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しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける

田母神閣下

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今、お友達のブログのほうぼうで、田母神閣下の記事が流行っているので、successも ご一緒
させていただいて、ちがう角度から閣下をご紹介したいと思います。

私が、田母神俊雄さんが好きなのは、何とも言えない そのユーモアのためです。
こそっとおかしいことを言われる、そのツボを心得た責め具合が、とても知的…、というかしたたかな
なかにも気立の良い賢さを感じさせます。

閣下は、「公式サイト」と「オフィシャルブログ」が開設されていて、そこで、さまざまな意見を拝聴する
ことができます。

■公式サイトは…
「第29代航空幕僚長  田母神俊雄 公式サイト」  http://www.toshio-tamogami.jp/

■オフィシャルブログは…
第29代航空幕僚長  田母神俊雄 公式ブログ “志は高く、熱く燃える”」 
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/#


このオフィシャルブログで、すっかり大笑いしてしまった閣下のコメントをご紹介します。

田母神俊雄プロフィール
■自己紹介
私は明るくて笑いが好きで部下の面倒をよく見るホントにいい人です。また、子供や孫の世代に より良い
日本を残してあげようという熱い情熱に燃えています。決してブレることはありません。
酒もオンナも2合までと決めています。


プロフィールの内容が、
「決してブレることはありません」  → 「酒もオンナも2合(号)までと決めています」 の部分が
やや前後に脈略がとれていないのが、相当おかしくて、何度見ても笑ってしまいます。

「私はいろんな人に愛される、ほんとうにいい人なんです」

日本人は、りっぱである とされる人ほど、四角四面でなく、「中を割ったら ほどよく半熟のゆで卵」の
ような まろやかな仕上がりの方が多いのが、文化の幅を感じさせて、いいですね。

私は、日本に生まれて本当によかったと思います。
閣下の意見と同じです。




■閣下の記事から
真正保守の政党の誕生を期待する http://ameblo.jp/toshio-tamogami/page-3.html#main
米ロの核軍縮条約について思う   http://ameblo.jp/toshio-tamogami/page-4.html#main
教育勅語と修身の教科書を復活せよ  http://ameblo.jp/toshio-tamogami/page-6.html#main





田母神 俊雄(たもがみ としお)氏の非常にわかりやすく、理解しやすい論をご紹介します。
疲弊した日本人が、他国からのマインドコントロールを逃れる論と方法が、歴史観・軍事間を
通して語られています。 よろしければ、ご覧ください。


*データは Hitoさん より転載させていただきました。 (一部変更があります)
http://blogs.yahoo.co.jp/i1hito/33008860.html


元航空幕僚長 田母神 俊雄 (たもがみ としお)
日本の歴史と軍事を語る

大変秀逸。 日本の歴史観について、日ごろからメディアや教育の中で、何か引っかかりを感じている
方も多いかと思います。歴史観、日本の軍備等を、明解な視点で解説する、バランスのとれた論。
一見の価値のある画像です。



100501未来ビジョン 『田母神俊雄』



■田母神 俊雄 氏 (たもがみ としお) プロフィール

元航空幕僚長で、約5万人の航空自衛隊を指揮し、2008年、APA(アパ)懸賞論文
コンテストで、
懸賞論文 「日本は侵略国家であったか」 の最優秀賞を受賞を機に、
歴史観が政府見解と異なる
という理由により、2008年11月 退官。

※ 田母神 俊雄氏については、よろしければ、下記の successのブログを参照ください。
有識者コメント 「座して平和は守れず」 田母神 俊雄氏
APA論文コンテスト 最優秀受賞論文 「日本は侵略国家であったか」

「国を愛する心こそが、国を救う」

「教育がすぐれた日本人を育てる」
という主張が非常に納得できる。

憲法改正、核保有、日米同盟などにも広く言及し
国民にはわかりにくい「なぜ」を解説しています。

こちらは人柄がわかる「日本外国記者クラブ」での講演 (最初の部分は爆笑会見です)
母神俊雄 元幕僚長記者会見1/4




  


歴史観の解釈について  (クリックすると画像が出ます)
TVタックル版  田母神俊雄 「日本は侵略国家であったか」




そのほか、次もぜひ参照していただければと思います。

■「日本史から見た日本人 昭和編 「立憲君主国」の崩壊と繁栄の謎」

祥伝社 黄金文庫  渡部昇一  

■「敵兵を救助せよ! 英国兵四二二名を援助した駆逐艦『雷』 工藤艦長」

草思社  惠隆之介 著




ぶろぐ構築中です。(ブログ主)
日本は侵略国家であったのか

今回、上記のタイトルをもつ  元航空幕僚長の田母神俊雄氏の論文をご紹介する。

「日本は侵略国家であったのか」 ―― これは常々、私が疑問に思っていたフレーズである。
小・中学校のころからずっと、このように教育されてきた。
「日本は戦争で悪いことをした」 「善良な日本国民は政府にだまされ、泣く泣く特攻隊へ行かされた」 
「日本は近隣諸国に大層悪いことをし続け、お詫びのしようもないほどだ」
だから、 「当然、周りの国々から深く嫌われていてもしかたのないことだ」

これらは、大変つらく私の心に響き、「戦争」という言葉が目につくたび、「もういや」と避けてきた。

しかし、では一方の渇望すべき「平和」という言葉についても、大絶賛するかというと、こちらもまた
不思議なことに 「詭弁(きべん)だ」「偽善である」「うそくさい」と、これまた拒否する気持ちが多かった。
それは今でも変わらない。

なぜなのか? 思うに、日本人のDNA (細胞の1つ1つ) の中に、確定したイデオロギーを嫌う性質
あるというか、「右にも左にも偏り過ぎない」中庸(ちゅうよう)を極める性質があるのではないか。
なので、「平和」「戦争」、いずれの言葉にも、究極の選択を見て、なにか「うさん臭さ」を嗅ぎ取るよう
な、そんなところがあるのだと思う。

我々の国、日本の過去を振り返るとき、今与えられている歴史史観に、今言ったような「うさん臭い」
何かを感じるのは、私だけではないだろう。
語られていない事実がある。
それが、私たち日本人を、あえて歴史に向き合わせない要因だと思う。

今回、ご紹介するのは、あの有名な、元航空幕僚長の田母神俊雄氏の論文である。
私はこれを紹介するにあたり、日本人の中にある、「右にも左にも偏り過ぎない中庸」と、
「真実をかぎ取り、正しいものを選択する」という性質を信じ、判断の一材料として、掲載したい。

1つの「軍隊という軸」で貫いた、トータルな史観というのは、この論文が始めてだろう。
もし、この論文が詭弁であれば、遅かれ早かれ、日本人なら「なんとなく肌でわかる」はずだ。
それを信じ、ぜひ読んでみていただきたい。

こちらには論文の一部を掲載し、全体はリンクしたURLから参照いただきたい。


田母神俊雄 『日本は侵略国家であったのか』

アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略
とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島
を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外
に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の
了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求
される
が、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、
これを守るため
に条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理
締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など
存在したことがない。

この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺
事件も繰り返し発生する。
(ブログ主 注:この時の様子はこちらを参照) これは現在日本に存在する米軍
の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するよう
なものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度
蒋介石に裏切られるのである
実は蒋介石はコミンテルン(ブログ主 注: コミンテルン=ソ連) に動かされていた。1936 年の第2次国共合作
によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの
目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることで
あった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937 年8 月15 日、日本の近衛文麿
内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置
をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

1928 年の張作霖 列車爆破事件も関東軍(ブログ主 注: 日本軍のこと) の仕業であると長い間言われ
てきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなく
なった
。「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。
日中戦争の開始直前の1937 年7 月7 日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証
みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との
記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していた
ことが
わかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。

もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこか
と問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だと
いわれる筋合いもない

我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中
植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な
植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、
毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の
人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような
行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、
わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。

朝鮮半島も日本統治下の35 年間で1 千3 百万人の人口が2 千5 百万人と約2 倍に増えている「朝鮮総督府
統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮
半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と
日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したので
ある。

我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など
生活のインフラも数多く残している。また1924 年には朝鮮に京城帝国大学、1928 年には台湾に台北
帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9 つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6 番目、
台北帝国大学は7 番目に造られた。その後8 番目が1931 年の大阪帝国大学、9 番目が1939 年の名古屋
帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造って
いる
のだ。
また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。
戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク)という陸軍中将がいる。この人は陸軍
士官学校2 6 期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。
朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1 期後輩には金錫源(キンソグォン)大佐が
いる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1 千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国
の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名
などしていない
。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し、新潟の高田の連隊で隊付き教育を受け
ている。1 期後輩で蒋介石の参謀で何応欽(カオウキン)もいる。

李王朝の最後の殿下である李垠(イウン)殿下も陸軍士官学校の2 9 期の卒業生である。李垠(イウン)殿下
は日本に対する人質のような形で1 0 歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を
王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった

陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠(イウン)殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子
(まさこ)妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を
潰すつもりならこのような高貴な方を李垠(イウン)殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。
因みに宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である

また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀(フギ)殿下の弟君である溥傑(フケツ)殿下のもとに
嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。これを当時の列強といわれる国々との比較で
考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに
気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。
インド人を
イギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁が
せることなど考えられ
ない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。

一方日本は第2 次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く
暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1 次
大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスや
アメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になって
いる。


論文全体はこちら
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf



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