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中国語で「老」は悪い意味では遣われず 女房は「 老婆」旦那は「老公」教師は「老師」と親しく接する対象に当てられるので 【老外 】の意味「外国人、素人」はそのような対象外ということになるでしょうか。 日本語では初老を壮年 老人を熟年と 老齢に達したものを「老」の字を忌み嫌うように言い換えが盛んになってきた。以前ほど年寄りが老人くさくない若さを保ち始めたので そぐわない感じがするのかもしれないけれど「老害」に「老いぼれ」と訓音共に肯定的ではない遣いかたが多く 日本語と中国語の違いの一つで 老いにたいする意識の違いに繋がっていくのかもしれない。 日本語で「老」をあてたよい言葉は「老舗(しにせ)」ぐらいであるが しかしこれは人に対してではない。 高齢者社会の到来のなか 身の丈にあわず若い世代に莫大な負荷を負わせる今の日本の老後の社会保障制度が破綻の先送りをして正常化へ正そうとしない姿は 人の老いに対するよい言葉を日本語が生むことが出来ないことと重なってくるのだ。 潘霜霜(パン・シュアンシュアン) |
北京語(中国語)学習帳
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日本語では「靠」という漢字はあまり馴染みがないけれど 北京語では「行人靠右走」歩行者右側通行など「靠」という文字はよくみかける。 「靠(もた)れる」ことが可能ということで【信頼できる 確かな たのもしい】という意味で 日本語表現の「頼り甲斐がある」と同じ発想になる。 「もたれあう」という言葉がある。 頼れる相手でもない同士が互いに頼りあってもどうしようもないのだが このどうしようもない負の押し付け合いの社会に今 我々は生きている。 無限の信頼など天文学的税収がなければ無理と理屈ではわかりそうなものであるのに ないものねだりと自覚せぬまま つけを後回しにして日本の社会保障がある。 日本の年金、医療制度は世界に誇れるものだと 政府のねずみ講に強制参加させられていると気がつきながら それでも増税で何とかなると 破綻へ向かい突き進んでいる姿は滑稽。 自立という自分自身のみが頼れることが大切な時代はもう来ている。 潘霜霜(パン・シュアンシュアン) |
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日本語の爆竹も元々は中国語で 中国でも爆竹と古い言い方であるようではある。しかし今では 中国では【鞭炮】が一般的で日本では爆竹である。 爆竹の由来は文字そのもので 焚き木などに竹をいれると爆発して音をたてその連続音から 音をたてるこの花火の一種を爆竹という様になった。 中国では爆竹を祭事などの行事で鳴らすのは 日本の拍手や神社の鈴と同じで 派手ではあるが音をたてて神を呼び出すという意味もあり かつ行事の開始などを知らせる音でもある。 使用用途としては日本も中国と同じではあるものの それほど世俗に根付いた品ではないので 派手に爆竹が飛ぶように連続して破裂している場面に出くわすことはほとんどなく 日本では町のどこかで誰かが火をつけたその音を遠くから確認することがほとんどである。中国や台湾は正月をはじめさまざまな行事に用いることも多く遠くで音をきくだけではなく 紐に編みこまれた爆竹が吊るされ、または地面に直接おかれ 踊るように爆発していく光景をしばしば直接目にする。 【鞭炮】の「鞭」は「ムチ」であり 爆竹が連続して爆発していく様はムチを打っているように見えるのだ。 爆竹とムチが生活に密接に結びつき目にする場面の多い中国では視覚から【鞭炮】という言い方が定着し 音のみ聞くことの多い日本では聴覚的に【爆竹】という言い方をしているのだろう。また日本ではムチはサーカスの調教師の用いる輸入品でしかない。 潘霜霜(パン・シュアンシュアン) |



