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学生の頃、奈良の大和文華館で日本にある宋代絵画の名品を一堂に集めた展覧会を観てハマってしまい、その後台北の故宮博物院に行ったり、日本の宋代絵画のコレクションを見て廻ったりしたことがある。
その大和文華館に出品された東博のコレクションが、この梁楷の「雪景山水図」(13世紀 南宋)、李迪の「芙蓉図」,伝毛松の「猿図」あたりだった。「芙蓉図」,「猿図」は以前に東博で再会していたが、「雪景山水図」の方は本当に久しぶりという気がする。
画面の上方にそびえ立つ雪山の山裾に広がる、このたっぷりとした空間がとても好きだ(画像は画面下部3分の1の部分)。樹や土波の描写のすばらしさにも増して、この何も描かれていない部分の奥行きの深さ、山の気配を感じさせる深淵な空気感がとにかくスゴい。
こうした大気表現に拮抗する日本絵画は、中世の画僧の水墨画には見られず、近世の長谷川等伯、俵屋宗達の水墨を待たなければならない。
この絵、元々東山御物として「出山釈迦図」、もう一つの「雪景山水図」(こっちは“伝”梁楷)と三幅対で『御物御画目録』に記載されていたアイテムと考えられ、これら二幅とは別々に所蔵されていたのが、近年、全て東博所蔵となり、三幅一件の国宝扱いになった記念の展示とか。
目出たし目出たしといいたいところだが、結果としてこの「雪景山水図」は「出山釈迦図」の脇幅になってしまったのだから、私としては複雑な心境だ。
元々三幅対だったといっても、日本で独自に解釈されて足利将軍家の宝物(唐物)として一揃えになったもので、中国で三幅対として制作されたのでないのは構図を見ても明らか(梁楷が見たらどう思うだろう)。
たしかに、外国の美術品でも日本で独自の意味付け、価値付けがおこなわれることにより、“唐物という日本美術”に変貌するわけで、そういう意味では“日本の”国宝としては三幅対の形の方がふさわしいようにも思う。
しかし、自分としてはやっぱりこの「雪景山水図」(伝梁楷じゃない方ね)、単独で鑑賞したいなあ。あとのは邪魔(別に「出山釈迦図」が良くないというつもりはないし、釈迦を脇に置くわけにはいかないのはわかってるが…)。これからは三幅対の脇幅としてでないと鑑賞出来ないと思うとやっぱり複雑な心境。
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