おるたな美術館

旅先で出会った東洋美術、西洋美術

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アステカの石彫は彩色されていたようだから、今とは随分イメージが違うのだろうが、むしろヘビーでハードな表現の魅力は今の状態の方がより味わえる。石による造形がこれほどビシッと決まる文化もそう多くはないだろう。

上画像の「太陽の石」も、彫りの深さの違いによる明暗の妙など、その変化に富んだ力強い表現効果が石のざらついたテクスチュアで増幅されている。生贄の心臓を燃料とする原動機としての凶悪そうな太陽神トナティウを中心に(両側の手は心臓を鷲掴みにしている)、きしむ音を立ててメカニカルに時を刻むような宇宙の図式は、空間論よりも運命的で強迫観念的な時間論に支配されている。

“もののあはれ”とはえらい違いだ。永久不変なものに真理を見いださないという共通点はあっても、こういうのを見ると、日本に石造文化が発達しなかったのは当然という気がしてくる。

画像下部でにらみ合うのはトナティウ(右)と夜の神シゥテクートリ。両者ともシウコアトル(火の蛇)の被り物をして戦い、それによって夜と昼が運行するというわけか。

下画像もシウコアトルで、一見随分と形が違うようだが、上画像のシウコアトル頭部のパーツをまるっこく変換すると確かに下画像になる。つまり図像的には全く同じで、表現様式を変え、より抽象的な造形に置換している。こういう合理的なスタイルの変更はアステカの得意技のようだ。

彼らの石彫には、素材そのものにアニミズム的霊性を見いだすような感覚は感じられない。石もまた、粘土などと同じく自在に加工出来る素材に過ぎないのだろう。それがこれだけドライに明快に造形できる所以のようだ。

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メキシコ国立人類学博物館の中庭奥にある、当館メインホールのアステカ室。その広大な展示室は圧巻だ。石造群を照らす照明は見上げると夜空の星のようで、実際の空間以上のスケールを感じさせる。

左画像のガラモン・ピグモン系巨大石像は大地母神コアトリクエ。“蛇のスカート”という意味だそうな。右下画像中央の像もコアトリクエだが、こっちは巫女が儀礼用に髑髏の仮面、蛇を編んだ腰布、獣の足のような手袋とブーツで扮装した姿を写したもののようで、そう考えると誇張ではなくかぶりものを装着しているだけなのだから、写実的で自然な造形といえそう。

左画像のコアトリクエのような多面多臂で動物と人体を合成した異形イメージは、勿論アステカの専売特許ではない。この像を特異なものにしているのは、その構成原理だろう。この像には古代ギリシャ、オリエント、インドなどユーラシアを中心とした文明の宗教図像に見られるような、動物や人間の自然な構造に基づいた有機的なデザインほどこされていない。

例えば胸部に4つの掌、2つの心臓、生首が、人体構造とは無関係に配置されているし(これって首飾りなのだが、カーリー女神が首から下げる生首の数珠つなぎ <http://blogs.yahoo.co.jp/sugafuto/27448919.html>とは違い数が少なく、しかも大きくて、恣意的な配置に思える)、両肩は唐突に蛇の頭になっている。さらに独創的なのは頭部だ。実はこれ、2匹の蛇が向かい合って1つの顔のように見せているのだ。だから右上画像に見られるように、背中側から見ても後頭部に同じ目や口が描かれている。このアイデアには実に魅了された。

レリーフとしての平面性を丸彫りの彫刻にそのまま持ち込んでおり、このことは平面的イメージが丸彫りになることによって自然な立体表現になることへの拒絶を意味している。つまり、平面的虚構性、装飾性が、着ぐるみのようなリアルな実写ものとしての再現を不可能にしている。フィギュアなどのような単純な2Dから3Dへの移行ではなく、そのどちらの空間にも属している(または属していない)ところが、この像の聖なる存在としての強度といえそうだ。

アステカとくればすぐに生贄の儀式の方に話がいってしまうので、そういったお決まりのパターンは避けたいのだが、人の心臓をえぐり出し、生皮を剥いで身に纏ったり、バラバラに切断して食したり等、人体の解体と再構成を実際にやってしまうリアリティーが彫刻に反映されているのは確かなようで、文明の存続と引き換えの死に直結する感覚が強烈な印象を与える。

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手の込んだ力作の多い十字回廊でも、南東の隅っこあたりとなると下画像のような作品に出会うことが出来る。似たようなコスチュームとポーズの上画像(北西壁面のもの)と比較すれば、その落差に目眩すら覚えるひともいるだろう。

特に下画像中央の1体など、その左側の像と比べてもとても同じ時期の造像とは思えない。額の生え際から頭頂までが異様に短く、結い上げた髪の表現の稚拙さ(生え際から結び目へと髪の流れがつながってない)、歯を覗かせたお下劣な落書き風表現は、後の時代の誰かが摩滅した(または未完の)頭部に新たに刻んだものだろう。

単純に表現の多様さといってもアンコールワットの女神像群は、壮健当初の創意工夫だけでも充分に多様なものがあり、さらに後世の補完・補修、風化による変色・崩落と、そのイメージの変容・多様化は底無し沼の様相を見せる。高度な造形から稚拙なもの、保存状態の良いものから破損の著しいものへと作品の状態は裾野を広げ、そうして成り立ったデヴァターの宇宙は、このようなおちゃらけた造形すら時代の違うものとして分け隔てすることなく、難なく呑み込んでしまう。

そういう意味ではこの下画像中央の彼女(顔だけ見てると男に思えるが……)も、間違いなくアンコール・ワット境内の一員なのだ。

神羅明神坐像

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大阪市美術館の三井寺展に展示中の秘仏「神羅明神坐像」は、テレビや印刷物で見る以上に強烈だった。神像の特異な造形感覚は結構気になる方なので、これを見るだけでもわざわざ来たかいがあったというものだ。

間延びした大きな上半身、やたら細長い手の指、長頭で垂れ目の異様な顔立ち。モンゴロイドをデフォルメしてもこうはならないだろう。コーカソイド系の異邦人をイメージして造像された感じがする。

写真でみると、極端に抽象化されていて人体とかけ離れた印象をうけるが、実際は人体を元にした誇張表現に思えた。異民族の身体的特徴、見慣れない異質なものに対する感覚を、畏敬の念として神像に持ち込んでいる。

仏陀像やキリスト象をそれぞれの国でそれぞれの民族の身体的特徴で表現することによって、親しみやすさを得ようとする共感の姿勢とは正反対の、異なるものを畏れ敬う感覚が鮮烈だ。この風貌に「X-ファイル」のスモーキングマンを思い出してしまったのは私だけ?

彫刻としての質も他の仏像群以上に高く、大満足で帰路に……。駅に向かう途中で、とぐろを巻いた雅びなホースにも出会った。

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以前から神社の境内に吊るされた絵馬や、樹の枝にくくり付けられたおみくじなどに心惹かれる美しさを感じていたので、自分の展示に於いても来場者の痕跡が会場を荘厳してゆくような展示をと考え、今回のような “天地創造プラン” を考えた。

実際どの程度の来場者にプランを描いていただけるのか不安だったが、意外なほど描いてくださる方が多く(最年少記録も3歳に更新され)、しかも既に壁に飾られた作品に触発されてか、日程を経る程に時間をかけて熱心に描く人が増え、94枚の作品で壁面を飾ることが出来た。

プラン制作にご協力いただいた方々、ご来場者の方々、ギャラリーのスタッフの皆さん、本当に有り難うございました。


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