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エノラゲイの乗組員のには 投下したものが原爆であることを知らされずにいたひとがいたとのこと 軍人は任務に忠実にそれを実行するのみ それは万国共通の価値観 『エノラゲイの乗務員の中には 原爆投下の罪にさいなまれて 発狂した人がいた』という話が子供の頃伝え聞いたが それはただの伝説である。 実際は乗組員は英雄であり、原爆投下の任務を遂行した乗務員から 戦後発せられるコメントは ほぼ戦争終結に役立ったというものであった。「原爆投下ショー」なる航空アトラクションで小遣い稼ぎをしたひとなど 日本人の期待する謝罪の言葉などが軍人の口から聞けるはずはないのだ。「我々は任務を滞りなく勇敢に成し遂げた」ということであり当然の言葉であろう。命令した大統領のみその責任を負い 故人の大統領に対しては 国家の継続性から 現職の大統領が 投下の意義を説明しうる立場である唯一の人であるのだから そのスピーチは注目される。 子供の頃と社会人になってあわせて 広島市に計15年近く住んだことから 原爆へ対する感情は強いものがある。「核兵器によって死ぬこと」は「魂までも蒸発」ということであり死も与えられない即死を超えた蒸発であったと、それは死を自覚する権利を奪われた 即死という表現も適用できない コンマ数秒での生命活動の機能停止でなく消滅という残酷さ 死ぬ瞬間に考えることも出来ない死という意味で実に残酷非道だと捉えている。また生き残っても放射能というものが細胞ひとつひとつ時限装置で破壊され 苦痛をこれほどまで与えられる死の執行は他にあるだろうか。 妊娠中の被爆による 「原爆小頭児」という存在は 戦後に生まれながら その罪を負わされ また一般非戦闘員の戦後の原爆症での死亡は 戦勝国といえども 戦争終結の為と主張はできても それは正当化は出来ない。 広島の爆心地より20KM以上離れている宮島の厳島神社の石灯篭が爆風で倒れた写真などがある。 原爆の爆風は計り知れないエネルギーを持つ、そしてこれが水爆になると 二乗に効いてくるのだからそれは恐ろしい。 宮島の南に位置する岩ばかりの小島が岩国沖に浮かんでいる 磯釣である豪快な潮をかぶることもなく 穏やかな瀬戸の波にウキをたらしチヌ釣りをした。この小島は岩国基地より瀬戸内に向けて飛び立った米軍のジェット機の空路の真下にあり 空が割れんばかりの爆音だ。直径1mほどのジェットエンジンの噴出し口から吐き出される 化石燃料利用がもたらす音でさえ耐えられる音量でないのだから 空気というものは質量をもつ凶器になる 核兵器は熱と放射能もそれに伴うのだから悪魔である。 平和念仏主義者と同じことを言うと 私も「核廃絶の願いを世界に伝えることは日本の使命」と考える。しかしこれは米国の核の傘という恩恵を受けながら また日米安保の必要性を認め 日本の将来核武装を わたしが将来支持することがあってもかわらない。 核の抑止力は 一般兵器を用いた大国間の戦争を抑止し これが結果 核を用いた戦争への発展を防ぐ手段であることは論理と実績が今のところ実証している。しかしこれ以上に ひとは簡単なポカミスで大きな事故を引き起こすということは全てのものに例外なく適応できる法則であり 核の取り扱いも例外ではない。 取り返しのつかないことを起こすのではないかという不安もまた ただの心配の延長ではなく 核兵器のもつ危険性とは関係なしに人間の持つ能力の限界は知るべきだ。そして人間の判断というものは都合の良い主観でなされる。米国が原爆投下理由としてあげている論理は 当時の状況でさえも正当性は確認できないのである。しかしそんな判断で核は投下命令を下されたという歴史を肝にするべきである。 以前から話題に取り上げられる平和公園の原爆慰霊の碑文、『やすらかに眠ってください。あやまちはにどとくりかえしませんから。』というものがある。日本語でかかれていることから その主体が日本人であるととらえるのは 当たり前であるが 実に不自然である。当時の日本の国際社会へ復帰へという意識や 米国への過剰な気配りなども背景にあるのだろうが 後世へ続く世代へのメッセージとしては 危険な覇権国家の核からではなく 日本の持たざる核兵器の危険性へと思考が向いてしまう。現実に正しくメッセージを受け止めらない念仏平和主義で日本は覆われ 核廃絶させるという主体をはるか過去に失われ これを政治の道具として用いる気持ち悪い左翼は行きたえないゴキブリ。 原爆の碑文と同じくどこに主体があるのか忘れているのが「持たず、作らず、持ち込ませず」という言葉だ。「持たせない 作らせない 持ち込ませない」ならまだしもである。またそれ以上に「待たないとは言わず 作らないとも言わず 持ち込ませないとも言わない」という意思表示の方が 現実的に交渉の力を持つことは確かである。 当然核軍縮は 核を持つもの同士で行うのが 核の絶対量を減らすということに無効な手段とは言い切れない。核を持たぬ国と持つ国 持たぬ国のカードの方が少ないのは事実だ。北朝鮮でさえ持つことにより 外交カードを手に入れられる。 池乃めだかが「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ」といったところで袋叩きになるだけだ。 オバマ大統領のスピーチがどうなるかは知らないが 平和志向を表明して 喜ぶのは北鮮のみで わたし的にも安倍さんの支持率UPとつながるなら良しとする その程度のオバマ広島訪問である。
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面白いことに 日本で職を失うことを「路頭に迷う」などと表現する。 台湾では 道に職業があり 日本では職を失うと道で乞食と職のある場所が違うのだろうか。 大手証券会社が倒産した時に その社長が「社員は悪くないんです」と泣いたとき それを見ていた台湾人が 「屋台引けばいいだけじゃないか」職を失うことはそんなに深刻なことではないと腹を抱えて 号泣する社長を笑っている風刺漫画があった。 台湾人は金に困ると 路上で商売して身を立てなおすのが普通のことなのである。 沖縄の世界チャンピオンのボクサー具志堅さんが 内地にきて沖縄で何をしていたのか尋ねられ「海の上で歩いていた」とこたえ 何を言っているのか通じなくて笑われたことがあったとのインタビューがあった。 「海の上で歩いていた」とは「海の上で働いていた」ということで即ち 漁師をしていたということ 沖縄方言では 歩く=働く ということ。 道は歩くものであるのだから 沖縄の職業観も道や歩く行為に通じるものがあるのかもしれない。 職業「頭路」から 台湾語で職がない無職の事を「無頭路」(ぼーとーろー)という。偶然の発音の近似なのだけれど「ぼーとーろー」は「プータロウ」に聞こえてこれまた面白い。
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阿爸:思慕的人(台湾映画)で記事書いて 映画の中で張惠妹が歌っていた可憐戀花再會啦をユーチューブで探すと 張惠妹の良い動画がなく 蔡琴が歌ってるのがよかったのでUP 可憐戀花再會吧 作詞:葉俊麟
雖然是無願意甲伊來分離,一旦被風拆散去,抱恨無了時,
にほんブログ村 外国語ブログ 台湾語へ(文字をクリック) 只好忍著傷心淚,孤單到湖邊,啊〜薄命戀花啊再會啊再會啊! 雖然是十五暝月色帶柔意,水鴨單隻在水墘,聲聲訴哀悲, 已經破去青春夢,何必再想起,啊〜無緣戀花啊再會啊再會啊! 雖然是不得已看破了情義,夜蟲因何嘆秋風,悽慘哭歸暝, 只是令人添稀微,大氣喘不離,啊〜可憐戀花啊再會啊再會啊!
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