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異国の地に生きたサムライ
アルジェリア人 「日本人は首に爆弾を巻き付けられても ”禅”のような静けさで威厳に満ち勇敢だった」 2013年01月28日 http://sekaiteki.net/archives/23315182.html 「勇敢で威厳持ち」邦人拘束時の様子を証言 アルジェリアで日本人10人が死亡した人質事件で、日本人と同じ場所に拘束されていたアルジェリア人の男性が拘束時の様子を証言した。証言したのは、事件があった施設で国営企業の技師として働いていたソフィアンさん。 ソフィアンさんが日本人を見たのは事件が発生した16日朝で、4、5人の日本人が他の外国人と共に居住区にある来客用の建物の前に連れてこられたという。うち1人はケガをして治療を受けていた。 ソフィアンさん「日本人は他の欧米人と一緒に集められていて、首や腹に爆発物を巻きつけられていた」「日本人たちは禅のような静かさでパニックに陥ることもなく、勇敢で威厳を持っていた」 また、ソフィアンさんは軍が人質を乗せたとみられる車列を空爆するのを目撃したと話した。 多数の犠牲者が出た軍事作戦についてアルジェリア・メデルチ外相は26日、今後、検証を行う考えを示している。 日テレ 動画あり http://www.news24.jp/articles/2013/01/27/10222020.html http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1359271119/ |
報道されない本当の日本と日本人
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三浦襄
産経新聞「忘れ難き偉人伝」にバリ島の父と呼ばれた三浦襄(じょう)翁の記事が記載されていました。原文のままご引用します。
終戦後の昭和20年秋、インドネシアのバリ島で、一人の日本人の葬儀が行われた。「バパ・バリ」(バリ島の父)と呼ばれた三浦襄(じょう)。葬列には8人の領主や16人のヒンズー教僧正ら有力者の後に、住民が続き、1万人以上が死を悼んだ。 三浦翁は、軍人ではなく、軍属でもありません。恩給も、遺族には支払われていません。 三浦翁は、いち日本人として、なんの栄誉も個人的利益も求めず、ただ祖国とインドネシアの友好のために、粉骨砕身し、最後は自らの言葉に生命をもって償なわれたのです、誇りある日本人として。 三浦翁の自決より約半世紀以上になる今日、バリ島は”神々の住む島””地上最後の楽園”等と賛辞を贈られていますが、「バリの歴史」現在の伝統文化の築き上げられてきた過程に、一人の日本人が、遠く離れたバリの地で小さな身体を大きく大きく広げて生きていたことを、私達は同じ日本人としてまた、人間として誇りに思い、三浦翁のみならず、先人の生き様を後生の日本人に語り継いでいくことこそ現世の我々の使命ではないでしょうか?。 拙記事をご覧の皆様が、インドネシアのバリ島、デンパサール市に行かれたなら、是非、三浦翁の墓地にお参りをして頂ければと思います。
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先ほど、見かけた 『「外国人が日本に感謝の言葉を述べていくスレ」海外の反応』 。 ちょっと うれしくなっちゃったので、ご紹介していますね。^^ 「外国人が日本に感謝の言葉を述べて いくスレ」海外の反応 http://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/6147564.html
単純に、何かうれしいです。
success はい。^^ |
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今朝、ふと見つけた youtube画像。 何の気なしに見ていたのですが、タイトルどおり、なかなか 「よい話」 です。 よろしかったら、ぜひご覧ください。 少し癒される内容です。 1つだけ、お話をピックアップしてみると・・・
宗教上のことで仲たがいしている国の人が、日本に来て仲良くなるって話は よくききます。 最後に 1つ。 こんな話もあるみたいです。 【イスラエル・パレスチナ】イスラエル、パレスチナ 女子高生が日本で交流 「敵同士なのに友達になれた」2009年8月22日7時56分配信 産経新聞http://www.logsoku.com/r/news5plus/1250902908/ 「敵同士なのに友達になれた」−。長年の紛争で敵対関係にある中東のイスラエルとパレスチナ自治区。 双方の女子高校生たちが今月初め来日し、紛争地の人と人の心をつなごうというプロジェクトに参加、 新しい友を得て21日帰国した。 イスラエルとパレスチナの若者が12日間、日本でどのように双方の恐怖や不安、憎しみを克服したのか。 「絆(きずな)プロジェクト」(主催・特定非営利活動法人=NPO法人=ピース・フィールド・ジャパン、村橋靖之理事長)に参加したイスラエルとパレスチナ、日本の若者約20人は20日夜、東京都渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターでのお別れ会で、泣きながら別れを惜しんだ。 「まさかこんなに心を許せる友ができるとは思わなかった」「帰国後も、メールで連絡を取り合いたい」…。 引率の教師は「小さな一歩でも、タネは確実にまかれた。大きく成長してほしい」と期待を込めた。 そんな彼女たちも、来日した今月9日から数日間は緊張と不安でいっぱいだった。 パレスチナの女子学生が、イスラエル兵に連行されて帰ってこない親戚(しんせき)の話を泣きながら語り、イスラエルの女生徒は近くにミサイルが着弾したときの恐怖を伝えた。 そしてキャンプ地の山梨県小菅村でスポーツや畑仕事、日本文化を一緒に体験するにつれ、互いの気持ちに変化が表れていった。 「敵対する相手も同じ恐怖を共有する人間であることに気づかされた」「何でも話し合うことが大切だ」 日本の若者は「平和ボケ」などと揶揄(やゆ)される。だが、プロジェクトに参加した財団法人キープ協会の米国人国際交流員、ローラ・ヴィラヌエバさん(33)は「家族のように迎えてくれた小菅村の人たちと日本の自然、そして平和な日本の若者がいたから、彼女たちは心を開くことができた」と評価する。 「欧米にも同様のプログラムはあるが、日本という国は平和構築事業に良い結果をもたらす可能性がある」。 日本の新たな国際貢献のあり方として注目していいかもしれない。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090822-00000071-san-soci ところで、最初の youtubeに対しての ユーザからのコメントをご紹介します。 これがまた、いいコメントばかり。 いくつかをピックアップしました。 ■だよね。宗教って人を幸せにするためにあるんだよね。 宗教のために戦争とかしちゃいかんよね。 日本人だからかもしれないけど、日本の宗教観ってすきだわ。 神様は懐が広いから人に迷惑かけるようなことじゃなければたいていのことは許してくれるさ。 ■キリスト教にしてもイスラム教にしても、他の宗教や神を「邪教」「邪神」と一方的に排斥し攻撃するきらいがあるから好感が持てない。むしろ日本のように寛大に全ての神を受け入れるという考えが世界中に広まったほうが、世界は住みやすくなると思う。 ■日本は古来から多神教の神道ですから、違う仏教が来た時も 「偉い神様が増えた」みたいな感覚だったんでしょうね。 結局「神仏習合」で神社へ初詣、死ねばお寺へ、家には神棚と仏壇みたいな。 ある意味で凄く寛容ですよね。 ■「日本は信教に関してかなり寛容だと実感した」 みたいなことを、大昔モルモン教についてヘビィーなドキュメント番組で聞かれた ケント・デリカットが言ってたはず。 同様に「ユダヤもイスラムもロシア正教も、フェアな姿勢で大事な話が出来る土地は日本だけ」 とかってペルシャ絨毯の小売りやってるイスラム教徒の人が言ってたよな。 ■ユダヤ人とイスラエル人の話が好き。 神主さんの話もそうだけど、日本の神様は結構外国から借りてるから、一神教の神様たちを包括できる懐の深さがあるんですよね。 日本は平和ボケしているって言われるけど、できるなら誰だって平和にボケっとしていたんです。 かけがえのない 「世界の架け橋」 になれるのではないか。
この国だけがもつ ミッションがあるような気がします。 success http://www.izm.gr.jp/izumoru/kamigami/img/kamigami_main.jpg |
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夫、中川昭一が
遺したもの 3 中川郁子氏インタビュー
http://24.media.tumblr.com/tumblr_l2i7bcjAXB1qanbl9o1_500.jpg http://nandato.tumblr.com/post/603310344/yamo-checcolloyd-on インタビュアー 西村幸祐氏 西村:中川先生との出会いについてお聞きしたいのですが。政治家の妻になるという意識はありましたか。 中川:19歳のときに友人の紹介で出会い、3年半お付き合いして結婚したのは23歳のときでした。出会ったときは選挙権もない歳だったので、政治家の妻になるという意識はありませんでした。ただ義父が農林大臣だったので、そこで初めて中川一郎という名前も知って、テレビで見てこういう人がお父さんなのかという、その程度の意識でした。 お付き合いしているうちに社会人になり、「政治家を継ぐことがあるのですか」と主人に聞くと、「親父も若いし、先のことは分からない。弟もいるし、叔父もいるし」と言われた記憶があります。 昭和57年の3月に突然、主人から食事をするからホテルに来ないかと誘われ、そこでいきなり義父に紹介されました。義父に「結婚するのか」と聞かれ、いやまだそこまで、お互いプロポーズもしてもいないし、されてもいないので、と答えると、「そういうのは早いほうが良いね。今年大きな仕事をしようと思っているので大事なことは早くしたほうがいい」と言われました。 「それじゃあ」と言ってスケジュールを見て、義父は「6月5日が空いている」と。もう電話を高輪プリンスに掛けてその場で結婚どころか、式場まで決まってしまったんです(笑)。義父が自民党の総裁選に出たのはその年の9月でした。 交際中、主人のことを友人は「昭ちゃんって、明治の男みたいね」と言っていました(笑)。彼はお世辞も下手だし、余計なことをあまり語ろうとしなかったんですね。 思い出すと、家族旅行など本当に数えるほどしか行けませんでした。家族4人で旅行したのは2回。ゴールデンウィークどこか行くの?という話題にはついていけないことが多かったんです。ああ、連休があるんだと、友達との会話で知らされる結婚生活でした。 西村:昨年8月30日の総選挙に落選してからお亡くなりになるまで、中川先生はどのように過ごされていましたか。 中川:失意の日々を過ごしていたのではないかと多くの方が仰いましたが、少なくとも家ではそんなことはなく、非常に前向きに次にもう1回選挙に出る意欲を話していました。そして、選挙までは一国民として日本のために仕事をしたいといつも言っていました。 それは何かというと、主人はずっと水資源の問題にも携わってきて、今、世界が水の危機を迎えるし、日本にも水の危機がくることを確信していました。 しかし、逆に今、GDPが中国に抜かれるであろう状況の中で、日本を救うのも、この水資源問題だし、水ビジネスを国家の基幹産業として考えていました。水資源や水質の研究機関を党派を超えて意識ある政治家の人たちが手を携えて作り、新しい国家目標の1つにできるのではないか。そんなことをよく言っていたんです。 日本の豊富な天然の水と技術力で、超純水が作れたり、食料品に含まれる水の価値が必ず日本のブランドの力になると信じていました。そして、水資源を利用するインフラ整備に本格的に取り組むことで新しい産業も生まれるはずだと常々私に語ってくれました。 また、政治家という立場を離れても、自分が何か民間で水資源に関わる仕事をさせて頂くことができるのではないかと、主人は庭に出るのがすごく好きだったので、庭でそういう話を私と交わしていました。 私も環境問題のNPOを2年前に立ち上げたので、主人が水問題に熱心なことから、私も主人を応援するし、一緒になにかやっていこうという話を亡くなる直前、3日前にもしていたんです。 プライベートでは、2人で旅行に行くことなど全くできなかったので、なくなった10日後には旅行へ行く計画も立てていました。 西村:政治家、中川昭一の奥様として、一番嬉しかった出来事は何だったのでしょうか。 中川:主人が政調会長になったときの最初の予算委員会の質問で、コンドラチェフの経済理論についての質問が良かったと主人に言うと、とても喜んでくれました。主人が亡くなった後で安倍総理にその話をしたら、議事録を読んで頂き、葬儀の弔辞を書いてくださいました。 それと去年の苦しい選挙戦のとき、北海道新聞主催の討論会があって、石川議員と共産党の候補の方と3人で話したんですが、その討論会で石川さんに対して、民主党候補だからと攻撃するわけでもなく、本当に大人の立場で同じ政治家としては、自分が先輩なんだからという形で、とても余裕のある話をしたことが私は嬉しかったんです。 帰宅した主人に哲学のある話だったから良かったと言うと、「そんなこと言っているのはおまえだけだ」と言われたことを思い出します。新聞を見るとそれが伝わってこないので残念でしたが、そのときは、自分なりに一生懸命主人に尽くしてきて本当に良かったと思いました。 西村:最後に奥様から読者の方に何かメッセージを。 中川:今の日本は大変なときを迎えていると思います。大変だけど、産みの苦しみのときではないでしょうか。 そんな話を先日、中山恭子さんがされていたのですが、本当にそんなときに北海道には福寿草という花があって、春が来たのだなと北国の人は思うんです。雪の下に芽を出して、小さくて可愛らしい花ですが、しっかりと健気に咲いている福寿草のことを思い出します。 冬の時代でも必ず芽を出すんです。そのように日本が再生、蘇ることを私は信じています。主人が命を 賭けて訴えていた「日本が危ない」というメッセージに、私なりに応えていけるのではないかと考えて います。 http://www.tokachi.co.jp/election/20081006-01/01.jpg http://unkar.org/r/mass/1235208539 http://www.nakagawa-shoichi.jp/mynews/image/b-P1010773.jpg http://www.nakagawa-shoichi.jp/mynews/detail/20080501_299.html http://hanausagi.iza.ne.jp/images/user/20100929/1089848.jpg http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/entry/1819815 「花は、一生懸命咲くので好きだ」 と言われていた。 中川昭一さんが言われたように、 日本に花を咲かせましょう。 一生懸命咲く花を。
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