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西塔門東側の中央から遠い誰も見に来ないような壁面になると、アンコールワット中女神像彫刻群が最も充実したこのエリアでも、さすがにその質の変化が見られる。
左画像(西塔門南翼の端)は形態の単純化が進み、左の3体など真ん丸の乳房が横に6つ並んでいるだけの単調さ。ポーズもぎこちなく、上半身が正面向きで足が真横を向いているという、アンコールワット女神像でおなじみの無理な姿勢を不自然に見せないだけの技量がここにはない。
顔にも女性らしさは感じられないし、“西塔門西側その6” <http://blogs.yahoo.co.jp/sugafuto/29662904.html>のデヴァターとその点がよく似ている。ただし、こっちの方はプロポーションが崩れているわけでも彫工の技術が極端に劣っているわけでもないので、やはり単なる形式化なのだ。
だから、ここには宮女や踊り子を写し取ったようなある種の写実性(生々しさ)はみられない。ゴージャスな宮廷女性の再現ではなく、型としての女神像をなぞっているにすぎない。
とはいってもこれが本来の宗教美術の天使や天人などパンテオン周辺(その他大勢組)の表現だろう。これまで見て来たアンコールワットの創意工夫に富んだデヴァターたちというのは、やはり宗教建築装飾の常識からみればかなり例外的なものだ。
アンコールワットではこうした形式化された像が量産されることは無かった。“再現する技量”の低下は像表現の形式化を経て新たなるステージへと展開することになる!?
それが右画像(北翼の端)。どう見ても3体を描くには狭すぎる壁面に窮屈に詰め込まれたデヴァターたちは、身体の均整を欠いた異様な姿だ。均整のとれた美しい像からカリカチュアされた個性表現へと展開したこの東側壁面のデヴァターは、そうした世俗的再現性から形式化を経ることによって現実の宮廷文化ではなく、既に壁面にある数々の女神像の浮彫自体をモチーフとするようになったのだろう。こうした作品は制作時期としては随分後になってからじゃないだろうか。
ここには身体の正確なプロポーション、コスチュームの構造などの現実に即した理解と解釈が欠けている。身体とコスチュームの質的、構造的な違いが判別しにくく、まるで地球人とは体の構造が違うエイリアンのようにすら見える。かといって単に既存の浮彫を知識や技量不足の彫工が下手に模したというのではなく、例えば右画像中央と右のデヴァターの身体の重なりなど他では見られない表現(中央のデヴァターの上半身は斜に構えている)で、3体が並列に並ぶのではなく1つの塊のような群像構成となっており、これまでの像表現とは全く違った試みがなされているのがわかる。要するに知識・技術は伴わないまでも作者の強い創作意欲が感じられる。
これが再現性に価値を置くとものとするならば、ただのへたくそな作品であるに過ぎない。でも、そういう考えは伝統的な西洋絵画の立場から見た近代絵画に対する批判と似た視点と見ることも出来るだろう。つまり、この説明的描写を廃した表現主義的な異様な作風は、見方を転換すると20世紀の前衛絵画のように見えてくる。
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なるほどですね、、 面白い。
その見え方、確かにします。
2008/4/6(日) 午前 2:10 [ mio ]
作者自身はどういう事情で何を思ってこういう作品を作ったのでしょうね。案外先人の技に迫れたとか満足してたりして…。
2008/4/7(月) 午後 6:48 [ sug**uto ]
なんて美しいんでしょう。一度に観られないのでまた訪問させてください。
2008/4/25(金) 午後 5:27