒っぽい首輪をつけていたが、飼い主の住所などは書かれていない。海保の巡視船の中でビスケットやソーセージを食べ、おとなしくしているという。 http://sankei.jp.msn.com/images/news/110401/dst11040123590085-p2.jpg
http://sankei.jp.msn.com/affairs/photos/110401/dst11040123590085-p2.htm 第3管区海上保安本部の特殊救難隊に救出される犬 =1日午後5時ごろ、宮城県気仙沼市本吉町の沖合約1・8キロ(海上保安庁提供) 犬も人間も つらいのは同じ わんちゃん、よかったね いっしょにがんばろう! 4月3日追記 3週間ぶり救出の「奇跡の犬」はヘリの爆音に驚き、救難隊員の目にとまる東日本大震災が起きてから3週間を越えたが、犬が海上に流された浮遊物の上から奇跡的に救出されるドラマがあった。 1日午後2時ごろ、行方不明者の捜索にあたっていたヘリ搭載巡視船「つがる」(第1海上保安本部
=北海道)のヘリが、宮城県気仙沼市本吉町の沖合約1・8キロを捜索中、家の屋根に乗った犬を見つけた。
1管では被災者の生存の可能性があるとして、特殊救難隊員が降下して家の中などを捜索したが、
被災者は見つからなかった。隊員は犬を救出しようとしたが、ヘリの爆音に驚いた犬は現場から浮遊物
を伝いながら逃走した。
「つがる」は午後4時すぎ、隊員2人が乗った小型船で犬に接近し、無事救出に成功した。犬の性別
や年齢は不明だが、与えられた水やビスケットをたいらげ、元気そうにしているという。犬はその後、巡視艇で運ばれて岩手県釜石市に上陸、久しぶりの大地を踏みしめた。
http://sankei.jp.msn.com/images/news/110402/dst11040214390018-p4.jpg
http://sankei.jp.msn.com/affairs/photos/110402/dst11040214390018-p4.htm 海上の浮遊物から犬を救助する海上保安官 =1日午後2時ごろ、宮城県気仙沼市本吉町沖(海上保安庁提供) |




