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しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける

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(1)から 引き続き 記事の(2) を 
ご紹介します





【BLOGOSより】 
フジテレビの韓流騒動に
ついて (2) 

2011年08月15日  http://news.livedoor.com/article/detail/5785710/?p=2



もう一つ反感を買っている原因は、売ろうとした商品が「韓国」であったこともあるだろう。日韓の関係は従軍慰安婦問題から竹島、ワールドカップ、オリンピックまで、非常に摩擦の多い間柄である。日本には少なからず反韓感情は芽生えているだろう。これまで作ってきたブームは、無風の中から立ち上げてきたが、今回は逆風をひっくり返そうと
いうのだから、大変だ。


韓流ゴリ押しには、非常に大きな圧力がかかっているのも、また事実であろう。例えば「笑っていいとも!」のランキングによるゴリ押しだけ考えても、おおごとだ。最近は視聴率が下がっているとは言えあれだけの長寿番組のプロデューサー、ディレクター、構成作家、大物出演者まで全部ネゴして回らなければ、あれだけのことはやってのけられない。

もちろん公共の電波を使って私腹を肥やすべきではない、という意見には一理ある。
しかし実際にはこれまでも、すでに散々やってきたことなのである。それをどこまでエスカレートしたからダメだ、というのは、誰がどのような線を引くのか。


米国のようにマスメディアの権利保有を分散する仕組みもあるが、日本では法が通らないだろう。米国ではテレビよりもハリウッドのロビーが圧倒的に強いので、テレビはかなり透明性が高い経営が求められる。しかし日本の場合、新聞社とテレビ局が一体化しているために、メディア力+ロビー力で、
とても規制に動かせるものではない。


8月7日にフジテレビ周辺で非公式な抗議デモが行なわれたそうである。本番は21日だそうだが、こういったストレートな抗議行動をテレビ局は右翼から以外に受けたことがないので、どのような反応を示すのか、非常に興味がある。

ただ人数が数千人程度では、7日同様、黙殺の可能性は高いだろう。テレビ局の場合、視聴率が5%ぐらい変わるほどの影響力が必要だ。ということは、250万人ぐらいの人がなんらかのアクションを起こさないと、影響力を行使できないのではないかと考える。

スポンサーに訴えるというのは一つの方法ではあるが、花王の製品に対して事実ではないことを書き込んだり、風評を立てるような運動は、よろしくない。こういうものは、たとえ事が解決しても依然として悪評だけが生き残り、ダメージを与え続けるからである。主張が組み入れられたら撤回し、現状復帰できるような方法を選択すべきだろう。

一部のネット民が騒いでいるだけ、という見方をされてしまったら、伝えたいことも伝わらない。いちテレビ局に対して具体的な抗議行動というのは日本でこれまであまり例がないのだが、視聴者の意見が反映された好例となるような、前向きな活動と決着を望みたいところである。






とても参考になる記事でした

success



http://www.kaiwo.jp/map/images/map.gif
http://www.kaiwo.jp/map/index.html

たしかに・・・、フジテレビがある台場は 移転当時、メチャ遠い場所でした。
でも、行ってみる、そういうブームを作る力がある テレビ局でした。





「そこまで言って委員会」(5月1日放送)の動画を見つけました。
「ぼやきくっくり」さんの文字起こしより、所氏の発言部分を転載させて頂きます。(5番目の動画、後半部分)
  ↓
「ぼやきくっくり」
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/
3月11日に天皇皇后両陛下がなされた事  2011.05.02 Monday
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid994.html
 5月1日放送「たかじんのそこまで言って委員会」で、京都産業大学教授の所功さんが、両陛下についてこのようなお話を紹介されましたので、文字起こしをしておきます。

【私は今の両陛下が、まさに今回の3月11日の大震災にあたって、最も早く、最も的確に行動されたということを知り、驚きました。

 その原点は何かというと、お二人とも、陛下が昭和8年、皇后様が昭和9年のお生まれで、昭和20年の8月15日に日光へ疎開しておられた皇太子様が書かれた作文があります。

 どういうことが書いてあるかというと、今度の大戦で、陸・海の軍人もよく戦った、それから国民も一所懸命に戦った、でも敗れた、そこで、この国を本当にこれからどん底から立ち直らせていくのは自分の責任だと、自分がしっかりその困難に耐えて行かねばならんということを、書いておられるんですよ。当時まだ11歳ですよ。そういうお気持ちが、もうお小さい頃からあられたということ。

 それから皇后様は、おひとつ下ですけれども、戦時中に差し入れを受けられた物語を読まれて、そこの中に日本武尊(ヤマトタケル)と弟橘媛(おとたちばなひめ)の物語が出てくると。

 ご承知の通り、東国へ遠征された時に、相模湾に入水されて、それで、夫たる日本武尊のために役立とうとされた。そのことを『子供時代の読書の思い出』というお話*1の中に引かれてですね、愛と犠牲というものが、二つのものではなくて不可分の一体のものだということを知って、非常な感銘を覚えたということを述べておられますと。

 そういうご自身のお小さい頃からのご体験とか、そういうご覚悟というものがあって、実は3月11日にどんなことがあったかと言いますと、その日の2時頃に、皇居の勤労奉仕に行った人々が、実は、御会釈を賜ると言いますけれども、天皇皇后両陛下が、ご苦労様でしたということで、御言葉があったんですね。直ちにみんながそこで感激してお別れをされたところに震災があったと。

 で、びっくりされて、それで、これではさっき会ってきた勤労奉仕の人々どうしてるかということを言われて、直ちに侍従か何かが行きましたら、ま、とりあえず大丈夫だということになったんですが、もうしばらくしたら東京都内が全然、交通麻痺してる。

 これじゃ遠くから来てる人は帰れないだろう、ということで、両陛下がそれじゃあ何とか人々を、皇居の中に泊めることはできないかと、いうことを言われて、直ちに検討して、結局、窓明館(そうめいかん)という休憩所があるんですが、そこに数十名の方が、そこに泊めていただいたんですね。

 それだけでも異例のことなんですけども、その翌日、また心配をなさいまして、7時半頃に、皇后陛下がそのみんなの休んでる所へ来られて、それで、ま、お見舞い下さったというようなことがありました。

 こういうようなことはもう異例中の異例なんですけども、そのあと、さっきも(VTRなどで話が)出ておりますように、自分で自主停電をされるとか、色々なことありますけど、大事なことは、自分でできることを直ちにやっておられるということですね。そして困難は自ら引き受けるという、そういうお姿というものは、やはりお父様である昭和天皇、お母様である香淳皇后などから受け継がれた、ま、歴代のそういうご精神の影響もあり、それからご自身のその体験にもありますけれども、そういうものを私、見ましてですね、本当に我々今回、ま、この関西あたりは直接被災はありませんでしたけれども、あの時に自分にできることをすぐ何かやったかと言いますと、それほどできてないと。

 しかし陛下は自分でできることを直ちになさり、そして皇后様も直ちにそれを助けてなさろうとなさったということを、やはりお手本として、我々も少しでも自分にできることを、しかも短期間でなくて5年、10年かけて、一緒にやっていこうという気持ちを持ちたいものだと、つくづく思っております。】

 *1 皇后陛下は1998年(平成10年)、インドで開催された「国際児童図書評議会(IBBY)」におけるビデオによる基調講演「子供時代の読書の思い出」の中で、日本武尊と弟橘媛の物語などを引いて、御成婚以来のその胸中を語られ世界中に大反響を呼びました。

 所さんのこの話を聞き終えた桂ざこば師匠は、感動のあまり号泣しながら、「ぶっちゃけた話、私は日の丸の国旗を持ってません。さっそく買って、5月5日に鯉のぼりの隣りに差したい」と話していました。



転載は以上です。
「淡交 You Tube」の「再生リスト」にも入れておきました。
http://www.youtube.com/user/tankou2008
青山繁晴氏の情報は「淡交」 非公開サイトをご覧下さい。
http://www.geocities.jp/tankou_2008/
真実の情報が、より多くの人たちに伝わりますように・・・ワンクリック お願い致します。
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転載元転載元: 青山繁晴氏のファンサイト・淡交 ブログ

震災は悲劇である。
あらゆる天災が悲劇であるように。
しかし、それに乗じて「新たな日本」?
「大きな夢をもった復興計画」?

日本滅亡を防ぐキーワードは

「分相応」


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政府筋から、
「被災者にやさしい」復興計画がぶちあげられはじめた。
曰く、津波被災地域の「買い上げ」
その財源の案は、
各種増税と、
日銀による国債引き受け
のようだ。

被災地国有化&復興増税が浮上 “禁じ手”に早くも反発が


 東日本大震災からの復興に向けた特別立法として、政府・民主党が「被災地の国有化」を検討していることが1日、明らかになった。大津波や原発事故で壊滅状態となった被災地を国が買い上げる大胆案。また、25兆円とも試算される復興財源として、特別消費税などの増税や、日銀が復興国債を引き受ける“禁じ手”も浮上した。国民全体が痛みに耐えねばならない局面が確実に迫っている。

 民主党の特別立法チームが政府側と調整してまとめた素案によれば、福島第1原発関連を除く被害額を16−25兆円と試算。法案施行から5年間を、ヒト・モノ・カネを投入する「集中復旧復興期間」とすることを明記した。

 特に目を引くのが、被災地の国有化検討だ。津波被害が大きく、原発事故が長引いて汚染地域が広がることも視野に入れ、「都市計画に基づき円滑に再建するには国による買い上げが不可欠」と判断した。

 具体的には、住めなくなった土地の住人の集団移転の費用について、国が4分の3を負担する現行制度から国の負担割合を引き上げる。次に移転後の空き地を国が買い上げることができる制度を整えるものだ。土地の所有権に一定の制限を定めることもありうる。

 国土地理院の分析によれば、津波で浸水した面積は、山手線内側の約7倍にあたる443平方キロ。自主避難勧告が出ている福島第1原発から半径30キロ圏内は、さらにその6倍強の2826平方キロで、原発事故が収束せず土壌汚染が広がれば、膨大な土地が国有地となる可能性もある。

 一方で、財源としては「社会全体が負担を分かち合う」という菅直人首相の方針が反映されている。

 各種税率を引き上げて使途を復興財源に限る「特別消費税」や「法人特別税」、被災地を除く地域の人々の所得税に上乗せする「社会連帯税」も検討している。

 また、「震災国債」を発行し、金利上昇を防ぐために「日銀引き受け」とすることも検討するとした。

 司令塔としては、防災復興庁(仮称)を新設し、防災復興相を置くという。

 ただ、増税には民主党内に異論が多いうえ、日銀引き受けの国債は「絶対にやってはいけない禁じ手だ。世界中の国から信用を失い、大インフレの引き金になる」(与謝野馨経済財政相)と早くも反発が出ている。

 果たして、菅内閣はこれら大胆な政策を実行できるのか。


これを読まれて、
「もっともだ」
と思われる方もおられる事であろう。

しかし、これは「私有財産制」を根本から切り崩す、
寝技になっていることに気づかれるだろうか。


天災は、この国の国民が等しく被りうるものである。
東京も、大阪も、沖縄も例外ではない。
今回の東北地方は、阪神大震災と同様に「ノーマーク」の地域であった。

台風が来る、地震が来る、津波が来る。

これは不可抗力である。
逆にいえば、これに備えるのは、
個々の国民の義務であり、
それぞれの集落・町の義務である。

それが「国民主権」
「地域主権」の意味である。

アリは、冬の訪れを知って、食べ物を蓄える。
キリギリスは、遊んでばかりで、冬を越せない。

我々は、キリギリスにならないように教育され、
アリの忍耐と備えを教育される。
誘惑に負けないものが生き残る。

「自分の事は自分でする」

これは、道理なのだ。

多くの生命が失われ、
多くの家屋・工場が流された。
頼みにしていた堤防は消滅し、
土地は沈んだ。

あまりにひどい被災に、
個人では無理、集落や町では無理。

しかし、だから「国がなんでも面倒をみろ」
というのは筋違いだ。
「国がなんでも面倒をみられる」
これなら、「公営経済=統制経済」そのもの、
「私有財産」ではなく「国有財産」という社会主義そのものである。

個性だ、人権だと、勝手気ままを正当化し、
困ったら「国がーー」「政府がーー」では、
わがままな子供そのものではないか。
国の奴隷になるのを大歓迎する「シロアリ」である。
それは逆にいえば「国家による専制」そのものでしかない。

こんなのは

私有財産制を定めた憲法第29条に違反する

阪神大震災でも、
国の役割は、
   ・インフラの復旧
   ・信用不安の抑制
   ・民間活力の支援
に限定されていた。
これは正しい判断だったと思う。

しかし、「かわいそう」と言う声を背景に、
被災者に金を配る仕組み
が事後につくられた。

阪神大震災の時、
民有地のがれき撤去は公費でできないという問題が浮上した。
これでは復旧が遅れるとのことで、
公費ですることになった。
これは賢明な判断だったのではなかろうか。

しかし、被災者に金を配る仕組み
というのは、やはり、バラマキでしかない。

ましてや、水没地域の国家買い取り(国有化)に至っては、
全く筋が通らない。

水没する可能性の高い土地は、
おのずと価格も安かった。
原発の周りは多額の税金が投入されていた。

人々は、そのリスクとともに暮らしていたのだ。
そのリスクの対価としての安さを度外視して、
「かわいそう」だから、
国費が投入される。

東電をせめるのは筋違いである。
東電がどうして、「お粗末な原発防災対策しかとれなかったのか」
考えてみた事はあるのだろうか?
「もうけ主義だから」
こんなことを反原発屋と(社会主義の本家の)フランスがわめいている。

まったく本質をはずしている。

広島・長崎の原爆を受け、
強固につくられた「反原発アレルギー」「悪用」して、
反原発勢力は、政治闘争をしかけた。

原発は危険なのか、安全なのかを突き付ける。
アレルギーに対応するには、「安全だ」と言わざるを得ない。
そうおいこんでおいて、
技術的問題を暴露し、煽る。
電力会社は「問題ない」と突っぱねざるを得ない。

こうしておいて、
非常事態への準備をかぎつけようものなら、
「ほらみろ、危険な証拠だ」と煽る。
電力会社も、自衛隊も、「最小限」の準備しかできない。

原因は、「反原発勢力」にあるのであって、
それ以外ではない。
こういうのは「総会屋」と同じマッチポンプである。


今回、原発の暴走で、我が国の危機管理の本質が露呈した。

確かにこれまでの原発事故のような「軽度」の事故では、
マニュアルが完備され、問題は露呈しなかった。
しかし、「重度」の事故では、
「何の準備もない」ことが露呈したのである。

これを国防におきかえるなら、
「軽度」の問題なら、問題は露呈しない。
でも、「重度」の問題なら・・・。
尖閣問題程度の問題ですら、あのざまだった。
だから、当然ながら、
「本格的な侵攻」などには、お手上げなのではなかろうか。

米軍が来るまでの辛抱だ。
というのが
自衛隊の役割である。

しかし、今回の大震災ではっきりした。

「米軍が来る」

といっても、断ったり
来ても、何も依頼ができず、
ただ、時間だけがたち、
決断はなく、現場の責任感だけしかない。
こういう「識者が、指摘してきた問題が、そのまま露呈」した。


話が横道にそれた。

本ブログでは、民主党政権の政策・政治について、
繰り返し警告してきた。

彼らがこの国に「愛着をもたず」
実質的な本籍は近隣外国にしかなく、
この国を壊すことにしか能力を発揮しない「シロアリ」である

と、繰り返し警告してきた。

そして、その本質は、今回の大震災でそのまま発揮されてしまった。
当然のことながら、その本質は、「復興」においても存分に発揮される。

だからこその

曰く、津波被災地域の「買い上げ」
その財源の案は、
各種増税と、
日銀による国債引き受け

なのだ。

市場はさっそく反応し、
長期国債は暴落しかけ
円は一気に円安にふれている。

このブログのコメントによせられた、
復興国債で問題ない。
デフレだから財政出動を。
政府紙幣は最高の方法だ。
などという議論は、
わずか一瞬で「現実によって反論」されている。
世界各国の機関投資家に説教でも、しに行くべきだろう。

打ち出の小づちなどない
キリギリスごっこはやめろ
アリに迷惑だ
鏡をみて「シロアリ」になってしまっている自らの顔を見よ

正気にもどるというのは、
こういう事だ。

人は、自分の稼ぎに応じた暮らししかできない。
稼ぎというのは税金や福祉を食う事ではない。
毎月給料の1割程度の掛け金しか払っていない年金を40年払ったとして、
20年間給料の6割の給付が受けられるというのが
「おかしい」という感覚をもて。
払うのの半分の期間もらうのなら、給付は倍程度だ、が「まとも」だろ。
それなら、給料の2割の給付が「適正な年金」でしかない。

こういうまともな感覚のことを、
昔の人は

分相応

と表現していた。

分相応の「平凡」な暮らし

こそが尊ばれてきた。
これが本来の「日本」の姿ではないのか?


今回の大震災。
本来であれば、国家もまた、この震災に備えて、

事前に、復興財源を積んでおかねばならない

のである。
しかし、我が国の状況はどうだ。

復興財源を積むどころか、
金を既に使い果たしてしまい、
なけなしの災害対策費は仕分けして、
バラマキに投入してしまった後である。

これは「キリギリス」そのものの姿なのだ。
この「キリギリス」は、

天災がおきてから、
「復興財源」を借金で積む
という
「泥縄(道棒を捕まえてから、縄をなう)」
そのものである。


震災がおきてから、
学者を登用する
原発事故がおきてから、
勉強する
という
「入試を受けてから、勉強する」
劣等生そのものである。


我々が「復興」に対してなせる事は

・増税でもなければ、
・復興国債ですらない、
・「大きな夢をもった復興計画」などでは全くない

すでに身をあまやかして

やれ、福祉だ、
やれ、弱者だ、
やれ、ギャンブルだ
やれ、地域主権だ
やれ、住民自治だ

などという堕落に終止符をうって、それを財源とすること、

我々ひとりひとりが、本来の稼ぎに応じた暮らしを受け入れること
政府が「所得の再配分」をするという社会主義と決別すること
反社会的勢力にわたった金を収奪し、国民に還元すること
道徳と適合するように諸規制をみなおし、
伝統と慣習=「分」が守られるような制度に戻すこと

そのうえで、どうしても足りない分だけを、
国民による自律再生を損なわない最小限の規模・方法で、
復興国債を世界中から募ることである。



迷妄からさめよ、日本国民よ
滅びの時は、先送りできない



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転載元転載元: オノコロ こころ定めて

エール

アルゼンチンはかつてスペインの支配にありましたが1816年に独立します。
そのアルゼンチンはヨーロッパやアメリカの圧力に常に緊張した状況が続いていましたが、
決して屈することなく独立を堅持していました。
 
そのようなアルゼンチンにとって東洋の小国である日本という国が、
大国である清国と堂々と戦っている姿は人ごとではありませんでした。
当時のアルゼンチンの新聞にはこう書かれていました。
 「日本は10倍の人口を持つ国に挑戦するという、これ以上望むべくもない勇猛さと剛胆さを
体現しているのであるから、我々は清国より日本に共鳴せずにはいられない」
 
日清戦争の日本の勝利でアルゼンチンは「日本を手本にすべきだ」と日本を研究しはじめ、
明治31年には日亜修好通商航海条約をも締結します。
 
そして、アルゼンチンが最も日本に関心を高めたのは日露戦争でした。
「なぜ日本はロシアに勝てたのか」アルゼンチンは分析をはじめました。
 
・・・日本は東洋にあって西洋文明の優れた部分を取入れ、
また他方では自国の伝統を遵守し、継承している国である。
そして、その根源は聖徳太子の憲法十七条にある。
日本ではすでに604年に憲法が制定され、
その憲法には
「和をもって貴しとせよ 群卿百寮、礼をもって本とせよ それ民を治める本なり」と定めている。
それに対して白人は傲慢で、無礼で、暴力的で、威圧的に人間を統治していた。
 
日本の精神は道徳によって社会を律し、
国家への忠、親への孝、夫婦の和、兄弟の愛を
宗教人としてではなく社会人・家庭人として義務とされている。 ・・・
 
アルゼンチンの日本分析はこう締めくくられていました。
「日本国民は見識を持ち、勤勉かつ壮健である。
彼らの中には祖国とその偉大な人物への崇拝心が混在している。
戦争に勝利したのは東郷でも大山でもない。
戦争に勝つには優秀な将軍だけでは十分ではなく、優れた軍隊が必要なのであり、
そして優れた軍隊をもつには堅牢に建設された国家の存在が不可欠なのである。
日本という国は国民全体の資質が極めて高く、それが日本の国家の基盤である」
と指摘しています。
・・・
 
大東亜戦争後、青年期にアルゼンチンに移住した現地日本語紙の編集主幹・高木一臣氏の
回想録にはこのように書かれています。
 
私が祖国・日本を離れ、このアルゼンチンに来て50年が経ちました。
19516月、私は全くスペイン語を知らないでこの国にやって来ました。
当時、無一物の私は、無料の国立夜間小学校のあることを知り、
強引に校長先生にお願いして入学を許されました。
そして、日本の大卒でしたが、子供たちと机を並べて勉強し始めました。
小学校を終えると、次に夜間の国立中学校に入学しました。26歳の時でした。
 
入学して1年、歴史の授業での出来事です。
先生は生徒を名指しし、教壇に呼び出して復習してきたかどうかを質問します。
その時、「ホセ、前に出ろ」 「ファン、前に出ろ」と名前で呼ぶのが常でした。
ところが私の場合、なぜか「高木」と名前では呼びません。
「日出づる国の生徒よ、前に出ろ」と呼んだのです。
 
私はこれに対し
「先生、日出づる国の生徒よ、という呼び方はやめて下さい」と言いました。
「なぜか?」と反問する先生に向かって私は、
「先生、太陽は落ちたのです。日本はもう日出づる国ではなくなったのです」と答えました。
しかし、先生は
「君が太陽が落ちたと言うのは、日本が戦争に敗けたからか?」とたずね返してこられました。
私が「そうです」と答えると、先生はキッとした厳しい顔つきになりました。
そして、
「君は間違っている! 日本が日出づる国であるのは戦争に強かったからではない。
日本はアジアで最初に西欧文明を取り入れて、我がものとし、世界五大強国の仲間入りをした。
そのことに示されるように西洋文明と東洋文明という全く異質の文明を統一して、
世界文明を創り上げる唯一の能力を持った国である。
この難事業をやり遂げるのは日本をおいて他にはない。
日本がこの能力を持ち続ける限り、日本は日出づる国であるのだ。
戦争の強弱などという問題は西洋文明と東洋文明の統一という大事業の前には、
取るに足らぬことなのだ。
君は日本が戦争に敗けたからといって、卑屈になる必要は少しもない。
俺は日出づる国の人間なのだという誇りと精神を失わず、胸を張って歩きたまえ
と私に向かって言われたのです。
私はこれを聞いて、涙があふれ出るのを押さえきれませんでした。
・・・・・・
 
 
 
 
 
・・・・・・・・・・・・
 
 
 
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(産経フォトより)
 
 
 
日出づる国の人間なのだという誇りと精神を失わず、胸を張って歩きたまえ
 
 
 
 
 

転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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東日本大震災による東京電力福島第1原発の放射性物質(放射能)漏れ事故を受け、
政府の指示を超えて自主避難が広がるなか、生活保護を受ける外国人が日本人との間に生まれた子供を置き去りにして帰国するケースが相次いでいることが分かった。(326日 産経新聞)
 
逃げて帰る国がある人間に参政権など必要あるまい。
このような腹の立つニュースがある一方で、国柄を感じる記事を327日の産経新聞にみました。
 
・・・天皇、皇后両陛下が、大震災の後に「自主停電」されているという話にも鼻のあたりがツーンときた。15日から「第1グループ」の計画停電の時間に合わせ皇居・御所の電気を切っておられる。
実際に停電にならない日も、予定通り続けておられるそうだ。
天皇陛下は77歳のご高齢である。以前には前立腺がんの手術も受けられた。
それなのに「寒いのは(服を)着れば大丈夫」と、その間は暖房も使われない。
ろうそくや懐中電灯を使いながら、暗い中で夕食をとられたこともあるという。
それほどまで国民に思いをはせておられる。
そのことを知れば、被災地で苦難の生活を強いられたり原発の修復にあたったりしている人々に
これ以上にない励ましとなるだろう。身勝手な買いだめなど決してできないはずだ。
・・・
 
天皇陛下は国民に「仁」の心を持つ伝統があります。
日本書紀には初代天皇とされる神武天皇が「民」を「おおみたから」と呼んだことが記されています。
神武天皇にとって国民は皇祖・天照大神から託された大切な宝物です。
そして、神武天皇は日本を建国するに当たり「国民を大切にすることを統治の根本」としました。
このことは、その後の天皇陛下にも受け継がれています。
 
最も有名なのは第16仁徳天皇です。
即位されて4年目、国民のかまどから炊事の煙が立たず、
多くの国民が貧しい生活をしていることに気づくと3年間年貢などを免除し、
仁徳天皇自らも着物や履物が破れてもそのままにし、宮殿も荒れ果てたままにしていました。
3年後、高台に立って国民の炊事の煙があちこちに上がっているのを見て、
「自分は、すでに富んだ」と喜んだと伝えられます。
 
平安時代の第60代醍醐天皇。
醍醐天皇は国民に対する同情心が強く、寒い夜に自分から着物を脱いで
貧しい国民たちの寒さとともに過ごしていました。
醍醐天皇は疾病や不順な天候の時は大赦したり税を免じたりしました。
収穫の良くない年は重陽節(ちょうようのせち)を何度もやめています。
これは国民への負担の軽減を願ったものです。
また、旱魃の時には一般民に冷泉院の池の水を汲むことを許し、
そこの水がなくなるとさらに神泉院の水も汲ませ、ここの水もなくなったといいます。
鴨川の洪水などがあれば水害を蒙った民に助けの手を差し伸べ年貢や労役を免除しました。
醍醐天皇は、
「自分は租税によって着物を着ている。自分は年貢によって食べている。
それなのに民の方は足りなくて自分の方が余っている。これはよろしくない」
そして、醍醐天皇はこのような政令を出しました。
「旱魃があったら年貢を免じてやりなさい。水害の時は租税を免除しなさい。
兵士となった家は租税の対象外にしなさい。
疾病が流行した時は租税を取り立てないようにしなさい」
 
昭和天皇は戦時中の昭和19年の暮れから防空施設として作られた御文庫に居住しました。
そこは屋根には砂が盛られ湿っぽく居住性の極めて悪いところでした。
昭和天皇は戦後になってもそこに住み続けました。
何度か新しい御所を作ることを進言申し上げても昭和天皇は、
「国民はまだ住居がゆきわたっていないようだ」とおっしゃって断り続けました。
その後、国民の生活水準が戦前をはるかに上回り、
空前の神武景気も過ぎた昭和36年に昭和天皇は吹上御所に移りました。
新宮殿が創建されたのはそれよりさらに遅れて昭和43年のことでした。
 
昭和天皇はこのようなお言葉を残されています。
「もっとも大切なことは天皇と国民の結びつきであり、
それは社会が変わっていってもいきいきと保っていかなければならない。・・・
昔から国民の信頼によって万世一系を保ってきたのであり、
皇室もまた国民を我が子と考えられてきました。それが皇室の伝統であります」
・・・
 
他の国では国王や皇帝は自分の権力を求め、国を支配し、国民から搾取する。
それゆえ恨みを抱いたものが政権を奪い新たな王朝を立てるということを繰り返してきました。
 
それに対し我が国では建国の理想のもとに天皇陛下が国民をわが子のようにいつくしみ、
国民に思いやりを持ってまつりごとを行ってきました。
国民はこうした天皇陛下の御心(みこころ)に応え、天皇陛下を我が親のようにしたい、
天皇陛下を中心として国民が家族のように結び合って生活してきました。
だからこそ神話の時代から今日まで一系の皇室が125代も続いているのです。
 
このように我が国では家庭にあっては親は子供を愛情を持って育て、
子どもは親が年を取って弱っても大切にする。
夫婦は男女の特長を認め合い欠点を補い合って和を心がける。
また祖先を大切に祀り子孫の幸福や繁栄を願う。
このような家庭が寄り集まって一つの国をなしているのです。
社会にあっては人々が助け合い共存共栄を心がける。
海外の文化も積極的に取り入れて固有のものと調和させてしまう。
その要に皇室があり、国民は皇室を中心として団結して生活する。
これが日本のもともとの姿であり、
これこそ日本人が世界に誇ることのできる国柄であり、
その心といえるのではないでしょうか。
 
 

転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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