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帰ってこんで よし。
【東日本大震災】
石井民主副代表らマニラでゴルフ 「目につかないと思った」
民主党の震災対策副本部長を務めている石井一副代表ら同党議員3人が、訪問先のフィリピン・マニラ首都圏郊外のゴルフ場で5日、在留邦人らとゴルフをしていたことが6日、分かった。
石井氏は、東日本大震災後、ゴルフをするのは初めてで「国外であれば目につかないと思った」と説明。「被災者の方から見れば『何だ』という気持ちになるでしょうね」と述べた。
同氏は昨年秋に日本フィリピン友好議員連盟の会長に就任。会長として3〜6日の日程でフィリピンを訪れ、同国政府当局者や上院議員らと面会して、日本の政府開発援助(ODA)や通信事業関連について意見交換した。日本への震災支援の関係者や、議連のフィリピン側議員らとも会ったという。
ゴルフをした他の2議員は、生方幸夫元副幹事長と那谷屋正義参院議員でいずれも議連メンバー。(共同) 民主党 震災対策副本部長 石井一 副代表
http://msp.c.yimg.jp/image?q=tbn:ANd9GcRD0X-USwFYX78L-0YWzMBnfcPdrbV7-9ZB1HQqT5BjDi2GYCFNf_tN9g:http://www.kyudan.com/2004hirei/img/nataniya_masayoshi.jpg
那谷屋正義氏
大震災の復興のさなか
そんなに ゴルフがしたいなら
もう 帰ってこんでもよし!
ずっとそこに いなさい!
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かつてあった 『手本』
【消えた偉人・物語】 一年生を迎えて
「二年生」の歌 声に出せば自覚と誇りを宣言
新しい1年生が入学してきた。2年生になった子供たちは、その1年生を小さく感じ、ちょっとした優越に浸ることだろう。「もう1年生ではありませんよ」などと、担任の先生からも言われてその気になったりする。その2年生になって最初に勉強する修身の教材がある。昭和19年文部省発行「ヨイコドモ 下」に載っている。
◇
二年生
ケウシツガ
カハッタ。
机モ
カハッタ。
ウレシイナ。
一年生ガ
ハイッテ 来タ。
弟ヤ 妹ガ タクサン デキタ。
ウレシイナ。
本ガ新シク ナッタ。
チャウメンモ
新シク ナッタ。
二年生ニ ナッテ
ウレシイナ。
私タチハ、一年生ノ セワヲ シマス。朝、學校へ 来ル 時、サソヒマス。學校デ、イッショニ アソビマス。
私タチハ、先生ノ ヲシヘヲ マモリ、三年生ヤ 四年生ニ ナラッテ、ヨイ子ドモニ ナラウト 思ヒマス。 修身教科書に載っている当時の学校風景の絵=「復刻 国定修身教科書」(大空社)
◇
きっと誰もが、思わず声に出して読みたくなるのではないか。特に、三連から成る詩の部分は引き締まった常体文で心地よいリズムを生む。終わりの行は全て「ウレシイナ」で統一され、心が浮き立つ思いだ。
また、その後は「です、ます調」の敬体文に変わり、そこからは2年生なりの成長を自覚させようとする編者の思いが読み取れる。全文が一人称で書かれており、声に出して読めばそのまま新2年生としての自覚と誇りを宣言する形にもなっている。心憎いばかりの好教材ではないか。
◇
この度の東日本大震災で被災された方々のご心痛はいかばかりかと、心よりお見舞い申し上げます。私たち日本人はこれまでも幾多の大災害の難を克服しつつ今日を築いてきました。その不屈の底力を信じ、どうぞ頑張ってください。
(植草学園大学教授 野口芳宏)
日本教育技術学会名誉会長 野口芳宏氏
【消えた偉人・物語】
工藤俊作と上村彦之丞 再現された 少年時代の“手本”
2011.3.19 産経 http://sankei.jp.msn.com/life/news/110319/edc11031907520001-n1.htm 英国の元海軍士官で元外交官、サム・フォール卿の『ありがとう武士道』(麗澤大学出版会)が、一昨年翻訳出版された。その巻頭にフォール卿はこう記している。
「私は、本書を、大戦中、私の命を救ってくださった、日本帝国海軍少佐、
故工藤俊作に捧(ささ)げます。そして、武士道という偉大な精神をつくり上げ
られた日本およびすべての日本人に、深甚の謝意と尊敬の念を申し上げたいと思います」
工藤俊作(1901〜1979年)とは、第二次大戦中活躍した駆逐艦「雷」の
艦長(後に中佐)である。
フォール卿はジャワ沖海戦(1942年)で日本海軍によって自艦が撃沈され、漂流する中、彼を含む英国海軍将兵422人が工藤の「雷」によって救助されたのだった。
この話は、恵隆之介氏の著書『海の武士道』(産経新聞出版)やフジテレビ「奇跡体験!アンビリーバボー」などで紹介され話題を呼んだ。恵氏によれば、工藤は幼少の頃、祖父母から子守歌代わりに軍歌「上村将軍」を聞き育ったという。「上村将軍」というのは海軍大将・上村彦之丞(ひこのじょう)(1849〜1916年)のことである。上村は明治
43(1910)年から使用された第2期国定修身教科書に登場するから、工藤少年はこの教科書からも上村のことを学び、生き方の“手本”としたことであろう。「博愛」と題する例話の中で、上村は次のように伝えられている。 「上村艦隊が敵艦リューリクを打沈めし時、敵の溺死せんとする者六百余人を救ひ上げたるは極めて名高き美談なり」
日露戦争蔚山沖海戦(1904年)で上村司令長官率いる第二艦隊が、ロシア・ウラジオストク艦隊の巡洋艦リューリク号を撃沈。同艦はそれまでに多くの日本商船や輸送船を撃沈し人命を奪っていたが、上村は波間に漂い溺死に瀕したロシア将兵627人を救助し、「これでこそ日本武士なれ」(「東京朝日新聞」=明治37年8月16日)と讃(たた)えられ、世界も賞賛した。
この「博愛」的行動、武士道精神は工藤に受け継がれ、38年後の太平洋上で再現されたのである。
(皇學館大学准教授 渡邊毅) 海軍大将・上村彦之丞 日露戦争サイトより (こちらもぜひご覧ください)
駆逐艦「雷」艦長 工藤俊作中佐
身土不二サイトより (こちらもぜひご覧ください)
かつて日本に すばらしい人々がいた。
そのかたがたは、日本で普通に暮らし、特別な人ではなかった。
しかし、ひとたび何かが起こると、武士道の精神により
人智を尽くした。
そういう 「お手本」が 日本には無数にあった。
そして、それは今にもつながる。
もう一度、こういう 「特別でない 日本だけの教育」 を
復活させたいと思う。
【国際】
「尖閣問題の最中、中国船急病人を海自が救助」
こういった歴史を知って
誇らしく思い そして、何より
うれしく思います
日本人に生まれて本当によかったと
思っています
success
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