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しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける

天皇陛下 お言葉

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明治天皇(上)



東大教授 山内昌之氏 

2011.3.24  産経  http://sankei.jp.msn.com/life/news/110324/art11032407500001-n1.htm



 (今上)天皇陛下は3月16日、東日本大震災の被災者や国民に向けてビデオメッセージを寄せられた。陛下がビデオでお考えやお気持ちを人びとに述べられるのは初めてだという。私はNHKテレビでメッセージを謹聴していたが、すべての方面への気配りと激励にあふれたお言葉に感動したのは私だけではないだろう。

 犠牲者を悼まれた後、陛下は多くの人びとの無事を願われ、被災者の状況が少しでも好転し、復興への希望につながっていくことを願望された。「何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての
自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています」
 これは誰にも不平不満を言わず、全力で試練に立ち向かっている被災者に対する国民の敬意を代弁
されたものともいえよう。

 さらに、原発関係者の修復努力、自衛隊・警察・消防・海上保安庁の救援、外国人と日本人ボランティアが「余震の続く危険な状況の中で、日夜救援活動を進めている努力」に感謝され、労を深くねぎらっておられるのだ。そして、世界各国の元首の相次ぐ見舞いが届いていることを紹介され、各国国民の気持ちが被災者とともにあると添えられた言葉に触れられ、被災者を激励することをお忘れにならない。

 陛下は、海外でも日本人が「取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多い」と述べられた上で、「これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えること」を心から願われた。
(中略)




 ◆国難の時、鼓舞する御製

 こうしたメッセージは、国や人びとが困難な状態にあるとき、しばしば歴代天皇によって発せられてきた。なかでも陛下の曽祖父にあたる明治天皇は、生涯の御製(ぎょせい)が九万余首の多きに上り、
在世中から世の中に漏れ聞こえてきただけでも五百余首ある。そのなかには今回の大震災のような
未曽有の国難や試練に遭ったときに、国家と国民を何とかして鼓舞したいと願った御製も多い。いちばん有名なのは、明治37(1904)年に戦端が開かれた日露戦争の折に詠まれた和歌である。



 しきしまの大和心のをゝしさは
 ことある時ぞあらはれにける



 日本国民の大和魂は雄々しいものである。たとえ平時には現れなくても、一朝事のある時には自然と外に現れるものではある。もちろん、帝国憲法下の天皇と戦後新憲法の象徴天皇とでは、国制上の位置も役割も当然異なっている。歴史や時代の感性も違うことは述べるまでもない。それでも、明治天皇の御製には「取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していること」や「これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えること」を訴えかける陛下のお心に共通する励ましの響きが感じられる。

 ◆勇猛の元は敷島の大和魂


 次に挙げる和歌も同じ明治37年の御製である。



 山をぬく人のちからも敷島の
 大和心ぞもとゐなるべき



 『史記』(項羽本紀)にある「抜山蓋世(ばつざんがいせい)」とは、力は山を抜き気は世をおおうほどに勇壮な気性を表すという意味である。明治天皇は、山を抜くくらいの勇猛な力の出所は敷島の大和魂が基礎である、と詠みたかったのだろう。

 現代では「大和心」や「大和魂」という表現を日常使う人も少ない。しかし、こうした言葉をあえて使わずとも、東日本大震災の被災者の克己心や救助者らの犠牲的献身ぶりを見るにつけて、日本人としての精神力のたくましさやヒューマニティーを感じざるをえない。そして国民を励まそうとする心こそ、明治天皇の御製から陛下のメッセージに共通するお気持ちではなかろうか。
                   ◇

【プロフィル】明治天皇

めいじてんのう 第122代天皇。諱(いみな)は睦仁(むつひと)。嘉永5(1852)年、孝明天皇の第2皇子として生まれる。慶応4(1868)年に即 位、同年「明治」に改元。明治22(1889)年の帝国憲法公布、27〜28年の日清戦争、37〜38年の日露戦争などを通じ、近代国家日本の君主として 国民の畏敬を受ける。明治45(1912)年7月、崩御。




しきしま                              やまざくらばな
敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花

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隠れていること。

*注意:  ブログ主は、国粋主義でなく、政治信条に偏らない一般国民です。



隠れていること。


宇佐
http://twitter.com/airi22/status/47926446655672320



 史上初! 日本国民の為に祈る 
天皇陛下の正月祭祀【四方拝】





『さまざまな国難は、わが身を通過しますよう』 と。



有難く勿体ないこと




http://mimizun.com/log/2ch/occult/1183233905/
日本会議国会議員懇談会

松浦光修皇學館大學教授が「天皇の<本務>とは何か?」と題し、
祭祀と天皇は不可分、祭祀は過酷な仕事、祭祀には禁忌がある、の三点に 絞って論じた。

背広姿で公務している天皇、外国の賓客と会見する天皇、被災者を見舞う 天皇が天皇の本質では
ない、
とGHQ政策で歪められた国民の天皇に対する常識に修正を求め
「天皇の本質は宮中三殿で祭祀を勤めること」と述べた。

「神と国民のなかを取り持つ祈りは千年以上微動だにせず今日に至っている」
と語り、

「午前一時に起床し潔斎の後、四時半からの祭祀に臨む。暖かくもなく極寒で一時間独りで祈る。
肉体的には過酷で、この祭祀が年間三十以上ある」と「祭祀の 王」の一端を紹介。

「国民が知らないところで祈っている。日本は天皇の祈りによって守られている国」と無償の愛を紹介し、
これが「世界史上稀有な存在」と強調。

これを可能ならしめる根拠を「祭の対象となる神と祭主(天皇)が先祖と子孫の関係だから」と男系男子による皇統に求めた

success



有難く、尊い国。



天皇陛下 
東日本大震災被災者へのビデオメッセージ







天皇皇后両陛下
被災地御訪問/千葉県旭市







 日本初   テレビが伝えない
平成22年 天皇誕生日ノーカットフルHD映像







有難く、尊い国。










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東京武道館を訪問し、避難している臣民に話しかけられる天皇陛下、皇后陛下 御尊影 (30日)
 
 
 
 
 
 
 

天皇陛下、皇后陛下 ご動静 31日(木)

 
(宮内庁発表分)
 
 【午前】
 
 天皇陛下 皇后陛下 人事異動者拝謁《宮内庁退職部課長など8
 
 人》《宮内庁永年勤続退職者9人》《皇宮警察本部退職者25人》《宮
 
 内庁侍従職退職者など5人》《皇宮警察本部異動者10人》(宮城・御
 
 所)
 
 【午後】
 
 天皇陛下 離任する駐日トルコ大使をご引見(御所)
 
 
 【夜】
 
 天皇陛下 ご執務(御所)
 
 
 
 

昭和天皇陛下全国御巡幸

イメージ 2
昭和天皇陛下 全国御巡幸 御尊影
 
 
畏くも天皇陛下、皇后陛下にあらせられましては30日、東日本大震災の被災者約290人が避難している東京都足立区の東京武道館を訪問あそばされ、被災者を見舞われました。
災害の多い日本國土。
今上陛下、皇后陛下にあらせられましては、即位後、災害が起きる都度、被災地に入られ、生きる希望を失いつつある臣民を励まされ、臣民は天皇陛下、皇后陛下より賜った大御心を糧に、復興の原動力としてきました。
 
畏くも今上陛下の大御心は、先帝陛下より継承あそばされたものです。
 
私は戦後生まれなので昭和天皇陛下の終戦直後の全国御巡幸を知りません。
戦後の学校教育においてはこの御巡幸については一切教えていませんが、この御巡幸こそが当時の日本国国民と当時の昭和天皇陛下と国民の強い絆がみられます。
 
敗戦直後の昭和20年10月昭和天皇陛下は宮内府次長に
「この戦争により先祖からの領土を失ひ、国民の多くの生命を失ひ、たいへん災厄を受けた。この際、わたくしとしては、どうすればよいのかと考へ、また退位も 考えた。しかし、よくよく考へた末、全国を隈無く歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ちがらせる為の勇気を与へることが自分の責任と思ふ。こ のことをどうしても早い時期に行ひたいと思ふ。ついては、宮内官たちはわたくしの健康を心配するだらうが、自分はどんなになってもやりぬくつもりであるか ら、健康とか何とかはまつたく考へることなくやってほしい。宮内官はその志を達するやう全力を挙げて計画し実行してほしい。」
と指示されました。
当時は占領下にありましたので、占領軍総司令部に打診した。占領軍総司令部は、「親、兄弟、夫」を殺されたのだから石の一つでも投げられりゃいいんだ。と天皇陛下と貶める目的で許可したそうです。
しかし、占領軍総司令部高官たちの思惑とは全く信じられない結果となったのです。
昭和天皇陛下は沖縄以外の全国を約8年半かけて回られ、行程は3万3千キロ、総日数165日。各地で数万の群衆にもみくちゃにされたが、石一つ投げられたことはなかった。
昭和21年2月19日の最初のご訪問の地は、昭和電工・ 川崎工場。この時昭和天皇陛下は工員たちに対し、「生活状態はどうか」、「食べ物は大丈夫か」「家はあるのか」と聞かれた。感極まって泣いているものも多かったそうです。二度目の御巡幸は、2月28日、都内をまわられた。大空襲で一面、焼け野原である。新宿では、昭和天皇の行幸を知った群衆が待ちかまえ、自然に「天皇陛 下、万歳」の声が巻き起こり、天皇陛下が帽子をとってお応えになると群衆は警備の米兵の制止をふりはらって車道までなだれこむ現象がおき以降の御巡幸先でも同様の光景がみられた。
昭和21年には、関東、東海地方の各県を廻られ、22年6月には、大阪、兵庫、和歌山。そして8月の酷暑の中を東北全県の巡幸を希望されたが、側近が驚い て、涼しくなってからでは、と延期を願ったが、「東北の運命(食料の増産)は、真夏にかかっている。東北人の働くありのままの姿を是非この目に見て激励し てやりたい」と許さず、当時は敗戦直後で陛下の宿泊される場所もままならず、列車や学校等で泊られることもあったそうですが、陛下は。「戦災の国民のことを考へればなんでもない。十日間くらゐ風呂に入らなくともかまはぬ」と言われて、行幸を続けられました。
2ヶ月後には休む暇なく、甲信越地方9日間の御巡幸に出られた。最初に浅間山の雪の中を2キロも歩かれて、山麓の大日向開拓村を訪問された。大日向 村は満洲への分村移民を全国で最初に実行した村である。しかしソ連の満洲侵略により、移民694名中、半数の323名が生き残って、村に帰ってき た。そして標高1095mの荒れ地を切り開いて入植。
陛下をお迎えした開拓団長堀川源雄の奏上は、幾度となく涙でとだえた。昭和天皇のお顔も涙に濡れた。
12月5日、広島。広島市では戦災児育成所の原爆孤児84名に会われた。原爆で頭のはげた一人の男の子の頭を抱えるようにして、目頭を押さえられた。周囲の群衆も静まりかえって、すすり泣く光景がみられた。
平和の鐘が鳴る中を元護国神社跡で7万の奉迎を受けられ陛下は、「このたびは皆のものの熱心な歓迎を受けてうれしく思ふ。
本日は親しく市内の災害地を視察するが、広島市は特別な災害を受けて誠に気の毒に思ふ。広島市民は復興に努力し、世界の平和に貢献せねばならぬ。」とのべられた。原爆を落とされた広島の地ですら誰一人天皇陛下を恨む者がいないことに、ただただ驚くばかりであったは、目付役として同行していた占領軍総司令部民政局のケント氏。
兵庫県で小学生達が禁止されていた日の丸を振ってお出迎えしたのを「指令違反」であるとして、以後の御巡幸中止を命じた。占領軍総司令部民政局はこれを口実にした理由は民政局は天皇廃止を目論んでいたのです。陛下を貶める目的で許可した御巡幸であったはずが、かえって国民との結びつきを強くしてしまったと。
御巡幸を期待する九州、四国地方からの嘆願や議会決議が相次ぎ、陛下から直接総司令官マッカーサーにお話しされた結果、翌々年に再開が許可。
昭和24年5月18日から6月10日にかけては、九州全県を巡幸された。因通寺には、40余名の戦災孤児のための洗心寮に立寄られ、位牌をふたつ胸に抱えた女の子を励まされた。
因通寺の参道には、遺族や引き揚げ者も大勢つめかけていた。
陛下は最前列に座っていた老婆に声をかけられた。「どなたが戦死をされたのか」
「息子でございます。たった一人の息子でございました」声を詰まらせながら返事をする老婆に「どこで戦死をされたの?」

「ビルマでございます。激しい戦いだったそうですが、息子は最後に天皇陛下万歳と言って戦死をしたそうです。・・・天皇陛下様、息子の命はあなた様に差し上げております。息子の命のためにも、天皇陛下さま、長生きをしてください」と答え、
老婆は泣き伏してしまった。じっと耳を傾けていた陛下は、流れる涙をそのままに、老婆を見つめられていたそうです。
引き揚げ者の一行の前では、陛下は、深々と頭を下げられた。
「長い間遠い外国でいろいろ苦労して大変だったであろう」とお言葉をかけられた。一人の引き揚げ者がにじり寄ってきて、
「天皇陛下さまを怨んだこともありました。しかし苦しんでいるのは私だけではなかったのでした。天皇陛下さまも苦しんでいらっしゃることが今わかりました。今日からは決して世の中を呪いません。人を恨みません。天皇陛下さまと一緒に私も頑張ります。」と述べたそうです。
九州御巡幸では約190カ所にお立ち寄りになり、各県とも6、7割の県民が奉迎したので、約700万人とお会いになられました。御巡幸はその後も、四国、北海道と昭和29年まで続き、8年半の間に陛下は沖縄をのぞく、全都道府県をまわられ、奉迎者の総数は数千万人に達した。
日本国民は帝国の敗戦によって国が崩壊してそれまで現人神であった陛下と接する機会を得、人々と共に悲しみ、涙を流す陛下の姿でした。一人ひとりが孤独に抱 えていた苦しみ、悲しみに、陛下が涙をされた時、人々は国民同胞全体が自分達の悲しみ、苦しみを分かち合ってくれたと感じ、そこからともに頑張ろう、と いう気持ちが芽生え、戦後のめざましい復興の原動力はここから生まれました。
陛下が晩年御病床につかれると、全国の御平癒祈願所に約9百万人が記帳に訪れ、陛下の回復を祈った。
陛下は御病床で「もうだめか」と医師に尋ねられた。
自信の御病気のことではなく、最後の御巡幸先である沖縄の事だったのである。陛下の御心は今上陛下により平成5年に果されましたが・・・・
当時イタリアのエマヌエレ国王は国外に追放され、長男が即位したが、わずか1ヶ月で廃位に追い込まれ、欧米人の常識では理解できないことが起こった昭和天皇陛下全国御巡幸。
当時の英国新聞紙も「日本は敗戦し、外国軍隊に占領されているが、天皇の声望はほとんど衰えていない。各地の巡幸で、群衆は天皇に対し超人的な存在に対するように敬礼した。何もかも破壊された日本の社会では、天皇が唯一の安定点をなしている。」と・・・・・
日本国が天皇中心となり再びたちあがり連合国に刃向かうことを恐れ天皇廃止を目論んだが、国民と天皇陛下との強い絆と結びつきをまのあたりにし、断念した。
今上陛下も災害等で被災された方々を励まされ、励まされた方々はそのお言葉を生きる糧としている。
 
天皇陛下万歳。皇后陛下万歳。皇室万歳。
これからも日本国の心ある国民は永久に叫ぶでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
尊 彌榮 彌榮 彌榮
 
 
 
天皇陛下、皇后陛下 万歳! 万歳! 万歳!
 
 
 
被災地の皆様の苦難を思い、
依然、安否の確認のとれない方々の無事を祈り、犠牲になられた方々に哀悼の意を表します。
また、自衛隊、各国の救助隊はじめ、関係者一同の皆様の努力に敬意を表します。
 
 
 
 
 
 
 

転載元転載元: 美しい国

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天皇陛下、皇后陛下 御尊影
 
 
 
 
 
 
 
 

天皇陛下、皇后陛下 ご動静 23日(水)

 
 
(宮内庁発表分)
 
 【午前】
 
 皇后陛下 久常節子・日本看護協会会長から活動状況ご聴取《東北
 
 地方の災害に対する救護活動などについて》(宮城・御所)
 
 
 
宮内庁によると、畏くも天皇陛下、皇后陛下にあらせられましては24日、天皇陛下、皇后陛下皇族方が静養に使われている那須御用邸(栃木)で職員が使用している風呂を、近隣地域にいる東日本大震災の避難者に開放すると発表した。
また、同県の御料牧場で保管している卵約1千個や缶詰、野菜などを避難所に提供する。いずれも、天皇陛下、皇后陛下のご意向を受けて決められました。
 
また、畏くも天皇陛下、皇后陛下にあらせられましては、東日本大震災の被災地の臣民に思いをはせあそばされ、お住まいの宮城・御所の電気を一定時間使わない「自主停電」を続けあそばされておられます。
計画停電では、宮城のある東京都千代田区は対象地域になっていないのにも関わらず、
「国民と困難を分かち合いたい」という趣旨で15日に始めあそばされましたが、畏くも天皇陛下は、「寒いのは(服を)着れば大丈夫」と仰せであられ、計画停電で「第1グループ」に分類された地域の停電時間に合わせあそばされ、1回約2時間にわたり、明かりや暖房といった電気の使用を一切控えられ、時にはろうそくや懐中電灯を使いながら過ごしあそばされておられます。暗い中で夕食を取られることもあったようだ。
実際には電力供給が逼(ひっ)迫(ぱく)せず、停電がなかった日も、当初の計画時間に合わせ、自主的な停電を実行あそばされました。
15日から23日までは1日も欠かさずに行い、スケジュールに合わせて同じ日に朝晩2回、電気を止められた日も複数回。
宮内庁東宮職によると、皇太子徳仁親王殿下、も、同様の「自主停電」を、お住まいの東宮御所で行いあそばされておられるとのことです。
なんと、深い叡慮でありましょうか・・・
日々のご公務もすべて、東日本大震災に傾注あそばされておられます。
 
天皇陛下、皇后陛下のおおきなご慈愛に感謝します。
 
 
 
 

明 治 天 皇 陛 下 御 製

 
 
人もわれも 道を守りて かはらずば この敷島の 国は動かじ
 
 
 
斯く微動だにせぬ国柄ですから、国民皆が一致協力してこれを守りさえすれば、決して永久に動くことはない。けれど、もし国民が外来の悪思想にかぶれて日本人たるの精神を失い、国体の如何なるかをも忘れて、これを擁護するという自覚がなかったならば、如何に堅固な国礎でも、遂には動いて国家は滅亡する。
昨年、外来の悪思想にかぶれた政党が政権を担当していますが、明治天皇陛下が危惧されたことが、現実となっています。
まことに恐るべきことです。
「敷島の国」は日本の別名。「道」とは人倫の道、人間の踏み行うべき道。
「古今ニ通シテ 謬(あやま) ラス中外ニ施シテ 悖(もと) ラ」ざる「斯ノ道」です。
皇道と言い、国民道徳と言い、 惟神(かむながら) の道と言うのも皆同じです。
臣民は皆、「やまと心」にたちかえるべきです。
 
 
 

 
 
 
尊 彌榮 彌榮 彌榮
 
 
 
天皇陛下、皇后陛下 万歳! 万歳! 万歳!
 
 
 
 
 

転載元転載元: 美しい国

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