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しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける

正しい日本の歴史

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前記事の 『外務省や地方自治体のHPが表明する 「日本の領 土問題」』 の第2弾。
 
日本の政府関連サイトは、「慰安 婦問題」 についても粛々と 「日本が謝罪として
今まで何を行ってきたか」 (どれくらい膨大な慰安金を払ってきたか) を表明している。
ここでも、外務省HPの表明は、強いメッセージ性を伝えている。

日本が国として表明しているものを、日本国民も知っておきたいものと考え、
こちらの記事でご紹介する。

なお、河野談話は 日本の有識人、政治家の方々の中でも 「根拠が乏しい中に
“とりあえず謝罪してしまったもの”」 として、今後大きく見直しが図られることが
予想されている。

外務省HPより  

慰安 婦問題
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/ianfu.html


慰安 婦問題に対する日本政府のこれまでの施策

平成23年8月

 日本政府は,慰安 婦問題に関して,平成3年(1991年)12月以降,全力を挙げて調査を行い,平成4年(1992年)7月,平成5年(1993 年)8月の2度にわたり調査結果を発表,資料を公表し,内閣官房において閲覧に供している。また,平成5年(1993年)の調査結果発表の際に表明した河野洋平官房長官談話において,この問題は当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であるとして,心からのお詫びと反省の気持ちを表明し,以後,日本政府は機会あるごとに元慰安 婦の方々に対し,心からのお詫びと反省の気持ちを表明している。

慰安 婦問題が多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であることから,日本政府及び国民のお詫びと反省の気持ちを如何なる形で表すかにつき国民的な議論を尽くした結果,
平成7年(1995年)7月19日,元慰安 婦の方々に対する償いの事業などを行うことを目的に財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」(略称:「アジア女性基金」)が設立された。日本政府としても,この問題に対する道義的な責任を果すという観点から,同年8月,アジア女性基金の事業に対して必要な協力を行うとの閣議了解を行い,アジア女性基金が所期の目的を達成できるように,その運営経費の全額を負担し,募金活動に全面的に協力するとともに,その事業に必要な資金を拠出する(アジア女性基金設立以降解散まで,約48億円を支出)等アジア女性基金事業の推進に最大限の協力を行ってきた。
なお,基金は平成17年1月の時点で,インドネシア事業が終了する平成18年度をもって解散するとの方針発表を行っていたこともあり,右インドネシア事業が終了したことを受けて,平成19年3月6日解散発表し,平成18年度をもって解散した

1.アジア女性基金への協力

(1)フィリピン,韓 国,台湾

アジア女性基金は,各国の政府等が元慰安 婦の認定を行っているフィリピン,韓 国,台湾においては,既に高齢である元慰安 婦個々人の意思を尊重し,事業受け入れの意思を表す方に対して事業を実施するとの基本方針の下,元慰安 婦の方々に対し,国民の募金を原資とし日本国民の償いの気持ちを表す「償い金」をお届けするとともに,日本政府からの拠出金を原資とし元慰安 婦の方々の医療・福祉分野の向上を図ることを目的とする医療・福祉支援事業を実施した。その際,日本政府を代表し,この問題に改めて心からのお詫びと反省の気持ちを表す内閣総理大臣の手紙が元慰安 婦の方々に届けられた。これらの国・地域における事業は平成14年(2002年)9月末に終了した。事業内容については以下のとおり。


(ア)総理の手紙   (ブログ主 注:小泉首相当時のもの)

日本政府は,これまで様々な機会に,慰安 婦問題について,心からのお詫びと反省の気持ちを表明してきたが,以下(イ),(ウ)のアジア女性基金の事業が行われる際に,この問題に関し,総理が日本政府を代表して,改めて心からのお詫びと反省の気持ちを表す手紙を直接元慰安 婦の方々にお届けしてきた。

(イ)国民的な償いの事業

日本政府は,慰安 婦問題について,国民の啓発と理解を求める活動を行い,アジア女性基金が行ってきた国民的な償いを行うための民間からの募金活動に最大限協力してきた。
その結果,アジア女性基金は,国民個人,民間企業,労働団体さらには,政党,閣僚などからの共感を得て,基本財産への寄附を含め,総額約6億円の募金が集まった。

アジア女性基金は,それらの募金を原資とし,平成8年(1996年)7月,韓 国,フィリピン,そして台湾における元慰安 婦の方々に対して,

一人当たり200万円の「償い金」をお渡しすることを

決定した。


上記「償い金」をお渡しするに際しては,総理の手紙とともに償いの事業の趣旨を明らかにしたアジア女性基金理事長の手紙及び国民から寄せられたメッセージを併せて届けた。

(ウ)政府資金による医療・福祉支援事業

日本政府は,道義的責任を果す事業の一つとして,韓 国,フィリピン,台湾における元慰安 婦の方々に対するアジア女性基金による医療・福祉支援事業に対して,

5年間で総額約7億円規模(最終的な事業実施総額

は5億1200万円)の財政支出を行うこととした。


本事業の内容は,例えば,(a)住宅改善,(b)介護サービス,(c)医療,医薬品補助等であるが,元慰安 婦の方々の置かれている実情に沿うものとすべく,相手国政府,さらには関係団体等とも協議の上で実施してきた。

2.女性の名誉と尊厳に関わる今日的な問題への積極的な取り組み

 日本政府は,女性に対する暴力などの今日なお存在する女性問題を解決すべく積極的に取り組んでいくことも,将来に向けた日本の責任であると考えており,アジア女性基金が行っている今日的な女性問題の解決に向けた諸活動に政府の資金を拠出する等の協力を行ってきた。

アジア女性基金は,このような活動として既にこれまでにも,以下のような事業などにも積極的に取り組んできた。今日的な女性問題に関する国際的な相互理解の増進という観点からも,このような活動は大きな意義がある。

(1)今日的な女性問題をテーマとする国際フォーラムの開催。

(2)今日的な女性問題に取り組むNGOが行う広報活動の支援。

(3)女性に対する暴力など今日的な女性問題の実態や原因究明及びその予防についての調査研究事業。

(4)このような問題に悩む女性へのカウンセリング事業及び効果的なカウンセリングを行うためのメンタルケア技術の研究,開発事業。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/ianfu.html




このHPを見ると、最近激烈になってきた(激烈に挑まれるようになってきた) 「慰安婦問題」は、
この 
財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」 の解散
が大きく関わっているのではないか。


上記 「2.女性の名誉と尊厳に関わる今日的な問題への積極的な取り組み」は
現在 膨大な予算をつけられている 「男女参画運動」 にあたる。

このあたりが、大きな背景となって、この問題が動いているのではないかと思う。

つまり、結局は 「日本からのお金」 なのか。

 


日本の意志を もっともっとよく知ろう

国民の知識が、解決の糸口になる

success



行き着くところは


人権



 
 
昨日16日夜、 靖国の「みたま祭り」 最終日、何とか8時ごろに、神社に滑り込むことができました。
盆踊りや歌謡ショーなど、昔懐かしい日本が、広い境内の中、そこここで展開されていました。
 
靖国に向かう外の道では、10代らしき若者がすでに 「出来上がって」、道を座敷に円座を組み、
盛り上がっていました。 それはそれで、ほほえましい光景ではありました。
 
参拝をしたあと、展示博物館である 「遊就館」 に移動したところ、1人闊達な男性が、機関銃のケース
の前で、お話をされていました。
 
大東亜戦争で、出兵された軍人の方です。
機関銃の整備をしていたとき、指の先を事故で欠損されて、軍事病院にいっていたところ、
仲間の方は立川から飛び立たれ、その日のうちに亡くなられたそうです。
 
その方いわく、「その日のうちに “靖国の住人” になっちゃったからね、毎年 仲間に会いに来るんですよ」。
工藤さんといわれるその方は、齢80を優に超えていらっしゃるでしょうが、まったく衰えを見せず、
まさに闊達、生き生きとして、そして爽やかな方でした。
 
ちょっとお声をかけて、お話をお伺いしました。
実際に見られたことを詳しくお話くださいました。
 
●ソ連が戦争が終わったあとで、北方4島を占領した、その当時のこと
(どのようにソ連の軍隊が、島を占領したか・・・その様子)
●アメリカとの関係 
(アメリカは日本の「赤化」を阻止するために、防衛していること)
●中国・朝鮮の交渉方法と 日本の交渉下手の話
●従軍慰安婦の問題
(日本に従軍慰安婦はいなかったと明言されておられました)
 
これらは、後に記事にしたいと思っています。
 
工藤さんがお話されたことは、
今は戦争経験者がいないから、ものを簡単に考えているかもしれない。
もっと世界はしたたかで、それぞれお自分の国益を考えながら行動している。
日本は、そのまま信じてはだめだ。
アメリカも、人は出さないけど、お金は出す、何かあったとき日本は軍(自衛隊)で守れない、
そんな国は「交渉ができない」、それで、日本のために、アメリカ人が戦ってくれるかというと
そんなばかなことはない。
 
国の力が違うと、話すことすらできなくなる。
ぼくたちはくやしい。
戦っていたから、それがよくわかる。
今の政治は戦争をしらないでしょう。 だから、簡単に考えて、そうできると思っている。
世界はきびしい。 日本が考えているより、はるかに もっと世界はきびしい。
よく考えて、したたかに動いてほしい。
国の力がないと、北方四島でも 戻してくれといっても全然だめでしょう。
 
占領がアメリカでよかった。
中国やソ連は いったん国内に入れば、ぜったいに帰らないから。
でも、アメリカともしたたかにやるべきなんだ。
表面的には、手を握って、強い国にしてしまえばいい。 表面的でいいんです。
あと、外敵をおっぱらったら、あとは独立でもなんでもすればいいんだ。
それが、どうしてできないのか、くやしいよね。
 
もう一度お話しますが、この方は矍鑠(かくしゃく)とされ、潔く、青年のように爽やかな方でした。
決して愚痴を言うのでなく、まっすぐにこのお話をしてくださいました。
 
おのおのの項目は、後ほどUPします。
 
昨日どうしてこの方に話をお伺いすることができたのか。
とても不思議に思いました。
ひょっとしたら、英霊がここでお話できるように、会わせてくださったのかもしれません。
 
 
 
 
 

転載元転載元: successのブログ





どうしてなんでしょうか。
どうしてなんでしょうね、メドベージェフさん



「どうして日本製なのか?」
露首相、不満漏らす 3日にも択捉入り

2012.7.3  産経  
sankei.jp.msn.com/world/news/120703/erp12070300470000-n1.htm (はじめに http:// つける)



【ウラジオストク=遠藤良介】北 方四島を事実上管轄するロ シア・サ ハリン(樺 太)州からの情報によると、
メドベージェフ首相は、早ければ3日にも北 方領土の択 捉島訪問を敢行する。領土問題をめぐって
日本を強く牽制(けんせい)する狙いがあるとみられる。

 メドベージェフ氏は、これに先立つ2日、ウラジオストクを皮切りに極東各地の視察旅行を開始。択 捉島には、州都ユジノサ ハリンスクから入る方向で準備が進められている。ただ、実際の訪問は現地の天候に左右される可能性がある。

メドベージェフ氏にはシュワロフ第1副首相やイシャエフ極東発展相ら10人もの閣僚が同行。一行は択 捉島で港湾や空港などのインフラ整備状況を視察し、クリール諸島(千島列島と日本の北 方四島)の発展計画に関する会合を行う計画とされる。

プーチン露大統領と野田佳彦首相は6月中旬の首脳会談で、領土交渉の「再活性化」に合意したばかり。ロ シアは極東開発をめぐっては日本との関係拡大を望む一方、北 方領土の実効支配を挑発的に誇示し、領土交渉のハードルを高めておく考えとみられる。

閣僚を伴っての極東歴訪は、政権が重視する極東開発への意気込みを示した形だ。2日には、ロ シアが9月に初めて主催するアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の会場、ウラジオストク・ルースキー島の関連施設を訪問。閣僚や地方高官などと会合を持ち、APEC準備と極東の発展に向けて発破をかけた。

 一方、メドベージェフ氏はウラジオストク近郊で建設中の住宅街を視察した際、建設責任者から「この家の防寒パネルは日本製でマイナス60度の気温
まで耐え、60年間品質が保証されています」との説明を受け、「どうして日本製なのか? パネルは自前で作らなければならない」と不満そうに応じたという。






http://pds.exblog.jp/pds/1/201011/10/63/d0026063_9424496.jpg


http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/f5/305ab0fe5fae15e16fdedd6dc4f7b47f.jpg
blog.goo.ne.jp/to3300/e/3c9f97d7c563008434676408b2976a65 (はじめに http:// つける)
ロ シアは、日本の国力の弱まったのを契機に、長らく休止していた北方領土問題に着目しつつある。 
これは、日本の近隣諸国である 中 国・韓 国 との動きと強く連動している。






自国を主張している地域の住宅資材が、なぜ
「日本製」 なのか?


極寒の地、ウラジオストクの住宅は
「ぜひ、自前の技術でお願いします」

success









先ほど、記事を見つけて、感銘をうけましたので
下記にご紹介いたします。
2012年6月25日  AM7:20  success



「気品ある日本 兵の姿を」
インド人監督がイン パール作戦題材にメガホン

2012.6.24
  産経新聞  sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120624/ent12062420040013-n1.htm
(はじめに http:// つける)


 【ニューデリー=岩田智雄】インド人の映画監督が今秋、第2 次世界 大戦で日本 軍が大敗を喫したイン パール作戦の激戦地、インド北東部マニプール州で、おじの日本兵の足跡をたどる女性を主人公にした映画を制作する。気品にあふれた真の日本兵の姿を伝え、現地の人々の記憶に残るエピソードを紹介したいという。

メガホンをとるのは、モーヘン・ナオレム氏(34)。「マイ・ジャパニーズ・ニース」(私の日本人のめい)と題された作品では、インパール作戦で戦った日本 兵のめい「アサダ」が戦後、現地を訪れる。すると、おじが夢の中である村を訪ねるようアサダに呼びかける。そこでアサダは、日本 兵らが残した数々のメモや日記を発見するというストーリーだ。

インド人の手でこうした映画が制作されるのは初めてで、撮影は9〜10月ごろに始めるという。

日本 軍は1944年のインパール作戦で、連合国側の中 国への補給路を断とうとしたが、無謀な計画のために敗れ、多くの戦死者を出した。

現地で取材中のナオレム氏は産経新聞の取材に「マニプール州の人々には日本人とともに戦った記憶がある。日本は今も多彩な援助をしてくれており、日本人に親愛の情を示したいと思っていた」と答えた。

 ただ、「日本兵の記憶が徐々に人々から失われている」といい、「まだ知られていない話を集めて映画で伝えたかった」と撮影にかける思いを吐露した。

また、「欧米では日本 兵の残虐行為や犯罪に関する話が書き立てられているが、日本 兵はもっとも気品があり親切な心を持った人々だった」としている。

ナオレム氏は同州での公開後、日本での上映に向けて協力者を探している。アジア各地での発表も模索しているという。

アサダ役には、大阪府箕面市のモデル、浅田結有(ゆう)さん(23)が挑み、今回がデビュー作。浅田さんは電話取材に「イン パール作戦のことは何も知らず、今回勉強した。日本の若い人にも知ってもらえるきっかけになれば」と話した。







イン パール作戦
  (イン パールさくせん、日本側作戦名:ウ号作戦(ウごうさくせん))
出典: Wiki  
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BD%9C%E6%88%A6 (はじめに http:// つける)

イン パール作戦とは、1944年(昭和19年)3月に日本陸 軍により開始され7月初旬まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市イン パール攻略を目指した作戦のことである。


補給線を軽視した杜撰(ずさん)な作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用される。


●二十一号作戦
インドへの侵攻作戦という構想は、ビルマ攻略戦が予想外に早く終わった直後から存在した。インド北東部アッサム地方に位置し、ビルマから近いイン パールは、インドに駐留するイギリス 軍の主要拠点であった。ビルマ-インド間の要衝にあって、連合国から中国への主要な補給路(援蒋ルート)であり、ここを攻略すれば中国 軍(国民党 軍)を著しく弱体化できると考えられた[3]。

日本の南方 軍は、「二十一号作戦」と称して東部インドへの侵 攻作戦を上申した。1942年(昭和17年)8月下旬、戦争の早期終結につながることを期待した大本営は、この意見に同調して作戦準備を命じた。参加兵 力は第15 軍の第18師 団を主力とする2個師団弱とされた。イギリス 軍の予想兵 力10個師 団に対して著しく少ないが、ビルマ戦の経験からはこの戦力比でも勝算があると考えたのである。


続きは Wiki をご参照ください



国内では、日本の正しい歴史が なかなかよくわからない。

日本人は、これから 自国の正しい歴史を 
良く知らなければ ならない

success

ありがとう、インド





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日本に生まれて、住んでいると、
「創業文政8年・・・」 のようなフレーズの老舗の店が
あることに驚かない。
創業何百年という企業が、比較的珍しくないからである。

しかし、この 「老舗企業」 という言葉自体、他の国では めったにない
ものらしい。
今回は、日本の老舗企業についての記事をご紹介する。





日本には、創業100年以上の
「長寿企業」が2万2000社以上もある


2011/02/07   ジャパン フォー サステナビリティー
http://www.japanfs.org/ja/pages/030570.html


帝国データバンクが2010年9月8日発表した、企業概要データベース等から創業100 年以上の「長寿企業」(個人経営、各種法人含む)を集計した分析結果によると、「長寿企業」は同年8月時点で2万2219社あり、うち347 社(構成比1.6%)が上場企業だった。このような調査は今回が初めて。


創業が確認できた企業のうち最も古かったのは、寺社仏閣建築の「金剛組」で西暦578 年。生け花の振興・教授を手がける「池坊華道会」(創業587年)、老舗旅館「西山温泉慶雲舘」(創業705年)が2位、3位と続き、上位7社までが業歴1,000 年を超えた。

創業時期別では、100 年〜150 年前が2万56 社(構成比90.3%)、300 年超は605社(同2.7%)、500 年超は39 社(同0.2%)。業種別では、小売業が6,279社(同28.3%)と最も多く、酒や呉服・服地の小売業者が目立った。2位は製造業(5,447 社、同24.5%)で、仏具、清酒、菓子の製造業者が多かった。

帝国データバンクは、「長寿企業」永続の秘訣について、過去の成功体験に縛られず変化を恐れない「変化への対応」に尽きる、と分析している。







西日本政経懇話会

「危機をチャンスに」長寿企業の秘けつ語る

http://www.nishinippon.co.jp/nishikai/01seikei/post_284.shtml

 西日本政経懇話会の5月例会が23日、飯塚市川津のグランドベルズ飯塚であり、日本経済大の後藤俊夫教授が「不況に負けない長寿企業の秘訣(ひけつ)」と題し、講演した。要旨は次の通り。

 創業から100年以上続いている企業を「老舗企業」、同じく200年以上の企業を「長寿企業」と呼んでいる。日本には老舗企業が推定で約5万2千社あり、このうち長寿企業は3900社を超える。日本の長寿企業の多さは世界でも突出しており、世界の約7200社のうち4割以上を占める。


 東日本大震災は、国内の多くの企業に影響を与えた。だが、長寿企業は関東大震災や第2次世界大戦などの自然災害や経済環境の変化を乗り越えて存続してきた。ここに、震災後を乗り切るヒントがある。長寿企業の多くは、顧客や地域を重視し、「社会の公器」という志を持っている。岩手県の老舗しょうゆ店は、被災したにもかかわらず、在庫のしょうゆを避難所に届けたそうだ。

 危機を逆に大きなチャンスと捉えてもらいたい。あらためて構造変化や自社の強みを見極め、欠点を克服してほしい。
=2011/05/24 西日本新聞=





『社会の公器』 ・・・
1つの企業が、社会を考慮する公の機関となる
そういうことなのでしょうか





日本に長寿企業が多いわけは?韓国銀行が分析

2008/5/14 聯合ニュース  http://tosi.iza.ne.jp/blog/entry/574732/


【ソウル14日聯合】世界で最も古い企業は?――韓国銀行は14日、「日本企業の長寿要因および示唆点」と題する報告書を発表し、578年に百済から渡った金剛重光(柳重光)が創業した日本の建設会社・金剛組を世界最古の企業として紹介した。日本は世界2位と3位の長寿企業も有する長寿企業大国だとしている。

 報告書によると、世界で創業200年以上の企業は5586社(合計41カ国)で、このうち半分以上の3146社が日本に集中しており、続いてドイツ837社、オランダ222社、フランス196社の順となる。韓国には創業200年を超える企業はなく、創業100年以上の企業も斗山(1896年)と東洋薬品工業(1897年)の2社にとどまる。

日本の場合は、創業1000年以上の企業は7社、500年以上は32社、200年以上は3146社、100年以上は5万社余りなどで、これら長寿企業の89.4%は従業員数300人未満の中小企業だ。

報告書は、日本経済が1980年代の円高と1990年代の長期不況から脱したのも、素材・部品分野で先端技術を保有する長寿企業の役割が大きかったとした。
また、日本企業がこのように長い歳月のあいだ耐えることができた秘訣(ひけつ)として、
▼本業重視
▼信頼経営
▼ 透徹した職人精神
▼血縁を越えた後継者選び
▼保守的な企業運用
――などを挙げた。
このほか、外国からの侵略が少なかったことや職人を尊重する社会的雰囲気など、外的要因も影響を与えたと分析している。

報告書は、韓国も長寿企業の育成に向け、中核部品の製造技術の研究開発投資に対し税制・金融支援を行う一方、中小企業の成功的な技術開発に対する画期的な補償体系の確立が必要だと強調した。


以降は、
こりあうぉっちんぐ さんの興味深い分析
http://tosi.iza.ne.jp/blog/entry/574732/


数日前に”創業100年以上の伝統企業になるには”という朝鮮日報の記事をエントリしました。しかし、企業の目的が金を稼ぐことにある以上、他に儲け口があれば簡単に転職しますよね。

日本の場合は変態的といいますか、必ずしも儲けを目的とはしていないんです。

そんな馬鹿な、と言われても事実ですからしょうがないですね。

日本の企業は伝統の継続を目的としていると言ってもいいでしょう。先祖から受け継いだ文化を次代に引き継ぐこと。それを続けてきた結果が上記の記事です。


李朝以前の朝鮮には商品経済が存在しませんでした。存在したのはソウル門外での僅かな行商人です。手工業も官営の陶磁器程度で、工場制手工業にはほど遠かったのです。


江戸時代には日本列島周辺を巨大な風帆船が行き交い、日本を一つの市場に統一しつつありました。決済手段として為替制度すら運用していたのです。


現在の中国が全国的な統一市場を持たないことからしても江戸時代がいかに先進的だったかわかるでしょう。

今は市になった私の小さな村にも江戸中期に創業した酒屋があります。多分北海道を除く日本全国に同じような長寿企業があるでしょう。

200年以上だけを数えても3,146対0です。100年以上になってやっと5万対2です(笑)。

比較にならない、と言うのはこういう状態を言うんでしょうね。

商売が下劣な行為だった朝鮮とマックス・ウェーバーじゃないですが、心学などで商売に道徳性を持ち込んだ日本との差ですね。





最後に、今年の3.11で
途方もない被害に遭われた企業のお話を。


これぞ、老舗の誇り、という深い輝きのある
活動をされておられ、読んで涙が出ました。



創業200年の陸前高田市の
八木澤商店 再建へ 
3・11「東日本大震災」  
2011.4.2  http://yamanaka-toshiko.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/63-ad28.html


創業200年の陸前高田市の八木澤商店。
今週火曜日、ワイドショーをつけたら、八木澤商店のことを伝えていました。社長の河野和義さんが泣きながら、「このときにこそ、地元に恩返しをしないといけない」と言って、配給など社をあげて動かれていました。

蔵やお店は壊滅。2人の新入社員はそのまま雇用すると言っていました。
八木沢商店は、「通販あれこれ」でもお世話になった取引先。5年前、陸前高田に行ったとき、蔵、お店を案内してもらいました。
地場産の原料、昔ながらの製法でのしょうゆづくり。
社員に犠牲者も出て、蔵、樽、大豆も失なったけれど、流された樽から、もろみが採取できたとか。

サイトでは、
八木澤商店は、大切にしてきた歴史や蔵や微生物等沢山の物をうしなったけれど、一番たいせつなのは、命です。
八木澤商店の基本方針は、”生きる””共に暮らしを守る””人間らしく魅力的に”この三つの言葉が、今後の再生のキーワードです。八木澤商店は、必ず再建します。
とありました。

ほんとうのもの、本来のものがこれからますます必要とされる時代。自慢の八木澤商店の味を、味わえる日が必ず来ます。


●河北新報 東北のニュース/「日本一」もう一度 老舗しょうゆ店事業再開
●もろみと看板見つかった…老舗しょうゆ店再出発 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
●岩手日報 老舗再興へ新戦力2人 陸前高田・八木沢商店




1つの企業を超えた 「たしかな存在」 が
どんな老舗企業にも感じられます。

きっと、これを 「公器」 と表現されていたのでしょう。

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