日本の中小企業は 約430万社、 Apple社と言えば、スティーブ・ジョブスが 商品の詳細までこだわったことが知られています。 商品が期待の水準まで達しない場合は、商品の発表を延期することもよくありました。 『日本の禅』 を好んだ スティーブ・ジョブス。 彼の大ヒット商品 「iPod」 も実は 日本の技術が生きていました。 小さな、小さな日本の企業。 でもこんなところで 「輝く技術」 を世界に提供していたのです。 http://xbrand.yahoo.co.jp/category/business_money/2293/1.html から転載させていただきました。 『iPod』を支えた日本の職人技 卓越した研磨技術をもつ新潟のるわずか5人の磨き屋集団−小林研業 全世界にブームを引き起こした『iPod』の魅力のひとつは、ボディー背面の鏡面仕上げだ。その鏡面仕上げを担当したのは、日本の職人たちだった。新潟県にある小さな小さな企業が実現させた鏡面仕上げの裏には、卓越した研磨技術があった。 世界的なメガヒット商品となったハードディスク内蔵型音楽プレーヤー、『iPod』。裏側の滑らかで繊細な鏡面は、日本の研磨職人が一つ一つ仕上げたものだ。 小林研業は新潟県燕市にある。田んぼの真ん中の民家の片隅、隙間風が吹き抜ける古びた木造の薄暗い工場の中で、5人ほどの研磨職人が約4年間、世界中で愛用される100万個以上の『iPod』の鏡面加工を手掛けた。 あえて機械化や自動化に逆らって、自分の腕で世界と勝負したいと思った 新潟県燕市は金属加工の町として知られる。鉄やステンレスやチタンをプレス機で加工した後、製品にするにはピカピカに磨かなければならない。磨きは欠かせない工程で、50年代後半から80年代は、1人から2人の零細を中心に、燕市周辺には1500を超える研磨業者がひしめいていた。 農家の長男として生まれた小林は、中学を出ると家業を手伝い、18歳で地元の農協に就職。が、事務仕事は向かなかった。当時の燕市はナベ、カマ、ボウル、ポット等々、器物の生産で沸き返っていた。 「銀行に50万円融資を頼みたいんですが、連帯保証人になって欲しい」、小林は地元の中堅器物メーカーを訪ね社長に直談判。 「おまえ、根性がありそうだ。よし!」 50万円を元手に、自宅の庭の片隅に工場を建て起業したのは62年。 回転する研磨機に、バフという円形の研磨の道具を取り付け、研磨剤を塗りながら、金属製品をバフに当て、表面を自分の感覚で削っていく。一人前の職人になるには、それなりの修業がいる。小林は職人を2人雇った。 ●人が嫌がる仕事プレス加工の際にできた金属の表面の傷を落とし光らせるために、バフには切削力のある目の粗いものから、絹のように軟らかいものまで100を超える種類がある。バフや研磨剤を使い分け磨くのは、職人のノウハウだ。雇い職人の仕事を見ながら、粗研磨でもっと柔らかいバフを使えば、バフ目といって、細かい線状の傷を飛ばす作業も楽だし、仕上がりもよくなるはずだ、と思った。 フツーの職人は、教わったことを繰り返すだけで、工夫が足りないんだ。 負けず嫌いな彼は夜、暗い工場の片隅で研磨機を回し、粗、中間、仕上げと一番効率よく作業ができるバフと研磨剤を研究した。 「トウシロに指図されたかねえよ」「じゃ、どっちが早くてきれいか競争しよう」 起業して3か月が経っていた。仕事に費した時間は職人と変わらないが、仕上がりに遜色なく、かえって彼のほうがきれいだった。 研磨の技術に自信を持った小林は、人が嫌がる難しい仕事を選んだ。仕事が安定して入ると考えたのだ。例えばカレーを入れる器の入り組んだ曲線の形状は、研磨が難しい。小林はそれを好んで引き受けた。 設立資金は10か月で完済、連帯保証人の社長に酒を2本贈ると、その会社をはじめ地場の器物メーカーから、仕事が途切れず舞い込む。小林は約30年間、器物の研磨一筋で、小林研業を経営した。 原材料を輸入し、それを加工して付加価値のあるものに変え海外に輸出する。小林たち燕市の産業は、日本のお家芸のビジネスモデルを踏襲し、世界を相手に商売をした。 ●中国の脅威バブルが弾けた90年代前半、小林研業は再バブルに沸いていた。真空ナベの中にもうひとつナベを入れ、保温調理する『シャトルシェフ』という器物がヒットし、内ナベの仕事をほぼ独占的に引き受けたのだ。表面がカーブを描く製品の研磨は、小林の得意とする分野だ。ナベの上部のくびれた部分の研磨がきれいで早い。月40万個処理した。ピーク時は年の売上高が1億1000万円を超えた。しかし──。 世界の工場としての中国の脅威が迫っている。転機は97〜98年、廉価な中国製の類似品が、雪崩を打ったように普及し、シャトルシェフのメーカーはステンレス部門を廃止。同じ頃、上海の研磨工場を視察し、小林は中国の工場をつぶさに調査した。 両サイドに50人ぐらいの人間が座り、工場内が粉塵のもやで霞む。安い賃金を背景に分業化し人海戦術で、ザクザク仕事をこなしている。 「あー、俺たち4〜5人が頑張って研磨しても勝ち目がないわ……」、小林はつぶやいた。 「もう厨房品は止める」、小林は4000万円ほどかけた自動機を全部、処分してしまった。 「社長、厨房品を止めて何をするんですか?」 小林と懇意だった燕商工会議所の高野雅哉は、不思議そうな顔で聞いた。 「この腕で食っていくのよ。部品の研磨に方向転換するつもりだ」 小林は自分の腕を叩いた。形状が複雑な部品の研磨は、職人の高度な技術が必要だ。中国に腕で勝つ。時代に逆行するかのように、彼が自動化に背を向け、自分の技術で生きようと決めた頃、図らずも時代はITの洗礼を受けていた。 ●TBバフほどなく富士通の関連企業から、ノートパソコンの本体カバーの研磨の仕事が入る。素材は初めて扱うマグネシウムだ。「製造工程でできた余計な部分、バリを取ってきれいなラインを出してくれ」という先方の注文だった。マグネシウムは軽くて堅い特性を持つが、80℃以上の熱をかけると、変形し元に戻らない。 「さて、どうしたものか…」小林は強固な金属板を専門業者に作らせ、温度が上がらない特殊な化学繊維のバフを仕入れる。熱をかけないように細心の注意を払い、強固な板を当て、それに沿ってマグネシウムの上ブタの縁を、直線のラインが出るように研磨した。 「これどうやったの?」、担当者の驚きの声に、「腕でやったんだよ」、彼はニヤッとした。 ●初めてのアップル社の仕事富士通の仕事が2年で終わると、すぐにアップルコンピュータ(当時。以下アップル社)の最初の仕事が入る。当時、液晶搭載の初代『iMac』を発売したが、要となるスチール製のアームの部分の製造を柏崎のメーカーが請け負った。全長が約6cm、円形の台の直径が約4cm、台から首が伸び、首に円形の頭が付いている。 「これを磨く業者が見つからないと、会社に帰れません」、小林の元を訪れた担当者に、「やってみるか」、小林はチャレンジを決める。 鏡面のようにつやを出すには、植物繊維で作られたサイザルというバフだと、相場は決まっている。しかし、サイザルで磨くと、どうしても細い線状の傷、バフ目が残る。アップル社が最高のグレードを要求していることは、担当者から聞き知っていた。 サイザルと変わらない切削力があって、製品の地を傷めない、これまでにない布製のバフを作らなければ……。 「いい布はないですか」、小林は大阪の繊維問屋に事情を説明し、東レが開発したTBという布を知る。彼はその布をバフ屋に持ち込んだ。 「裁断して何十枚も重ね、ミシンで縫って、特製のバフを作ってくれ」 このTBバフが威力を発揮する。アームは人の顔が映るほど、ピカピカに磨き上げられ、バフ目も残らない。文句なく納品となり仕事は1年続いた。が、戦いの相手は常にコストの安い海外だ。研磨の要領がわかると、メーカーはマレーシアの工場に生産を移した。 ●『iPod』「800番グレードで仕上げて欲しいんだ」 メーカーの担当者が難しそうな顔をした。次の大きな仕事が『iPod』である。 若者に受け入れられるよう、裏側に鏡面加工を施すというアップル社のオーダーだった。鏡面加工にもグレードがあって、鏡と同じ状態に研磨すれば1000番グレード。800番グレードといえば、ほぼ鏡と一緒である。 品質管理は徹底している。検査員が輝度の決まった蛍光灯の下に、研磨した『iPod』をかざして左右に動かす。裏ブタに映る蛍光灯の1本の線が乱れたら、不良品として弾かれる。10作った内、3つ以上に不良品があったら、納品しても全部返品となる厳しさだ。 勝算はあった。前の仕事で開発した、バフ目を残さず鏡面に研磨できるTBバフだ。 IT部品は軽量化のため素材が薄い。『iPod』は0.5mmのステンレスの板をプレスで絞っている。角は0.3mmだ。TBバフは最初に使う。そして、歪みが出ないように形状を壊さず、ステンレスを20マイクロメートル研磨して鏡面に仕上げる。アップル社が望む800番グレードの厳しさはわかっていた。高温だと金属は歪むので、職人たちは間を置いたりバフの形状を考え、熱を逃がし研磨を続けた。 2か月はかかるだろうと、担当者は踏んだが、小林は発注から1週間で、まとまった量を納品した。しかも返品がほとんどなかった。返品されたものはさらに研磨し直すから、830〜850番グレードになって納品される。 「さすが小林研業さんだ!」。そういわれれば、日本の職人だ。悪い気はしない。グレードは上がり、ついには『iPod』の裏側の鏡面は鏡と同じ、1000番グレードまで高まった。 (中略) 07年2月25日、何人もお供を連れ、ひとりの男が田んぼの真ん中の工場を訪れた。当時、総理在任中だった安倍晋三だった。 「日本が今日、工業立国になれたのは、新製品の開発に手となり足となり、努力してくれたあなたのような人たちがいたからです」 総理の至極当たり前の話に、これからどんな厳しい時代になろうが、燕の磨き屋は生き残っていく、と、小林は確信していた。 初めて Apple社の商品を買ったとき、そのプレゼンテーションに 驚きました。 「まるで1台、1台が購入者へのプレゼントのような装丁」。 箱を開き、梱包を1つ1つ解く過程が、まさに 「高価な商品の対価として うやうやしく自分にプレゼントをされたもの」 を開くような気がして とても嬉しかったことを覚えています。 最後に出てくるのは、一点の曇りもなく ピカピカに光ったAppleの商品。 わずか5人の小さな会社。 この小さな会社が、この 「開いたときの驚きと喜び」 を満たしていました。 何が他と違うのか? ただ作るのとは 雲泥の差がある、高い技術に支えられた 使い手のことを考え抜いた ホスピタリティーあふれる技術 にほかなりません。 このような高技術の中小企業が、日本の経済を支えています。 素晴らしいことだと思います。 私が小学、中学時代は 「日本は原材料を輸入して、加工するしかない中継ぎ産業だ」 と自嘲して、自国を表現していました。 しかし、その極めて高い加工技術が 今、日本を世界と差別化する 最大の要因となっています。 決して、声高に自己を主張しないけれども、
技術力で 光り続ける。 まさに 「日本の誇り」 です。 success がんばれ、がんばれ 日本 http://ascii.jp/elem/000/000/013/13271/2_300x.jpg http://ascii.jp/elem/000/000/013/13266/ 小林研業が手掛けた パナソニック『Let's note』 10周年記念モデルの マグネシウムボディー |
いいものではないし、そして そのためにかならず
自分も深く傷つくものです」





