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バクタプルはカトマンドゥ盆地にあったマッラ朝(15〜18世紀)の3王国の首都の1つ。中世的雰囲気が最も良く残る。
ネパール人が食用の動物を屠殺するとき、ヒンドゥー神の祭壇の前で動物の首を切り、その血を神像に捧げるのは知っていた。しかし、私がバクタプルで泊まっていた小さなホテルの前の小道にあるガネーシャ(象の頭をしたポピュラーなヒンドゥーの神)を祀った小さな祠(日本でいえば道端のお地蔵さん程度のもの)の前で、大人の人間とあまり変わらないような大きな山羊が生贄として捧げられる場面に出くわすとは思いもよらなかった。
鉈で切断された喉からはおびただしい血が流れ、小道を真っ赤に染めてもまだあふれる血をバケツで受け止める。頭部は祠に捧げられ、頭の無い胴体は数分たっても足のけいれんが止まらない。
昼前から残酷な光景を目の当たりにし、ショックを受けた。しかし、彼らは自分たちが生きていくために食べる動物を一々神に捧げ、その死を見届けてから食する。私たちが日頃何気なく食べているハンバーガー一個にしても、財布や鞄に使われるちょっとした革製品にしても、確実に一匹ないし一頭の動物の死がそこにはある。日常がおびただしい動物達の死で成り立っているにも拘らず、日本では全くそんなこと意識したりもしない。そう考えてみると、何やら薄ら寒い気分にさせられる。
動物の死に対して礼を尽くす彼らに比べ、野蛮なのはその死を覆い隠す私達の方かもしれない。そこには、残酷な事がなされた事に落とし前をつける(浄化する)文化が欠落している。日本では近代以前はほとんど肉食をしていなかったので、その必要が無かったのだろう。
だとすると、近代=野蛮という図式が成り立つのかも。
写真は、そのガネーシャの祠と同じトウマディー広場にある大きな寺、バイラヴナート寺院の祭壇。夜はこの祭壇の傍らで音楽が毎晩奉納され、ホテルの部屋からも良く聞こえた。中央上の金色の像はシヴァ神の畏怖相バイラヴァ。下の石像は摩滅してよくわからないが、赤いのは参拝者が付けた赤粉(シンドゥーラ)で、黒く湿った部分と相まって、血なまぐさい雰囲気をかもし出している。そして、この場が持っている陰惨なエネルギーは、そのまま“聖性”へとつながっている。
それにしても、写真を撮ったときはあまり何も考えなかったけど、足をひもでくくり付けられた生贄のニワトリ(画像をクリックしたら拡大画像で確認できます)を見ると、哀れを誘うなあ。こんなふうに思うのは、血を嫌う民族の末裔ゆえか。
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