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「タテ伸び」とのこと 縦では無いのか?と質問すると 織物の世界では 経 タテ 緯 ヨコ と漢字をつかうとのこと 地球儀にかかれる 経度、緯度線を思い浮かべれば わからないことはないが わざわざややこしいつかい分け 繊維関係の業界の人でなければ この表記にあたることは 生きている間にあるだろうか 自分の場合 生まれて半世紀目にして初めて このタテとヨコ タテ方向にはひとはよい感覚を持つようで「一本筋が通った」とヂェスチャーするならタテ方向に手を動かすし YESは首をタテに振り NOならヨコ 正しい道は直線でタテ方向をイメージする。「タダシイ(正しい)」の語源は「タテ」にそもそも関係しているとのこと。一方ヨコは 横道にそれるとか 横やりとか横車とか 邪道であって負のイメージ 直線は最短 横にそれるのは負荷が増すわけだ。タテ(盾)という防御の道具は 直線方向からの攻撃を防ぐもので 正しく身を守る。 保守と革新は右と左で表現されるわけだけれど これはその昔フランスの議会の席が保守が右の席で 革新が左側の席だったことから派生した言葉、特に右と左という言葉からその性質が結びついたわけではない。もしこの保守と革新を あらわすものとしてあるのなら 保守はタテ 革新はヨコだろう。
保守はタテに並ぶ価値観によって束になる 伝統を重視するのはその性質によるもの 自民党を見れば広範囲な思想思考がこの政党のまとまり束となっている。一方革新といわれる 左巻きの集団は 縦軸となるものはなく 邪悪なイデオロギー的思考により 集団化しているさまを見れば 横軸の野合のみの組み合わせである。 安全保障政策の違いをみても 保守は正しく防衛という盾の政策を出すが 革新と言われる左巻きは ヨコの関係 お隣さんと話し合ってみれば?といった現実性のない 本質を横に置き 話を横道にそらす 先送りという時間稼ぎの脳内解決の自己満足といったところだ。 民進党の党首選にて 蓮舫議員が自らを保守と称してはいるが 何の縦軸もなく 最近受けの良い「保守」という単語をつかったに過ぎない ただの左巻き 「保守主義は、人間の作り上げた良き伝統的規範や自己抑制、矜持(きょうじ)に期待する政治思想」と伊吹文明は表現したが 保守を名乗る蓮舫にその欠片も存在しない。 |
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後にも先にも椎名林檎さんの曲でいまだに聴いているのは この「本能」、 歌詞とMVに登場する立ち姿と歌い方が一体となって気に入っている。 どことなく曲調も日本語の旋律にあっている。 構成がオタクっぽく それが日本的で音楽プロデューサーとなったのでしょうか。 約束は 要らないわ 果たされないことなど 大嫌いなの ずっと繋がれて 居たいわ 朝が来ない窓辺を 求めているの どうして 歴史の上に言葉が生まれたのか 太陽 酸素 海 風 もう充分だった筈でしょう 淋しいのはお互い様で 正しく舐め合う傷は誰も何も 咎められない 紐 解いて 生命に 擬う 気紛れを 許して 今更なんて思わずに急かしてよ もっと中迄入って あたしの衝動を 突き動かしてよ 全部どうでもいいと云っていたい様な月の灯 劣等感 カテゴライズ そういうの 忘れてみましょう 終わりにはどうせ独りだし 此の際虚の真実を押し通して絶えてゆくのが良い 鋭い其の目線が 好き 曲のタイトルは「本能」、歌詞にある「あたしの衝動を 突き動かしてよ」と 言葉は過激ではあるけれど 理性という抑制機関との葛藤が表現されているわけで 普通の枠を越えない自制というものが人にはある。 もう一昔前の曲で 1999年10月27日にリリースとのこと。ほぼ私の台湾駐在開始と同時で TVを見るしか時間つぶしがなかった当時 日本語チャンネルでこのMVが 番組の間によく流れていたこともあり カラオケでよく歌っていたので記憶と一体化されていて 脳回路の引き出しの手前に入っている。 そんなことで高畑裕太の事件が報じられて この曲が脳内リンクで浮かび上がってきた。それはそれで曲についてはここまで。 特定のテレビ局しか視聴しない私でも 最近やたらこの気持ち悪い親子がTVに出ている機会が多いとわかるほどだった。理由は申し上げないが個人的な不愉快になる見たくない拒絶したい顔つきと話し方の問題で 真田丸やCMで高畑淳子が出てくるのも不快だった。気持ち悪いものは理性ではなく 生理で排除するのもまた正しい危険回避の選択枝の一つ ひとは見た目で判断したらいけないということも否定はしないが 河川敷で殺された少年 当然見た目で仲間に引き込まれ カラーギャングと非常に見た目でわかりやすい集団に無防備で近づいた結果しかないだろう。
生理的嫌悪を表明すれば 正義感にあふれた これは今の時代では通用しない価値観だと断罪される 良い子の社会の一員としての自覚が求められるが 理性が本能を上回りはしないし 俗が聖を下回ることもない 本能的な禁忌は未開人と馬鹿にされようだが これも人の素養ではないかと。 |
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目標に向かって皆 考えられない努力してる人たちの競技 なんとも自分が凡人である理由がわかるが そんなことより マイナー競技をみても面白い 人の競争というのは細部までとことん研究 鍛錬しないと勝者になれない 競争というものは素晴らしい一面がある 社会の構造もそれに近い そんななかでのほほんと生きる場所を得ていることを良しとしたい。 さて オリンピック北京語では奧林匹克運動會 五輪という別称は使用されていないとのこと。日本でも最近 五輪という言葉の使用頻度は減ってきているような気がする。細部に厳しいIOC オリンピックという言葉を許可なく使用することを許さないように 日本独自の「五輪」という言葉も 言葉の管理ということ許さないのだろうか。 五輪前 経営企画部門の長に呼び止められ IOCから手紙が来たので確認したいとのこと 国内営業で「オリンピック」って使用してないよね?とのこと。見せてもらうとIOCからの本物の英文の手紙。確認ということなので「一切ございません」と返答。 何か引っかかったのか心配はしていないが 正式に返信するのでそのための確認とのこと。うちみたいな会社にもわざわざこんな使用権利について手紙で警告というか「オリンピック」という言葉にバリアを張るとは すごいエネルギー 一体何社にこんな手紙を送りつけているのだろう。 |
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『若者の政治参加の象徴的存在にもなった』と毎日新聞さん、共産党がコントロールする 毎度たけのこの様に出てくる取ってつけたような名前のその時限りの市民団体 所謂共産党が「民主団体」と定義するもの以上でも以下でもなく そんなものが「若者の政治参加の象徴的存在」のわけがない。18歳選挙権を見据えて「若者の政治参加の象徴的存在になってほしい」と企画されたのが見え見え それほど注目される前からHPなどの デザインなどプロが関与して統一的にその使用を組織的に取り扱える素人集団など その初期費用はどこから出たのか それはボランティアからと答えは準備されているだろうが このプロの労力を無償で引きだす組織力を 偶然手にしたわけではないだろう。 デモ風景は 共産党が日頃使用している街宣車の提供 先頭を歩く若者は メディアがクローズアップして写真に切り取っても 左右や背後に映り込んだ 労働組合の集会に集まっている左翼老人の風体は隠せなかった。 奥田のいう「今は変化の途中で、選挙はまだ政党や労働組合などの限られた人だけのものになっている。去年はデモの光景が変わったとして、今年は選挙の光景を変えたい。参加型のカルチャーを若者にもっと定着させたい」という言葉こそSEALDsが「政党や労働組合などの限られた人だけのも」と白状しているようなもの これを隠したいという望みがあったのだろう まあ彼の望みというよりは「共産党の意向」で 彼はその意向を忠実に実行した。一前衛としてそれが出来た組織人ということに関しては立派と評価しよう。「18歳選挙権時の企画」はそれが終われば 終了、そこに意味などない。 新しい若者の政治参加の表現方法とヨイショばかりだが 対象を悪魔化しレッテル貼って「アベ政治を許さない」とのコールするのは 共産党のオハコ 古すぎる手法の焼き直しに斬新さの欠片もなかったんじゃないのかね。 |
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潘霜霜(パン・シュアンシュアン) 東京都知事選での言葉
鳥越俊太郎「私の長所は聞く耳を持っていることです」 よほど左巻きに汚染されていない限り 彼の言葉が素直には行ってきた人は いないのだろう。民共の基本票を除けば その得票数からは ほとんど誰も彼の言葉に「耳を貸さなかった」ということが結果。 「脱原発、護憲、平和、アベ政治を許さない」という 世の中ではごく少数な熱心なカルト的文言が並ぶ主張が 彼の耳元では大多数の民意として存在したのだろう。 改憲を可としている7割の巷の声は 彼の聞く耳に届かないということなのだろう。 「言う」と「伝える」ということが 後者に対し前者が音声として内容の認識の有無とは関係ないように 音声認識として「聞く耳を持つ」だけでは何の意味もない。鳥越の場合 音声認識としての耳の機能していたかは 他の老化現象からしても怪しい。 今上がお気持ちをあらわされた。大御心の発露として「心を寄せる」とよくいわれるわけであるが 聞く耳という音声認識とは次元の違うところで民意をはかられている。 |


