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しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける

天皇陛下 お言葉

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おめでとうございます


悠仁さま着袴の儀 健やかな成長祝う
2011年11月3日  スポーツニッポン
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/11/03/kiji/K20111103001952880.html


 秋篠宮家の長男悠仁さま(5)の「着袴の儀」と「深曽木の儀」が3日、東京・元赤坂の皇族共用邸宅「赤坂東邸」であった。どちらも健やかな成長を祝う皇室の儀式で、一般の七五三に当たる。男子だけがする深曽木の儀は、1970年の秋篠宮さま以来41年ぶりとなった。

白いはかまをはく着袴の儀に続き、童形服姿で右手に扇、左手にマツとヤマタチバナの若木を持ち、高さ約30センチの碁盤上から畳に飛び降りる深曽木の儀に臨んだ。

両儀式後、東邸前に姿を見せた悠仁さまは、報道陣が「おめでとうございます」と声を掛けると「ありがとうございます」とはにかんだ。秋篠宮ご夫妻に伴われて皇居に出向き、宮中三殿を参拝。御所で天皇、皇后両陛下にあいさつした。

ことし春にする予定だったが、東日本大震災で延期していた。



http://sankei.jp.msn.com/images/news/111103/imp11110313000001-p3.jpg
http://sankei.jp.msn.com/life/photos/111103/imp11110313000001-p3.htm
5歳悠仁さまが「着袴の儀」  「着袴の儀」と「深曽木の儀」を終えた悠仁さまと秋篠宮ご夫妻、
眞子さま(左)、佳子さま=3日午前、赤坂東邸(代表撮影)

 着袴の儀(ちゃっこのぎ)
Wiki  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E3%81%AE%E5%84%80%E5%BC%8F

子が数え5歳の時に、『賜剣の儀』の際に贈られた袴を着用する儀式。男子は滝の意匠をあしらった和服「落滝津の御服」の上に白絹の袴、女子は濃色(こきいろ:濃い赤紫色)の小袖と同色の袴を、それぞれ着用する。





https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/8f/7a/blogger2005jp/folder/1026937/img_1026937_43994440_0?1211701329
http://blogs.yahoo.co.jp/blogger2005jp/43994440.html
お父様の秋篠宮殿下に手を触られて、微笑まれる悠仁さま



http://pds.exblog.jp/pds/1/200611/14/91/e0094691_16571028.jpg
http://stm0728.exblog.jp/4547570/
お宮参りの 悠仁さま



http://livedoor.2.blogimg.jp/j1bkk/imgs/3/4/34628650-s.jpg
http://blog.livedoor.jp/j1bkk/archives/1342927.html
幼稚園の入園式に、ご両親の秋篠宮殿下、妃殿下と


http://cache.daylife.com/imageserve/01P2gyyfbo8eH/999x.jpg
http://blog.livedoor.jp/vip_2ch_news/archives/51204757.html
5歳になられた悠仁さま




選ばれて、この世に生を受けられた。
どうか、すくすくお育ちください


国の宝よ

日本よ、永遠 (とわ) に

success



悠仁親王殿下の占星術的な運勢
〜幸運と能力を合わせ持つ命・悠仁親王〜
http://www.ageun.com/uranai/koh/column/32.shtml








悠仁さま、お誕生日
おめでとうございます

こんなに 大きくなられました



6日に5歳の誕生日を迎えた悠仁さまと秋篠宮さま(2011年8月10日、秋篠宮邸で撮影)
=宮内庁提供 


悠仁さま、5歳に 昆虫採集や木登り、活発に

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110906/imp11090605070000-n1.htm


 秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁(ひさひと)さまは6日、5歳の誕生日を迎えられた。4月にお茶の水女子大付属幼稚園(東京都文京区)の年中組に進級し、園庭で砂場遊びをしたり、さまざまな歌を覚えたり、幼稚園での生活を楽しまれているという。
 宮内庁によると、悠仁さまは虫や生き物への関心が強く、今年は皇后さまが譲られた野生の蚕「ヤママユ」を幼虫から成虫になるまで大切に飼育された。毎週のように皇居に通い、天皇陛下や秋篠宮さまのご説明を聞きながら、虫を観察されたという。
 宮邸で育てたナスやインゲン、ミニトマトなどの野菜を、秋篠宮妃紀子さまが手作りされたお弁当に、自分で詰めることを楽しみにされているという。
 屋外でも活発に遊ばれている。5月には東京・新宿御苑での「親子遠足」に紀子さまと参加し、友達と木の実拾いや木登りをされた。宮邸で、眞子さまや佳子さまと、追いかけっこを楽しまれることもあるという。
 悠仁さまは今秋、一般の七五三にあたる皇室の伝統行事「着袴(ちゃっこ)の儀」に臨まれる。当初春に予定されていたが、東日本大震災で延期となった。



いたずらっ子の ご様子です (笑)



8月19日、東京・新宿区の東京消防庁消防防災資料センター(消防博物館)をご訪問



さまざまなご経験をなされ、
将来の日本を担う存在になられます



http://pds.exblog.jp/pds/1/200611/30/80/a0048380_17202119.jpg
http://mukke1221.exblog.jp/i21
お生まれになったときから お父様が大好きだったご様子です




悠仁さま、消防車を見学



国の宝。
どうかすくすくとお育ちくださいますように。

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2006年の悠仁さま


私の大好きな画像なのですが、この中の 特に 2:30〜 の「あくび」、 
3:10〜 「お父様に手を触られて 微笑まれる様子」 が愛らしく、すくすくと
愛情に囲まれて育だれているご様子が なんともいえず愛らしいです。 ^^






かがみ        
わが君は 国の鑑


https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/99/0c/romantic_of_taisho/folder/1599562/img_1599562_49796318_0?1261734854
http://blogs.yahoo.co.jp/romantic_of_taisho/49796318.html
国民に 歩むべきをお示しくださる 今上天皇


皇居も節電…

宮殿の使用半減 両陛下「ご自宅」で儀式

2011.7.26  産経   http://sankei.jp.msn.com/life/news/110726/imp11072600180000-n1.htm


 皇居で、電力の消費を削減しようと、さまざまな取組みが行われている。大型施設のため冷房や照明に多くの電力が必要な「宮殿」を極力使わないようにしたり、行事の時間を変えてみたり…。今夏は例年に比べ宮殿の使用回数がほぼ半減している。25日には信任状捧呈(ほうてい)式が、両陛下のお住まいである「御所」で初めて実施された。(芦川雄大)

 約2万3千平方メートルの広大な延べ床面積を持つ宮殿では、首相や最高裁長官に任命書を交付する親任式、新任外国大使が派遣国から託された信任状を陛下に渡す信任状捧呈式といった国事行為に基づく儀式や、勲章親授式、歌会始などの重要行事が行われてきた。
 だが、宮殿は、皇居内の施設で最も消費電力が大きいとされる。行事に使われる部屋は広くて天井が高く、「暑い日は2時間前から部屋を冷やしている」(宮内庁)。真夏でも大半の行事は正装の必要があり、高齢の出席者のためにもしっかり温度を下げる必要があるという。
 そのため今年は、例年宮殿で実施されてきた行事を、両陛下がお住まいの御所で行うことが相次いでいる。

 昨年6月1日から7月25日までに陛下が行事や執務のため宮殿にお越しになったのは41回だったが、今年は半分以下の20回にとどまっている。今年は、震災の影響でずれ込んだ「春の勲章」の拝謁関係の行事が、この期間に7回あったにもかかわらずだ。

 25日には韓国、モナコの新任駐日大使の信任状捧呈式が御所で行われた。御所で信任状捧呈式が行われるのは初めてのことだ。5日夜にも、平野達男震災復興担当大臣らの認証官任命式が御所で初めて行われた。

 両陛下が外国の大統領、大使らと懇談される会見・引見も同様に、御所で開かれている。側近によると、障子越しに明かりが入れば部屋の電気をつけないこともあるそうだが、両陛下の「ご自宅」に招かれた外国の客たちは一様に節電の取り組みに理解を示すという。

 こうした「場所を変える」節電に加え、消費電力のピークをずらすため、行事の「時間を変える」試みも実施されている。

 14日に宮殿で行われた警察大学校警部任用科の学生拝謁は例年午後に実施されていたが、今年は、まだ涼しく、冷房を強くしないで済む午前9時半からに変更された。

 宮殿の消費電力が多いもう一つの理由は、豪華な照明設備だ。宮中晩餐(ばんさん)会が行われる豊明殿(ほうめいでん)やホールには、華やかなシャンデリアもある。現在は、行事中に一部の電気をつけない方法でも節電が行われている。

 企業や一般家庭では、消費電力が少ないLED電球に切り替えるという選択もあるが、宮殿の照明については現段階での切り替えは難しいという。強い明かりを放つ250ワットの電球を一部で使うなど、華やかな明るさが求められる上、LED電球の課題とされる「光の広がり方の狭さ」もネックだからだ。

 宮内庁幹部は「中長期的な課題としては(LED電球切り替えも)認識しているが、ある程度の光の広がりもおもてなしには必要」と、節電と雰囲気のバランスに頭を悩ませる。その上で、「震災直後に47日間連続で自主停電された両陛下のお気持ちをふまえ、節電には今後も皇居全体で取り組みたい」と話す。



http://sankei.jp.msn.com/images/news/110726/imp11072600180000-p1.jpg
http://sankei.jp.msn.com/life/photos/110726/imp11072600180000-p1.htm
節電のため皇居・御所で初めて行われた信任状捧呈式。
天皇陛下に信任状を手渡す韓国の新任駐日大使=25日午後(宮内庁提供)



「陛下にこのようなことをさせて・・・」 と 言うことをするまい。

「このように生きよ。このように 苦難を乗り越えよ」 と
声なき声で 示してくださっているのだから。





https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/ca/5e/naomi_shararan1998/folder/137852/img_137852_48050011_0?1261960417
http://blogs.yahoo.co.jp/naomi_shararan1998/48050011.html
天皇 皇后両陛下


https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/ef/34/meiniacc/folder/1045610/img_1045610_43075825_1?1301919204
http://blogs.yahoo.co.jp/meiniacc/43075825.html



悠久にお導きください、両陛下

success







明治天皇(下)



https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/ef/34/meiniacc/folder/1045610/img_1045610_43122911_0?1306379705


「四方の海」と国民平和

◆心がけていた平常心

 「完全な人格の特徴は、毎日をあたかもそれが自分の最後の日であるかのごとくすごし、動揺もなく麻痺(まひ)もなく偽善もないことにある」(マルクス・アウレリウス『自省録』、神谷美恵子訳、岩波文庫)
 私たち凡人はマルクス・アウレリウスのような境地には達しがたいものだ。しかし、幕末から日清日露の役を生き抜いた明治天皇は、日頃から、いかなる事態が起きても平常心を失わないように心がけていた。


 思はざることの起(おこ)りて世の中は
 心のやすむ時なかりけり



 明治37(1904)年の和歌に見られる心構えは、幕末維新の変事や戊辰戦争、西南の役などの内戦内乱、日清日露といった対外戦争を経験した歴史でも稀有(けう)の君主にして、おのずと培われたものだろう。
 もちろん、この作品に見える「思はざること」や「心のやすむ時」といった表現には、無事平穏に時を過ごしたいという気持ちが込められていた。平和への思いは、明治20年の作品にもはっきり表れている。


 池みづの上にもしるし四方(よも)の海
 浪(なみ)しづかなる年のはじめは




◆平和共存が外交の要

 小さな池の水でさえ波一つ立たない平和な年の始めである。世界各国が平和であり、新たな年が波乱につながるさざ波も立たずに無事であるよう願った御製(ぎょせい)であろう。そして、不幸にも戦端が開かれた後もなお平和への願望が発露した和歌こそ、明治37年の有名な作品にほかならない。


 よもの海みな同胞(はらから)と思ふ世に
 など波風のたち騒ぐらむ


 四方の人類はみな兄弟同様だと考えているのに、その世の中で何故に波や風が立ち騒ぐのだろう−とは、戦争が何故に起こるのかと政治の不条理にやるせない感情を述べたものなのだ。

 ついでにいえば、この名歌は孫帝の時代に日本史に再び現れる。昭和16年9月6日の御前会議で対米戦争が必至と決定された折に、昭和天皇は御前会議で発言しない慣例を破って、おもむろに懐から短冊を取り出して祖父の明治天皇御製を読み上げたのである。

 昭和天皇は開戦の詔書でもこう述べた。「列国トノ交誼(こうぎ)ヲ篤(あつ)クシ万邦共栄ノ楽(たのしみ)ヲ偕(とも)ニスルハ之亦(これまた)帝国カ常ニ国交ノ要義ト為(な)ス所ナリ。今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端(きんたん)ヲ開クニ至ル。洵(まこと)ニ己(や)ムヲ得サルモノアリ。豈(あに)朕(ちん)カ志ナラムヤ」
 列強との友好や万国との平和共存は日本外交の要であるというのだ。「釁端」とはむずかしい言葉であるが、すきまや不和の糸口を指し、まことにやむをえない事情から米英との争いが始まったというのだろう。

 他方、明治天皇の志をよく継いだ昭和天皇の言葉は終戦の詔書のように思える。ことに、「然(しか)レトモ朕ハ、時運ノ趨(おもむ)ク所、堪(た)ヘ難(がた)キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ、以(もっ)テ万世(ばんせい)ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」というくだりには、明治天皇が国と国民の平和や繁栄に寄せた思いを守れなかった無念さとともに、ポツダム宣言受諾によって祖国の再建に乗り出そうとする責任感も滲(にじ)み出ている。いまでも玉音(ぎょくおん)放送の録音を聞くと、昭和天皇は「堪ヘ難キヲ堪ヘ」の箇所で「堪ヘ難キヲ」のあとに一拍おいて「堪ヘ」と声をふりしぼるかのようだ。

 これは終戦の決意を公にする覚悟と緊張感からであろう。この箇所のすぐ前に、現代語に訳せば「思うに今後の日本の受ける苦難は言うまでもなく並大抵ではない。お前たち国民の本当の心も私がよく知っている」という意味の文章がある。「しかしながら私は、時のめぐりあわせが向かう所」と続いて、この「堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ」という歴史に残る有名な表現が現れる。

 昭和天皇は、新しい時代が「堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ」ながら歴史的に未知の経験に遭遇すると予測していた。戦後に新憲法が定めた象徴天皇の平和的役割への予兆と決心こそ、「それによって限りなく長く続く世のために、平和で穏やかな世の中を開くことを望む」という詔書の表現につながったのだろう。

 それでも、終戦後の瓦礫(がれき)のなかでは、昭和後期の日本が世界史でも屈指の平和と繁栄を謳歌(おうか)するとは予見できなかったかもしれない。しかし昭和天皇を支えた心のよりどころは、次のような明治天皇の御製だったのではないか。






 ◆変わらぬ国を思う道筋


 いかならむ  ことにあひても  たゆまぬは
 わがしきしまの  大和魂


 どのような試練に遭(あ)っても屈しないのが敷島の大和魂である。日本国民の血が残る限り、日本人の心や誇りをもって奮闘努力するに違いないという歌意は、さながら東日本大震災の復旧と原発の修復に従事する勤勉かつ勇敢な国民の姿を予言しているかのようだ。これこそ、3月16日の天皇陛下のビデオメッセージのお励ましの言葉にもつながるものだ。

 国を思う道筋は、軍人も後方の一般国民も変わらないと明治天皇は強調した。この趣旨の和歌は、さながら復旧や修復の最前線で苦闘する公務員や各社社員の奮闘とともに、ボランティアや市民による後方支援の大事さを諭してくれているようだ。


 国を思ふ道に二(ふたつ)はなかりけり
 いくさの場(にわ)にたつもたゝぬも


日常の仕事を抱えて現場に行けない者たちも、せめて生業(なりわい)をきわめながらパニックに陥らず、物心両面で現地支援に集中したいものである。





3回にわたる 東大教授・山内昌之先生による 「明治天皇」 はこれで終了です。
あらためて 日本の近代史を支え、根幹に流れる 日本の精神を知ることができました。
こちらの最後に、感謝を申し上げたいと思います。



身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 
留め置かまし大和魂


success






明治天皇(中)
ローマ賢帝との共通性




東大教授 山内昌之氏 
2011.3.31  産経  http://sankei.jp.msn.com/life/news/110331/art11033107230003-n1.htm



 明治天皇の御製(ぎょせい)は、どことなく古代ローマの哲人皇帝、マルクス・アウレリウスの『自省録』のエスプリと似たところがある。
 2人には、哲人あるいは詩人として、他の皇帝や王たちと違う共通の個性が感じられるのだ。その一つは、統治の哲学を短い文章で簡潔に表現する才能に秀でていた点である。実際に明治天皇が明治43(1910)年に詠んだ和歌は味わい深い。


 短くてことの心のとほりたる
 人のふみこそ読みよかりけれ


 2人には大きな相違もあった。マルクス・アウレリウスは8歳の時に失った父の「慎ましさと雄々しさ」を記憶しつつ成長したが、明治天皇は8歳の時から父の孝明天皇に歌を詠む喜びや作法を教わった。
 親子の縁が薄かったマルクス・アウレリウスと違い、明治天皇は16歳まで父帝の慈愛に育まれながら成長したのである。




西郷、山岡から吸収


 王政復古の大号令後の小御所会議で、酩酊(めいてい)した前土佐藩主、山内容堂(やまうちようどう)がうっかり形容した「幼冲(ようちゅう)(おさないこと)」という言葉は、父を失ったときのマルクス・アウレリウスにはあてはまっても、明治天皇にはそぐわない表現であった。実際に容堂は、帝は不世出の英主であられるぞと岩倉具視(ともみ)に切り返されたのも当然なのだ。

 マルクス・アウレリウスは、ストア主義者の師マクシムスから克己(こっき)の精神と確固たる目的をもつことを学んだと告白している。病気の場合でさえも、機嫌良くしていることも教えられた。優しいところと厳格なところがうまく混ざり合った性質や、目前の義務を苦にせず果たすこともマクシムスによる訓練の賜物(たまもの)であった。こうした特性は明治天皇にも共通しており、明治42年の御製には次のような作品がある。


 己が身は顧みずして人のため
 尽(つくす)ぞひとの務(つとめ)なりける



 まさに東日本大震災で復旧支援に携わる自衛隊員をはじめとした公務員や、原発作業員やボランティアの自己犠牲的な精神にそのまま当てはまる言葉であろう。被災地外の国民も、この献身的な人びとに感謝しなくてはならない。

 明治天皇のマクシムスは果たして誰だろうか。天皇は、多くの賢臣から薫陶を受けている。しかし、統治や統帥(とうすい)、知性や教養の全体を覆うバックボーンは、西郷隆盛や、その推輓(すいばん)で侍従となった幕臣、山岡鉄舟の存在に負うところが多いのではないか。宮中を女官中心の内裏(だいり)の雰囲気から変え、西欧のように武芸から学問にまで通じる活動的な青年君主に育てた人物は、まずこの2人であろう。

 マクシムスがマルクス・アウレリウスに影響を与えたのは、明治天皇が西郷や山岡から吸収した知徳と同じだったことも興味深い。「驚かぬこと、臆さぬこと。決してあわてたり、しりごみしたり、とまどったり、落胆したり、作り笑いしたりせぬこと。また怒ったり、猜疑(さいぎ)の心をおこしたりせぬこと。慈善をなし、寛大であり、真実であること」(『自省録』神谷美恵子訳、岩波文庫)

 この2人の帝王には、労働を愛する心と根気強さ、公共のために忠言を呈する賢臣に耳を貸し、各人にあくまでも公平に接した点においても共通する要素が多い。何よりも食物や衣服など嗜好(しこう)にこだわらず、万事に欲望が少なく質素だった点は驚くほどだ。明治天皇は、どれほど和歌が好きでも、それで政務をなおざりにはしなかった。大臣や重臣が政務を奏上(そうじょう)するときに、詠歌を考えている様子は少しも見受けられなかったという。

 これはちょうど、今上天皇がどれほど御専門のハゼはじめ生物学の研究をお好きでも、大事な御公務が途中で入ると必ずおやめになられ、研究室の電気をすべて消してからお仕事に戻られる姿勢とも共通している。他方、明治天皇は余裕綽綽(しゃくしゃく)と即興で歌が浮かんだというから、歌人の才は天性のものなのだろう。

風雲の志士が御歌所長


 薩摩出身の侍従高崎正風(まさかぜ)は、御歌掛(おうたがかり)に挙げられたとき、詠歌を嗜好しすぎて大切な国政をなおざりにせぬよう求めた。職を受ける以上は「厳師」になるので「不敬不遜」にならないために、あらかじめ「勅許」を得たいと述べたらしい(大阪毎日新聞社編『明治天皇御百首』)。随分と思い切ったことを言うものだ。

 明治天皇は高崎の言い分すべてを受け入れた。莞爾(かんじ)として笑みを浮かべる天皇の顔が浮かびあがるようである。高崎の父五郎右衛門は島津斉彬(なりあきら)の継嗣問題をめぐる御家騒動、「高崎崩れ」の中心人物であり、正風も寺田屋事件や薩英戦争に深く関わり、戊辰戦争でも参謀として活躍した。革命やテロの風雲を乗り切った志士が天子の御歌所(おうたどころ)長になるのはまず奇観であり、世界史にもほとんど類を見ないことだ。

 天皇も人間である。やはり歌を詠み、好きな歴史書を読む楽しみは格別であった。その時間がないとさりげなく述懐する明治45年の御製に微(かす)かな“ぼやき”の念を感じるのは、私の感性の浅さであろうか。しかし、明治天皇の機知やユーモアの発露とも考えたいのは私だけでないかもしれない。


 繙(ひもと)かむ暇(いとま)なき日のおほきかな
 読むべき書(ふみ)はあまたあれども




http://muse.main.jp/arts/Augustus1.jpg
http://muse.main.jp/arts/00-198.html

古代ローマの中で、最高の繁栄をうたったのが 「5賢帝時代」。 18世紀の歴史家エドワード・ギボンは
「人類が最も幸福な時代」 であったと表現する。 マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、この5番目に
帝位についた人物で、彼が遺した 『自省録(じせいろく)』 により、その思慮の深さや、真摯な姿勢が、
時代を超えて、多くの人々に共感と親しみをもたれている。                           








ふりつもる  み雪に耐へて  色かへぬ
松ぞををしき  人もかくあれ


昭和天皇
終戦の翌年、「松上雪」 と題して詠まれた御歌。
戦時中の苦労が雪のように降り積もり、そして、敗戦の悲痛にも耐え、国土を復興させようと立ち向かう人々の姿を、緑豊かな力強くたくましい松にたとえて、国民を励まされようとされた御歌。今の私たちに対しても、厳しい時代にあっても心は決して枯れてはならないことを思い起こさせてくれる。



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