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オバマ米大統領広島訪問

オバマ米大統領が米国の現職大統領として初めて広島を訪問することになった。
どのようなスピーチがあるのだろうか おそらく練りに練った米国らしいものであろう。

エノラゲイの乗組員のには 投下したものが原爆であることを知らされずにいたひとがいたとのこと 軍人は任務に忠実にそれを実行するのみ それは万国共通の価値観

『エノラゲイの乗務員の中には 原爆投下の罪にさいなまれて 発狂した人がいた』という話が子供の頃伝え聞いたが それはただの伝説である。 実際は乗組員は英雄であり、原爆投下の任務を遂行した乗務員から 戦後発せられるコメントは ほぼ戦争終結に役立ったというものであった。「原爆投下ショー」なる航空アトラクションで小遣い稼ぎをしたひとなど 日本人の期待する謝罪の言葉などが軍人の口から聞けるはずはないのだ。「我々は任務を滞りなく勇敢に成し遂げた」ということであり当然の言葉であろう。命令した大統領のみその責任を負い 故人の大統領に対しては 国家の継続性から 現職の大統領が 投下の意義を説明しうる立場である唯一の人であるのだから そのスピーチは注目される。

子供の頃と社会人になってあわせて 広島市に計15年近く住んだことから 原爆へ対する感情は強いものがある。「核兵器によって死ぬこと」は「魂までも蒸発」ということであり死も与えられない即死を超えた蒸発であったと、それは死を自覚する権利を奪われた 即死という表現も適用できない コンマ数秒での生命活動の機能停止でなく消滅という残酷さ 死ぬ瞬間に考えることも出来ない死という意味で実に残酷非道だと捉えている。また生き残っても放射能というものが細胞ひとつひとつ時限装置で破壊され 苦痛をこれほどまで与えられる死の執行は他にあるだろうか。
妊娠中の被爆による 「原爆小頭児」という存在は 戦後に生まれながら その罪を負わされ また一般非戦闘員の戦後の原爆症での死亡は 戦勝国といえども 戦争終結の為と主張はできても それは正当化は出来ない。

広島の爆心地より20KM以上離れている宮島の厳島神社の石灯篭が爆風で倒れた写真などがある。 原爆の爆風は計り知れないエネルギーを持つ、そしてこれが水爆になると 二乗に効いてくるのだからそれは恐ろしい。

宮島の南に位置する岩ばかりの小島が岩国沖に浮かんでいる 磯釣である豪快な潮をかぶることもなく 穏やかな瀬戸の波にウキをたらしチヌ釣りをした。この小島は岩国基地より瀬戸内に向けて飛び立った米軍のジェット機の空路の真下にあり 空が割れんばかりの爆音だ。直径1mほどのジェットエンジンの噴出し口から吐き出される 化石燃料利用がもたらす音でさえ耐えられる音量でないのだから 空気というものは質量をもつ凶器になる 核兵器は熱と放射能もそれに伴うのだから悪魔である。

平和念仏主義者と同じことを言うと 私も「核廃絶の願いを世界に伝えることは日本の使命」と考える。しかしこれは米国の核の傘という恩恵を受けながら また日米安保の必要性を認め 日本の将来核武装を わたしが将来支持することがあってもかわらない。

核の抑止力は 一般兵器を用いた大国間の戦争を抑止し これが結果 核を用いた戦争への発展を防ぐ手段であることは論理と実績が今のところ実証している。しかしこれ以上に ひとは簡単なポカミスで大きな事故を引き起こすということは全てのものに例外なく適応できる法則であり 核の取り扱いも例外ではない。 取り返しのつかないことを起こすのではないかという不安もまた ただの心配の延長ではなく 核兵器のもつ危険性とは関係なしに人間の持つ能力の限界は知るべきだ。そして人間の判断というものは都合の良い主観でなされる。米国が原爆投下理由としてあげている論理は 当時の状況でさえも正当性は確認できないのである。しかしそんな判断で核は投下命令を下されたという歴史を肝にするべきである。

以前から話題に取り上げられる平和公園の原爆慰霊の碑文、『やすらかに眠ってください。あやまちはにどとくりかえしませんから。』というものがある。日本語でかかれていることから その主体が日本人であるととらえるのは 当たり前であるが 実に不自然である。当時の日本の国際社会へ復帰へという意識や 米国への過剰な気配りなども背景にあるのだろうが 後世へ続く世代へのメッセージとしては 危険な覇権国家の核からではなく 日本の持たざる核兵器の危険性へと思考が向いてしまう。現実に正しくメッセージを受け止めらない念仏平和主義で日本は覆われ 核廃絶させるという主体をはるか過去に失われ これを政治の道具として用いる気持ち悪い左翼は行きたえないゴキブリ。 

原爆の碑文と同じくどこに主体があるのか忘れているのが「持たず、作らず、持ち込ませず」という言葉だ。「持たせない 作らせない 持ち込ませない」ならまだしもである。またそれ以上に「待たないとは言わず 作らないとも言わず 持ち込ませないとも言わない」という意思表示の方が 現実的に交渉の力を持つことは確かである。
当然核軍縮は 核を持つもの同士で行うのが 核の絶対量を減らすということに無効な手段とは言い切れない。核を持たぬ国と持つ国 持たぬ国のカードの方が少ないのは事実だ。北朝鮮でさえ持つことにより 外交カードを手に入れられる。

池乃めだかが「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ」といったところで袋叩きになるだけだ。

オバマ大統領のスピーチがどうなるかは知らないが 平和志向を表明して 喜ぶのは北鮮のみで わたし的にも安倍さんの支持率UPとつながるなら良しとする その程度のオバマ広島訪問である。

頭路 とーろー

頭路 とーろー


イメージ 1 台湾語で職業のことを「頭路」という。
面白いことに 日本で職を失うことを「路頭に迷う」などと表現する。
台湾では 道に職業があり 日本では職を失うと道で乞食と職のある場所が違うのだろうか。
 大手証券会社が倒産した時に その社長が「社員は悪くないんです」と泣いたとき それを見ていた台湾人が 「屋台引けばいいだけじゃないか」職を失うことはそんなに深刻なことではないと腹を抱えて 号泣する社長を笑っている風刺漫画があった。
 台湾人は金に困ると 路上で商売して身を立てなおすのが普通のことなのである。
 沖縄の世界チャンピオンのボクサー具志堅さんが 内地にきて沖縄で何をしていたのか尋ねられ「海の上で歩いていた」とこたえ 何を言っているのか通じなくて笑われたことがあったとのインタビューがあった。
「海の上で歩いていた」とは「海の上で働いていた」ということで即ち 漁師をしていたということ 沖縄方言では 歩く=働く ということ。
道は歩くものであるのだから 沖縄の職業観も道や歩く行為に通じるものがあるのかもしれない。

職業「頭路」から 台湾語で職がない無職の事を「無頭路」(ぼーとーろー)という。偶然の発音の近似なのだけれど「ぼーとーろー」は「プータロウ」に聞こえてこれまた面白い。

主語

<安倍晋三 内閣総理大臣談話>(全文)

 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません

 しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

  平成二十七年八月十四日
  内閣総理大臣 安倍晋三


イメージ 1主語がなくあいまいだとの批判めいた言いがかりを左巻きが盛んに展開している。
歴史を客観的に記述する場合は特にではあるが 文中に主語をわざわざ入れないのは 日本語文章として普通であるし 最後に署名があるのだから誰の思いであるのかきわめて明瞭 
これが気になるなら日本国憲法の翻訳調の文章に違和感を持て

バリカタ

バリカタ

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多屋台の長浜ラーメンと同じ細麺がインスタントになっていて感動
うまかっちゃんから30年以上待って ここまでインスタントも進化した。
最近のインスタントの麺かなりラーメン屋に近くなった。
博多のラーメン屋でバリカタで注文することはないが
このかたさはよかった。
それにお湯を注いで1分の設定 細麺ならでは

可憐戀花再會啦 - 蔡琴

可憐戀花再會啦 - 蔡琴


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阿爸:思慕的人(台湾映画)で記事書いて 映画の中で張惠妹が歌っていた可憐戀花再會啦をユーチューブで探すと 張惠妹の良い動画がなく 蔡琴が歌ってるのがよかったのでUP



可憐戀花再會吧  作詞:葉俊麟  

雖然是無願意甲伊來分離,一旦被風拆散去,抱恨無了時,
只好忍著傷心淚,孤單到湖邊,啊〜薄命戀花啊再會啊再會啊!

雖然是十五暝月色帶柔意,水鴨單隻在水墘,聲聲訴哀悲,
已經破去青春夢,何必再想起,啊〜無緣戀花啊再會啊再會啊!

雖然是不得已看破了情義,夜蟲因何嘆秋風,悽慘哭歸暝,
只是令人添稀微,大氣喘不離,啊〜可憐戀花啊再會啊再會啊!

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